第48話
晴燈くんの変化は、傍から見るとわからない。
なんにでも興味を持つ年頃だし、兄である征燈にいつもベッタリの仲良し兄弟だ。
激しく征燈を独占したいと訴える弟らしいワガママさと、感激して褒めちぎる家族ならではの存在感を持っている。
それは今も変わらない。
明確な変化がどこにあるのか、俺にもわからない。
まだ、わからない。
しかし確実に晴燈くんの中ではなにかが変化している。
それは事実だと、経験則から読み取れる。
ハッキリしていない内から疑心暗鬼になることはないが、守護霊としては征燈に多大な影響を及ぼす存在の変化には敏感になっておくべきだろう。
「晴燈、ジュースは一番小さいのにしろよ」
「はーい」
少し遅いが、おやつの時間を楽しもうと駅前のファストフード店に入った。
二人分の飲み物とMサイズのポテトと五個入りナゲットだけに留め、向かい合って席に着く。
晴燈くんは喉が渇いていたのか、オレンジジュースを手にするとストローに吸い付いた。
ゴクゴクと喉を鳴らしジュースを堪能する様を、征燈は幸せそうに見ている。
『征燈』
「わあ見て兄ちゃん、このポテト長い!」
「ホントだ。晴燈の顔くらいあるんじゃないか?」
「そんなにないよ……ある?」
「あるかも」
「兄ちゃんが言うならあるかも!」
朗らかな空気で周囲があたたかくなる気分だ。
二人とも思ったより空腹だったようで、ポテトは一気に半分くらいになった。
征燈はナゲット用のソースを開封し、ナゲットを摘まみやすいように晴燈くん側に向けて蓋を開ける。
「兄ちゃん三つ食べる?」
「晴燈は?」
「半分こする!」
兄弟だからこその会話が成立し、晴燈くんはナゲットを一つ摘まんだ。
慎重にソースをつけ、一気に半分ほど食べると手に持っているほうを征燈に差し出す。
「ん!」
そんなことをされて喜ばない征燈ではない。
人目も気にせず晴燈くんの手でナゲットを口に入れてもらった。
湧き上がる至福感にはずいぶん慣れたが、ウンザリするほど嬉しそうだから逆にいたたまれない気分にもなる。
ある日突然、晴燈くんがいなくなってしまったらコイツはどうなるのだろうか。
そんな不安が拭えない。
「食べたら帰るぞ」
「うん!」
「母さんには秘密な?」
「もちろん!」
二人だけの小さな秘密はたくさんある。
全部は覚えていないだろうが、征燈は幼い頃の秘密も多く覚えていたりする。
本人も言っていたが晴燈くんへの執着が強い。
年を追う毎に離れ難い存在になってきているようで、ますます俺を不安にさせる。
兄弟は食べ終わってから少しの間今日の出来事について言葉を交わし、満足したように席を立った。
率先してトレイを持ってダストボックスまで歩く晴燈くんを後ろから見守り、ゴミの分別は征燈が担当する。
仲良く店を出て、夕日の色がそろりと広がり始めた街を歩いた。
どちらともなく手を繋ぎ、真っ直ぐ駅へ向かう。
大通りで信号待ちをしていたが、晴燈くんが歩道橋を渡りたいと言い出した。
錆びれた歩道橋を見上げた征燈の眉が一瞬寄る。
鮮やかな夕刻に見上げる歩道橋には、己の欲や念が薄れてしまってもなお留まり続けている影だけの存在や、肉体を離れたてなのか喚くように口を開け激しく揺れている存在もいる。
中には焼け爛れた姿もあるし、あらぬ方向に曲がっている脚で立ちながら手すりに乗り上げることができずもがいている姿も視えた。
不意に視線を自動車道へ向ければ、新旧入り乱れた花束が散見されて征燈は視えた存在たちの理由を納得したようだ。
「早く!」
「……わかった、よ」
信号が青に変わった。
征燈は歩道橋へ行かなくても渡れるぞと、きっと視線を送ったのだと思う。
だが無邪気な笑顔に晴燈くんに引かれて歩道橋に足を踏み入れる。
兄を急がせるように階段を上る晴燈くんに遅れまいと続き、上りきった場所で唇を噛んだ。
反射的に足が止まり、不思議そうな顔で振り返った晴燈くんへ愛想笑いを浮かべる。
「どうしたの?」
「階段上がったから、疲れた」
「えーっ?」
「晴燈は疲れないのか?」
「うん!」
「そか」
元気な晴燈くんに重なるように視える無残な姿のままの存在を、自分の中でなんとか誤魔化しているのだろう。
完全に目が合っている。
向こうも取り憑いてやろうかと因縁をつけてきている。
俺の結界に阻まれてより不快感を露わにした。
その一連の流れを征燈は「晴燈くんを見て笑っている」表情でやり過ごした。
『役者にでもなるつもりか』
俺のツッコミはスルーされ、再び晴燈くんに催促され歩き始めた。
「あっ、見て見ておっきなトラック!」
「おー」
「タイヤの数、凄いんだよ? 知ってる?」
「物知りだな」
「ふふっ、クラスメイトが教えてくれたんだ」
あっという間に歩道橋の下を通過していくトラックを見送り、今度は逆方向側から見える夕日に夢中になる。
揺れる歩道橋に喜びジャンプをしてさらに揺らし征燈を慌てさせたり、傍の横断歩道を渡る人々を眺めたり、ほんのわずかの距離だというのに晴燈くんは一歩ごとに新しい発見をして二人だけの空間を満喫していた。
引っ張られるがままの征燈は視えている思念たちを無視し、晴燈くんの言葉や動向に集中していたようだ。
『気がついたか』
「……」
征燈の命に従っているゴンが、はしゃぐ晴燈くんに障りが出ないよう周囲を固めている。
幸いにも防御特化したゴンの相手ができる存在は見受けられず、威嚇に怯えて道を開けているような状態だ。
それはいい。
それは正しい。
ゴンは、ちゃんと言われた通りに晴燈くんを護っている。
ゴンに威嚇された存在たちの行動も、力関係を考えれば理解ができる。
「兄ちゃん、なにか考え事?」
「え?」
「急に静かになったから。歩道橋上るの、そんなに疲れたの?」
「明日出す課題があったような気がするなと思ってただけ」
「えっ、宿題はちゃんとやらなくちゃダメだよ。早く帰ろ!」
「はは……晴燈はしっかりしてるなあ」
「ふふっ! 兄ちゃんの世話は任せて!」
「こりゃ老後が楽しみだな」
征燈の静かな声音に晴燈くんの笑い声が響く。
その周囲に俺の結界とゴンの護りが広がり、陰が追いやられる。
「早く帰ろ」
「ん」
数段先の階段端に俯せの黒い思念がいた。
運が悪ければ背中を押されたり足を引っ掛けられたりしてケガをするだろう。
征燈は無意識に晴燈くんの手を引いて黒い思念を遠ざけようとした。
だが同じくらいの力加減で晴燈くんは征燈を引っ張り、黒い思念の潜むほうへ足を伸ばす。
当然、ゴンが護っているので踏みつけても害はない。
グニョンと変形し、ドロッとした波紋を広げただけで済んだ。
征燈が通り過ぎるときは俺の結界に阻まれ、思念は人間のような舌打ちを聞かせてきた。
階段の終わり、足元には花束が置いてある。
置いたままで誰も後始末をしていないのだろう。
排気ガスで汚れた未開封の水のペットボトルの隣に、飲みかけで投棄されたらしいジュースのペットボトルが転がっている。
枯れた花束、花束を包んでいたセロファン、片方だけの靴、柄の折れた傘の残骸などが折り重なっている状況だ。
晴燈くんは立ち止まり、その様をじっと見つめた。
「どうした?」
「可哀想って思うより、覚えていてくれる人がまだいるって考えたほうがいいのかな」
「え?」
「こういう所にある花束って、交通事故とかの犠牲者を弔うものなんでしょ? なのにゴミも一緒になってて可哀想だなって思ったんだけど、新しい花束もあるからまだ弔われているってことだよね? 幽霊さんって、自分のことを覚えていてくれる人がいるほうが幸せなんでしょ?」
「竜樹さんに教わったのか」
「ううん」
「じゃあ、こがねに聞いたのか?」
「違うよ。天羽さんが本で読んだって言ってたんだ」
「そか……どう感じるかは、幽霊さんそれぞれで違うかもな」
「そっか、そうだよね……うん、やっぱり兄ちゃんは凄いや! 僕、兄ちゃんの言葉が一番納得できたよ」
嬉しそうに笑う。
今日はずっと、晴燈くんの笑顔が征燈の隣で咲いている。
これ以上の至高はないだろうと思えるほどの贅沢な二人だけの時間なのに、征燈の気配には困惑が紛れ込んでいた。
「電車、乗ろうか」
「はーい!」
腕に抱きついてくる晴燈くんと、同じくらい喜んでいるゴンが大きくなった顔を征燈に擦りつけている。
その瞬間にホッとしたのだろうか。
征燈は緊張を緩めて晴燈くんの頭を優しく撫でた。
『晴燈くんはお前と同様に霊的な刺激を受けている。なにかしらの変化があってもおかしくはない。だが、少々違和感を感じる』
「うっせ」
『早めに対処したほうがいいぞ』
「対処ってなんだよ」
『お前に害がないとも限らない行動だった』
「なにかしらの変化で、そういう空気のほうへ行っちまうことだってあるだろ」
『偶然かもしれないが、俺の言葉を遮った』
「偶然に決まってるだろ。そんなこともわかんねえのかよ」
『だが』
「鬱陶しいな! 静かにしろよ!」
帰宅後、約束通りに路次くんと話がしたいとタブレットを自室に持って入った晴燈くん。
夕食の後でとわざわざ通話をしているのが聞こえてきた。
楽し気な声が響くのを聞きながら、征燈は苛々と部屋の中を歩き回っている。
俺が言った言葉のすべてに納得できるだろう。
俺が間違いであってほしいと思いながらも警告をする意味もわかっていると思う。
だからこそ、声を荒げて俺の言葉を切った。
本当のことを改めて言われる不快感を存分に醸し出している。
「兄ちゃんどうしたの?」
部屋の扉が軽くノックされ、心配そうな晴燈くんの声がやってくる。
すぐに開けると、タブレットを抱きしめて立つ晴燈くんが征燈を見上げていた。
「驚かせたかな、ごめん。なんでもないよ」
「本当? 僕の声が煩かったとかじゃない?」
「違うよ」
「……よかった」
心底安堵した顔で微笑む晴燈くんの頭を撫で、その腕からタブレットを取り上げる。
「あとでな」
『ゆっきー、ヤマさんから明日の課題の答えもらったよぉ~』
「グッジョブ」
親指を上げた征燈に、タブレットの画面上で路次くんが恐らく同じように親指を上げている。
あくまでも俺の予想だが。
すぐに晴燈くんが手を伸ばしてきたので、タブレットを渡す。
「宿題は自分でしなくちゃダメだよ?」
「わかってる。答え合わせに使うだけだよ」
「ふふっ、そうだよね。兄ちゃんが宿題の答え丸写しなんて、するハズないよね!」
「晴燈が信じてくれて嬉しいな」
「僕はずっと兄ちゃんのこと疑わないもん」
「そか」
「うん!」
「ご飯の準備、手伝おうか」
「はーい!」
晴燈くんが一旦部屋へ戻るタイミングで、征燈の前に出て視線が合うのを確認した。
気拙さもなく、ただ、いつものように若干機嫌の悪い視線だ。
『お前が望むのなら、俺は沈黙しよう』
征燈からの返答はなかった。
吐き捨てる言葉もなく、俺はしばらく征燈の行動に関して静観を決めた。
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