第47話
最近、土日に出かけることの多くなった征燈だが、母親は嬉しそうに見送ってくれた。
なにはともあれ、家の中にいるよりも外出してくれたほうが安心できるのだろう。
帰りが少しくらい遅くなるほうが、男子としては健全だと思っているかもしれない。
「兄ちゃん、ロジくんのお家ってどこにあるの?」
「電車で二駅先にあるよ。有名な資料館の近所だから、資料館の送迎バスに乗ればすぐに着く」
「へえ~!」
晴燈くんは電車でのお出かけを楽しんでいるようだ。
愛用の鞄を斜めにかけ、紐を両手で握りながら歩いている。
その腕にチリチリと小さく鳴る鈴を発見した。
「その鈴、腕につけてるのか」
「うん! 紐が切れちゃって困ってたら、
「器用だな」
「お母さんがビーズ作家さんだから、アクセサリー作るの教えてもらってるんだって」
「へえ……」
「凄いよね。これだって休み時間に作ってくれたんだよ。それ見てた女子の何人かが声かけてきて、楽しそうだった」
「そか、よかったな」
伸縮性のある紐で作っているのか、晴燈くんの腕にぴったりとフィットしている。
独特な輝きを放つ加工をしてある様々な色のビーズを長めに通して輪にしただけのようだが、三重にしてちょうどいい長さになっているようだ。
鈴は通しただけのようで、晴燈くんが触ると可愛らしい音を響かせながらビーズの上を左右に動いた。
『小学生に嫉妬するな?』
「うっさい」
座らずに入り口近くから電車外を見ている晴燈くんの隣に立った征燈は、背中に回した拳をギリギリ握りしめてながら小さく悪態を吐いた。
その瞬間に晴燈くんが見上げてきてドキリとする。
「な、なに?」
「兄ちゃん、お菓子持ってきた?」
「え?」
「昨日の匂いがする」
「そ、そうか?」
「甘くていい匂いだけど、僕に内緒にしないでね?」
「お……お菓子じゃないんだ」
「そうなの?」
素直で純粋な視線に根負けするのは二秒もあればいい。
征燈はズボンのポケットをまさぐって晴燈くんに腐植珠を見せる。
「わあ、キレイな色だね」
「竜樹さんにもらったんだ。お守りにって」
「じゃあこれは兄ちゃんのお守り?」
「うん」
「わかった。匂いがしないときはお守り持ってないってことだから、僕がちゃんと忘れてるよって教えるね!」
「っ……、……! 晴燈は、優しいな。兄ちゃん頼りにしてる」
「まっかせて!」
胸を詰まらせた征燈の隣、座席端に座っていたサラリーマンが小さく呻いた。
他人にまで影響するとは……恐るべし晴燈くんの弟力。
路次くんの実家は資料館の真横にある。
と言うより、併設されている。
資料館の壁沿いに歩くと、同じ壁の切れ目に「佐納」と書かれた表札の掛かる門にたどり着く。
個人宅と思えないほど趣のある年代物の大きな門だ。
晴燈くんが門構えに口を開いている間に、征燈は小ぢんまりと設置されているインターフォンのボタンを押した。
しばらくすると女性の声が聞こえ、インターフォンに顔を近づける。
「佐納……路次くんに頼まれてきました、嫁神楽です」
『嫁神楽様ですね。確認してまいりますのでお待ちください』
通話を切る音が聞こえて静かになる。
征燈の上着を掴んだ晴燈くんは、見降ろした征燈に笑顔を見せる。
「嫁神楽様だって! ふふふ」
様付など聞き飽きたものだが、馴染みのない者からするとくすぐったいのかもしれない。
楽し気な晴燈くんに目を細めていると門の内側が騒がしくなり、やがて細く隙間ができる。
「ゆっきぃ~! はーくんもありがとお~!」
「お父さん、具合どうだったの?」
「会えなかったからわかんないんだぁ」
「容体は安定しているとか、そういうのもわからなかったのか?」
「一命は取り留めたって言ってたけど、予断を許さない状態だってえ」
『パパぁ~!』
『なにがあったのかわかりますか』
『お父様の守護霊さんはぁ、被せられた~って言ってたのぉ』
『被せられた……』
『どぅ……どうすれば、いいかなあ?』
『路次くんの精神安定に注力してください。もちろん、アナタが取り乱すことのないように』
『うんっ。わかったぁ!』
胸のたわわがたわわっている。
久しぶりに見たが、路次くんの理想的な女性体型は小柄で細身に豊かな胸のままらしい。
対象者からの影響を全部受け止めてしまう性質を改善させてやらなければ、路地くんが天寿を全うするまで続くだろう。
彼女にも守護霊としての経験をもっと積んでもらわなければならないが、特異な状況が突然に訪れると機会を失ってしまうな。
「これ、ヨロシク」
隙間からスーッと自分のタブレットを差し出してきた路次くんから、征燈はしっかりと受け取ると裏表を返し見た。
いつもの路次くんのタブレットだ。
学校の備品だというのにポップなシールを貼りまくっている。
「本当に、少しも出てこないんだな」
「髪の毛一本出さないようにって厳重に言われておるのですよおぉ~」
「どうして?」
「ロジもよくわかんないんで説明できないぞよ」
『呪詛の外部侵入を防ぐ結界が張られている。相当な警戒だ』
隙間から見える路次くんは、すまなさそうに笑っている。
征燈の前に出た晴燈くんは、隙間から真っ直ぐ路次くんを見上げる。
髪の毛一本も出さない厳重な状況に興味が湧いているのか、隙間に伸ばしてしまいそうになる腕を戒めるように後ろ手にすると征燈のズボンを握った。
『……』
「ま、わからないまま従ってるほうが賢いってこともあるだろ」
「でも、ちゃんと説明してもらったほうが冒険しないで済むんじゃない?」
「はーくん賢いこと言うねえ~実はねぇ、説明してもらったんだけど内容が難しくて自分じゃ説明できないのだなぁ~かはは」
「どんな説明してもらったの?」
無邪気な晴燈くんの質問のあと、見えていないが脇に控えているのだろう大人の咳払いが聞こえてきた。
恐らく、さっさと帰れという意味だ。
『険悪にならないうちに離れたようがよさそうだ』
「晴燈、用は済んだから帰ろ」
「えーっ、もっとお話ししたい」
「夜にチャットすればいいだろう?」
「……はぁい」
「いつでもウェルカムだかんねぇ」
別れの挨拶は済んだとばかりに、路次くんが後ろから引っ張られて遠くなると同時に門がしまった。
慌ただしく鍵がかけられ、複数の気配が離れていく。
残された門前の嫁神楽兄弟はさすがに数秒ぽかんとした。
「ロジくん、怖くないのかな」
「近くにいたのは親戚の人だろうし、さすがに怖くないんじゃないのか」
「そうじゃなくて、理解しきれてないことに巻き込まれたって……怖いことだと思うから」
無意識にビーズを触っている。
恐らくはクラスメイトのことと重ねてしまったのだろう。
征燈も察して、晴燈くんの頭を撫でる。
「大丈夫だよ。アイツの図太さは知ってるだろ? 独りでだってどうにかするさ」
「……そうだね。それでこそロジくんだもんね!」
「そういうこと」
用事が思った以上に早く済んでしまった。
すぐに帰るというのも勿体ないくらいの時間帯だ。
征燈は少し考え、晴燈くんに手を伸ばした。
「どこか行くか」
「いいの?」
「まだ急いで帰る時間じゃないからな」
目を輝かせた晴燈くんは、元気よく返事をすると征燈の手を取る。
「資料館入りたい!」
資料館には様々なテーマでブースが作られていて、パンフレットを見る限り不定期で展示物が変更になるらしい。
二人が訪れた時は、偶然にも「近隣地域の過去現在」が開催中で、古い地図と現在の地図が比較できるように展示されていた。
「兄ちゃん、この地図この前にロジくんに見せてもらった地図じゃない?」
「どれ……確かに、持ってきてた気がするな」
「資料館に出すような地図、平気で持ち出せるなんてロジくん凄いね」
「実家の資料だし父親がOKしたんだから凄いかどうかは」
「じゃあ、ロジくんのお家が凄いってことだね!」
晴燈くんは夢中になって地図を覗き込んでいる。
その後ろ姿を見守りつつ、征燈は口の端をムッと下げた。
『お前は晴燈くんが褒める対象は自分だけじゃないと気が済まないのか』
「悪いか」
『怖いから開き直るな』
「あ?」
「兄ちゃん、これって学校の辺りかな?」
ひときわ大きな地図を見ていた晴燈くんは、楽し気に征燈を呼ぶ。
隣に立ち覗き込んだガラスケースの中には、確かに永城学園と書かれたバカみたいに広い敷地を中心にした地図が展示されている。
「俺たちが入学する前の地図だな。門の位置が今と違うだろ?」
「え? そうかな……あ、本当だ! 今の地図じゃないって見てすぐわかるなんて、さすが兄ちゃん!」
「ま、まあ、誰でも気がつくよ」
「そんなことないよお! 凄い凄い!」
晴燈くんから盛大に褒められ、まんざらでもない顔がどんどん緩んでいく。
少ないと言えども来館者のいる時間帯、二人の姿を微笑ましく眺めるご老人もいる。
あまりだらしのない顔にならない内にツッコんでおくか。
『顔が緩みすぎだぞ』
「うっせ」
俺への悪態すら悦びに満ちていて、もはや悪意の欠片も感じない言霊になっている。
徹底しているというか情けないというか、征燈の場合は「ホンモノ」だから困ることもあるんだ。
「兄ちゃん、もう一つ古い地図があるよ」
「どれどれ」
『!』
敷地面積はほぼ変わらない。
区切られている部分は現在よりも直線的で、堀に囲まれた城のような形状が描かれていた。
異様なのは、すべての曲がり角、八の方角、そして等間隔で記されたマークだ。
「これ、神社のマークだよね?」
「こんなに密集しているって変だな。小さな神社が集まってたのかな」
「八卦の上に置くのは鎮守だって竜樹お兄ちゃんが言ってたよ」
「え?」
「なにか守ってたのかな」
「……守られてた物がなにかは、これじゃわからないな」
「宝物かな?」
「だったら明日から学校で宝探ししなくちゃな」
「ふふっ、二人で探すには広すぎるよ」
楽しそうに笑い、嬉しそうに征燈の腕にしがみついた。
チリリン、と鈴が小さく鳴って征燈は晴燈くんの頭を撫でる。
「晴燈さ、竜樹さんと結構話してるのか?」
「竜樹お兄ちゃんも心配性みたい。兄ちゃんが僕と離れているときは、どうしても気になるんだって。僕はお話しできるからいいんだけど」
「どういう気になり方だ」
「怒らないでね?」
出た。
征燈が絶対に逆らえない晴燈くんのお言葉だ。
嫉妬深い兄は、無邪気な弟の優しい言葉に抵抗することは不可能らしい。
ぐっと歯を噛み、なにやら言葉を飲み込むと「オコラナイヨ」とわずかに震えた片言を零して薄く笑った。
『……』
晴燈くんの守護霊はずっと姿を現していない。
二度目に燈瑠児が現れてからは、疲弊した気配だけが漂っている。
そんな状況の中、俺は、晴燈くんに違和感を持ってしまった。
征燈に言えば苛烈に怒るに違いない。
だが、間違いなく晴燈くんの変化を感じ取った信号だと自信を持って言える。
路次くんのこともある、悪い変化でなければいいが。
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