第44話

 思えば、燈瑠児単独の祝詞祓は数えるほどしか見たことがない。

 ヤツはいつも誰かの祝詞を邪魔して騒ぎを起こし、俺が叱責するその時間を楽しみにしていた。

 怒っているのに喜んで聞いている様は不可解で、俺には心情がわからない。

 同じ人間がいないように、多様な喜怒哀楽がある。

 だが人間にはある程度の理があるからこそ、コイツの逸脱した感情の起伏や行動に理解が追いつけないのだ。

 培ってきた「人」という概念を打ち砕く存在は、どんな方向から思考をしてもわからないままだった。


 俺が守護霊になったのは、生まれの環に加わることで再会を果たしたくないという無意識が働いていたと指摘されても、今なら否定しない。

 それほどまでに、この、燈瑠児という存在は俺にとって未知の脅威なのだ。


『……』


 鼻歌混じりに絡み合った縁を見極め、強引になりすぎない強さで解いていく。

 解放され、逃れた意識や魂魄の欠片には目もくれず、逃げるがままに放っていた。


「あ、今のはマズい」

「え?」

「なんでもない」

「は?」


 怒りが治まらない征燈の感情を守護霊としてやんわり宥めつつ、喧嘩っ早い行動を抑制する。

 燈瑠児は都度(顔などないが)振り返り、ヤツから征燈に送られる恨めしそうな念を俺が散らす。

 俺がなにをしているのかわかってる征燈は、晴燈くんのことが気になるあまりなにを視ても不機嫌に舌打ちしたりするが構ってやらない。

 結界内に満ちた俺の気配は征燈と燈瑠児の板ばさみ的な状況に少しずつ薄れ、征燈とこがねくんの意識も通常に戻りつつある。


「アイツがなにやってるか、視えてるよな?」

「視えてる」

「解放された念が面倒な気配だとヤバいなって思うワケですよ」

「なら、消せばいいだろ」

「依頼もない念を勝手にバラすのは、お仕事的によくないんだよな。わかる? それこそ自分の首を絞めるってーの」

「そうなのか」

「そ。あーやって仕事増やしてくれれば俺の稼ぎも増えて万々歳だ」

「ならヤバくはないんじゃないのか」

「仕事として依頼がくるってことは、誰かが犠牲になってるってこと。できれば誰にも苦しんでほしくないけど、慈善活動にしちまうと稼ぎが減るからある程度の我慢を強いられる」

「ややこしいんだな」

「自分が満足できる生業ってのは、なかなか選べねえモンさ」


 特に表に出ない家業を継いでいると複雑だろう。

 こがねくんは嫌なことを思い出したのか、眉間にしわを寄せながらも笑って見せた。

 対して征燈は心を動かされることもなく、小さく「ふーん」と言うだけに留まる。

 アルバイトもしたことのない高校生だ。

 働いて相応の賃金を得るためのあれやこれやが実感として湧かないのだろう。

 どこか他人事のような空気すら感じた。


『視いいいいいいいいいいてえええええええええてええええええええ!』

「視てるだろ」

『どうしてお前を気にしなくちゃいけないんだよっお前なんかどうでもいいのっ! お前の視線なんか感じたって嬉しくないし本当に空気の読めないこと言ってくるよねウザすぎいぃい!』

「はああっ? 晴燈になにかあったらタダじゃおかねえぞ!」

『なあんにもできないクセにそんな大口叩いていいのかなあぁ』

「絶賛成長中だよその口ひん曲がるほどいろんなことできるようになってやるよ!」

「おい喧嘩すんなって」

「『関係ないんだから引っ込んで!』ろ!」

「あ、ハイ」


 頭が痛い。

 そういう気持ちなだけで本当に痛いワケではないが、頭が痛い。

 こがねくんを二人同じ感情で責めるんじゃない。

 険悪になると時間がかかるだろうから、仕方なく助け舟を出す。


『もう少しだろう、早く済ませたらどうだ』

『…………うんっそおだよねえぇ! うんうんそうするぅう~』

「アイツ、相当お前に懐いてるじゃないか。お前が説得すれば晴燈に不利なことしないんじゃないのか」

『そんなに都合よくはいかない』

「……チッ」


 何度目か忘れたが舌打ちをされた。

 この状況がもどかしいのだろう。

 晴燈くんから追い出すことはできず、強引に離してしまえばそれこそ晴燈くんの心身にどんな影響が出るかわからない。

 燈瑠児が晴燈くんを護る守護霊候補である認識はきちんとあるらしい。

 だからこそ、守護霊としてではなく憑纏の気配として出てくる燈瑠児が許せず、放任していると思われている俺に非難が向くのだ。

 俺が受け止められる範疇であるならいくらでも貶すがいい。

 それで気が済むならなんでもない。

 ちょっと悲しかったりするだけで、守護能力に影響は出ないからな。


 俺の視線を気にしながら燈祀祝詞神楽で鐘錆の遠吠を解いていく。

 速度は早くなり、単なる流れ作業のような様相で祝詞禊が進められる。

 歓喜の表情で見守るこがねくんに、征燈は首を傾げた。


「守護霊は視えないんだよな?」

「視えない」

「なら、なんでアレは視えんの?」

「守護霊じゃないからだろ。憑纏の気のが大きいから、俺でも視認できるってワケだ」

「そういうのもアリなんだな」

「まあね。ていうか、守護霊になるのか?」

「さあな」


 言っている間に根源となった言霊を包む核が現れた。

 胎児のような形状のモノが背中を丸め、言霊を護っているようだ。

 あるいは、二度と誰にも触れさせないように引き留めているようにも見える。

 どうにもならなくなったあと、一握り残った優しさの化身かもしれない。


『隠したって~無駄だからあねええぇえ』


 やや強引だったがそこまででなかった燈瑠児の禊が、突然狂暴さを含んだ。

 今まで我慢をしていた反動のような禍々しさに、こがねくんが腰を浮かして身構える。


『ほーんと愚かしい意声をどうして口にしたのぉ? 後悔して自分の気持ちを隠して視えなくさせてさあそりゃ家族だって困るに決まってるじゃなぁい』


 自らの手で核を掴み強引に壊そうとする。

 その瞬間が堪らなく気持ち好いのか、燈瑠児の形がぼわりと膨張し煙のような影を頭部から立ち上らせた。


『んふふふっいつだって後悔を口にできたのにそうしなかったのはどうしてええぇっかなぁああ? 年上としてケジメがつかなかったとかあそんな感じなのおぉかなああぁ~今となってはわっかんないけどねえぇえええ』


 高揚している声音が震え、征燈は眉をひそめ、こがねくんは「うえ」と気持ち悪さを吐き出す。

 外野がいようがいまいが関係のない悦に入った燈瑠児は、核の中に無理やり指を突っ込もうと気を込めているのがわかった。

 すぐに硬い、と言うよりも中に柔らかいモノがたっぷり入った薄膜が破れるような音がして、堅固に見えた核はあっさりと破壊された。


「わ~人間じゃないけど人間業じゃねぇ~」


 こがねくんが棒読みでそんな言葉を呟き、征燈は燈瑠児を凝視するのを止めなかった。

 自分が目を離すと晴燈くんに害が及ぶとでも思っているのだろうか。


『おしまいだよおおぉ~消、え、て!』


 核の中から溶け出した言霊は墨を落としたような黒い粒へと変貌し、その粒は燈瑠児の掌の中で握り潰され、悲鳴のような漆黒の飛沫を放つと燈瑠児自身に吸い込まれた。


「おいっ! なにしてんだ、そんなモン吸い込むな!」

『貴重な化石燃料だよおおぉ取り込まないなんて愚か者の発想ですけどおぉ?』

「晴燈に影響したらどうするんだ!」

『しないしなぁいアレはと~っても大事な器なんだからさああぁあ己が手で汚したりするワケないって想像できないかなあぁあ~? お前お兄ちゃんなのにぃ頭の回転が悪いでちゅねえぇ~ダッサ~』


 どこで赤ちゃん言葉なんて覚えたんだ。

 燈瑠児の言葉は確実に現在に対応できるように進化している。

 恐ろしい学習能力だが、燈瑠児だから納得せざるを得ない。


『ねえねえねえねえ凄かったでしょおぉ』

『お前がいなくてもできたことだ』

『んふふふっそういう言いかたするの変わらないんだねえぇ懐かしいなあああぁ』

「懐かしがってんじゃねえよ! 晴燈は本当に無事なんだろうなっ?」

『しつこいなあもおおおぉ気絶してるだけだから大丈夫だってぇ』

「きっ……き、きっ気絶してるだとおぉっ!」

「ちょちょ、掴みかかったって掴めねえから!」

『うわああああぁこわああぁああいなああああぁああぁ』


 面倒くさい。

 こんなことをしている暇はないはずなのに、怒りで周囲が見えなくなった征燈を止めるこがねくんとおちょくる燈瑠児が賑やかだ。

 これだから弟担(強火)は。


『ソレに構っている間に日が暮れて帰りが遅くなると、心配した晴燈くんに怒られるぞ。スマートフォンが壊れていたら連絡もできないんだからな』

「そうだ、スマホ!」

『さああぁああてどこにいったかなああぁああ?』


 楽しそうな燈瑠児だったが、飛び出てきたシャモによって突き回され悲鳴を上げた。

 やはり、まだやっと形を保っていられる程度のようだな。


『止めっ突かないでよぉっほんっっっっと最悪なんだけどおおおおぉおぉおおお!』

『維持ができている間に戻れ』

『もおおおおおおおぉ!』


 もっと文句を言いたそうだったが、容赦のないシャモの啄み攻撃に耐えかねたようで燈瑠児は煙となって消えた。


「方法はとんでもだったけど、完璧に消してんのな……スゲー」

「スゲくないっ」

「あいあい」


 鼻息荒く、夕方に帳掛かる時間帯の廃墟の中、階段から落ちたスマートフォンを探すために慎重に下りていく。

 こがねくんは待機班と通話をして、竜樹くんがすでに合流していることを知って驚いた。

 曰く、山母神を元の場所に戻すためにはそこそこ時間がかかるらしい。

 周囲が林に囲まれていて神道の適所を見つけやすかったのだろうと推測するが、こがねくんとしては竜樹くんよりも仕事が遅れたことが悔やしいようだ。

 競い合う気持ちがあるのかと思ったが、彼らを守ることが自分の役目だと思っているから最後に合流するのが気拙いらしいと守護霊が教えてくれた。


「助けるために駆けつけるのは嫌なのか」

「俺はヒーローじゃねえからな。ただ、守れる範囲にいる連中は守りたいってことだよ」

「ふーん」

「お前の晴燈絶対護るマンと一緒。ピンチになってから駆けつけたいか?」

「ピンチになんかさせない」

「そ。そう言うこと」


 征燈のスマートフォンは勢いよく落ちて行ったらしく、二階の踊り場から一階に降りる階段の滑り止め部分で止まっていた。

 拾い上げて電源ボタンを押すと、いつもよりは時間がかかったようだが無事に起動できたようだ。


「あんだけ落ちたのに無事って、どこの機種? 俺もよく壊すから替えようかな」

「同じ機種だけど」

「そうだっけ?」

『アイツがここまでくる通り道にしていたんだ。衝撃で破損しないようにしていたんだろう』

「……そっか」

「なんて?」

「ヤツが通り道にしてたから、衝撃で壊れないようにしてたんだろうってさ」

「かーっ、便利能力!」


 二人はそのまま一階に降り、帰り道を急ぐ。

 相変わらずの荒れっぷりはやはり見ていていい気分ではないな。

 現象がなくなれば、ここは取り壊されて新しい住居が建つ。

 この人間の狂気を垣間見せる崩壊と侵食は、過去の話となりやがて忘れ去られるだろう。


「あのさ、慰霊碑建てられないのかな」

「慰霊碑?」

「人が住む場所にそういうのって、あんまり気持ちよくないか」

「建てられないワケじゃないけど確かに気分悪くする人間も出てくるかもな。けど、この場所は慰霊碑的なモノを設けたほうが安全だな」

「そか」

「守護霊様の提案?」

「俺がそう思った。視た人たち、みんな普通に生きてた人たちでさ、ほんの少し特別なことが起こっただけで捕まって、利用されて、ずっと哀しい想い貯め込んでさ。そういうのが、和らぐといいな……って」


 ボソボソと声音がボリュームダウンした。

 咄嗟に親指を握っている。

 ガラにもないことを言ってしまったと思っているのだろうか。

 

 こがねくんは目の前にきた防火扉を前に、征燈に向き合った。

 褒めてくれるのかと思ったら、右掌を上にして征燈の前に差し出す。


「シルバーリング、没収な」

「は?」

「お前はシャモの使い方を間違ってる。だから、一旦没収する」

「どういうことだよ」

「シャモはあくまで使役する対象だ。けど、さっきはお前の意思を読み取り行動してた。それは「使役」ではなく「感応」で、使いすぎると危険なんだよ」

「危険なことないだろ。俺が指示しなくても俺の言うこと聞いてたんだから」

「どうして式神って言うか理解しろ。相手は神と名の付く純粋な存在だ。彼らは好意を持った対象のために如何様にも変わる。お前の一瞬の怒りから出る危ない感情を読み取って、相手に襲い掛かるようになる可能性があるんだ」


 少しだけ言葉が強い。

 経験の浅い征燈が対峙するには荷が重い事象が続いたが、こがねくんは征燈を連れてきた目的を忘れていなかった。


「想像しろ。もし晴燈と喧嘩して、少しでもお前がマイナスの感情を抱いたとする。シャモはそれを感じ取りお前の命を待たずに晴燈に報復をするかもしれない」

「晴燈と喧嘩はしない! シャモだって」

「意思の疎通はシャモ任せだろ。それで使役はできねえよ」


 それには答えることができず、征燈はシルバーリングをこがねくんに渡した。

 申し訳なさそうな視線を投げていたが、シルバーリングはこがねくんのズボンのポケットに収まってしまう。

 こがねくんの念で抑えられているのだろう、シャモは飛び出してくることはなかった。


「んじゃ帰るぞ」

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