第43話

 残穢には幾つか種類がある。

 浅い穢れならば、それなりに修業を積んだ人間であれば浄化できる。

 穢れの根が深くなるほどに連鎖が起こり、複雑怪奇な念に化けてしまう。

 目の前に広がる残穢は、感心するくらいに深い。

 まるで地層のように間に入り込んでいる自然霊の存在理由も紐解かなければ、完全なる祓いにはならないだろう。

 人の世は、いつからこれほどまでに複雑になったのだろうか。

 喜びを共有し、楽しさを見つけ笑い合い、優劣のない隣人たちとの穏やかな生き様はいつから消えてしまったのだろうか。


 俺も随分と血筋の守護霊をしてきたが、緩やかに変わる人の世には敏感になれなかった。

 その油断が電波に乗り遅れる事態を引き起こしている。

 守護霊と言えど、これからは加速する変化への対応も重要不可欠なのかもしれない。


「どうなんだよ」

『今視ている。急かすな』

「本当に視えてんのかよ」

『沈黙が不安なら、こがねくんと話をしておけ』

「嫌だ」

「今、俺のこと話題になってた?」

「なんでわかるようになってんだよ」

「ムフフ、実力ですかね~」

「ウザ」


根の深い残穢の始まりは、この土地が人の手で管理される前のようだ。

 人々が集落を作りそれぞれに生活を満喫し、増える人口に合わせて周囲を開拓している、そんな頃。

 きょうだいの多い、子どもの言葉がきっかけだった。


 家の仕事当番を黙って無視して隣の家に遊びに行ったところ、戻ると下のきょうだいが自分の代わりに仕事当番をひとりでやろうとしてケガをした。

 誰も責めない優しい家の中で、仕事ができる者に代わってもらわずに遊びに行ってしまった己を恨んだ。

 そして、それを口から吐いてしまったのだ。


 できもしないのに、勝手にしようとするから。


 自分への戒めではなく、失敗するとわかっているのに仕事をしようとした幼いきょうだいを責めるような言霊を作ってしまった。

 今よりも数十倍は敏感な精霊たちに見つかった言霊は、すぐさま穢れに成り本人の精神を喰らい、家族を飲み込む深淵の中のモノに生まれ変わってしまった。


『……勇気が少し足りなかったようだ』

「は?」

『きょうだいを傷つけてしまった原因が己にあると、声にすることができなかった。悔いと責任転嫁で逃げてしまった気持ちが増長したのだろう。森林深い土地柄、陰の精霊の力がやや強い。彼らに触れた気持ちが穢れに変わった』

「なんてヤツだ」

「なになに? なんて?」

「きょうだいを傷つけたクセに謝れなかった気持ちがスタート地点だそうだ」

「なるほどね」

『だからこそ、誰かを想う気持ちに敏感なんだ。清らかな感情も噛み砕き闇に変え、思念の残る魂魄すらも餌として残穢であり続けている』

「どうやって散らすんだ」

『後悔を取り除けばいいだけの話だ』

「お前が言うと簡単そうだけど、祓うのって面倒なんだよな?」

「んー。お前の守護霊様なら簡単かもね」

「そうなのか?」

『神様級だからな』


 得意げに胸を張ると舌打ちをされた。

 知ってる、わかってたさ。

 こがねくんがどんなに援護射撃をしてくれても、変わらず征燈は俺を「神様みたいに凄い守護霊」とは認めてくれないようだ。


 見てろ。

 今、今だぞ。

 ちゃんと見ておけ。


 そうは言っても、派手に禊祓いをすれば俺の気配が拡散されてしまう。

 守護霊として望まない状況になることは避けなければ。

 凄いところを見せて納得させたい気持ちもあるが、守護霊であることを忘れるような行動は慎まないといけないな。

 それでこそ、優秀な守護霊だと言えるのだ。


『あまり俺の気配を漏らしたくない。結界内からの禊になるから回りくどくなる』

「時間がかかるのか」

『そうだ』

「なる早で終わらせろ。こんな時間だ。晴燈が心配する」


 スマートフォンを出して、画面を俺に見せてくる。

 恐らく時計が見えるのだろうが俺には見えず、渋い顔で首を傾げた。


「早くしないと夜になる」


 言い直してくれる優しさは素晴らしい。

 理由はどうあれ、暗くなると穢れの活動も活発になる。

 利害の一致と言うヤツだな。

 さっさと始めよう。


『立ちっぱなしでは疲れる。座っておいてくれ。俺を通じてお前にも衝撃が伝わるかもしれないし、倒れて頭を打ったりしても困るからな』

「わかった」

 

 素直に躊躇なく階段に座る。

 床が埃だらけだろうが躊躇はない。

 こがねくんも一緒になって座ると、スマートフォンを弄り始めた。

 それを見て征燈は俺を見上げる。


「スマホ見ながらでいいか」

『好きにしろ』


 征燈がスマートフォンを使っていようがいまいが、俺の行動には支障はない。

 変なタイミングで「まだか」と聞かれることのほうが気が散るから、ながら待ちをしてくれるのなら逆に助かる。


 結界内は人の声がなくなった。

 スマートフォンを弄る指の音や微かな衣擦れ、呼吸しか聞こえなくなり、外側から執拗に攻撃をしてくる悪意の衝撃が露になる。


『ミナカタシロウチ』


 俺は言霊の波動を整え、鐘錆の遠吠と言われるまでに成長してしまったひとりの子どもの悔いに絡まる縁を解き始めた。


 一番表面に出ている悪意、絡まる由縁、歴史、人々の生き様、核となる話題や物事すべてを読み解くまでにも時間がかかる。

 近年、人間が多く集まり数多の感情を吸ってより拗れてしまっているのはあるあるだろう。

 定期的に能力者がお祓いをしているようだが、その祈りすらも取り込まれ能力者の精神も引き摺り込んでいる。

 人間の感情を取り込むと、様々な感情を真似するようになり、学習し、より効率よく住みよい環境を形成していくのが残穢の特徴だ。

 まるで関係のないすべてが構成に関係する穢れほど、人間の理解が追いつけないものはないだろう。


 理不尽。


 それが一番しっくりくる表現かもしれない。


『ヨハクサンナミウカゼ』


 語りの口調で言霊を詠み、上半身だけで型を取る神楽を舞う。

 嫁神楽流はすべての動きに神楽を織り交ぜ、呼吸にすら禊を宿らせる術が含まれている。

 そのように錬成したのは俺自身だ。

 なにがなくとも身体を動かし言霊が吐ければ、嫁神楽流の基本は習得できる。


 俺の動きを視て、征燈がなにかを感じてくれると嬉しいんだが。


「うは、すっげ」

「なにが」

「守護霊様は視えないけど、生嫁神楽見学できてんだぞ? その凄さが理解できないってどうなのさ」

「お前がこの状況を説明して、俺に教える立場だろうが」

「おぉ、それもそうか。お前には視えてるだろうけど、守護霊様が祝詞をあげ嫁神楽を舞っている。生まれる言霊の力で物凄く丁寧に正確に、絡まり合ってる由縁その他を解いてんだ。あんなに迷いなく解くなんて、マジで凄いぞ」

「視えてないのによくわかるな」

「嫁神楽流も現存する限りでお勉強てしますので」

「そ」

「素っ気ないなぁ。鐘錆の遠吠を鎮めるのって超難しいんだぞ。それをあんな、迷うことなく解いていける実力者……守護霊様にしておくにはもったいない」

「アイツが勝手に守護霊だって意地張ってんだよ」

「いやいや、逆にありがたいと思わねえとバチが当たるぜ~?」


 こがねくんはスマートフォンをしまって、俺の燈祀ひき祝詞神楽で穢れが解けていく様を見物し始める。

 征燈は前に出ている俺の動きをじっと目で追い、発する言葉を聞いているが興味は薄い。

 どちらかと言うと品定めに近い目を向け、不満そうだ。

 俺の能力がどうとかより時間のほうが気になっている、そんな顔。

 時間がかかるって、ちゃんと言ったからな。

 あとから文句言うのは違うんだからな。


「ところでさ、耳鳴り凄くね?」

「ちょっと詰まってる感じくらいだけど」

「なんて?」

「え?」


 二人とも結界内に満ちてきた俺の気配に五感が鈍り始めている。

 結界から気配を抜かないと、圧で気絶してしまうかもしれないな。

 だが、これ以上出力を押さえるとさらに時間がかかってしまうし……子孫たちの基礎体力の向上も必要かもしれない。


「晴燈だ」


 バイブレーション機能で着信に気がついた征燈は、遠慮もなく即座に通話にしてスマートフォンを耳に当てる。


『ねえねえ楽しいことしてるでしょお~』

「お前……! 勝手に晴燈の身体使ってんじゃねえ!」

『はああぁ~? 関係ないんだから引っ込んでよウザいなああぁあ』

「ひっ引っ込めるか、晴燈になにをしたんだっ!」

『なあんにもしてないけどぉ?』

「嘘吐くなっ! お前が出てきてるってことは、晴燈の身になにかあったってことだろうがっ!」

『わあぁ年上のウザ絡みいいぃドン引きい~キモいんだからぁ突っかかってこないでくれるぅ?』

「こっちがドン引きだ! さっさと引っ込めっ!」

『はあああ? 誰に物言ってんのかさあわかってるう? キモ~いお兄ちゃあああああん』

「お兄ちゃんって呼ぶなっ!」

『はあぁあ~どうでもいいからさあ変わってよお楽しいことしてるの参加させてよおねえねえねえ』


 なんてこった。

 この面倒な状態のところになぜか燈瑠児が首を突っ込んできた。

 燈瑠児の声を聞いて一気に憤怒する征燈を見、聞こえ辛くなり判断も鈍くなってきているこがねくんがキョトンとしている。

 だが、勢いよく立ち上がってスマートフォンを前に叫ぶ征燈も相当感覚が鈍っているようだ。

 足元がおぼつかず、いつ階段を踏み外すともしれない状態で怒気を噴出していた。


『座れ征燈。危ないぞ』

「煩いな! お前がのんびりしてるからだろうが! さっさと続けろ!」

「おーい、あんま邪魔するんじゃないよー」

『ねえねえねえねえ楽しいこと~楽しいこと一緒にしようよおおおおお』

「邪魔してんのはコイツだろうが!」

「通話切ればいいだろ」

「切れるか! 晴燈の身によくないことが起きてんだよ、コイツがいるってことは晴燈が!」

『だからあ煩いってばもおおおおぉそんなに喚くことでもないだろおぉ』

「喚くに決まってる! 晴燈! 晴燈っ、大丈夫か!」

「落ち着けよ。煽られてちゃ元も子もないって」

「煩いっ!」

『静かにしろ。集中できなければもっと時間がかかるんだぞ』

「俺に構わず集中すればいいだろうが!」

『無茶を言うな。俺はあくまでもお前の守護霊だ。お前の感情が乱れれば、最優先で平常心を取り戻すために動く』

「余計なお世話だ!」

『ねえええええもういいでしょおおおおぉ遊ぼうよおお楽しいことしてるのわかってるんだからねええぇ』


 燈瑠児の水気を含む耳障りな声音にさらなる湾曲が加わった。

 俺の気配で満ちた結界内でその湾曲は反響し、少しずつ大きな音波に変わっていく。


『そっちにいいいぃ行くねええええぇえええええぇ』

『っ?』

「わぎゃっ!」

「!」


 反響する言霊に新しい声音が響き、人間の鼓膜を破裂させるほどの大音量の怪音が結界内を満たした。

 防御本能として咄嗟に耳を押さえる征燈とこがねくん。

 征燈の手から落ちたスマートフォンが俺の結界の外へと転がり、階段を落ちていく音がなんとか聞こえた。

 二人は眼すら閉じ、俺は鐘錆の遠吠を見据えたまま階段下から突然に湧いた気配に奥歯を噛む。


『んばああああああ~』


 どういうことだ。

 なぜ燈瑠児の霊体がここに現れる。

 スマートフォンで繋がっている電波を伝い霊体を形成した可能性はあるが、古い存在である上にずっと晴燈くんの魂魄の中にいた「世間知らず」が、そんな器用な真似ができるのか。


 ……いや、燈瑠児ならしてしまう。

 憑纏になっても自我を失わないほどの能力の持ち主だ。

 順応力も一族の中で誰よりも突出し、異質なほど精度が高い。


『んふふふっこおんなに捻じれた縁は久しぶりに見たなあぁ鎮めるんだよねえ散らさないよねえ散らしたほうが楽なのにそうしないのが嫁神楽だもんねえええ』


 微弱に白く発光する形は朧気に晴燈くんを模している。

 模しているのは枠だけだから、明確な服装や髪形表情などは皆無だ。


『いいこと思いついたああ』


 弾かれることを警戒して俺の結界に触れようとしない。

 やっと形を保つことができるほどに復帰した、ということだろう。

 あやふやな状態なのに、こちらの気配を目指して電波を抜け出てきた……その執着は未だに憑纏である証拠かもしれない。


『こっち側は得意だからさあ任せてくれていいよおぉお見ててえちゃあんと見ててねえええぇ』

『俺の祝詞禊の途中だ』

『知ってるよおおぉだあいじょうぶ馴染ませるのも得意だからあ心配しないでいいよおって言うか心配してくれてるんだあぁやっぱりぃ優しくってえ素敵いだなぁあ』


 急に現れた気配に対し、鐘錆の遠吠は敵意しか向けない。

 悪意がしなり燈瑠児を叩き潰そうと襲い掛かる。

 四分の一ほど解体したが、捕らえられた感情の数からして悪意の威力が劇的に変わることはない。

 強烈な衝撃が燈瑠児にぶつかり、ヤツの形が一瞬靄のように周囲に広がった。

 しかしふんわりと元に戻る。


『カカキソハホナカケ』


 燈瑠児の声に細い芯が通る。

 懐かしくもあるがおぞましくもある祝詞の言霊。

 ヤツの声は元から独特な響きがあり、その芯は細いが故に他人の言霊の芯を絡め取ることができる。

 そこから細工をすることも共鳴することも増長させることも自在、しかも気取られずに重ねることも得意だから多大な混乱をいくつも生んだ。


『ツワヒコナコワナキ』


 鐘錆の遠吠に当てた禊に、ヤツの言霊が当然のように馴染んでいく。

 輪の中に和み、波の静まった凪のような気配。

 その静寂からは読み取れないほどの狂気が猛毒のように広がり始める。


『ねえねえねえねえちゃああぁんと見ててねええぇ?』


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