第42話

「平和的解決を望むんだろ? 俺が出れば問答無用で実力行使だ。お前がどんな方法でこの事態を解決しようと思ってたのかも気になる。どうしようもなくなったら手を貸してやるから、先ずはやってみ」

「大学でシャワーが使えることをもっと早く知っていれば……っ」


 余計なことを言わないで済んだのに、そんな後悔に奥歯を噛む。


「俺がやりたいのは、晴燈を護ることだけだ。そのために知識が必要で力が望まれるのなら全部やり遂げる。けど、正直こんなことはしたくない」

「あいあい」


 怪異の長い脚が壁に当たり音を立てただけで飛び上がっている有様だが、こがねくんは数歩下がった。

 シャモは臨戦態勢で征燈の傍にいたが、一旦シルバーリングへと戻される。

 深く息を吐いた征燈は監視カメラを睨みながら呟いた。


「どうすれば一番早い?」

『俺に聞いているのか』

「独り言だと思うか?」

『カンニング幇助で怒られないか心配だ』

「ほうじょってなんだ」

『手伝うってことだ』

「お前は俺に憑いてんだから、実質俺の考えってことになんだろ」


 どうあっても認めないと、無言の圧を受けた。

 今に始まったことじゃないから仕方がないが、本当に頑固だな。

 誰に似たんだ。


『シャモを視た時と同じだ。向こう側の気持ちで考えてみろ』

「向こう側……見守っていた側ってことか」

『そうだな』

「……」


 黙った。

 鋭かった視線を和らげ、監視カメラと廊下を何度も比べ見る。


「あのカメラ、どこまで見えてる?」


 監視カメラと同じ高さまで昇り、そこから見える景色を征燈に伝えた。


『坂田茂さんの部屋の前まで見えるな』

「そか」


 それからまたしばらく、静かになった。

 すると、こがねくんが坂田茂さんの部屋のほうへ顔を向けた。


「なんだ? 賑やかだな」

「あそこに住んでた人が、孫と一緒に漫才してんだよ」

「え、マジ? 行っていい?」


 聞いている間にこがねくんは部屋へ向かってしまう。

 害のない迷い霊たちばかりだから、こがねくんが行っても大丈夫だろうとは思うが、彼の性格に霊たちが驚かないか心配なところだ。

 部屋に入って行ったこがねくんは一番大きな声で歓声を上げている。

 その場の空気に大喜びしているようだ。


「パリピかよ」


 時間をかけず霊と打ち解け楽しく会話ができることは滅多にない。

 それをやってしまうから、こがねくんは凄いのだ。

 一層賑やかになった声を遠くに聞きながら、征燈は再び監視カメラを見上げた。

 廊下を見て、怪異も見る。


「どっちに話しかけたらいい?」

『本体は向こうだ』

「わかった」


 じっくりと考え、自分なりの答えが出たようだ。

 監視カメラに向かって口を開きかけたが、改めてガッチリと固定されている怪異へ向かう。

 やや躊躇はあったものの、怪異を捕らえているカマキリの前肢に触れる。


「もう大丈夫。ありがとう」


 ギギギ、ギギギ、ギ


 征燈の言葉に返答をしてカマキリの前肢が怪異を開放する。

 途端に怪異の脚がゆるりと征燈を捕らえたが、征燈は焦らず一番小さな脚をやんわり掴む。


『結界を張るか』

「このままでいい」

『危険と判断したら容赦なく結界で弾き飛ばすぞ』


 それには答えず、征燈は怪異を見る。

 刺激をしないようゆっくりその場に膝立ちすると、怪異のほうが征燈を見下ろすくらいの差が出た。


「アンタさ、ここのスタッフだった人?」


 返答はない。

 ただ、怪異の動きがさらにゆっくりになった。

 征燈を傷つけようとする気配もない。

 敵意のない姿に毒気を抜かれ、征燈の声に耳を傾けているように感じる。


「坂田茂さんの部屋でなにが起きたのか、知ってる?」


 ずる、と胴体部分が征燈に近づいた。

 近づいた分、他の脚が征燈に伸ばされる。


「坂田茂さんさ、お孫さんが自分の部屋で死んでパニックになったんじゃないか? 最悪、自分も死のうと思ったとか、それくらいお孫さんのこと大好きだよな」


 伸ばされる脚が、次々に征燈にたどり着く。

 各々がしがみつくようにしっかりと服を掴むのが見えた。


「きっと殺されたんだと思います、そんな風に言ってしまうくらい周囲から責められ、追い込まれてたと思うんだ。アンタは見てた?」


 重たそうに胴体部分が寄ってくる。

 膝を立てた征燈よりも大きく、頭部はどこにあるのかわからない。

 硬そうな黒い外殻は恐らく監視カメラに影響された変化だろう。

 動きが鈍いのも、監視カメラの速度故だ。

 監視カメラに執着をしてしまうのは、そこから見た情景になにかしらの感情を強く抱いているからに違いない。

 その情景を、征燈は坂田茂さんのお孫さんが亡くなったことだと推測したらしい。


「なにもすることができなかったんだろ? 坂田茂さんの家のことだし、施設として見守っている人になにかあったワケじゃない。経営者は他の入居者を不安にさせないように振舞えって、アンタに強制したかもしれない」


 働く人間には多少なりの業がある。

 負って働き続けることができる者もいれば、そうできない者もいる。

 人間を相手にする生業は、書いて字の如く生きることと同じく常に業を負っていく者が大半だ。

 征燈が話しかけているのは、そんな職を自ら選んだ人間なのだろう。


「本当はどうだったのか、わかんねえけど……坂田茂さんたちはもう大丈夫。ほら、あの声聞こえる?」


 誰もいないはずのそこは、穏やかな夕暮れを窓から吸い込みあたたかそうな光に包まれている。

 廊下の先には開けっ放しの扉が見えて、そこから賑やかな声が聞こえてきた。

 笑い声のひとつひとつが輝いているのか、光の粒が扉から廊下へ吐き出されるように増えている。


「坂田茂さんも、孫の修くんも、他のみんなも笑ってる。アンタが悔しくて遺した気持ちもきっと晴れる。スタッフが暗い顔してちゃダメだろ? アンタも一緒に笑って、みんなと明るいところに逝ったほうがいい」


 征燈を掴んでいた脚の先から、見る間に色が抜けていく。

 抜けていくと同時に形を保てなくなって糸のように解け、夕焼けの光に溶けて消える。

 八対の長い脚と細い何本もの脚が音もなく失せていき、胴体部分の色が抜け糸が解けるとそこには小柄な女性が立っていた。


「スタッフさん?」


 頷いて微笑む様は、穏やかで優しそうだ。

 本来の輝きを取り戻した魂魄は迷いなく坂田茂さんの部屋へ向かい、吸い込まれるように入っていく。


『よくやった』

「大岩にハンバーガー奢ろ」

『なぜ今ここで大岩くん?』

「アイツのサスペンスのドラマネタが役に立った」

『なるほど』

「あんま、深入りしないほうがいいんだよな?」

『そうだな。表面を掠めるほどにしておくほうがいい』


 スタッフとして働いていた彼女がどんな想いをここに遺したのか、どんな事件がここで起きどんな変化が環境に陰を落としたのか、それは征燈がかかわる過去ではない。

 拗れていた問題を解決する手伝いをし、彼らなりの解決になればそれでいいのだ。


 坂田茂さんの部屋からこがねくんが出てきた。

 一度部屋の中を見て深く一礼し、静かに扉を閉める。


「いや~、まさに大団円だ」

「そか」

「幽霊の漫才初めて見たぞ!」

「よかったな」

「あ? もしかしてお前見損ねた?」

「いいよ、別に。漫才に興味ないし」

「素っ気ないな。漫才は他人に幸福度を上げる笑いを提供できる、凄い技術なんだぞ」


 興奮冷めやらぬこがねくんを軽くあしらいながら階段を降りようとした征燈は肩を掴まれて、こがねくんのほうへ引き寄せられる。

 ほぼ同時に俺は結界を張り、そこへバチンと叩きつけられた悪意を弾いた。


「……っぶね」

「アイツが結界張るから大丈夫なのに」

「俺が被害受けるんだよ」

「気絶してた分、気力残ってんだろ」

「んんっ。そこは加味せんでもろて」

「そこしか加味しねえだろ」

『念を捕らえる根源か』

「根源?」

『この土地に蔓延る不協和音のすべての原因だ。先ほどの女性も、坂田茂さんも、アレに捕らえられ捻じ曲げられた』

「ラスボスか?」

『そうだな。このダンジョンを仕切っている元締めはアレに違いない』

「アレをどうにかすればとりあえず解決か?」

「一階の封印の処理が残ってるが、まあ、怪異現象は終わるだろうな」


 俺と征燈の会話を察したらしいこがねくんは、自信満々で一歩前に出る。

 悪意を剥き出しにした気配は威嚇をするように触手を八方へ広げ、錆びた自転車のブレーキのような耳障りな音を立てた。

 その音は遠くなるほど広がりながら砂のような異物感を耳に残す。

 独特な湾曲音に、こがねくんが舌打ちをした。


鐘錆しょうしょう遠吠えんぱい……平地担当め、とんでもねえモン眠らせたままにしてやがったな」

「とんでもないモノ?」

「古~い残穢ざんえだよ。断ち切るには相当手を焼く。しかも自然霊が侵食介入してるから、簡単に手は出せねえな」

「どうするんだよ」

「うーん、山母神様がいたほうがよかったか……まさかのダブルトラップ☆」

「嬉しそうにするな」

『一難去ってまた一難だな』

「お前も上手く言ったとか思うな」

『事実だ。どう処理するかお手並み拝見といくか』

「お前は結界だけ張ってろ」

『もちろんそのつもりだ』


 不意に見ると、こがねくんが満面の笑みを浮かべ征燈を見ていた。

 気づいた征燈が不機嫌に「なに」と零すと、こがねくんは得意げな顔になる。


「今さ、守護霊様と話してたんだよな?」

「独り言言って悪かったな」

「違う違う。話してる時、顔が違うの気づいちゃった」

「顔?」

「顎引いて、眼だけ右側見るの。気構えてるように見えるけど、照れてるっぽくも見~え~るぅ~」


 こんな時にふざけるとはさすがこがねくん。

 緊張させまいとの気づかいかと思ったが、純粋に征燈の変化に喜んでいるようだ。


『俺はいつも右にいるワケじゃないぞ』

「うっせ」


 そっぽを向いたが、親指を握っている。

 どうやら図星に恥ずかしい思いをしているようだ。


「ははっ。お前の人間らしいとこ見るとホッとするわ」

「いつも人間じゃないみたいな言いかたするな」

「俺からすれば、お前はいっつもお人形さんみたいだよ」

「どういう意味だ?」

「なんつーか、無感情ってかさ、なに考えてるか読めねえの。踏み込ませない壁は自分で積んだのか? お前の場合、嫁神楽の血統がそうさせてるって可能性もあるからな。せめて俺らといるときは年相応なトコ見せてほしいと、お兄さんは思ってます」

「…………今言うことか?」

「てへ☆」


 おどけてウィンクをするものだから、征燈は舌打ちをしてこがねくんから数歩離れた。

 それくらいの距離なら俺の結界許容範囲だから、悪意からは二人とも防ぐことができる。


「お前さ、想像以上に自分自身に課題満載だぞ。ガンバってこうぜ」

「ウザ」

「コラッ、師匠にそんな口利くんじゃないっ」

「わかったから。早くなんとかしようぜ」

「もー、全っ然空気読めねえしノリがわからねえヤツだな」


 それでも嬉しそうなこがねくんは、準備運動をするように腕を回し始める。

 表情はいつも通り機嫌よく、征燈との会話で一矢の傷も負っていないようだ。

 気拙そうなのは征燈のほうだったが、こがねくんが気にしていないことを察すると普段通りの雰囲気になる。


「手っ取り早い方法はないのか」

『こがねくんに聞いたらどうだ』

「……チッ」


 だが時間的にもそろそろ限界だろう。

 闇が広がると人間は動き難くなる。


『未熟な弟子を護るのは師範の務め、よく見ておくといい』

「お前の弟子じゃねえよ」

「俺は守護霊様の弟子になりたいぞ」

「やかましい」

『大サービスだからな』

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