第41話

 栄養源を失った繭は、奇妙な形に歪んでいた。

 強いて言うなら平衡感覚を失った蜘蛛のような姿になっている。

 繭から突き出た脚は八対、全方向均等に開かず右片側だけに伸ばされている。

 カチカチと音が小さく響いていて、振動に張り巡らされた糸が震えた。


「力任せでいいんだよな」

『こがねくんを忘れていないか』

「少しくらいシャモが蹴っても平気だろ」

『毛髪を毟るようなことにならないよう、気をつけろ』

「相手の出方次第だな」


 柏手を打ちシャモを呼び出すと、続けざまに手を叩く。

 すでに繭をどう料理しようか考えているらしく、迷いのないリズムでシャモに指示を出している。

 シャモは聞き入っているのか大きく頭を上下させ、合いの手のように「クエッ」と返事をする。

 半年も共にしていないと言うのに、すっかりわかり合える仲になっている。

 俺も征燈ともっとわかり合いたいものだ。

 羨ましい。

 恥ずかしげもなく羨ましいって思うからな。


「中身はなにかわからねえのかよ」

『俺に聞くな』

「やっぱ役に立たねえヤツ」

『俺は守護霊だ。お前を護るしかしない』

「聞き飽きたし」

『そう言われてもな』


 あまり棘を感じなかったが、呆れているような気がする。

 呆れられたとしても、守護霊の範疇を越えることを求めてくるほうが悪いんだからな。


 クエエエエェーッ

 クエックエエッ


 征燈の指示を聞き終えたシャモがやる気に満ちた鳴き声を上げ、半分蜘蛛になっている繭に向かって突進を始める。

 シャモの力任せと言うからには、蹴ったり突いたり長い尾で絞め上げたりするんだろう。

 繭を毟り取って中身を露出させる算段かもしれない。

 高く飛び上がり、鋭い爪を持つ足を広げ猛禽類のような恰好で繭へと急降下する。

 拒もうとする繭の脚や糸がゆっくり反応するが、その動きで止められるような勢いではない。


 クエッ


 角度的に背中部分になる繭を掴み、シャモは身体を捻りながら羽ばたいた。

 爪に破かれた部分から引き裂かれるような恰好で繭が捲られていく。

 その中から現れたのは、硬そうに艶めく黒い物体だ。

 記憶の中から正体を探るが、あまり見ない形状をしている。

 自然界で生まれた聖霊、怪異、妖、そのどれにも当てはまらず、そうなると人間の残滓の類の変化だろう。

 それにしても異形すぎる。


『征燈、一旦シャモを結界内に戻すんだ』

「どうしてだよ」

『上手く説明できない。不快だ』

「不快……」


 湧き上がる気持ちの悪い揺らぎは黒い物体が放つ硬質な音と結ばれている。

 自然界にありそうな音を響かせているが、どう聞いても正しい音階を外しているように聞こえた。


 俺の緊張が伝わったのか、征燈はそれ以上の口答えをせずシャモを足元に戻す。


 攻撃の手を緩められた繭を被ったままの物体は、扇子を広げるような動きで同じ方向に傾いでいた足を広げる。

 腹の部分に見える塊は、糸によって念入りに巻かれたこがねくんだろう。

 見る間に脚の一部が長くなり、関節部分から嫌な音を響かせる。

 

「蜘蛛のバケモノってのが一番適格だと思うけど」

『形状だけなら妥当だな。しかし概念はまったく違うようだ』

「概念ってなんだよ」

『蜘蛛の概念にアレは含まれない』

「あれ?」


 隣にいる俺を見上げていた征燈は眼前の怪異に向き直った。

 そこには変化した脚を縁に見立てた巨大な人間のひとつ眼が浮かんでいる。


「え、生霊?」

『さすがに違うだろう。人間の念であることに間違いはなさそうだが』

「眼……人間が見たいものってことか」

『安直に考えれば見守りと言ったところだろうな』

「見守り?」

『ここは老人たちが余生を過ごす場所だ。見守りは大切だろう』

「そか……なら、それを重要視してるのはスタッフってことだよな。スタッフの誰かがなにかしたとか」

『ああ、うん、なるほどな。わかった』

「教えろよ」

『自分で考えろ。これも実地訓練の一環だろう。ヒントは出してやる』

「ウザ」


 真顔で短く悪態を吐かれるこっちの身にもなれ。

 本当に嫌われているのだと思ってしまいそうになる。

 いや、七割くらいは「嫌」なんだろうが、それを出すか出さないかで追う傷の深さが違うんだぞ。


 とはいえ勝手に俺がなんでも教えてしまっては、師匠のこがねくんに悪いと言うものだ。

 生きている人間から学ぶ世界を通して、視える世界を熟考することを覚えてもらわないとな。

 そうしなければ、人に理解できる言葉で会話することができなくなる。


「シャモ!」


 クケエエーッ!


『は?』


 怪異の正体を考えているのかと思っていたら、征燈は突然柏手を打ってシャモを向かわせた。

 シャモを拒否するような動きを見せる怪異だが、いかんせん動きが緩慢すぎてあっさり回り込まれる。

 なるほど、先にこがねくんを救出して意見を聞くつもりだな。


 瞳の部分である胴体まで跳躍したシャモは、抵抗する脚を尾羽で縛り上げつつ羽を広げ怪異の動きを封印する。

 くちばしと足を使って糸を切り、次に飛んだ時にはしっかりと繭とかしたこがねくんを両足で掴んでいた。


 だがシャモは羽を捕捉され一気に身動きが取れなくなってしまう。


「おいおいおいおい!」


 思わず駆け寄る征燈だったが、そこら中にはいつの間にか細い糸が張り巡らされていて近づくことを躊躇した。

 結界で弾き飛ばせるとはいえ結界ごと包み込まれる可能性もある。


「クソ……っ」


 キチキチキチキチ


 聞き覚えのある昆虫が出す威嚇のような音がどこからともなく響いてきた。

 それは足元を動いて移動し、確実に近づいてきている。


「なんだ、新手か?」

『大ピンチだな』

「そんなの思ってねえだろうが」

『異変を察知した誰かが救出にくるまで、俺はお前を護るだけだからな』

「あーそうかよ」


 僅かな緊張を感じたが、征燈は冷静に状況を把握しようとしているようだ。

 数歩下がり、もがくシャモに無理な指示を出さずじっとしているように言う。

 シャモに掴まれたままの繭には舌打ちをしつつ、近づいてくる音の方向を探している。


 キチキチキチキチ


 床板一枚ほどの間隔で近くなった音、俺がその音の正体にたどり着いた直後に床からにゅう、とカマキリの前肢が伸びた。

 こがねくんが初めて嫁神楽家を訪れた時に見たカマキリだ。

 あの時、須佐之男命の炎によって燃やされてしまったのに再び姿を現すとは。

 カマキリの前肢はシャモを捕らえている糸を断ち切り、胴体部分を挟み込む。

 抗う怪異だが巣を破壊された蜘蛛のようにカマキリの前肢ともども落下、怪異をネズミ捕りのように床に固定したカマキリの前肢はそのまま動きを止めて静かになった。


「どうなってる?」

『こがねくんの救出が先決だ』


 頷いた征燈は柏手を打ち、こがねくんを掴んだままのシャモは態勢を整え飛んで戻ってくる。

 こがねくんに巻き付いた糸を引き剥がし、目を開いたまま気絶しているこがねくんの頬を強めに叩いた。


「おい」

「…………くも」

「は?」

「くもしゃんがわーってきてばーんてなったよお」

「ボケんなしっかりしろ」


 うわごとを喋るこがねくんの頬をもう一度叩くと、今度こそ覚醒したようだ。

 ずいぶんと遅い悲鳴を上げて身体を起こし、数秒後に状況が読めずにキョトンとする。


「あれ? どうなってんの?」

「蜘蛛のほかにカマキリが参戦してる」

「どゆことっ?」

「色々あって繭から蜘蛛みたいな怪異が出た。人間の念が関係してるってまでで、正体はわからねえ」

「ほーん?」


 楽し気な表情をしたが、床にカマキリの前肢で固定されている怪異を視てすぐに顔色を悪くした。

 虫が苦手という認識は人間の中でも多く共有されている。

 散々痛い目に遭ってきた遺伝子レベルでの恐怖がそうさせているのかもしれないな。


「うっ……あんま近寄りたくねえな」

「近くで視ろとは言ってないだろ。あれの正体を暴いて、できるなら平和的に解決したい」

「へー。暴れないルート探すのか」

「暴れると厄介だろ。そうじゃなくても埃臭いし、カビ臭いし、挙句生モノが腐ったような臭いがついたらどうするんだよ。晴燈にまた臭いって言われるだろっ」

「あ、そっち」

「そっち以外ない」


 さっきまで力技とかなんとか言っていたのに、こがねくんを戦闘要員として前に出すつもりらしい。

 これはお前の訓練でもあるんだから、きっと今日も様々な臭いを纏って帰るに違いないと俺は思うがな。


「安心しろ。大学でシャワー浴びてから帰れば解決っしょ」

「…………おぉ」


 ぽん、と手を打った征燈は大いに納得したようだ。

 こがねくんと並ぶように前に出て、ひっそりと細い足をバタバタさせている怪異を視る。


「人間の念ってなら、憑物があると思うんだけど」

「つきもの?」

「呪物って言ったらわかるか。ざっくり説明すると、人の念が詰められた無機物。それが媒体になって念と混ざり合った怪異になってると推測するのが一般的かな」

「アレは一般的か?」

「カマキリのほうが一般的じゃねえな。お守り様だろ?」

「お守り様?」

「俺が家に行った時にもいたし、あれは間違いなくお守り様だ。お守り様ってのは、守護霊じゃないけど恩義を感じていたりお礼がしたかったりで一時的に対象を守ってくれる存在だ。けど征燈に向けての気持ちが感じ取れないから、誰かが征燈を守るよう指示してる可能性がある。俺としては、その誰かに興味があるな」

「誰だろ、父さんかな」


 そこですぐに家族を思い浮かべる素直な子だ。

 だが、婿として嫁神楽へ入ってくれた父親にそんな器用な真似はできない。

 考えられるとするなら、晴燈くんだろう。

 無意識下で、兄を想う感情が周囲に影響している可能性は大いにある。

 彼もまた、嫁神楽直系の男子だからな。


「とにかく、止めてくれている間に憑物を探そう」

「ん、正解。で、探すのは俺にお任せあれ」

「あ?」

「怖い顔すんなよ。こう見えて探し物も得意だから」

「今度、山ほどの虫を探させてやる」

「嫌がらせにも程があんだろーが」


 軽口を言い合いながら、こがねくんは腰のポーチから人型をした白い紙を取り出した。

 筆ペンで胴体部分に命令符を書き込み、両手で挟み叩いて気を入れると宙へ放つ。

 俺の結界に引っ掛かりはしたが怪異のほうへと飛んでいく人型を見守っていると、意思を持ったように向かう方向を変えて素早く飛んでいく。


「あっちだ」


 走り出すこがねくんを追い征燈も走る。

 怪異から離れた四階廊下の突き当り、坂田茂さんの部屋の真反対に存在する非常階段へ続く防火扉の上へ飛んだ。

 駆け付けると一台の監視カメラに人型が貼り付いている。


「憑物って、監視カメラ? 怪異が眼なのは納得するけど、もっと凄い物かと思った」

「見るからに憑物ってのはそうそうない。人形とかならまだしも、呪物にまで至らない憑物は案外どこにでもある物が多いんだ」

『不用意に近づくな。糸が張ってある』

「糸が張ってあるって」

「おっほほ、最終トラップってか~」


 今度こそこがねくんは須佐之男命を呼び出し、暗がりで見難くなっている糸を焼き切っていく。


「さーて、一気に解決と行きましょうかね」

「そうしてくれ」

「俺じゃなくて、お前がすんの」

「はい?」

「お前が解決すんの」

「どうやって」

「考えろ」

「考えてる時間はあるのか」

「アレが動き出さない限り大丈夫だろ」


 のほほんとしているこがねくんに舌打ちをし、征燈は埃を被った監視カメラを睨みつけた。

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