第40話
老人の腕が駄々っ子のように振り回され続けている。
子どもは征燈を見上げる角度で棒立ちのまま、動くことを忘れたようだ。
「そんな顔すんな」
征燈には子どもの表情がわかるらしい。
聞けば「そう思っただけ」と言うのだろうが、相手から伝わる感情を察することは悪いことではない。
ただ、相手が悪いと憑いてしまうことがあるから注意しなければ。
「……っし」
小さく気合を入れ、征燈は再びドアノブに手をかけた。
抵抗する老人の腕を無視して、操られるようにしがみつく子どもをそのままに、レバーハンドル式のドアノブを押し下げる。
メリメリと音がして回転部から黄色い破片が零れ落ちた。
きっと殺されたんだと思います
きっと殺されたんだと思います
「アンタはそう言ったんだろ爺さん。けど、誰も信じなかった」
数回上下させると急に軽くなった音がして、扉は隙間を作る。
ドアノブを持ったまま引けば、そこにはこざっぱりとしたバリアフリーの三和土が現れた。
埃を被った靴が、きちんと揃えて置かれている。
奥から風が吹きつけ、征燈は軽くよろめいた。
拒むような風を受けながらも前進し、敷地内に入る時には「お邪魔します」と挨拶をする。
たけやん
風に乗ってやってきた幼い声に、征燈にしがみついていた子どもの姿が弾けて消える。
その場に残ったものは老人の細い片腕と白い糸の束。
老人の腕は指を使って這いずり、それ以上入らせまいと征燈の足首を掴んだ。
「ちょ……っ、鬱陶しいな」
『踏んだところで離れないぞ。一度結界を張って断ち切ろう』
「ああ」
俺が結界を張っていなかったことに言及はなかった。
あの程度の現象は、征燈の中で「危険」ではないのかもしれない。
結界を張ると足元の糸は抵抗なく切れ、老人の腕は圧によって粉砕され糸くずの塊のようになって散った。
風の影響も少なくなった中、征燈は真っ直ぐ奥へと歩く。
部屋は一般的なマンションと同じような作りだ。
だが、介護施設の面を持つここには、手前に寝る以外の生活が賄えるリビング、奥側にリハビリ用の一室と寝室が設えてある。
湯舟はどうやら共用部にあるようで、シャワー室があるだけだ。
どこも車いすで移動できるだけの十分な幅があり、故に建付け家具の殆どは下から一メートルほど上になっている。
全部の部屋に扉は存在しておらず、吹き抜け状態の寝室の窓が開け放たれ埃を吸ったカーテンが重そうにはためいているのが見えた。
「アンタは、どこだ」
リビングに飾られた写真立ての中で笑う老人に声をかける。
隣にはおどけた顔をする子どもが立っている。
入居する時に記念で撮影したのかもしれない。
「どこにいる?」
きっと殺されたんだと思います
微かな機械音が響き、なにかが近づいてくる。
倒れていたんです
きっと殺されたんだと思います
「責めるためにきたんじゃない」
気配は落ち着いている。
危害を加えようとすることもなく、征燈の声を聞いているようだ。
「アンタはどうして、ここに残ってるんだ」
きっと殺されたんだと思います
「孫がまだいると思ってんじゃないのか」
倒れていたんです
孫はきっと殺されたんだと思います
「誰が殺したとか興味ない。ただ、アンタの孫が寂しそうにしてんのが嫌なんだ」
孫は殺されたんだと思います
寂しそうにしていて
気がついたら倒れていたんです
「アンタ、孫のこと好きか?」
気配は低い場所にいる。
機械音やバリアフリーということを合わせると、ここの住人である武さんは電動車いすの常用者だろう。
急に静かになった気配の前に両膝をついた征燈は、真っ直ぐ一点を見据える。
そこには、先ほどまで気配だけだった老人がやや傾いだ身体を車いすに預けた姿があった。
「修くん、めちゃくちゃ大事にしてたんじゃねえの?」
おさむ
「アンタが死んだ孫のことに執着しすぎて、変なヤツに引っかかったんだよ。上手く言えねえけど、二人で一緒に成仏したほうがいい」
おさむ
「さっきの子どもを連れてこないとダメかな」
『写真があるだろう』
「あ」
立ち上がり写真立てを持って戻ると、それを気配に向ける。
「こんなにはしゃいでんのにさ、寂しそうだったぞ。爺ちゃんがいるから大丈夫だって、抱きしめてやれよ」
だいじょうぶ
おさむ
「っ?」
力なく傾いでいた老人からは想像できない素早さで腕が伸び、征燈に触れようとする。
最小の結界でそれを弾くと、人間よりも長い腕が空中でしなると結界に叩きつけられた。
おさむ~
おさむうう~
『自己意識の限界だな。後ろにいる輩に操られ始めたぞ』
「爺さん踏ん張れよ! 孫連れて逝きたいんだろ!」
『ゆ、征燈』
「アンタさ、孫が心配で成仏できないんなら、下らねえヤツに引っ掛かってないでしっかり孫の手引っ張って逝けよ!」
まさかここで征燈にスイッチが入ると思わなかった。
己の視える能力だけで、留まってしまっている老人の情に𠮟責を始める。
いや、うん、わかっている。
彼の孫の寂しそうな面持ちに感情が揺さぶられているんだろう。
どうにかして救ってやりたいと、その一心に違いない。
「アンタの気持ちを食潰して、アンタの孫すら食い物にして、アンタたちを操ってる輩はのうのうと育ってんだぞ。ホントならアンタも、孫も、犠牲にならずに済んだかもしんねえんだ。少しくらい文句言っても誰も怒らねえ! 孫を想う気持ちはアンタだけのモンだ。しっかりしろ!」
おさ……む
「アンタのほうがたくさん生きて、たくさん経験して、たくさん乗り越えてきたのに、迷子の孫を見つけて連れてくこともできねえのかよ! 簡単だろ、自分の孫を見つける方法も、呼び方も、どうやったら手を繋げるか、どうすれば笑うのか、ここにいる誰よりもアンタが一番知ってるだろ!」
叫ぶ言葉のところどころに燈鎮韻が含まれている。
こがねくんや竜樹くんの発音を聞いていたから、無意識に使えているのかもしれないな。
他から見れば「さすが直系」と称されるだろうが、俺にしてみればあまり嬉しいことではない。
俺に近くなるほど、俺が残した因縁が征燈に近づいてくる。
最たる因縁はすでに近く、他の因縁を誘発させる可能性もあるのだ。
だが、嫁神楽の能力を開花させることは征燈にとっては悪いことではない。
彼の望む願いを叶えるために使えるのなら、ないよりはマシというヤツだ。
征燈に怒鳴られ続けるご老体は、漂白されたように白く透けた。
お……お、お……
透けたご老体が震え始め、じわっと胸の辺りから色が灯る。
動きやすそうなジップアップのトレーナー、スエットパンツ、片足だけの靴下、細い首の上には頬はこけているが写真立ての中で笑う顔と同じ優しい目。
少しだけ残る黒がなんとか確認できるほど短くした髪、その合間を走る大きな傷が頭部に見えた。
おさやんどこいったんや!
車いすから転がる勢いで腰を浮かせ、叫ぶ。
その視線は宙を彷徨っていたが、本人が孫を呼んでいるのだとわかる強さが響いてきた。
おさやんどこや!
たけやんまっとるよ!
渾身の叫びから逃げるように、白い糸が床を這い出入り口へ流れていく。
征燈はそれを見ることなく、孫を呼ぶ老人を見守っていた。
おさやーん!
「こない、か?」
『薄くはなっているが、意識はまだ残っている。大丈夫だ』
この老人の積年の想いを喰らうためだけに留められたとしても、お孫さんの気配は微かにこちらを向いている。
「どこにいるんだ」
『よく考えろ。お前が最初に見た場所はどこだ。どうやって消えた』
「…………」
おさやーん、おさやーん!
たけやんとまんざいしようやー!
叫び続けるご老体を残し、征燈は部屋を出た。
老人から抜け出した白い糸が、廊下をゆっくりと移動しているのが見える。
その先には、繭がある。
繭の手前には、未だ倒れているこがねくんが薄っすら糸に絡まっている。
ご老体の呪縛を解かれた糸は、次なる養分にとこがねくんを取り込もうとしているようだ。
「アイツ、大丈夫か」
『憑依されることはないだろうが、操作される不安はあるな。その時は全力で護るだけだが』
「ぶん殴れば気がつくだろ」
『一応言うがこがねくんは年上だし、お前の師匠だ。少しだけでも気を遣え』
「うっせ」
征燈の気配が変わる。
本気で「視よう」としているのだと感じた。
瞬時に集中する征燈の眼から逃れられるモノなどないかもしれない。
鋭利なのに広く、全体を見ているのに一点を見つめている。
俺はなにも教えていない。
視ることに関して、こがねくんはことある毎に征燈に質問するが、どうすれば鮮明に視えるようになるかなど指導はしていない。
征燈自身が能力を扱っている。
出力を間違えれば大変なことになるとは知らないだろうから、俺は結界を強く張り直した。
『視えたか』
「ぶら下がってる」
視線を投げた方向には、小さな塊が細い糸で繭と繋がっている。
他にもいくつか似たような塊があり、この怪異の犠牲者が二人だけないことを知った。
「……胸クソ悪いな」
『そう思うなら開放してやればいい』
「実力行使か」
『シャモなら啄むのは得意だろう』
「それもそうだ」
パァン!
高く澄み渡る柏手の響きに、シャモが一回転をしながら現れた。
やる気に満ちたシャモの出現に、結界内に空気圧のような感じる。
さすがの征燈も気がついたようだ。
「いつもより結界分厚くしすぎじゃねえのか」
『心配性なんだ』
「キモ」
地味に傷つくからそういう言葉を遣うのは止めてほしい。
そんなことを言える空気でもなく、結界の外に出たシャモの気配に繭から殺気が溢れ出た。
『最優先は救出だ』
「わかってる」
きっと、征燈はぶら下がっている塊全部を助けようと思っている。
そうしたいのならすればいい。
中にはハズレもあるだろうが、それもまた経験だ。
見定めるように眉を睨みつける征燈の手が勢いよく柏手を打った。
クケーッ!
甲高く鳴き、シャモは指示された通りの動きで鈍い繭の周囲に下がっている塊の糸を啄み千切る。
塊自体に傷を負わせない最善の動きで、一気に三つほどの塊の繋がる糸を咥えると着地した……まではよかったのだが、シャモは塊をペッと地面に放り投げ、再び繭へと飛び掛かっていく。
『丁寧に置けないか』
「痛くないだろ」
痛みはないだろうが、敬意と言うものをだな。
説教したいのを我慢して、俺はただ征燈の能力が過剰に漏れるのを防ぐために結界を張り続ける。
シャモは拒絶するように揺れる繭から残る塊を素早く救出した。
機動力の差が如実に出た結果だろう。
だが相手は繭であって、変態すればどうなるかわからない。
『一旦部屋に戻るぞ』
「ああ」
塊を拾い上げた征燈を急かして、繭から距離を置く。
征燈は振り向かなかったが、こがねくんは形がわからないくらい糸に巻き取られ引き摺り上げられていた。
おさやーん!
部屋へ入ると老人の声が近かった。
反応するように征燈の持つ塊が蠢き、それぞれの形へ戻っていく。
たけやん!
あそびにきたよ!
おさやんようきたなあ
げんきやったか
うん!
祖父と孫の会話に和んでいると、他の塊から戻った魂魄たちが二人を囲んだ。
修くんと同じくらいの子どもが二人、少女、学生に見える男女、若い母親らしき女性。
二つは塊のまま変化がなかったので、恐らくは完全に繭の中の何者かに吸収されてしまったのだろう。
「みんなさ、行く場所わかってるならそっちから出て行っていいからな。わからないヤツは残っといて。なんとかできるヤツ呼んでくるから」
征燈の言葉に一同顔を見合わせ、各々首を横に振った。
己の意識とは違う縁で拘束されていたためか、道を見失っているようだ。
まんざいみていかへんか?
わらったらもっとたのしいなるよ!
二人の声掛けに、その場はパッと明るくなった。
子どもたちは喜んで武さんの車いすの傍に寄り、女性は小さく手を叩いてその場に座る。
こうしていると、彼がに肉体がない理由がわからないほど穏やかなひと時のようだな。
征燈も目を細めネタ合わせを始めた二人を見つめ、始まると同時に部屋を出た。
「幽霊でも集まるとほっこりするモンなんだな」
『団らんはいいものだ。お前も、家族との時間は癒されるだろう』
「まあな」
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