第39話
『彼奴が大元の原因だろう』
こがねくんの言う第二ラウンドは廃墟の二階・三階部分に及び、残りの住居階である四階へ向かう途中に巨大な繭を発見した。
今まで誰にも発見されることなく存在できていたのは、廃墟とは思えないほど状態のいい三階を見れば察することができる。
この福祉施設は、一階部分が一番荒れている。
壁や残留物の破壊や落書き、不法投棄により負の気配が溜まり、荒廃がどの階よりも進んでいるのだ。
だがその荒れた状態は二階へ続く中央階段の途中辺りまでで止まっている。
二階フロアにも盗難の痕跡や落書きなど見受けられたが、鬱憤を晴らすために行う破壊跡はどこにもない。
中央階段で上がれる三階には、侵入の痕跡が少しあるだけで静かに積もった埃だけが床を埋めていた。
つまり、肝試しや心霊検証などでやってくる人間は、一階フロアを探索したのち二階に到達できる者がほとんどいないということになる。
なぜか?
一階を散策し終えたあとに二階より上階に足を向ける気力を、四階手前に居座るこの繭に殺がれるからだ。
それほどの威圧を、目の前の存在は放っている。
「これはなんだ?」
「形状的には虫系……俺パスでいい?」
「は?」
「いや、ほら、俺、こう見えて繊細だから? 虫、ちょっと、受け付けられないって言うか?」
「燃やすのが一番手っ取り早い」
「お前っ、須佐之男命の炎で炙れってか? 繭だけ燃えて、中身出てきたらどうすんだよ! おまっ、中身っ、どんなかわかんねえんだぞ? ガワだけ燃える可能性考えたらナシ寄りのナシだろうがっ!」
「そんなにビビらなくてもいいだろうに」
「ビビってなにが悪いんだよ、苦手なもモンは苦手なのー!」
明らかにへっぴり腰になっているこがねくんを冷めた目で見ていた征燈は、不意に顔を上げてなにかを目で追った。
「……子どもがいる」
「迷い児だろ、ここから解放してやったら自分で行くとこ行くから大丈夫だ」
「気になる」
征燈は四階の廊下のほうを見たまま、繭のすぐ隣を通り抜ける。
こがねくんを置いて、埃で汚れた窓から入る陽光に照らされた廊下を進んだ。
「待って! 置いてかないで! ちょっと!」
『こがねくんは連れて行ったほうがいいぞ』
「……チッ」
『あの子どものなにが気になる』
「晴燈に似てる」
征燈の、晴燈くんに対する執着は想像を絶している。
それはもう、オタクの領域を超えるほどに執着している。
その征燈が言うのだから、ぼんやり照らされた廊下の先を駆けている子どもの気配が晴燈くんに似ているのだろう。
早く追いつきたいと思うのは仕方がない。
だがこがねくんを置いて行くことに問題があるとちゃんと判断できたらしく、助けを乞うように腕を伸ばすこがねくんの手をぞんざいに掴んで引っ張った。
「手汗凄いんだけど」
「拭きゃいいだろ」
「あっちに突き飛ばすぞ」
「それだけはヤダー!」
「案外クッションみたいで気持ちいいかもよ」
「一瞬たりともそんな気分になるワケないだろっ!」
どちらが年上かわからない状況に陥る瞬間がありつつも、怯えるこがねくんを全無視する形で急ぎ足になる征燈。
焦燥に頬が赤らみ、険しい表情になっている。
『落ち着け征燈。あの子は晴燈くんじゃない』
俺の言葉を無視し、征燈は子どもを追いかける。
その後ろを、こがねくんは髪を束ねながらついてきた。
恐らく、征燈の行動を見極めるつもりだろう。
子どもは一番奥の扉の前で止まり、じっとドアノブを見つめている。
推測するなら、そこに住んでいた老人の関係者だろう。
近くで不幸があったか、念が強くここまで飛んできてしまったか、迎え入れてくれることを望んでいるのかもしれない。
征燈は扉二つ分ほどの距離で立ち止まった。
「どう視える?」
「ハッキリと子どもだ。今まで見た中でも、驚くくらい普通の姿をしてる。ここでは少し不自然な気がして、声をかけていいのかわからない」
「不自然だと思う理由は?」
「ここは長く廃墟で、一階は超荒れているしそこには繭がある。少なからずよくない気配が蔓延していて、さっきまで無理やり召喚された山母神様が徘徊しまくってたんだろ? なのに、生きてるみたいに普通すぎる」
「声をかけたいけど本能でブレーキがかかってんだな?」
「そんな感じだ」
『晴燈くんに似ているとは、どういうことだ』
「雰囲気が……空気感って言うのか、そういうのが寂しくしている時の晴燈に似てる」
征燈は、晴燈くんが悲しむことを極端に嫌う。
だからこそ悲哀の感情には敏感で、その空気をあの子どもに感じたのだろう。
だが感情のままに進むことができない違和感に困惑をしているようだ。
「床、視てみ」
こがねくんの声に、征燈は下を向いた。
そして、フワフワした白いモノが川の流れのように続いているのを発見する。
それが細い糸の集合体であると、繭を見たあとなら簡単に想像できる。
「簡単に近寄らなくて正解だな」
「……」
「けど、もう俺たち見つかってるってな」
「え?」
四〇七号室ノ
僕ハ孫の
呼んでモ出てこないノで、入れてくレませんか
金属のような奇妙なエフェクトがかかって聞こえる幼い声が響いてきた。
ハッとした途端に、目の前に子どもがいる。
髪、肌、衣服、すべてが漂白されたように真っ白で、目鼻の凹凸はなくなり小さな口だけがそこにある。
乾いてささくれた唇は無邪気な笑みを浮かべているが、闇のような口の中の奥になにかが蠢いているのが見えた。
四〇七号室ノ坂田茂武の親族でス
僕は孫の修デす
呼んデも出てこなイので、入れてくれまセんか
「俺たちはスタッフじゃないから、勝手に入れることはできねえよ」
優しい口調だったが、こがねくんの顔は引き攣っていた。
だが、いつものように同じ目線になるように片膝をついて子どもと同じ高さに合わせる。
「爺さん、どうして出てこないのかな」
四〇七号室の坂田茂武ノ親族です
僕は孫ノ修でス
呼ンでも出てこないノで、入れてくれマせんか
「修はどうして爺さんに会いたいんだ?」
その問いに、修と名乗った子どもの口元は笑みを消した。
なぜ会いにきたのかを思い出すためのような間があり、不気味な沈黙とどこかでカチカチと硬い物が当たる音が聞こえる。
四〇七号室の坂田茂武の親族デス
僕ハ孫の修デす
呼んデモ出てこないのデ、入れテくれませンか
きっと殺されたんだと思います
相変わらずグワングワンとした音の中で、最後の言葉だけがハッキリと聞こえた。
反射的に身体を引こうとしたこがねくんの顔面に、子どもの口から飛び出した黒い物体が貼りつく。
黒く光っていた物体は背中の中心部分から真っ白に変色し、八対の脚をもってこがねくんの頭部を抱擁するように締め上げた。
「こがね!」
対処できるだろうと思ったが征燈の声に応えることなく、こがねくんは仰向けに昏倒し動かなくなる。
「マジ?」
『気絶をした、ようだな』
「……ガチで虫がダメなんだな」
『そのようだ』
四〇七ゴウ室ノ坂田茂タケルの親ゾクです
僕ハ孫のオサムです
ヨんでも出てコナいのデ、入れテクれまセんか
子どもは何事もなかったように、再び訴え始めた。
征燈へ顔を向け、縋るようにじりじりと近寄ってくる。
『この状況をどう見る?』
「口から虫みたいなのが出てきた理由がわからないんだけど」
『子どもの魂魄は憑代に使われているだけかもしれない。もしくは、この状況を作り出した本人かもしれない』
「……」
『なにかあれば護る。お前が思うように動いてみろ』
「偉そうに言うな」
小さな悪態を零した征燈は、子どもを無視して奥の部屋、四〇七号室へと向かい始める。
子どもは後ろをついてきて、扉の前で征燈の前に立った。
誰よりも一番に、そこへ入りたいのだろうか。
征燈はノックをして、インターフォンのボタンを押す。
「お孫さんがきてますよ」
無論のことだが、返答はない。
だが征燈は何度もインターフォンを押してノックを繰り返した。
「なにかあったのかもしれないから、入ってみようか」
自分の前にいる子どもにそう言って、埃で汚れたドアノブを掴む。
その手を掴んだのは、入りたそうにしていた子どもだった。
いや、子どもの背中から突然突き出してきた、大人サイズの腕だ。
衰えた筋肉、しぼんだ皮、老人特有の様相を見せる腕だが、征燈の手首を握る手には確かな力が入っている。
きっと殺されたんだと思います
あのハッキリと聞こえた言葉が響いた。
絶望の言葉だけは、子どもではなく老人のものだったのだろう。
「遊びにきてんじゃねえか。入れてやれよ」
きっと殺されたんだと思います
ボクはマゴのオサムです
きっと殺されたんだと思います
「自分の孫だろ? 会ってやれない理由ってなんだよ」
きっと殺されたんだと思います
四〇七ゴウシツノサカタモ武ノシンゾクデス
オサムガ呼んでも出てコナイので、入れてクレマセンか
きっと殺されたんだと思います
ボクハマゴノオサムデス
オサムガデテコナイノデ、イレテクレマセンカ
「……」
ドアノブを掴んでいた手を離すと、老人の手も征燈から離れた。
子どもはそのままだったが、扉の前から数歩下がると一緒についてくる。
背中からぶら下がった老人の腕が、実在のもののようにブラブラと揺れている様は異様と言うより不気味だった。
「あの繭の中身、なんだと思う」
『どちらかの思念の塊か、どちらをも喰らった怪異かもしれない』
「俺は怪異だと思ってる。だから二人を開放してやりたいけど、力任せはよくないってことしかわからない」
『優先順位を見計らうためにもう少し接触が必要だろうな』
「こういうヤツらの相手ってしたことあんのかよ」
『飽きるほどある。憐れになったこともな』
「…………」
『人間の情はどこまでも歪む。言霊は歪んだままの念を留まらせ、より奇怪な方向へと成長する。ほんの一言の誤りが数代先までも呪うことは珍しいことではない』
俺の言葉になにを感じただろうか。
俺は征燈の疑問に満足な回答をしてやれただろうか。
今まではすべて本人の意思次第だと考えないようにしていたが、学ぶ意欲を垣間見せた征燈には全力で応えてやりたい。
『どんなに仲がよくても、どんなに信頼し合っていても、壊れるときは一瞬だ。だが人の情は修復できる。成長と共に更なる強い絆へと変化できる。そう信じる念こそが大切なんだ』
「……だよな」
小さく頷き、征燈は子どもの頭を撫でた。
その手を再び老人が掴む。
ボクハマゴノオサムデス
タケルノシンゾクデス
きっと殺されたんだと思います
イレテクレマセンカ
「一緒にいるんだろ」
ぎいいいいいいいいいいいいいいいい
歯ぎしりのような耳障りな音が鳴り響く。
子どもの口から出されていると言うよりは、背中から生えた腕の付け根から発せられているように聞こえる。
老人の腕がめちゃくちゃに振り回され、征燈はあちこちをぶっ叩かれた。
「孫なんて可愛いに決まってるよな」
ぎいいいいいいいいいいいいいいいい
「けど、アンタだけの所有物じゃないだろ」
きっと殺されたんだと思います
きっと殺されたんだと思います
きっと殺されたんだと思います
「他人のせいにしたって孫は知ってんだよ。誰が自分を殺したのか」
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