第37話

 ブーッブーッ


「あ、電波生き返った」

「こがね?」

「うん」


 道中、存分に弟担強火を味わった竜樹くんだったが、なんとなく征燈と打ち解けたようだ。

 力みがなくなり、こがねくんと接するような自然体になる。

 だが、俺が視えようものなら即奇行に走るのは変わらなかった。


『たつ大丈夫かっ?』

「大丈夫。山母神様も無事だよ。今、召喚式がある場所に案内してもらってる」

『そか……よかった。こっち側から入れなくなってて、いよいよ物理的にぶっ壊して入ろうかって話になってたんだ』

「山母神様もいるから乱暴なことは止めてよ。山母神様は僕が戻すから、後片付けお願い」

『おう、任せとけ』

「また連絡する」

『わかった』


 竜樹くんの落ち着いた声音に、こがねくんの声もすぐに緊張を解いた。

 いつもの応対になって、すぐに通話も終わる。

 それにしても、小さな違和感が常に傍にある感覚が不気味だ。


「止まった」

「召喚式はこの辺りかな」

「ちなみに、どんなのなんです?」

「え……色々だけど、山母神様を引き摺り出すくらいだから、大きな石とか大きな木とかかな」

「あると思います? ここに」

「確かに」


 山母神はしきりに下を向いている。


『地下はないのか』

「ここっ、ここは元々傾斜地だから、あの、地盤を固めるために、地下室とかは、ないんです」

『そうか。ならば、元から埋まっているかだな』

「……! た、確かめます」


 仮に、俺の推測通り地下に山母神を呼び出すだけの召喚に使える媒体が埋まっていたとすると、必然的にこんなことをした輩の正体が絞り込めてしまう。

 余計な諍いを起こしたいワケではない。

 だが、避けては通れない。

 誰かが禁忌を犯し、誰かがそのために苦しみ、怒り、感情を揺らす。

 目的がわからない状況だから、主犯側にも相応の理由があるのかもしれないと思っておくほうが無難だな。


「なーんか、面倒だな」

『なにがだ?』

「動画ってのは基本エンタメだからさ。呪いとか召喚とかは専門チャンネルあるけど興味なくて観てないし、心霊コラボで出てくる人とかでもこんな大がかりなことしてないしさ。カットしてる部分でやってるのかもだけど、実際に体験すると面倒なことばかりなんだなって」

『動画とやらがどんな風に作られているのか知らないから何とも言えないが、呪術はたくさんの段階や様式、決まりを守って行う儀式だ。工程が多いほど術は強力になり、結果も出やすい。時間をかけることを面倒だと感じるのは、お前が術者ではないからだろう』

「今の動画って、数時間越えると作業用とか睡眠用とかって言われるくらい短めなのが主流なんだよ。やっぱ違うんだなって実感したわ」


 そこまで言って、征燈は自分のスマートフォンを取り出した。

 現時間を見ようと思ったのだろう。

 竜樹くんは立ち尽くしている山母神の傍に立ちながら、こがねくんと連絡を取り合っているようだ。


「佐納からメッセージがきてる」

『遊びの誘いか?』


 そう言えば、大学までの途中で着信が聞こえていたな。

 あの時征燈は疲労で眠り込んでいたから、今の今まで気づかなかったのか。

 画面を覗き込んでも俺には文字が連なっていることしかわからない。

 征燈は薄い返事を口の中だけで済ませて、画面を見ている。

 その内に指を動かし始めたので、返信を準備しているのだろう。


「あ、あ、あのね、少し、ここで待ってて。お盆、取ってくる」

「盆?」

「あの、水を入れたお盆」

「侵入経路探るって持って入った?」

「そう」


 何度も謝りながらも、竜樹くんは想像よりも機敏な動きで闇の中へ消えた。

 スマートフォンのライトが薄く見えている。


「……デカいは、デカいんだな」

『山母神か』

「神様だから?」

『お前の基準とする神からは外れている。山母神は山の化身であり山を象徴する聖霊へ敬意を表す名称として人間が与えた名前だ』

「せーれー」

『肉眼で見える肉体のない意識体と思えばいい。認識として魂魄との差はあまりないが、有する能力は雲泥の差がある』

「それって神様じゃないのかよ」

『聖霊を神と崇める教えもあるから間違いではないだろうな。だが、お前の言う神ではない』

「俺の言う神ってなんだよ」

『お前の願いを叶え、弟をすべての危険から守るためだけの存在だ』

「……」


 ヤタカカタミミ


『気にするな。俺の子孫だ』


 カカクラモツクニイビ


『思い出したか。久しいな』

「お前さ、あの音の意味わかってんのか」

『もちろんだ。俺はこの国を端から端まで移動し、要所に存在していた聖霊などの自然霊たちと会話し、認識を深め、互いの必要性や存在意義などを明確にしていたからな。山母神も知っている』

「…………本当かよ」

『嘘を吐いてなにか得をするか?』


 質問に答えただけなのに、征燈は舌打ちをして黙ってしまった。

 俺が悪いことをしたような気拙い空気が漂っている。


 コヅカニクイムイラ


『気にするな』


 山母神は人の足を数本踏み鳴らした。

 都度細かな振動が周囲に広がり、憑いている穢れがふわふわと舞う。

 呪布は幾らか切れたが、忌綱は未だにしっかりと繋がっていて切れる様子もない。


「お、お、お待たせ、しました~」


 竜樹くんがスマートフォンのライトで足元を明るくしながら、片手で持った盆の水を零さないように慎重に歩いて戻ってくる。

 見た目には痩身で頼りないが、体幹は驚くほどしっかりしているようだ。

 多少のぐらつきではバランスを崩さず歩いている。


「ここで召喚式が使われたってわかったのに、まだ要りますか?」

「持ち込み放置はダメ。それに、追跡だけじゃないんだよね」

「特別な水なんですか」

「施設の水道水だけど、清めるって言うことはそういうことなんだ」

「清める」

「何事にも縁を。何事にも敬意を。何事にも感謝を」


 嫁神楽流を親族に教えていた時、何度も繰り返した言葉だ。

 懐かしさと共に、教訓として今も息づいていることに驚き、嬉しく思った。

 これぞ縁、これぞ敬意。

 術だけでなく嫁神楽の精神を消さずに紡いでくれたことがありがたい。


 いまいちピンときていない征燈に薄く笑った竜樹くんは、水の波紋がライトに輝く盆を床の平らな部分に置いた。

 浮いている葉を取り上げ、そっと息を吹きかける。


「山母神様」


 声をかければ竜樹くんのほうに頭を下げる。

 差し出された葉に口先をつけると、見る間に葉は枯れて粉々になり舞い散った。

 それに気を留めることなく盆を覗き込み、自分の髪を一房水に浸す。


「隠匿の意識を詳らかに」


 濡れそぼった毛先を宙に文字を描くように動かすと、水滴が周辺に散る。

 なんとなくだろうが数歩離れた征燈の前で、竜樹くんは髪先から水を撒き続けた。

 山母神の獣の足が床を叩き乾いた音を立てる。

 その振動に盆の中の水が震え、やがて滑らかな波を作り出した。

 波は盆の淵を無視した動きで一定の向きに向かっている。

 竜樹くんが波の消える方向へ盆を置き直すと、今度は中央に向かって波が浮かんだ。


「式に使われた媒体はこの下」

「あれ……どういう仕組みなんだ……」


 竜樹くんはこがねくんに連絡を入れ、すぐにくるように指示をした。

 こがねくんの声が明るかったところを聞くと、扉は開くようになったようだ。

 非常口からここまで、そんなに距離はない。

 扉の開く割と大きな音が聞こえ、やる気満々のこがねくんの気配が遠くからやってくる。

 敏感に察した山母神を落ち着かせ、同じ方向を見つめる竜樹くん。


「山母神様に憑いた穢れを全部削ぎ落すから、あとはよろしくね」

「え?」

「征燈くんは、後始末担当」

「そうなの?」

『こがねくんの弟子なら、そうなんだろうな』

「竜樹さんは?」

「山母神様を戻さなくちゃいけないから離脱するよ」


 離れた場所からライトがこちらを照らした。

 緩い光だったが目が刺激されて目を細める征燈は、山母神が身動ぎをしてこがねくんのくる方向へ向き直すのを見たようだ。


 イロメキサタヲ


 呟くように聞こえた山母神の言葉に竜樹くんは素直に頷いた。

 そしてすぐさま御霊を組み始める。


「見上げる錦たるは宙の彩、連なる岳に眠るは竜峰、其の儘にして出でし御霊を此処に癒す」

『離れろ、征燈』

「え?」

『いいから早く離れるんだ』

「なんでだよ」


 走ってきたこがねくんがさらに加速するのが伺えた。


「幾重に奏で、久遠に巡り、御霊の安らぎを此処に宿す」

「おおおおおっ、待った待った! おいっ、巻き込まれるぞ!」

「巻き込まっ……?」


 訝し気な征燈の腕を掴むと、こがねくんは集中している竜樹くんに声をかけずとにかく離れる。

 結界を展開しても問題ない距離を取ってくれたおかげで、俺は韻呪を防ぐために結界を張った。

 同時くらいに山母神の体躯が小さな爆発をしたように無数の白い粒に変わり、緩くらせんを描きながら水の残る盆の中へと入っていく。

 残る水が溢れ出し、代わりに白い膜のようなものが盆に広がった。

 竜樹くんは盆をゆっくりと持ち上げると、周囲が見えていないような雰囲気を纏ったまま自ら入ってきた入り口へ向かって歩き始める。


「あっぶねー……山さんのこととなると、たつは人間の存在を忘れがちになるからなぁ」

「危ないって、なにが」

「たつが口にしてたのは魂魄の形を変える韻呪だ。あれに巻き込まれると、人間も容赦なく抜け殻になる」

「コイツの結界でも防げないのか?」

『対象が近すぎて防御力の高い結界を張ることができなかっただけだ』

「言い訳だろ、そんなの」

『確かに、お前ひとりを護るのが俺の役目だ。対象の距離に関わらず結界を張るべきだったな。だが、そうすれば山母神の一部は弾け飛び、影響は竜樹くんの管理する山に及ぶことになる』

「山母神様を攻撃したら山が崩れるってか?」

「そうだよ。山母神様ってのは山そのものなんだと。だからこそ畏れ敬い、感謝することで山の恵を分けてもらってんだってさ」

「……ふぅん」


 一応納得したようだが、視えてしまったことに理解が追いついていないようだ。

 最近の、怒涛のようなこちら側の世界を目の当たりにして、体力だけではなく思考も疲労し始めたのだろうと容易に伺える。

 視えないモノはすべて非現実だと思っている人間も多い世の中、征燈も少し前は否定はしないまでもそっち側で生きていたのだから仕方がない。

 晴燈くんを護りたいが故に神様を守護霊にする漠然とした決意は、俺が視えるようになるまでは単なる夢見がちな願いだったはずだからな。


「ぼんやりしてる暇はねえぞ。山母神様に憑いてたヤツらは全部祓い落とされた。ここに遺してちゃダメな連中だからな、俺たちが後始末しねえと!」

「後始末……確かにそんなこと言ってたか」

「上の階の祓いもまだだからな。力を温存しながらやってくぞ」

「よくわかんねえよ」

「実践で覚えてけ」

「お前はそればっかだな……」


 ため息を吐く征燈だったが、足元に広がる不穏な空気と蠢く穢れを見て柏手を打った。


「っしゃ、いっちょ大暴れと行くかー!」

「力は温存するんだろ」

「ヒャッハー!」

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