第34話

「一掃って……できるんだったら、もっと早くにそうすりゃよかったんじゃないのか?」

「いや~建物の権利持ってる園の代表が一部を事故物件として売りに出してたり、土地神さん関係だって面倒だったし、なんとかどこも納得の域に達してやっと俺たちが清掃権を入手したって具合なんよ」

「結構、面倒なんだな」

「まあね。一筋縄じゃ行かないのが普通だよ」


 存在が見える者だけの問題ではないことは、大概一筋縄では行かない。

 俺が生きている間もそうだった。

 面倒事、厄介事は茶飯事だったし、その上で押しつけられる場合もありしっかりとした対処をして解決しなければ袋叩きに遭った。

 そういうわだかまりは、いつまでも消えないんだな。


 軽く腕を回したりして身体を解しているこがねくんは、数歩前に歩み出た。

 俺の結界から外れているから、即座に周囲がざわめき始める。


「霊にとって赤色は攻撃色。ケンカ売る色ってことだ。それは向こうも同じで、もし赤く視えるヤツが居ればソイツは最初から危害を加える気でいる。覚えておいて損はない豆知識~」

「本当かよ」

『本当だ』

「なら、アイツの髪の色……」

「俺の髪って超特殊なんよ。まあ、須佐之男命を使役する俺には相応しい能力だから気に入ってるけどね」


 きっちりと括って纏められていた髪を解いて行く。

 団子が解かれ、数本の束に纏めていた紐も外す。

 その度に彼の髪から力の波動が波のように広がって闇に消えていくのを感じた。


「邪なるモノは弱きも強きもこの髪の波動に抗うことはできねえ。触れちまったら寄ってくるしか考えられなくなっちまうんだ」


 解いた髪は竜樹くんよりも少し長い。

 腰の下までしっかりとある毛量の髪は、静電気でも含んでいるかのように僅かに拡がり気を放ち続けている。

 毛先から根本まで赤い髪が滑らかに発光して見えるのは、髪が放つ波動のせいだろうか。


 先ほどよりも如実に、そこら中から気配が近づいてくる。

 近づくというよりも敵意剥き出しの全力疾走に近い。

 さすがの征燈も気配の密度に半歩後退した。

 同時に俺は結界を重ね掛けする。


「飛んで火にいるなんとやら」


 狂ったように悪意を吐き散らす怪異たちを、呼び出された須佐之男命が粉砕して行く。

 剛腕で殴られ、弾き飛ばされ、火炎に巻かれて消えていく。

 こがねくんは特に指示を出すでもなく、須佐之男命に好きなように暴れさせているようにも見えたが、恐らくは信頼関係が築けているのだろう。


 暴走しているようにも見えるほどに対象を見つけては迎え撃ち、襲い掛かる須佐之男命の姿を征燈は目に焼き付けている。


「はいよ~、先の道がぁ~安らかでありますように~♪」


 最後に燈鎮韻を含ませたメロディーを口ずさむと、こがねくんは両手を広げてその場で軽やかに一回転する。

 その場には不適切で、恰好からは想像できない動作だったが、一回転した足元から放射状に清浄の気が放たれた。


「っし、一階フロアは完全攻略だな☆」

「攻略って」


 呆れながらもほんのりと明るさを取り戻したフロアを見る征燈の隣で、こがねくんはスマートフォンを手にした。

 スマートフォンからはコール音が響いていて、征燈は覗き込む。


『はいーこちら寿之園フロア待機組~』

「そっちの影響は?」

『今とこないな。たつが妙な気配がするって怯えてるくらいだ』

「たつが怯えてる? ちょっと変わって」


 ハンズフリーで会話が征燈にも聞こえている。

 ごそごそと音がしてから呼吸の浅い声が震えた。


『グミ……』

「どうした? そっちはなんもないだろ」

『扉から、流れてきたかも……地脈に触れてるかもしんない』

「ん~? 平地担当ちゃんと仕事したのかよ」

『山さんの結界あまり効果ないから、できれば早めに戻ってきて』

「りょーかい」


 向こう側ではまだご老人たちとワイワイしている賑やかな声が聞こえている。

 事象で悩み疲弊したご老人たちに活気を取り戻したのは、こがねくんたちなのだろう。

 だからこそ、彼らはこがねくんたちの行動を受け入れ認めているのだ。


「一度戻るぞ」

「わかった」


 通話を切ってから数秒、こがねくんの判断は早かった。

 異論など出てこない征燈は素直に頷く。


『……妖の匂いがする』

「あやかし?」

『厄介な余所者かもしれないぞ』

「こがねは知ってるだろ」

「ん? なに?」

「あやかしの匂いがするって、後ろのが」

『守護霊は後ろに限らないと言ってるだろっ』

「なんだ? 俺にはわかんねえけど」

「わからない? じゃあ、コイツの勘違いか」


 無視された上に、尊厳を傷つけられた。

 こんな時ですら征燈は俺に否定的なんだから渋い気持ちになる。


「守護霊様のほうが視えていない世界に鼻が利くんだ。そういう言い方してやんなよ」

「ここの状況はアンタのほうが知ってるはずだろ」

「まあ、そうだけど……妖かぁ」

「二階と三階にも行くんだったら、確認は後でもできるよな」

「ん~」


 戻ろうとしていた足を止め、こがねくんは腰に引っ掛けていたポーチから紙を取り出した。

 口元によせて韻を吹き込むと、それを噛んで丸めてから長い髪を一本結わえて闇の中に放り投げる。

 途端にバチバチバチと激しい音が響いて嫌な臭いが漂った。


「ヤベ、いつの間に……」

「え、わっ?」

「走れ」


 こがねくんの声が緊張している。

 征燈の腕を掴みきた道を戻るために駆け足になった。


『元の道を戻るな』

「元の道戻るなって言ってるけど!」

「っかーそっち系入ってんの?」


 少し明るくなっていたフロアが再び重い闇に包まれていく。

 そこかしこでラップ音が響き、物が落ちる音が鳴り止まなくなってきた。

 それでもこがねくんは狼狽えることはなく、即座に対応するために須佐之男命を再び呼び出し背後を護らせる。


 真っ直ぐ中央を歩いてきたことが助けになり、広いフロアで横に三歩ほどずれた場所を走り遮っていたソファに沿って若干だけ遠回りをする。

 本来の入り口があったであろう自動扉の隙間に一歩足を出し、そこから入ってきた扉を目指した。


 須佐之男命が睨み据える先には、ずいぶんと見た目の変わってしまっている妖が蠢いている。

 余計なモノを取り込みすぎて様々な欲望に振り回され、本来の能力とは別の力に操られている様子だ。

 多様な怪異が重なることがなによりも問題になる。

 ここが放置されていた年月の間に引き起こされた因果の縺れに、表情を険しくしてしまった。


 だが、今の俺にはなにをしてやることもできない。

 手を出してはいけない。

 それは守護霊の範疇ではないからな。


「鍵閉めるから先行って」


 こがねくんは待つことを許さず、征燈は従って廊下を走り始める。

 後ろを見れば、こがねくんが印を結び結界を張る姿があった。

 頑強な結界を張って確認をし、振り乱したままの髪を片手で纏め握って征燈のあとを走ってくる。


 防火扉をくぐり、そこにも結界を張ったこがねくんは、ようやくいつもの調子で「ふぃ~」と力を抜いた。


「こういうことはよくあるのか?」

「いやあ……予想外だな。今日で片つけるつもりだったけど、ちょっと作戦会議が必要かも」

「作戦会議?」

「平地担当も呼んでもらおうかな」


 一言言いたいような顔で笑う。

 相当腹に据えかねているのかもしれない。


「あれえ、こっちおいでぇ。ばあちゃんが括ってやるよぉ」

「え~助かるぅ~ありがとばあちゃん!」

「ええのええの」


 乱れた髪のこがねくんはおばあさんたちに囲まれてしまった。

 おばあさんたちは、持ち寄った髪ゴムや紐で丁寧により分け纏めていく。

 昔を思い出しているのか、すぐに和やかな雰囲気が満ちる。


「ゆっ、征燈くん、だ、大丈夫っ?」

「あ、平気っス」

「げ、現状報告……もう一度、ちゃんと、ひ、平地担当に、き、聞くから」

『あれは異様なほど縁が絡まり捻じれてしまった棄塊だ。平地担当がきてもどうにもならないだろう』

「ヒッ……じゃ、じゃあ、どどどどどどう、ぅ、すっ?」

『時間はかかるが、絡んだ縁を解くのが安全策だ。なにかしらの理由で急ぎたいのであれば、力技を使うほかあるまい』

「いぎ~~~~~~~~~~っっっ」


 さすがにふざけている場合ではないとわかっているのか、征燈を心配してきてくれた竜樹くんは「眩しい」「溶ける」を封印して俺の話を普通に聞いてくれた。

 だが、相変わらず口から出る擬音のような呻きは変わらない。


 ぺこりと頭を下げた竜樹くんは、その足で老婆に囲まれているこがねくんのところへ行った。

 俺から聞いたことを話しているのだろう。

 こがねくんは腕組みをして目を閉じた。


正峰まさみねさん、最近撮影許可出しました?」

「確認しますね……先々月に一度許可してからは、申請もありません」

「先々月なら、俺らが今日の準備始める前か」

「僕たちが準備を始めてから、誰か入ったってことだよね?」

「ご丁寧に防犯カメラ外したあとに入ってきてんな……情報漏れたのか?」

「うい、視てみる」


 女性スタッフに動画配信者の訪問履歴を尋ねたこがねくんは、その回答に眉を寄せた。

 竜樹くんの言葉に不安要素を重ねていると、お兄さんのひとりが手を挙げる。

 お兄さんは少し大きめの和紙を広げ、錦紗の小袋から木の欠片や骨、鉱石など占いの道具を取り出した。


 燈卜伍卦ひぼくごけのようだが使う道具などに差異がある。

 これもまた、他人の知識が加わり変化したのだろう。

 こうして変化した自分の技を見ると、俺は自分が思うほど唯一無二の技を生み出してはいなかったのだろうな。

 唯一無二であるなら、誰が弄ったところで不変だったろうし。


 お兄さんが小さく呟き、手にした一切を和紙の上にばら撒く。

 一斉に覗き込むが、正しく読み解けるのはお兄さんだけかもしれない。


「一週間、向こうの空気に体積が増えてる。人数は三人……全員で入ってなにか残してるな」

「残してる?」

「あっちの積量が微妙に変わってる」

「征燈、なんか匂うって言ってたよな?」

「え……妖の匂い?」

「違うよ、フロア中央に着いたくらいになんか匂うって」

「ああ、線香の匂いって言ってたヤツ?」

「どんな匂いだったか思い出せるか?」


 そう言われて注目された征燈は、難しい顔で目を閉じると顔を上に向けた。


「なんか……田舎のタンスの中みたいな匂い」

「なんじゃそりゃ」

「どういう理由で入ってたのか知らねえよ。古いタンスの中に袋が入ってて」

「あ~そりゃ匂い袋だなあ。昔は芳香剤代わりに、石鹸とか包んだりしてしまっておいたんよ」

「あったあった。切れ端で袋縫うのも楽しみだったんだよねえ」

「こーんなちっちゃな白檀入れたりしてね!」

「あたしんちはタンスの下段に香炉入れてたわあ」


 わっと賑わう老婆たちの言葉に、こがねくんはポンと手を叩いた。


「わかった。召喚式使ったな」

「そんな簡単に言うなよ。結構問題だぞそれ」

「そそ、そうだよ。どうするの、召喚式の解読は、せ、専門外だよ?」

「だよなあ。俺もそっちは勉強してねえし……いやまさか一般人が召喚式使うか?」

「儀式系は検索すればアングラで簡単にやり方見つかるからな」

「あ~もぉ~! そういう情報サイト全部呪いでぶっ潰してやりてえ~!」


 大学生が揃って頭を抱えている中、征燈はきゅっと首を傾げた。


「聞けばいいだろ」

「誰に」

「コイツに」


 自分の後ろに指を向けた征燈に、みなは「おぉ」と感嘆の声を上げ、俺は困惑を隠しながら言葉を発した。


『今は右隣だ』

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