第33話

 校舎を出たすぐの場所にあったのは三列シートのワゴン車だった。

 くたびれ感はなく、新車のようにピカピカに磨き上げられた黒の車体。

 みなが慣れた感じに乗り込む様から、レンタカーではないことがわかる。

 運転席にこがねくん、助手席は竜樹くん、二列目に二人、三列目に一人が座り、取り残された征燈は三列目の左に座った。


「車酔いとかしないよな?」

「多分」

「家に車ない感じ?」

「両親揃ってペーパードライバーだから」

「そっか、気分悪くなったらすぐに言えよ」

「わかった」

「よーっし、行くぜー!」

「「「おーっ!」」」


 テンションの高いこがねくんとノリのいいお兄さん方のあと、竜樹くんの悲鳴のような呻き声と冷めた征燈の棒読み「おー」が続いた。



 想定外に安全運転で現着まで一時間もかからなかった。

 空気が翳んで見えるのか、征燈は何度も目を擦っている。

 緩やかな丘の中腹まで坂道を上り、着いた場所は「寿之園ことぶきのその」と銘打たれた新しめの建造物だった。


「マンション?」

「ブッブー、老人介護施設ってヤツでーす!」

「最近流行ってる介護付き有料老人ホームだな」

「え、これ老人ホームなんだ……?」


 征燈には祖父母がいない。

 近所にもこういった施設はないので、あまり知識がないのも仕方がないだろう。

 征燈が物珍しそうに見回していると中から女性が出てきた。


「みなさぁ~ん、お待ちしておりましたぁ~」


 ふくよかな女性はニコニコと優しい笑顔で面子を迎え、敷地内に案内される。

 程よく光が中に入ってくる設計だ。

 木材をふんだんに使っているのか、建物内は優しい木の香りが漂っていた。

 気配を探ったが、面倒そうな存在はいない。


「お~! じいちゃんばあちゃん、まだ生きてたか~!」

「そりゃ生きとるわい! 元気なもんよ!」

「先月転んで腰打って動けなくなってたでしょうが」

「それは言わんでいい!」

「こがねちゃん、ほれ、お菓子あげるよ。他の子もおいでおいで」

「金本さんたら、いつの間にそんなにお菓子買ってたの? ダメですよ~?」

「一昨日来てくれた娘に頼んだんだよぉ。大丈夫、あたしゃひとつも手をつけてないからね」

「ありがとばあちゃん! いただきまーす!」


 俄かに賑やかになり、住人であろうご老人がどんどん集まってくる。

 表情や態度から、こがねくんたちはかなり長い間ここを訪れているのだろう。


「あれえ、見たことない子がいるねえ!」

「え、あ、えっと、嫁神楽征燈です、ども……」

「えぇ? かかか? か? 難しい名前だのぉ」

「ゆき……なんだってえ?」

「え、征燈です。ゆ、き、ひ」

「メンドーだからゆきちゃんでいいべ。な、ゆきちゃん」

「ゆきちゃんかー、そうかそうか、お菓子食べなー」

「ゆきちゃんはどこの子だい?」


 人懐こいご老人たちの、ロックオンからの囲い込みの速さには戸惑ってしまうな。

 征燈は両親より上の人に慣れていないから、すっかり借りてきた猫のようにおとなしくなってしまった。

 そんな征燈をニヤニヤしながら見ていたこがねくんだったが、大学生面子に軽く声をかけ、スタッフの女性と少し離れて話を始める。

 身振り手振りや女性の驚く顔を見ると、征燈を連れて行くことを説明しているようだ。


『おじちゃん、おばあちゃんになにも知らせないで』

『おじちゃんはそんなことしないぞ?』

『本当?』

『おばあちゃんが好きなんだね』

『うん。だから、最期まで楽しくしていてほしいの』


 俺に一番に声をかけてきたのは、金本と呼ばれた老婆の守護霊である幼い少女だった。

 見るからに死期の近い老婆に、俺が余計なことを言うのではないかと心配になったらしい。


『おじちゃん、とても強い人だよね? 特別に教えることもできる人でしょ?』

『できるけどしないよ。おじちゃんよりキミが教えるほうが、おばあちゃんも嬉しいだろう』

『うん。けどね、私、教えるの怖いの。だから何度か延期しちゃって、その度におばあちゃんが酷くなって、辛そうな顔見るの嫌だけど、やっぱりもう少しって思っちゃって』

『キミは優しいね。何人も見送っているのに、死期を知らせるのが当然と思わず守護霊を続けているなんて偉いよ』

『優しいのはね、おばあちゃんトコの人たち。私を助けてくれて、優しくしてくれたの。だからそのお礼をたくさんしなくちゃなの』

『そうか』

『そのためにもね、隣にいる人たち……やっつけてほしい』

『隣?』

『うん』


 そこで彼女は息を潜めるように姿を消した。

 それ以上口にすることはできないと、そんな風にも感じ取れる。

 他の守護霊たちも一様に「そのことは口にしない」といった空気を出していて、俺は何一つ情報を集めることができなかった。


「征燈、行くぞ」

「どこに?」

「実地研修場」

「ここじゃないのか」

「隣。あとヨロシク~」


 未だ老人たちに囲まれている他の面子に手を振り、こがねくんは女性スタッフから鍵の束を受け取ると歩き始めた。

 慌ててついて行く征燈は、持ってきたシルバーリングをポケットの上から触り、唇を固く結ぶ。


「ここ、以前は隣に建ってたんだ。で、こっち側はプレイルームや散歩ができる庭なんかが造られてた」

「建て直したってことか?」

「そ。ザックリ言うと、地鎮祭ちゃんとしてなかったことで主に土地神さんが怒ったってのが理由。住人が連日悪夢を見たり、変な物音が夜中続いたりと現象が止まらなくて建物の管理会社から調査の依頼がきた」

「これから、怒った土地神をどうこうするのか?」

「違う違う。そっちは平地担当が話付けてくれてる。厄介なのは、現象の噂を聞きつけた連中が連れてきた「余所者」だよ」

「……空になった現象の起きるマンションに妙なのが住み着いたってことか?」

「そんな感じ。この一帯の平地担当が「ここは担当じゃない」とか言い出して、確認に時間かかったのもタイミング悪かったな」


 管轄というものは時に曖昧になる。

 確かにここは緩やかな丘の中腹で、平地かと言われると違うとも言える。

 長年管理をしていたとしても人間の認識は少しずつ変わっていくし、どこかで綻びができても仕方がないだろう。


 スタッフオンリーと書かれた防火扉をくぐって、薄暗い廊下をしばらく直進した先に待ち受けていた錆びついた扉。

 慣れた様子で鍵の束から適切な鍵を選んだこがねくんは、鍵穴に鍵を差し込みながら後ろに立つ征燈にちらりと視線を投げた。


「こっから先は俺らの領分だ。ビビんなよ?」


 扉ひとつでは消すことのできない不穏な空気に、征燈は微かに頷いた。

 俺は静かに結界を張り、こがねくんが鍵を回し開ける様を見る。


「廃墟は勝手に入っても怒られないって迷信が知れ渡ってた時期に散々踏み荒らされちまってさ、一階フロアと二階、三階住居スペースはまともに歩けやしねえ」


 扉の先には闇が広がっている。

 遠くまで明るくできるライトを前に向け歩き始めるこがねくんは、残念そうなため息を吐いた。


「落書き、破壊、不法投棄、挙句に火の不始末からのボヤ騒ぎ。人間様が「恐怖」を期待して自殺者がいる、死体遺棄事件があったなんて噂を勝手に作り、思い込みを広めて念が作り出した怪異を留まらせる。怪異の気配に寄ってきた彷徨う魂も、捕まってしまえば怪異の仲間入りだ。やってくる人間様が落とした連中だって出口が見つけられずにウロついてる」

「ここの噂は全部でたらめなのか」

「土地にいわくのあるヤツらは全部土地神が引き受けてくれてる。そう言えば理解できるか?」


 こがねくんの質問に首を縦に振った征燈は、卑猥な言葉がペイントされた壁を見た。

 フロント部分には不自然なベッドや椅子、家電や新聞紙の束などが散らばる床には薄く埃が積もっている。


「土地神って神様だよな?」

「お前さー、ホント神様って言葉に敏感だな」

「悪いか」

「いや、徹底しててむしろ好感が持てるわ」

「アンタからの好感は要らない」

「え~」


 遠くで乾いた木が折れるような音が聞こえた。

 一定のリズムでだんだんと近づいてくる。

 それは徐々に鈍く重い音になり、まるでなにかが落下した衝撃音のように変わった。


「平気?」

「なにが」

「あーいう音」

「別に」

「お前、マジ肝っ玉据わってんね?」


 最終的に、音は真横で聞こえたが止まらない二人に無視される形で静かになった。

 折り返してくるようならと思ったが、そんな気配はない。

 一般的に目に見えない連中の中には、人間を驚かせるだけで満足な部類もいる。

 こういう場所にはよく常駐する輩だが、全部が全部驚かせるだけではないから「なにもわからない」人間は入るべきではないだろう。


 暗い中を歩いていると、人のような気配をそこかしこから感じる。

 痛いほどの視線、意識をすると気分が悪くなりそうな湿った気配、なぜ人間はこういう雰囲気をあえて浴びにくるのだろう。

 構わなければ彼らとて調子に乗ることも迷うことも、余計なモノを重ねられることもなく静かに浄化していくだろうに。


「ん~と、ここらが中央部かな」


 ぐるりとライトを回し、上に向ける。

 吹き抜けになっているらしく、ライトの光は上まで続いて闇に吸い込まれている。


「なにかの匂いがする」

「線香じゃないか? 先に鎮めた部分もあるし」

「そっか」

「ちょっと相手すっか?」

「は?」

「いや~実地研修だし、軽く体験しとくのもいいかなと思うワケよ」

「……俺でも相手できるようなのがいるってことだな」

「おっ、察しがいいね。そうこなくっちゃ」


 こがねくんは指につけているシルバーリングのひとつの装飾部分を捻った。


「これ、俺の髪を小さく切ったヤツ」

「はぁ……」

「髪にも霊力って宿るんだぜ?」


 装飾部分が開き、内側に入っている髪の欠片を指先に数本くっつけた。

 慎重に蓋を閉めてから指先の髪をパラパラと落とす。


 印も咒もなく、ただ髪を放っただけだ。

 なのに散ったであろう髪片に向かって多方向から気配が突進してくる。

 どれもいかがわしい気配で、気分が悪い。


「どうすればいいんだ」

「シャモで蹴散らせよ。お前自身でできるならそれでもいいぜ」


 挑戦的なこがねくんの言葉を無視して、征燈はシルバーリングを取り出すと指に嵌める。

 柏手を打てばすぐにシャモが登場した。

 だが征燈はそのまま待機し、シャモも背筋を伸ばして仁王立ちのまま動かない。


「お?」


 こがねくんの想像とは違ったようだ。

 不思議そうに首を傾げたが、征燈を邪魔をすることはなかった。


『危なくなったら結界の強度を上げる』

「わかった」


 オオオオォオン!


 怨霊の呻きだと言われればそんなような音が響き、結界に黒い物体がぶつかる。

 見事に弾かれた物体は戸惑うよりも怒りを剥き出しにするともう一度吠えた。


 オオオオオオオオーッ!

 あああああああっぁぁぁああー!


「叫ぶだけかよ」


 パン!

 パン、パパンッ!


 クエーッ


 再び結界内へアタックを仕掛けた黒い物体は、結界の外に飛び出したシャモの一蹴に塵と消える。

 見事に着地したシャモへ別の個体が襲い掛かったが、征燈の柏手のほうが早くシャモを動かす。

 体当たり、爪で引き裂く、蹴る、さながら闘鶏の様相を見せるシャモの姿にこがねくんが関心の声を漏らした。


「スゲーな。息ピッタリ」

「シャモに合わせてもらってるだけだ」

「よく言うよ」


 集まってきた弱小組に入る気配たちは、五分もすればいなくなる。

 気配がなくなっても周囲を警戒していた征燈だったが、こがねくんの小さな拍手に構えを解いた。


「うー手が痛い」

「声で指示すればいいのに」

「手を打ったほうが伝わるのが早い」

「長期戦に向いてない指示の出しかただぞ?」

「俺は、晴燈を護るためにしか使わない」

「護るためには必要になるぞ、言霊ってのは」

「……」

「はい、一つ目のお勉強はここまで。お前の使役増やせるかなと思ったけど、成果なさそうなので一階フロアは一掃しまーす」

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