第32話

 クラスメイトの母親からジュースのパックを手渡された兄弟は、あまり遅くならないようにと長居せずに病室を出た。

 病室の入り口まで見送ってくれる母親は、数日で退院できると教えてくれた。

 廊下で待っていたこがねくんに驚いた顔をした母親に会釈をして、三人で廊下を歩き始める。


「なあなあ、あれって俺も兄弟だと思った感じかな?」

「止めろ気持ち悪い。派手すぎでビビったんだろ」

「こがねお兄ちゃんは赤い髪が似合ってるよ」

「ありがとな~晴燈はやっぱりいい子だなぁ~!」

「俺の前で晴燈の頭を撫でるなっ」

「ほほほ~強火強火~」


 征燈の扱いに慣れたようで、こがねくんは本気の威嚇を軽く躱している。

 そんな二人のやり取りを見ていた晴燈くんが楽しそうに笑ったから、険悪な雰囲気にはならなかった。

 面々は柚麻くんの部屋に戻ったが「面会謝絶」の札がかかっていたのでそのまま病院を出る。


「あれで週一でこいってよく言えたな」

「アイツ、自分に無茶振りすんのよ。俺とバトった時もそうだけど、あとで反動出るってわかってんのに全力でさ。ぬいぐるみって見た感じふざけてるけど、マジでヤバいから。で、全力だからどんな式神使いも放っておけないんだと」

「ふーん」

「ちゃんと週一で行けよ。アイツの意識がなくても萌癒がチェックしてっから、サボるとチクられてあとで酷い目に遭う」

「式神は使役者の意識がない時でも働くのか」

「シャモとおんなじだ。使役者の意識・意図を汲み取って行動すんのさ」

「……そか」


 バス停に到着するとこがねくんはそこで解散と言った。

 どうやらこれから仕事らしい。


「明日、ちゃんとこいよ」

「わかってる」

「晴燈はお留守番だぞ?」

「ええ~、兄ちゃんの練習見たい!」

「に、兄ちゃん、う、歌は、しばらく歌わないぞ?」

「練習たくさんして上手くなる兄ちゃんが見たい」

「い……一日じゃ、さすがに、上手くはならない……かなー……」

「晴燈ぃ、征燈に秘密の特訓時間を与えてやれよ。な?」

「ん~わかった。いい子にしてるから、兄ちゃんはお歌の練習の成果を帰ってきたら披露して!」

「え?」

「約束だよ。僕、お下手でも兄ちゃんのお歌ちゃんと聞くから」

「っっ……う、ぐ、お……おう、わ、かっ……た」


 明らかに顔色を悪くして硬直する征燈に大爆笑のこがねくんを放置し、兄弟は自宅方面行のバスに乗り込む。

 バスの中から手を振る晴燈くんに、未だ笑いが止まらずなんとか手を振り返すこがねくんの姿を見て征燈は鼻を鳴らした。


「お歌上手く歌えるようにたくさん練習しなくちゃだね、兄ちゃん!」


 やっと兄弟二人になったと安堵したのも束の間、無邪気で無慈悲な晴燈くんの言葉と笑顔に兄は一瞬で抜け殻になった。



「お帰りなさい、お友だちどうだった?」

「元気だったよ!」

「そ~よかったわねぇ」

「うん!」


 元気な晴燈くんが先に洗面台で手を洗い、ダメージを負っている征燈が無言で続く。

 母親は征燈に無理に構うことなく「着替えてきて。ごはんにしましょ」と言ってキッチンへと姿を消した。

 階段を駆け上がる晴燈くん、いつもよりもゆっくり上る征燈。

 晴燈くんは自室の前で征燈が階段を登り切るのを待ち、それから部屋に入った。

 静かに閉まるドアの音を聞き、征燈も自室へ入る。


 ポケットから取り出したシルバーリングに触れると、まだ動かないシャモが現れた。

 目を凝らしているようだが、シャモに外傷は見当たらない。

 恐らくは、柚麻くんの治癒能力かなにかで既に癒えているに違いない。

 動かないのは、征燈の念が薄れているからだ。


『ちゃんと労ってやれ』

「わかってるよ」


 着替えを済ませ、勉強机にハンカチを置いてその上にシルバーリングを乗せた。


「シャモ」


 声かけに頭だけを起こす。

 征燈の顔を見て、くちばしをパカッと開けてすぐに閉じた。


「なに、今の」

『欠伸だろう』

「え、ニワトリの欠伸ってあんななの?」

『知れてよかったな』


 クェ


 小さく鳴いたシャモのくちばしの傍を指で撫でる。

 耳の近くを撫でられると気持ちがいいようで、シャモは目を閉じて少しだけ羽を立てた。


「今日はありがとうな。あと、ちゃんと視ていなくて悪かった。次からはこんなことにならないように、ちゃんと気をつける」


 クケェ


 満足そうな声に目を細めた征燈は、シャモをシルバーリングに戻してポケットに入れる。


『家の中であれば離れてもいいんじゃないのか』

「今日はそういう気分じゃないから」


 征燈なりに反省をして、シャモの身を案じているんだろう。

 自分の近くにいるほうが楽になると、感覚で察しているのかもしれない。

 一度ポケットの上から掌で撫で、部屋を出た。


「……」


 晴燈くんは先にダイニングへ行ったようだ。

 明るい声音を一階から聞きながら、征燈は晴燈くんの部屋のドアを見つめる。


『どうした』

「晴燈まで、視えるようになったのか?」

『いや、違う。あれは……アイツの能力に近い』

「それって乗っ取られてるってことじゃ」

『アイツの気配はまだ薄いから乗っ取りの可能性は低い』

「じゃあ、なんなであんなことできたんだよ」

『共鳴に近い状況だ。アイツの気配は守護霊らしからぬ主張と強さを持っている。しかも一度肉体を介しているからな。故に、無意識に影響される可能性がある。晴燈くんは、自分がいいと思ったことを素直に行動へ移しているだけだ』

「けど」

『アレは倣写ほうしゃという術だ。アイツは真似事が誰よりも上手かった。一度見た技術は見様見真似で完璧に使えるようになる』

「チートすぎんだろ」

『それほどではない。試験でカンニングをした答案が間違っていれば間違うように、倣写した技が未熟であれば役に立たないからな』

「…………完璧な技を真似されたらシャレにならねえよ」


 それはそうだ。

 俺が一番、わかっている。





 翌日、珍しく征燈は目覚まし時計で起きなかった。

 もたもたしていると晴燈くんに叩き起こされ、遅刻はダメだと怒られ、渋々準備をして征燈は大学を目指していた。

 最寄りのバス停から学園へ向かい、時間通りに到着した校内バスに乗り込むとシートに深く背を預ける。


『どうした』

「……超、眠い」

『さすがに最近の疲労が出たか』

「…………」


 小さな寝息が聞こえる。

 すっかり寝入ってしまった征燈を見つめ、移り行くバスの外の景色に目をやった。

 ズボンの後ろポケットに入っているスマートフォンがブーブーと鳴っているが、眠っている征燈は気がつく気配もない。

 受信のタイミングなのか何度かブーブーと鳴っていたスマートフォンが静かになり、バスの運転手のアナウンスがよく聞こえるようになる。


『もうすぐ着くぞ』

「ん……着く?」

『大学に到着するぞ』

「だい、が……?」

『お歌の練習に行くんだろ?』

「!」


 よほど「お歌の練習」がトラウマにでもなっているのか、征燈は勢いよく身体を起こして前の座席に額をぶつけた。


「痛って、っ……」

『どうしたんだ、まだ寝惚けているのか』

「……うっさい、起きた」

『なら問題ないな』


 いつもなら倍の量悪態がやってきそうな場面だったが、征燈はまだぼんやりとバスに揺られている。


「バカみたいにダリぃ」

『さすがにお前の能力も無尽蔵じゃない。疲れて当然だ』


 不慣れ故に力の使い方も上手くない。

 何度も制御をするよう言ったが聞かなかった。

 こちらからどんなに言っても無駄だともう知っているから、俺はなにも言わない。


 ぽやぽやの征燈をなんとか動かして大学前でバスを降りると、こがねくんたちが待つ防音室へ向かう。


『誰か迎えにきてもらったらどうだ』

「いいよ、別に……時間もハッキリ決まってるわけじゃねえし」

『階段で滑って怪我をするなよ』

「そんなヘマしねえよ」


 身体は鉛のように重たいに違いない。

 嫁神楽家直径特有の膨大な気量が、疲労を感じてもおかしくないほどに減っている。

 制御の方法はいくらでも教えてやれるが、コイツの師匠はこがねくんだ。

 わからないことは師匠から学び、師匠からの教えは漏らすことなく身に着けることが弟子の在り方だろう。


「おあ~、着いたぁ~」

「おーどうした少年。疲労困憊のご様子だな」

「もしかして低血圧か? 昼過ぎにきてもよかったのに」

「昼過ぎじゃ俺らがいないだろ」


 いつもの面子が覇気なく防音室に登場した征燈に声をかけてくれる。


「ずいぶん気力が減ってるなあ」

「じゃあ、たつの出番かな」

「呼んでくる」


 ひとりが準備室へと向かい、室内を見渡した征燈は首を傾げた。


「こがねは?」

「グミはまだ。車持ってきてるんじゃないかな」

「車?」

「今日は実地研修だぞ~」

「は?」

「俺たちは後方支援組。実際に現場に行くのはグミとお前な」

「はあ……?」


 ダメだ、いつも以上に頭が回っていない。

 俺は状況を説明しようと口を開けたが、準備室から俯き加減で飛び出してきた竜樹くんが征燈に激突して諸共もんどりうったことに驚いてしまった。


「いやいややっぱ無理すわ無理無理! 眩しすぎて溶けるって!」

「溶けない溶けない。ほ~ら、可愛い後輩が疲労困憊してんぞ。回復してやれよ」

「おぎゃああああーっ!」


 どういう感情から出てくる声なのか、一度本人から詳しく聞きたいモノだな。

 そしてそんな竜樹くんを理解しているお兄さん方が「ほ~らほら眩しくな~い」と彼の目を自分の指で覆う。

 和やかな空気感に俺の気構える気分も楽になった。


「少年、手を出して」

「あ、はい」


 言われるままに差し出した征燈の手に竜樹くんの手を導くと、しっかりと重ね合わせてお兄さんは離れた。

 目を覆っていたお兄さんも離れた瞬間、征燈の全身に小さな震えが駆け巡る。

 小さな稲妻に当たったような衝撃に丸くなっていた征燈の背中が伸びた。


「嫁神楽一族には効かないかな」

「んなことないだろ」

「見た目にスッキリしてるけど……」

「ヒィッ、こっっわ、気量ガチ? マ?」

「おーっまたっせー!」


 身体の変化にキョトンとしている征燈を観察するお兄さん方とは対照的に、竜樹くんが怯えるように自分を抱きしめ震えている。

 そんな中、絶妙なタイミングでこがねくんがやってきた。

 竜樹くんは逃げるようにこがねくんの背後に回る。


「どった?」

「嫁神楽をガチ体感したでござる」

「そうかそうか。よかったな」

「よくないよっ、使い方間違ったらとんでもないんだからちゃんと使い方教えてやんなくちゃダメだよっわかってるっ?」

「あいあい」


 二人の会話についていけていないのは征燈も同じらしく、お兄さん方と一緒になって首を傾げた。


「急にダルさがなくなったんだけど」

「うんまあ、たつは全世界癒し系代表だからな。それに、元気になってもらわねえと実地研修しっかりやれねえだろ」

「スゲー」

『感心していないで、きちんとお礼をしろ』

「ヒヒッヒヒヒイィお礼だなんて必要ないですしっ!」


 俺の声が聞こえたらしく、竜樹くんは慌てて顔を出したが「うぐっ眩しッ」と呻いてまたこがねくんの後ろに隠れる。

 少し興奮状態のようだが、こがねくんも他の面子もあまり気にせず打ち合わせを始めた。


「んーじゃ、行くか」

「どこに行くのかくらい教えろ」

「実地研修場所」

「だからどこだよ」


 楽し気なこがねくんに渋い顔をした征燈は、すっかり元通りの調子に戻っていた。


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