第31話
「おい……」
「悪ぃな、コイツ、ぬいぐるみオタクでさ」
「違いますぅ~萌癒が大好きなだけですぅ~」
「お姉ちゃん……?」
「ううん。僕はお兄ちゃん。よろしくね、嫁神楽晴燈くん」
晴燈くんの前にしゃがんだ謎のぬいぐるみ好き男子の言葉に、弟は兄の後ろに隠れ、兄はケンカ上等な顔で威嚇した。
驚いたように目を丸くした彼は、萌癒と呼ぶライオンのぬいぐるみを征燈たちのほうに向け、顔を隠す。
「すみません、驚かせるつもりはなかったので、警戒しないでください。あと、守護霊様に結界解くよう言ってください」
「あ?」
「待て待て待て、ここじゃ完全におかしな集団に見えるから、コイツの病室行こうぜ」
「俺たちは」
「わかってる。いいからこい。ほらお前も立て」
「あう~病人には優しくしなくちゃダメ~絶対~」
腕を持たれ、引き摺られるように廊下を歩き出した年長二人組を少しの間見た征燈は、不安そうな晴燈くんを抱き上げてこがねくんを追いかけた。
俺は結界を解き、得体の知れない男子を視ようとする。
『あまり視てやらんでください』
『かなり稀有な人物のようですが』
『申し遅れました。彼奴は
彼の守護霊は普通とは言い難い気配を纏っていた。
いや、それは本人自体からも発せられている。
表に出ない能力者ネットワークがあって然りだが、こがねくんの知り合いはいつも「俺が知っている常識の範囲」を大きく超えている。
こういう強い能力者たちが穏和なネットワークを築いているなど、俄かには信じ難い。
だが彼らの間に損得勘定は感じず、力関係も平等だ。
俺がこれまでに遭遇した骨肉の争いを想えばなんと理想的な関係だろうか。
『柚麻は生まれつき高い霊能力を持っておりますが、肉体は非常に弱い。学校へ行ったこともなく、ただ能力を使い己の天命を待つ身です』
『このご時世にそれが許されているとは驚きですな』
『歴史深く、一族も長く諍いを続けておりました。それを紐解き和解させ均衡へと昇華した一端を担っているが故、とでも申しましょうか』
『ふむ……俺の知らない世界がまだ存在しているようだ。外に目を向けなくなり久しいが、変動には敏感であるべきだったな』
『もったいないお言葉です。貴方様の功を人間の情が醜く変えてしまった、その醜さをほんの僅か掃ったまでです』
『ご謙遜を』
蛇卦野家の嫡男を護る守護霊は俺に深々とお辞儀をして消えた。
そのタイミングで嫡男がチラリと俺を視たのを見逃さない。
なんとも不思議な視線だが、嫌な気にはならなかった。
病院最上階、病室の中で一番見晴らしがいいと思しき一角に病室はあった。
特別室という部屋らしく、まるでホテルのような造りをしている。
こがねくんは勝手を知っているし、蛇卦野家嫡男くんはそんなこがねくんを自由にさせている。
ベッドによじ登った嫡男くんは、警戒を解かない嫁神楽兄弟を手招きした。
征燈はこがねくんを見て安全を確認、ゆっくりと晴燈くんを抱き上げたまま近づく。
「さっきはごめんね。こがねに名前を聞いていたから声をかけたんだけれど、こんなに警戒されるなんて思わなくて。改めまして、僕は蛇卦野柚麻。こっちは相棒の萌癒」
「相棒?」
「うん。僕はね、次世代型式神使い」
「???」
「萌癒は僕の式神なんだよ。でも見た目はぬいぐるみ。つまり、式神ならぬ式ぬいぐるみ」
「略して式ぬいだってよー」
「素敵なネーミングなんだから、馬鹿にしないで。ね~萌癒~」
嬉しそうだが、征燈には火に油だ。
イラっとした気配を感じ取ったのは晴燈くんが最速で、こがねくんも宥めようと柔らかさを楽しんでいたソファから立ち上がる。
「兄ちゃん」
「……アンタが式神使いだろうとぬいぐるみオタクだろうと関係ないんだよ。俺たちは、弟のクラスメイトの様子を見にきたんだ」
「わかってるよ。キミの式神もちゃんと治療してる」
「あ?」
「凄いね、キミ。鶏の式をあんな風に使役させるなんて、一族の式神使いでも滅多にいない。けど、ちゃんと視といてあげなくちゃダメ」
「どういう……」
「もう一度言うよ。ちゃんと視といてあげなくちゃダメ」
ギュッと征燈周辺の空気の濃度が上がった。
同時に圧を感じて、緊張が走る。
「お兄ちゃんごめんなさいっ、僕が悪いの。兄ちゃんにお願いした僕のせいだから、兄ちゃんを怒らないで」
「晴燈のせいじゃない。兄ちゃんが慣れてないから怒られてるんだ」
「違うよ……ごめんね兄ちゃん」
「俺が悪かったんだから、そんな顔するな」
頬を赤くした晴燈くんの小さな鼻先を突いた征燈に、全力でしがみつく晴燈くん。
弟の背中を軽く叩き宥めた征燈は、感動映画でも見たように目を潤ませて萌癒をしっかり抱きしめている柚麻くんに驚いてビクッとなった。
「いい話だねえ~萌癒ぅ~、こんないい兄弟滅多にいないよぉ~!」
「あの、そう言うのマジでいいんで話進めてもらえますか」
「わぁおクールぅ~」
柚麻くんは膝の上に萌癒を置くと、しっかり目線を合わせて頷く。
意思の疎通だろうが、媒体が特殊すぎて俺にも状況がよくわからん。
細い人差し指を伸ばし息を吹きかけると、そこから滴のように光が零れ落ちた。
その中にはぐったりしているシャモがいる。
「この子はとてもいい子だったよ。弟くんのクラスメイトをきちんとここまで連れてきた。辿り着くまでに何度か交戦したみたいだったけど、気丈でね」
「交戦?」
「抜けたてほやほやの魂魄を狙う悪い連中とドンパチしながら、言いつけ通りに護って肉体のあるここまで連れてきた。ボロボロだったのに僕にまで挑もうとしたから驚いちゃったよ」
好戦的なのは君の性格だね、そう付け足した柚麻くんはシャモが入っている光の粒を征燈に向ける。
倣って伸ばした人差し指に光の粒を乗せると、驚くほどの勢いでベッドに背を凭れかけ萌癒を抱きしめた。
天井を仰ぎ、微かに奥歯を噛みしめているのがわかる。
「兄ちゃん、なにしたの?」
「ん? 狐さんのお友だちを返してもらったんだ。晴燈のクラスメイトが迷子になってたから、ここまで道案内を頼んだニワトリさん」
「ニワトリさん?」
「尻尾の長いニワトリさんだぞ」
光の粒が見えていない晴燈くんは、想定だけで征燈の指先を見つめて慎重に撫でるような仕草を宙で繰り返した。
「ありがとう、ニワトリさん」
同時に三か所から三様の呻きが漏れた。
晴燈くんは年上キラーのスキルでも持ち合わせているのだろうか。
純粋だからとか無邪気だからとか以上の魅力というか吸引力を感じる。
『……』
アイツもそうだった。
極力思い出すことはしないでおきたい、生前の記憶。
「征燈くん、これから週一でここにきて。式神使役の基本を徹底的に叩き込んであげる」
「え、でもこがねは」
「君は実践でのレベルが上がりやすい性質だけど、今回のような条件は実践ではめったに起きないでしょ。そういう時に使役者としてどうするべきかの知識は必要。式神についてはこがねよりも僕のほうがはるかに専門だから安心して」
どういうことだとこがねくんを見れば、てへ☆とウィンクをするものだから征燈の舌打ちも大きくなる。
「もし僕が嫌なら、君と同年代の総代呼んでくるよ。うん、雰囲気もよく似てるから仲良くできるかも」
「いや、遠慮します。こっち側の人間との繋がりを増やすつもりはありません」
「こがねよりもしっかりしてて安心だな~ね~萌癒ぅ~」
「こがねもアンタに教わったんですか?」
「ううん、こがねにケンカ売られてボコボコにしちゃっただけ。それで僕は一年半意識不明、その間にこがねは研鑽して今の地位を得たって感じ」
「い、一年半意識不明?」
「よくあることだから気にしなっ、ゴホッゴホッ!」
「お、反動がきたか」
柚麻くんが咳込み始めた。
不安になるくらい激しい咳込みだったが、こがねくんは慌てずにナースコールを押す。
息継ぎも困難なほど咳を繰り返す様を見て嫁神楽兄弟は硬直していたが、晴燈くんが身じろぎをしたので征燈はベッドへ近づく。
征燈から離れた晴燈くんは柔らかそうなベッドに膝立ちして、咳込む柚麻くんの背中をゆっくりと擦った。
ふんわりとあたたかくも清らかな気配が背中を包み、じんわりと柚麻くんに浸透していく。
その様を見たこがねくんと征燈は目を見張った。
「ゲホッ、ゲホッ……ッ、あれ、少し、ゲホッ、楽……ッ」
全然そう思えないが、本人は楽になっているのか咳込みが若干落ち着いた。
晴燈くんから感じる気配は、竜樹くんの気配に似ている。
その理由に気がついて、苦いモノが胸の奥に滲んだ。
どうして、俺に生前を思い出させる。
それがアイツの策略なら、思い通りにならないようにしなくては。
柚麻くんに息継ぎができる余裕が出てきた頃、看護師が二人やってきた。
晴燈くんを抱えてベッドを離れた征燈はソファに座るこがねくんの隣に立つ。
無言で処置される様を見守っていると、看護師に病室を追い出された。
「大丈夫なのか」
「平気だろ。それより晴燈の背中なでなでが凄かったんだけど?」
「前に竜樹お兄ちゃんにしてもらって気持ちがよかったから、楽になればいいなって思ったの……いけなかったかな」
「そんなことない。優しいな、晴燈は」
「俺もなでなでしてほしいなぁ~」
「甘えんな」
冷たくあしらわれても笑って済ませたこがねくんは、晴燈くんのクラスメイトの病室へ向かうようだ。
時折寄ってくる黒い影を指で弾き壊しながら歩く後ろ、征燈はこがねくんのその様を黙って視ている。
「ほい、到着。待ってるからお前らで行ってこい」
「わかった」
降ろした晴燈くんが病室内へ入っていく。
続く征燈を、こがねくんは廊下の壁に凭れながら見ている。
彼なりの配慮だろう。
俺は病室内に危険がないかを確認し、征燈は母親に付き添われていたクラスメイトに話しかける晴燈くんから少し離れたところに立つ。
交通事故で意識不明だったが肉体の損傷は少ないようだ。
見舞いにきた晴燈くんに感謝をしている。
少女の母親が征燈に気がついて会釈をすると、少女も顔をこちらに向けた。
「ありがとう」
なにに対する礼だったのか、本人にもわからなかったようだ。
言った傍からキョトンとして、再び晴燈くんと話を始めた。
今日の授業の話を始め、タブレットで内容を共有している。
わからないところは先生に質問して、と言う晴燈くんにクラスメイトは頷いた。
「ママ、ジュース買ってきて」
少女の言葉に「気がつかなくてごめんなさい」と征燈に言い残し、母親は病室を出て行く。
人払いだと気がついた兄弟は少女に注目した。
すぐに気拙い空気が少女を取り囲んだが、晴燈くんがそれを打開する。
「あのね、僕の兄ちゃんも霊が視えるんだ。だから、昨日のことも信じるしこれからも友だちだからね」
「私の味方をすると、みんなから嫌われちゃうよ?」
「大丈夫だよ。みんなは知らないから怖くて見えないから信じられないだけだもん。僕は知ってるから怖くないし、見えないけど兄ちゃんが視えるから信じられる」
「……本当?」
「うん」
小学生の会話を遠目に、高校生男子が胸を押さえて呻いている。
感動に嗚咽しそうな勢いにはさすがに引くが、晴燈くんの言葉は征燈にも沁みているのだろう。
誰もがそうであればいい。
けれど、優しい人を謀る愚か者もいる。
視えない世界故に正解はなく、どこまでも信頼という感情だけで繋がっているのだ。
征燈にはもう少し、晴燈くん以外を信じる努力が必要だろう。
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