第29話
久しぶりに帰ってきた父親が加わった夕餉は、いつもよりも少し遅めだったが笑いが絶えない食事となった。
父親に甘える晴燈くんを見守りつつ、征燈はキッチンで皿洗いを手伝う。
「はるちゃん、大丈夫かしら」
「クラスで問題が発生したんだって。早めに解決できるかは、クラスメイト次第って気もするけど晴燈は大丈夫」
「そう?」
「心配ないよ」
「征燈は本当にいいお兄ちゃんね。母さんが不甲斐ないばっかりに」
「一ミリも思ってないこと言わなくてもいいって。晴燈の世話は負担じゃないし、母さんが楽しいことに夢中になってるの見るのも、息子としては悪くない」
「ま! この子ったら、父さんとおんなじようなこと言って! もお~、しっかりお父さんの子なんだから~!」
「息子をクッションにして旦那デレするの止めてもらえますかー」
「オホホホ」
「笑って誤魔化すし……そういうのは二人だけの時にしろって」
「そうねーお兄ちゃんは思春期だものねー」
「そこ関係なくね?」
家族間の関係は良好だ。
互いにいい意味で程よい距離感を知っている。
こういう関係を築くのも守護霊の仕事の一つだと知る者は少ないだろう。
『彼、大丈夫ではないですわよね?』
『あまり無理をさせたくはないのですが……』
『次の守護霊はもういるのでしょう? 替わってもらえない問題がありますの?』
『問題しかない状況ですね』
『それは困りますわね』
困った表情を浮かべた母親の守護霊は、リビングから聞こえる笑い声と警戒をしている父親の守護霊が吠え立てているのを聞いている。
『可能な限り穏便に、お願いしますわよ?』
『もちろんです。家庭崩壊なんか望んでいませんから』
洗い物を終え、明日の朝の支度を済ませた母親もリビングへ向かった。
征燈はぼんやりとその後ろ姿を眺め、一層明るく楽し気になったリビングの様子を聞き守る。
『行かないのか』
「ゴンのレベルアップが先だ」
『そうか』
征燈はリビングに顔だけだし、宿題があるからとひとり自室へ移動する。
晴燈くんは少しだけ気にした素振りだったが、征燈が笑うと安心したようにまた両親に甘え始めた。
疲れているだろうに、父親は渡されたコントローラーを握って操作のシミュレーションをしている。
母親は二人を応援しつつも、晴燈くんに肩入れして父親に拗ねられて笑っている。
すっかりテレビ放送を見なくなった嫁神楽家では、家族の団らんは対戦ゲームと相場が決まっているのだ。
「兄ちゃん」
「ん?」
「兄ちゃんの分も勝つからね!」
「おう、任せた」
階段の下から声がして、振り返った征燈に輝く笑顔がさく裂する。
走ってリビングへ戻る気配を感じつつ、軽く呻く征燈の心情は言われなくてもわかっている。
『ブラコン』
「うっせ」
正直、家の中とは言えゴンを憑代から離れた場所へ呼び出すことには懸念がある。
アイツがいつ復活するかわからないし、好機を狙っている可能性もあるからだ。
家の中に幾重の結界を張り、可能な限り無防備なゴンと憑代を繋ぐ霊糸を護る。
『いいぞ、ゴンをここへ呼び出せ』
「お前も、警護を手伝ってくれ」
ズボンに入れているシルバーリングに触れると、サイズダウンをしたが気配は変わらないシャモが躍り出た。
征燈はシャモの前にしゃがみ、小さく手を叩いてリズムを取っている。
シャモとは会話が成り立たない。
イメージを繋げれば容易に動いてくれると言ったが、征燈は手を打って合図を送る手段を選んだ。
簡単に表現するならば、イルカに笛で合図を送るのと同じだ。
野球などのサインのように、相手には意図が伝わり難いからこの方法は効率がいい。
加えて、カッコよさに気恥ずかしさを感じる征燈にはもってこいだろう。
「よし、わかったな?」
クエッ
「頼んだぞ」
クワーッ
俺には会話ができていると思うのだが、征燈にとって相手の言葉が理解できない時点で会話はできていないカウントになるから、まあ、会話はできていないってことにする。
「ゴン」
クォン
ゴンはすぐにやってきて、征燈の肩に巻き付き鼻を頬に擦りつけた。
不器用に頭を撫でると今からなにをするのかゴンに説明を始める。
「晴燈だけじゃなく晴燈の周辺も護れるよう、レベルアップしてもらう。痛いとか、怖いことはないと思う、から、その、大丈夫かな」
クオォォン
『大丈夫そうだな』
「……だな」
『俺の見立てでは今のゴンは九尾までは無理だ。完全に経験値不足からの結論だから、これからの経験次第では九尾達成も可能だろう。だが、今回は五尾までだ』
「少なくないか」
『守備範囲は格段に拡がる』
俺の言葉に納得したのか、征燈は懐いているゴンを自分の前に座らせた。
『一つ聞くが、本当にいいんだな?』
「なにが」
『ゴンはこがねくんから引き継いだ時はいわば攻撃特化型だった。五尾にして守護能力を授けると、攻撃特化ではなくなってしまうぞ』
「俺は晴燈を護りたいんだ。護れるなら攻撃は二の次でいい」
クエッ
自分がいると言わんばかりのシャモの声にゴンは耳を揺らす。
目が合ったが喧嘩をすることもなく、彼らは彼らで意思の疎通を図っているようだ。
本来、本能が剥き出しになる姿をしているのにゴンは狩猟本能を抑え、シャモは警戒心からの攻撃を控えている。
征燈が暇さえあれば「喧嘩はダメ」と教え込んだ賜だろう。
『作業しやすいように小さくなってもらえ』
「おう」
掌を向ければ、ゴンはくるりと前転して小さくなった。
『ゴンに向かって五尾のイメージを送れ』
「イメージを送る?」
『難しければ、明確になにをしてもらいたいかを伝えるんだ』
「そっちのほうが簡単な気がする」
一般的には逆のほうがやり易いんだがな。
容器を増やしてそこに水を満たすのが簡単か、溢れる水に対し満たせる容器を形成するのが簡単か、そういうことだ。
征燈は一気に集中し、その気に触れたゴンは引き攣るように肢体を強張らせる。
視線の合ったゴンからは「聞いてない」という訴えが伝わってきた。
征燈はまったくの無自覚だが、放つ気の質は濃密で重い。
嫁神楽の血、生まれ持った能力の高さが合わさると、是が非でも対象への負担は大きなものだろう。
許せ、ゴン。
『征燈、欲張るな』
「…………」
『征燈』
「…………」
『おい!』
「っ、は?」
『願掛け神社じゃないんだぞ。なんでもかんでも押し付けるな』
「あ……悪ぃ」
心配性という名の強火にゴンが犠牲になるところだった。
我に返った征燈は、命を受けて限界突破しそうなほど震えているゴンを見る。
クオオオオォオン!
「ゴンッ」
『あ~』
やはり少しだけ無理めだったようだ。
ゴンは暴走直前の気配を発し、激しく身体を震わせ大きくなる。
今にも喰いかかってきそうな勢いに硬直する征燈に叫んだ。
『柏手!』
「!」
反射的に手を打ち鳴らした征燈の前に、ゴンがピタリと動きを止める。
だが少しでも気を抜けば一瞬で屠られる危機感はどんどんと強くなっていた。
『目を逸らすな。制御するぞ』
「わかった」
守護対象が危険に晒されている。
ならば守護霊として護るのは当然で、危険を及ぼそうとする相手を無効化するために能力を使うのは間違いではない。
ずいぶんと遠回しな言い訳のようだが、こんな風に認知しなければ守護霊としてこの場を乗り切ることはできないのだ。
まさか、守護霊としてではなく先祖として動くワケにもいかないからな。
『イメージの続きだ。今、ゴンを取り巻いているのはお前の晴燈くんを護りたいがための願望だ。それをすべて納めるために必要な尻尾をイメージしろ』
「尻尾……あれと同じでいいんだよな?」
『虹色にでもするつもりか? 同じでいい』
「クソ、一言多いっつの」
『一気に増やすんじゃなくて、一本ずつ増やすイメージだ。一気に増やすとそれはそれで反動がある』
「わかった」
反動の意味が伝わったのだろう。
征燈は慎重に頷き、ゴンの尻尾を増やすイメージを始めた。
「……」
『……』
「……」
『……まだか』
「上手くできねえ」
『は?』
「尻尾が一本じゃない動物っているか? どうやって生えてるとか骨はどうなってんのかとか気にし出したら上手くイメージできなくなってきた」
どうしてここでそんな現実主義なことを言い出すんだ。
自分が危ないとわかっているのか心配になるぞ。
俺は征燈が想像しやすい記憶がないかを急いで探し出す。
『管狐に現実的な骨は備わっていない。その上で尻尾を増やすのは、一気にうどんを食べる時にできる束のようなものだ』
「うどん……」
『晴燈くんの口が小さくて三本しか一度に食べられず泣いたことがあるだろう』
「あった。なるほど、そういう感じか」
自分でも例えがダメすぎるとわかっていながらも、征燈がそれでイメージできるなら問題はない。
晴燈くんを出せば征燈の理解解像度は格段に跳ね上がる。
気合が乗った征燈は、威嚇の姿勢になっているゴンに鋭い視線を投げた。
「あの時、晴燈が喜ぶだろうとうどんを五本口に入れた。その俺の真似をして泣いてしまった晴燈に、今でも申し訳ないと思ってる」
『真面目な口調だが内容はかなり偏っているぞ』
「晴燈のことに関して、俺は、後悔ばかりだ……!」
コオオオォオーン!
ボフンッ、と鈍い爆発音がゴンの叫びと共に響いた。
ゴンの気配が征燈の能力と反応し、白煙を部屋に充満させる。
シュルシュルと衣擦れのような音が聞こえて、征燈の周辺になにかが伸びた。
霊気を帯びた白煙がゆっくり引くと、そこには新しい姿をしたゴンが寛ぐような姿勢でキョトンとしていた。
より曲線が強調された肢体、体躯の輝きには霊粉が混じりキラキラとしている。
本人すら持て余すと言いたげな、存在感のある五本の長い尻尾が部屋いっぱいに広がり窮屈そうだ。
キュォン
困惑を混じらせた声に怖気ることもなく近づくシャモ。
頭をきょろきょろさせて、ゴンに起きた変化を確かめているようにも見える。
細く伸びる四肢の先に小さな前趾、後趾。
前よりも切れ長になった目の奥には黄金色の瞳がうっすら輝きを反射しているし、表情自体もキリッと洗練されているようだ。
全体に流れを感じる雰囲気は、以前よりも柔らかくも感じる。
『危なかったが、暴走せずになんとかなったな』
変化の反動でまだ動けないゴンだったが、征燈を主とする根幹に揺らぎはない。
それに征燈が願った通り守護能力が向上しているし、いざという時の攻撃能力にも大きな衰えはなかった。
『どうした征燈。頑張ったゴンを褒めてやれ』
前に回ると征燈は想像以上に呆けた顔をしていた。
自分が引き起こした大きな変化に驚いたのだろうか。
『征燈? おーい?』
目の前で手を振って見せれば、ようやく瞼が動く。
見開きすぎで乾いた眼を瞬きで潤し、自分を見上げているゴンに一歩近づいた。
「ゴン……お前、メスだったのか?」
征燈の言葉に、俺とゴンとシャモの突っ込む叫びが重なった。
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