第28話

 月曜日は何事もなく、平穏な日常をすごした。

 火曜日、案の定宿題を忘れた征燈が同じく忘れた路次くんと一緒に担任に叱られた。

 水曜日にはこがねくんから次の土曜日の予定連絡が入り、木曜日に事件が起きた。


 いつもと変わらない時間に帰宅をすると、珍しく母親が心配そうな顔で二階から降りてきたのだ。


「はるちゃんが部屋から出てこないの」

『どういうことですか』

『学校でなにかがあったようですわ』


 母親の守護霊が記憶を共有してくれた。

 帰宅をして真っ直ぐに部屋に入り、母親の呼びかけにも反応しないまま今に至っている様子。


『彼は?』

『お声掛けしても応えてくださらないの』

『そうですか』

「俺が行ってみるよ」

「無理はしないでね?」

「うん」


 二階へ上がり、自室に荷物を置く。


「なんか聞いたか」

『帰宅後なにも言わず部屋に閉じこもっているようだ。守護霊の反応もなく、状況はハッキリしない』


 征燈は二回深呼吸をして気合を入れると、晴燈くんの部屋の前に立った。

 控えめにノックをして反応を待つ。


「晴燈、兄ちゃん帰ってきたぞ」


 耳を澄ますが、中での気配はない。


「お腹が痛いのか?」

「痛くないよ」


 思いの外近くから声が聞こえた。

 どうやらドアを背に晴燈くんは座っているようだ。

 自室というプライベート空間にずけずけ入ることは家族と言えども憚られる。

 それは、守護霊の間でも当然のルールだから中を覗くことはしない。


『大丈夫ですか』

『…………、……』


 晴燈くんの守護霊の気配がする。

 声も聞こえてくるが、明確ではない。

 やはり、彼の守護霊として晴燈くんを護る力が限界を迎えている証拠だ。

 このままでは彼自体も消えてしまうことになるだろう。


「晴燈、泣いてない?」

「泣いてない」

「本当か確かめていい?」

「……うん」

「なら、ドア開けて顔見せて」


 しばらくしてそっと扉が開いた。

 そこに立つ征燈が片膝を折り手を広げると、一歩を跳ねるように踏み出し抱きつく。

 身体が少しだけ震えているようだ。

 ギュッとしがみつく腕の強さに、征燈は眉間にしわを寄せた。

 晴燈くんを抱きしめたまま壁を背にして座る。


「なにがあった?」

「クラスで、怖い話をしてる子たちがいて」

「放課後?」

「ううん、お昼休み。それでね、そういう話が好きな子がいるんだけど、学校の七不思議に遭遇したことがあるって言い出して」

「うん」

「他の子が嘘だって騒いで、放課後に証拠を見せるって」

「晴燈も参加したのか?」

「僕は、嫌だから参加しないって言ったよ。そういう話をするのはあまりよくないんだよって。そしたら、本当は怖いだけだろって言われて」

「誰が言った?」

「その、怖い話が好きな子」

『相手は小学生だ。殴るとか黙らせるとか物騒なことは言うな?』

「……チッ。それで、みんなで七不思議を確かめることにしたのか」

「うん。兄ちゃんは、かなえさんって知ってる?」

「教室の真ん中で、真ん中に直径五ミリの黒い点を書いた正方形の紙置いて、黒い糸に通した五円玉で呼び出すアレだろ」

「そう。それをしたんだけど、五円玉が揺れ始めてみんなは楽しそうだったんだけど、僕、とっても嫌な気分になって……狐さんに護ってってお願いしちゃったの」


 正直、手に持つ振り子系は信憑性が薄い。

 常に動くことが前提であれば不思議ではないが、動いていないところから動き始めるという流れは人間の力加減でどうにでもなるものだ。

 しかも呼び寄せをするなら巡る形をしている小銭は不相応で、さらに中央に穴のある道具というのも「無難なモノ」を呼ぶには不都合になる。

 如何に適当な子ども騙しかよくわかる構造だが、精通していなければまずわからないだろう。


「どうしよう。僕ね、なにも考えずに護ってってお願いしちゃって……そしたら五円玉の糸が切れちゃって、言い出した子が倒れちゃったの」

「え……」

『返しに遭ったな。より強い存在に術が撥ね飛ばされた場合に陥りやすい状態だ』

「……その子、どうなった?」

「急いで先生を呼んで、少ししたら目を覚ましたよ。でも、なにも言わずに走って帰っちゃった」

「晴燈は自分のせいだって思ってるのか?」


 征燈の質問に、晴燈くんは顔を上げる。

 今にも泣きそうだったが、ぐっと堪えているようにも見える表情だ。


「僕のせいであの子が嘘つきにされちゃたんだ。僕のせいで、あの子が悪く言われるの」

「噓つきにされた?」

「残っていたみんながね、五円玉を揺らしてたとか、糸が切れるように細工してたとか、倒れたふりして逃げたとか言い出して……嘘だから走って帰ったんだって。本当かもしれないでしょ? みんなが見えないもの、その子だけが見えてるってこともあるでしょ? 兄ちゃんみたいに幽霊が見えてて、七不思議のことも本当で、五円玉はわざとじゃなくて揺れていて、僕が狐さんにお願いしたからかなえさんが怒ってあの子に酷いことしたかもしれないのに、なのに、みんなあの子は嘘つきだって言うの。僕は違うと思うって言ったけど、誰も聞いてくれなくて……どうしよう、僕は、みんなが危ない目に遭わないように護ってってお願いしたつもりなのに、こんなことになるなんて思わなくて」

「晴燈」

「僕のせいだよね? みんなを護れなかったから、あの子だけが悪者にされちゃったんだよね? 嘘つきって、証拠もないのに決めつけられて、いじめられたりしたら僕のせいだよね?」


 必死な晴燈くんを落ち着かせるためか、征燈はいつもよりもゆっくりと静かな声を発した。

 見上げてくる晴燈くんに、兄らしい優しい笑みを浮かべる。


「晴燈、兄ちゃんにも話させて」

「っ、う、うん」

「狐さんは元々晴燈しか護らないんだ。だから、晴燈が護ってってお願いしたら晴燈しか護らない。かなえさんは失敗したら言い出した人が罰を受けるお話だったろ? 狐さんの力で呼び出すのを失敗して、その罰をその子が受けたって考えればその子は嘘をついてないってことだよ」

「でも、狐さんもみんなに見えないから信じないと思う」


 的確な指摘だった。

 晴燈くんの言い分はよくわかる。

 だが、晴燈くんのクラスメイトが受けた仕打ちは、能力者への洗礼ともいうべき過程だ。

 誰もが見えることで安堵をし、見えない恐怖心はよからぬ妄想を働かせる。

 大切なのはこのあと周囲も含め本人が取るべき行動だ。

 晴燈くんが心配するように、噓つきとクラスから爪弾きにされれば負の感情をため込み、呪を唱える者になるだろう。

 誤解が改善され受け入れられたなら、クラスメイトは他を慈しみ祝を唱える者になる。

 とはいえ、どう転ぶかは魂の本質次第だがな。


「晴燈はさ、その子とこれからどう付き合う? みんなと同じように嘘つきって言って避けるのか?」

「そんなことしないよ! 僕は本当だって信じるし、絶対、僕のせいだから」

「ん、ならこれからも変わらず友だちだな。これに懲りてきっと怖い話もあんまりしなくなるだろ」

「……だと、いいな」

「あとな、晴燈のせいじゃないからな」

「でも」

「狐さんに晴燈を護るようにお願いしているのは兄ちゃんだ。だから、これは兄ちゃんのせい。ごめんな、兄ちゃんまだ大したことないから、狐さんに晴燈の周辺にいる人も護ってってお願いできないんだ」

「違う、違う違うよ!」

「違わない。だからもう晴燈は悩まなくてもいい」

「兄ちゃん!」

「晴燈は凄いな。兄ちゃんは晴燈だけ護ればいいって思ってた。けど、晴燈はみんなを護りたいって思うんだろ? そのためにどうすればいいのかって、悩んでたんだろ?」

「だからって兄ちゃんは悪くないよ? 兄ちゃんは自分のことじゃなくて、いつも僕のことを優先してくれるでしょ? すっごく優しいよ?」

「そか、ありがとな」


 半ば強引に話を終わらせようとしているようだと感じたが、征燈に頭を撫でられて晴燈くんは納得をしたらしい。

 しばらく征燈を見つめたあとに笑って、しっかりと抱きついた。


「明日、その子に「おはよう」って言うね」

「ん、きっと喜ぶぞ」

「うん」


 安心したのか晴燈くんのお腹が鳴った。

 いつもは学校から帰るとすぐにおやつを食べているそうだから、今日はお腹が減っても仕方がないだろう。


「おやつ、あるかな」

「母さんに聞いてみろ」

「うん! お母さーん!」


 元気よく階段を駆け下りて行った。

 征燈は一階で二人分の明るい声音が弾んでいるのを聞きながら、壁に頭をつけてしみじみとしたため息を吐き出した。


『どうした、自己嫌悪か』

「うっさい」

『嫌悪したところで起きたことをナシにはできん。反省というなら対策を考えろ』

「対策ってなんだよ」

『簡単なことだ。お前の持っている使役は今のところ対象が単体になっている。それを克服するための策を考えればいい』


 俺の言葉をどう取ったかはわからないが、征燈は聞く態勢になったようだ。

 大仰なため息をもう一度吐き出し、苛立ちを少し滲ませて返事をくれる。


「簡単に言うな」

『簡単だから言っているんだ』

「は? ふざけんなよ」

『ふざけてなんかいるか。ゴンは管狐だろう』

「それがどうしたんだよ」

『お前は狐の妖がどんな風に変化していくか知らんのか』

「狐……」


 知らないと言えば教えてやったのに、征燈はスマートフォンを弄り出した。

 検索という行動だろうか。

 相変わらず、俺には画面に羅列された文字が上手く読み取れない。

 だがそこに古風な狐の絵がいくつか出てきたから、なんとなく察する。


「狐の妖怪って尻尾が九本にもなるのか」

『正確にはもう少し分かれるが、そういうことだ。管狐も例外ではない』

「つか、尻尾が増えたところで護る人数少なくね?」

『お一人様一本ってワケじゃない。それくらい想像しろ』

「うっせ」


 俺が直接手を加えるなら一瞬で解決するだろうが、ゴンは征燈の管狐だから尾を割るのは主が自らのほうがいい。

 方法なら教えてやれるし、征燈ならさほど問題なくこなすハズだ。

 あとは、俺の言うことを素直に聞いてくれるかだな。


「尻尾が増えたら、晴燈が望む範囲を護れるようになるのか?」

『それはお前次第だ』

「俺?」

『お前とゴンの繋がり、お前の命の正確さ明瞭さ、晴燈くんを護りたいという信念などなど、どれだけのモノが積めるかにかかっている』


 不意に一階からいい匂いが漂ってきた。

 母親が夕餉の支度を始めたのだろう。

 晴燈くんはリビングにいるのか、二階に戻ってくることはなかった。


『先ずは腹ごしらえだな。話はそれからだ』

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