第26話

 相変わらず、得体の知れない気配を感じる。

 なんの感情もない、ただ存在しているだけのような気配は一度目と同じく変化なく館内に満ちていた。


 征燈は竜樹くんの忠告を守り、上手く歌を聞かないように工夫している。

 そういう意味で、今度は映画に集中していなかった。

 隣では、路次くんが初めてかのような雰囲気で夢中になっているようだ。

 観てすぐなので展開も覚えている征燈は、物語の展開に驚かされることもなく終盤に差しかかる。


 主人公(冒頭に歌っていた女性ではない)が真実に辿り着き、様々なモノから攻撃をされるシーンに突入した。

 そこからはお化け屋敷状態で、存在していたとされる宗教団体によって捕らえられていた怒れる土地神、神を捕らえるための力として召喚された悪しきもの、悪しきものへの献上として命を奪われた人の念などなどが森から脱出しようとする主人公に襲い掛かる。


『……なんだ?』

「どうした」

『一度目の時よりも、映像から伝わる波動が強い』

「は?」

『重ねに似ている』


 気取られないほどに薄い念を幾重にも重ねて呪とする方法だ。

 燈瑠児が最も得意としていた術だが、それに似た波動が映像から伝わってくる。

 この場に重ねて厄を不特定多数に憑けようとしているのか?

 それにしては意思を感じない。

 これは一番厄介な無意識の産物、かもしれないな。


 画面の中では、いよいよクライマックスに差しかかっている。

 森の奥の不浄が溜まると言われる場所に辿り着いた主人公は、そこで宗教団体がこの地からすべてを捨て去った本当の理由を見る。


 おお、おおおーおーぉ


 暗がりから獣の遠吠えのような叫びが響き、構えた主人公に向かって黒い影が茂みから飛び出してくる。

 唸る獣の顔の隣には真っ白な女性の顔、ひょろりとした毛深い二足の体躯、異様に長い腕、掌の少ない鉤爪を六本囃した指、やつれた細い尻尾が茂みの葉を弾き飛ばし、獣の顔は大きく口を開き黄色く汚れた牙を見せつけた。


『!』


 獣の顔がクローズアップされ、止まることなく金色の眼球を映し出す。

 赤い炎を揺らす金色の目は、ギラギラと輝きながら狼狽える主人公を薄く反射させている。


 眼力とも言えそうな思念が溢れ出し、俺は征燈の周辺に結界を張った。

 一度目には感じなかった危機感が突如周囲に充満する。


『しっかり護ってください!』


 異変に狼狽える周囲の守護霊に声をかけ警戒を強めさせる。

 隣の路次くんは、守護霊がしっかりと抱きしめて護っていた。


 今、守護霊としてできるのは護ることだけだ。

 上映が終わるまではこうして各々で警戒するしかないだろう。

 そう思っていると、映像から漏れ出した思念がぐにゃりと歪んだ。


『今度はなんだっ』

『パパぁ、アレはねえ、タッピーだよお』

『タッピー?』

『悪いのをねぇ、パクパクしてくれる食いしん坊さん~』

『使役獣なのか?』

『そうなのかなあ? そうかもお?』

『路次くんの?』

『それはあ、ブッブー、ね~』


 なんの意思もないと思っていた気配が不穏な思念に向かって「口を開けた」。

 空間に亀裂が入り、そこから現れたのは大きな歯を持つ巨大な口だ。

 歪んだ思念にかぶりつくと、引き込むように口に入れていく。


『……夢喰い、なのか?』


 昔から悪夢を食べる聖獣が存在している。

 小さな頃は、誰もが助けてもらっているハズだ。

 知らないのは、彼らは人ではなく主に守護霊と契約をしているからだろう。

 守護霊が「悪い夢を見ている、助けてほしい」と依頼をして処理してもらう、そんな関係だったように思う。

 彼らとの付き合いも長いから俺の知らない契約の方法が編み出され、それに従う聖獣がいても不思議ではない。


 見る間に思念を食らいつくした口は、また意思をなくし消えて行った。

 画面はエンディングに変わっている。

 周囲の守護霊たちも安全を確認しつつ、警戒を緩め始めていた。


『パパはぁ、こういう場所、初めてぇ~?』

『征燈は映画に興味ないからな』

『なら知らないの、仕方ないかあ。この辺りはねえ、あんな子がたくさんなのぉ』

『そうだったのか。みっともないところを見せてしまったようだ』

『ん~ん、そんなことないよお。パパってえ、いつでも素敵ぃ~』


 テロップあとの映像が流れ、場内が明るくなる。

 人間たちがゴソゴソと蠢き始め、征燈は飲み物を一気に飲み干した。


「はー、やっぱり最後のヤツの正体がわからなかったー」

「なんらかの怖い存在だろ?」

「ゆっきーはそういう解釈で納得できるのぉ?」

「それ以外でどう納得しろと」

「映像の中とかあ、セリフの中とかさあ、ヒントがあるかもしれないし~」

「ふうん」

「ロジは、楽しむための回答を用意してくれる物語のほうが好きなのだなあ」


 そう言って移動をする人々の流れが少なくなるのを待ちながら、路次くんのはとても細かい部分にまで言及していた。

 恐るべき記憶力だ。

 それに、スピードのある映像の内容すら詳細に覚えている。


 いつもはのんびりのほほんとした口調で、どんな行動を始めるかわからない「色んな意味でヘンタイ」と揶揄される人物だが気構える必要のない雰囲気も相まって、征燈も自然体で過ごしていられる。

 クラスメイトほぼ全員の潤滑剤として立ち回っていて、嫌っている人間を見たことがない。

 そんな路次くんの意外な一面を見る気分だ。


「ホラー映画もそれだけ淡々と掘り下げられると形無しだな」

「怖いの先にあるモノが知りたいのじゃ~」

「なんだよ、それって」

「わかんない」


 ケロッとした顔で笑うモノだから、征燈は呆れた風に小さなため息を吐いた。

 どちらも、いつも通りの反応だ。


「こっちこっち。駅前から送迎バスあり~」

「そうなのか」

「アテンドはお任せあれなのじゃあ♪」

「おう、よろしく頼む」

「アイサー」


 嬉しそうに敬礼をして見せた路次くんは、張り切って歩き始める。

 後ろに続く征燈はポケットの中でシルバーリングを触った。



 桐津霊園は路次くんの話通り、驚くほど拓けた山の中腹に広がっていた。

 緩やかな階段状になった傾斜に、陽光を存分に浴びることができる向きで墓石が並んでいる。


「はい」

「なに?」

「やっさんのお墓の場所。ゆっきー方向音痴じゃないからひとりで行けるでしょ?」

「お前は?」

「歩くの疲れるから、総合待合所で管理人さんとお茶しとくよお」


 路次くんなりの気遣いだろう。

 手を振って見送ってくれる路次くんに片手を挙げた征燈は、渡された紙を見て目的地を確認した。

 路次くんと一緒に手を振っている守護霊に手を振った俺は、清涼な空気に満ちた霊園内を見渡す。


「ん、こっちだな」

『整然と並んでいるんだな。わかりやすいが、目印を失うと迷う可能性があるな』

「迷ったら助けてくれんだろ。監視カメラそこら中にあるし」

『なるほど』

「っても、距離感掴めねえ……」


 地図は路次くんの手書きだ。

 スタート地点と曲がる場所、目的の墓のある区域の名称が書かれている。

 見れば何度か角を曲がった先……なのだが、一つ目の曲がり角がまだ見えてこない。


『もう迷っているのか』

「んなワケねえだろ」

『この図だととっくに曲がり角があってもいいようなものだが』

「そこら辺の幽霊とかに聞けないのかよ」

『失礼な言い方をするな。ここはずいぶんと清浄されている。眠る人々も安らかだ。起こしてまで聞こうなんて無粋だぞ』

「霊園って、集まりやすいんだろ?」

『なぜ集まるのか考えたことはあるのか』

「強い念に引っ張られるとか、捕まって逃げられなくなるとか?」


 相変わらず、心霊動画で得た知識しか持ち合わせていないようだ。

 なにより、征燈はあまり興味を持っていない。

 興味のあることは晴燈くんをどんな手段を使ってでも護る方法だけで、その執着に関与しないすべてに無頓着だからどうしようもない。


 無頓着感は生前の俺に似ている気もするが、それを凌駕する執着が征燈をがんじがらめにしていかないか心配だ。

 俺の話はまともに聞かないし、挙句には燈瑠児と自分が似ていると言い出したり、危険思想待ったなし状態に入りつつある。

 俺が視えるようになったことや、こがねくんたちとの出会いも刺激になっているだろう。

 だが、一番は大切な晴燈くんに「俺に執着をしている輩が存在している」ことが加速原因だと思っている。

 結論、俺が関与していることに違いはなく、だからこそ俺を認めようとしないのかもしれない。


 俺は不安もなく子孫と会話を楽しみ、時に襲い掛かる霊障を跳ね除け、生涯を見守りに徹することを繰り返す嫁神楽家の守護霊であればよかったのに。


 子孫との楽しい守護霊ライフ(妄想)に想いを馳せていると、距離感の掴めていなかった目的地に到着したらしい。

 なかなか辿り着かないと感じていたのは、初見の場所で陥りがちな心的距離感の誤作動だったのだろう。


 野洲本家の墓石で間違いないことを確認し、ぺこりと頭を下げた。

 それからシルバーリングを墓石の前にそっと置く。


 クエッ


 現れたシャモは征燈の隣に控え、そこからじっと墓石を見つめている。


「あ、えっと……初めまして、俺、嫁神楽征燈って言います。縁があって、ご自宅でコイツを保護したので連れてきました」


 反応も、気配もない。


『どうやら則辰さんは、この世を離れているようだな』

「は? おいアンタ……ひとりで成仏してんじゃねえよ。可愛がってたコイツらがどんな想いで残ったと思ってんだ」

『なんて言い方だ』

「うっせ。アンタに会いたい一心でこんな形になってまであの家で待ってたんだぞ。最後まで面倒見るのが飼い主の責任だろ」

『他界後の責任を取るのはなかなか難しいのでは』

「成仏する前に家に寄るとかできなかったのかよ。そんな急いでこの世を去りたかったのか? コイツらにひとつも未練なく?」


 クケェ

 ココッコッコッコ


 荒れ出す征燈を落ち着かせるようにシャモが周囲を歩く。

 それを見て一呼吸置いた征燈は、肩の力を抜いた。


「せめて一緒に眠らせてやってくれ」


 静かに屈み、シルバーリングを前に押す。

 コツンと墓石に当たる感覚を指先で確かめ、征燈はすぐに立ち上がった。

 見上げるシャモに笑う。


「じゃあな。飼い主さんの傍で成仏しろよ」


 クエェッ


 未練もなにもなく。

 征燈はシャモを置いて一礼をすると墓石に背中を向けた。


『いいのか』

「元々そういう約束だし、アイツにとってもご主人の傍で安らかに成仏するほうがいいだろ」

『シャモの今の主はお前だ』

「だから、それは約束だっただけで、アイツは俺よか爺さんのほうが好きだろって」


 クケエエエエエエエーッ


 甲高い声が響き渡った。

 波動の衝撃が伝わったのか近くの木々から鳥が飛び立っていく。

 振り返った征燈の前に立つシャモは、突然身体を膨らませてブルブルと羽を震わせた。

 そこからバラバラと落ちた石のような細かな白い物は。墓石に当たって軽い音を響かせ転がる。


「なんだよ」


 クエッ


「見た目、一回り以上小さくなってんぞ」


 クケッ


「相変わらずなに言いたいのかわかんねえけど、置いてくなってこと?」


 コケッ


「なんでだよ。そっちの方がいいだろ」


 クコココッ

 コケーッ


「…………」


 コッコッ

 コケッコケーッ


「いや、マジで全然わかんねえわ」

『察してやれよ』

「必死に説得を試みているように見えるけどさ、俺の思い込みかも」

『ヤツは元々、飼われていた小動物たちの集合体だっただろう』

「ああ」

『一緒になっていた仲間をここに納め、自分はお前に従おうとしているんだ』

「仲間?」

『シャモが落とした物は、小動物の躯だ。よく見ろ』


 俺の言葉に征燈は墓石に向かい直り、シャモの周辺に散らばっている白い物を摘まみ上げる。

 小動物の肋骨やくちばし、頭蓋骨の欠片や小さな下顎、牙。

 それらはまさしく、則辰さんが愛情を注いでいた動物たちの躯の欠片だ。


「……俺と居ても多分楽しくないぞ」


 クエェッ


「後悔しても文句はなしだぞ?」


 クケエッ


 シャモは羽ばたくように羽をばたつかせたあと、くるりと半転して墓石の前にあるシルバーリングへと戻った。

 使役に使う道具に使役本体が意思を持って出入りすることはとても珍しい。

 シャモは初めから自分の意思で行動していて、征燈も特に制約なく好きなようにさせているからこんな状況もアリなんだろうか。


 征燈は再度墓石に頭を下げ、置いて行こうとしたシルバーリングを取り上げる。


「じゃ……うん、改めてよろしくなシャモ」


 照れ臭そうな表情を浮かべ、征燈は散らばっていた躯を手で拾い集めると墓石の周辺に敷いてある砂利石の下の土を浅く掘って入れた。

 埋葬と言うほどのことではないが、これで彼らは優しかった主人の傍にいることができ、悔いた思念も癒されることだろう。

 砂利で蓋をして手についた土を払うと、征燈はじっと墓石を見つめる。


「また、連れてきます」


 浅く頭を下げ、今度こそ歩き始めた。

 夕刻に差しかかる時間だがまだ外は明るい。

 ひとり歩く征燈が、この空のような気分であればいいのにと俺は思った。

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