第25話

「ゆっきー元気ないねえ、どったの?」

「なんでもない……」

「いやいやあ、なんでもある顔だぞよ?」


 さすがに「音痴すぎる自分に周囲が驚いた」ことよりも「兄ちゃんってずっと歌下手だね!」と晴燈くんに天使の笑顔で言われたことがショックで、あまり眠れていないとは言えないだろうな。

 わかりやすく目の下にクマを作り、覇気のない猫背でトボトボ歩く姿に路次くんも僅かばかり心配そうだ。


「もーおー、せっかくの映画館デートなんだから楽しそうにしてよお!」

「デートなのにホラー観に行くとか、ツワモノすぎるだろ」

「好きなモノを観る、それが映画館デートというモノでござる」

「本当か、それ」

「多分~」


 マイペースでお気楽な軽い路次くんの声音に、少しだけ気が紛れたようだ。

 征燈は一度大きく息を吐き出し、丸まっていた背中を伸ばした。


「気分転換にはいいかもな」

「おほっ、そうそう。気楽に行こぉ~♪」


 待ち合わせた場所は住んでいる街と隣接する賑わいのある街だ。

 以前は売地や空き家が多く薄暗い街だったが、ここ数年の間にずいぶんと明るく昼夜問わず人の行き来が途切れない場所になった。

 大きな商業施設、娯楽施設、多目的ホールなどが次々に建設され、ほの暗い雰囲気は一掃されたのだ。

 しかも再開発都市にありがちな空気の澱んだ地域もない。

 誰もが自由に出入りできて、誰もが満たされて帰っていく。


「はい!」

「?」

「チケット代くださーい」

「は? お前が観たいって言うからついてきたのに、俺も自腹なワケ?」

「わーなんとかハラスメントな彼氏みたいな口調お~」

「……わかったよ」


 映画のチケット代も気軽に出せない世知辛いお財布事情だ。

 おこずかい制の征燈にとって思ってもみない出費だから、少し不機嫌になるのは仕方がない。

 渋々金を渡すと、路次くんは無造作にポケットにそれを突っ込んだ。

 不満を言いかけた征燈の腕を掴むと、ご機嫌な路次くんは早歩きになり、既に入手していたチケットを受付スタッフに渡す。

 目的の映画は昨日から始まったばかりだが人を選ぶ内容からか、シートは空き気味だった。


「飲み物くらい買ったらよかったのに」

「そういう雑念を捨てて没頭するのが映画のいいところじゃよお」

「俺はポップコーン片手に観るほうが映画らしいと思うけど」

「内容考えてよ~。怖いことが起きるかもしれないドキドキ無音の中にポップコーンガサガサボリボリ音聞こえてきたら台無しぃ~」

「それもそうだな」

「でしょお~」


 始終にこやかだが、今日の路次くんはいつもと違う空気を持っている。

 守護霊の彼女も惚気ることなく真面目な顔で傍にいた。

 だが、俺の視線を感じてこちらを向くと嬉しそうに手を振ってくる。

 特殊な術で拘束をされているとかではないようでホッとした。


『ん?』


 知らぬ気配がする。

 満席とはいかなくても知らない人間が集まる場所だ、知らない気配があるのは当然だがただの気配ではない。

 守護霊としての警戒度は限りなく低いが、能力を持つ者として身構えざるを得ない気配。


 周囲を慎重に見渡す俺に気がついた征燈は、スマートフォンを見ている路次くんに悟られないようにコソッとどうかしたかと聞いてきた。


『慣れない気配がある。悪くはないが気になるから確認したい』

「喧嘩売んなよ」

『お前じゃあるまいし、そんなことするか』

「……チッ」

「んお? どったのゆっきー」

「なんでもない。お前のほうこそなんだよ、座ってからずっとスマホ見てさ」

「お父上から霊園の入園許可もらったって連絡きたからあ、お礼してるのー」

「俺もお礼言ってるって、ちゃんと伝えといて」

「りょおかぁ~い」


 路次くんは本当に父親と仲がいい。

 対等な情報共有や交換も可能な関係であることは薄々気がついているが、たまに父親と言う名の他人のような気配もする。

 血の繋がりがないという感じでもないのに、不思議なものだ。


『……』


 まただ。

 俺の琴線に触れてくる気配。

 観測しようにもすぐに薄れる気配は方向すら明確にわからない。

 強いて言えば映画館全体から漂ってくる。


 竜樹くんのような例もあるし、この映画館を包むほどの何某かの存在がいても否定はしないが。

 意思のない気配はどうにも落ち着かない。

 敵意なりなんなりを向けてくれると、相手の正体もわかりやすいんだがな。


「そろそろ電源切っとこ~。ゆっきーも電源切りなよお」

「はいはい」


 少しだけ暗くなり、配給会社の予定している映画の予告が流れ始めた。

 上映中のマナーについてコミカルな動画が続き、館内のライトがほぼすべて消えて暗闇になる。

 僅かな緊張が混じる空気の中、人々の視線がスクリーンに集中する。

 俺は、竜樹くんの言葉を受けて警戒のために結界を薄く張った。

 結界の気配に顔を出す守護霊がいたが、大した騒ぎにならずに上映開始前の数秒の沈黙が流れる。

 静かに緞帳が左右に引かれてスクリーンが広くなり、女性の歌声が微かに聞こえ始めた。

 製作配給会社のオープニング動画は共通してセピア色で、その間もずっと歌声が細く聞こえる。


 こういう作り込みが、映画の世界間を一層盛り立ててくれるのだろう。

 ぼんやりと見えてきたのは鬱蒼とした森の中から見上げる青い空。

 かかっている霧が、風で薄くなりながらも漂っている。

 視点が人の歩くような揺れになり、女性の歌声がよりはっきりと聞こえるようになった。


 掠れて 切れて 集めて 縒る

 願って 敗れて 求めて 寄る


 子守唄のようだったが、画面いっぱいに一瞬ずつ見える言葉を見る限り穏やかではなさそうだ。

 女性はその歌をずっと続けながら森の道なき道を歩き続ける。


 ガサッ


 葉の擦れる大きな音がして、館内から小さな悲鳴が聞こえた。

 画面ではカメラが音の方へと素早く向けられ、静かになる。


「そこ、なの?」


 女性は初めて言葉を発した。

 伸ばされた腕は青白く痩せていて、泥などもついている。

 不自然にキレイな爪が鈍く空の光を反射するのが視認できる画面に気を取られいると、獣のような唸り声をあげながら真っ黒な物体が襲い掛かってきた。

 ガタガタッとシートが揺れる気配と驚く観客の動きが影になり、スクリーンは一気に真夏の健康的な風景を映し出す。


 征燈は元々集中しやすい。

 どうやら別段気にもしていなかったホラー映画の掴みにやられたらしく、呼吸すら浅くしながら見入っている。

 なにを考えながら見ているのか、なにも考えず見ているのか、それすらわからない俺はただ映像を見ながらも周囲を気にする。

 そこを覆う気配は、ただ、そこに在る。

 人々が発する驚愕や恐怖などの空気に触れても変化はない。


 映画はそこそこホラー映画王道な展開を見せつつ、急な路線変更があったりと観客が退屈しないような流れだった。

 視えてはいけないモノが映っていたりしたが、余程の能力者でなければ気がつかない程度だったし視えたからと言って危害が出るようなレベルではなかったので、俺の出る幕は一度もないままエンディングテロップが流れ始めた。

 恐怖からかせっかちだからか最後まで見届けずに動き始める観客がチラホラといて、征燈も立ち上がろうとする。


「まだ駄目だよ。最後まで観なくちゃ」

「もう終わっただろ?」

「ゆっきーは映画素人だねぇ。こういう系は、エンディングのあとにも仕掛けがあったりするんだよ」


 そう言われて浮かせた腰を再びシートに沈めた。

 満足そうな路次くんは、すぐにスクリーンに視線を戻す。

 そんなクラスメイトに付き合う征燈も、スクリーンを見た。


 真っ暗背景に白地のテロップが終わり、テーマソングも終わった。

 無音が数秒続き、女性が歌っていた歌がたどたどしく一度歌われたのちに録音テープを乱暴に扱ったような雑音が入り、画面にもスノーノイズが映し出されてやがて暗くなり「終」の文字が浮かんで消えた。


 館内が明るくなり、映画の呪縛から解放された人々の安堵も空気が混ざる。

 ざわめきながら移動を始める観客に混じって二人も歩き始めた。


「ほおー、面白かったあ」

「よくできてたな」

「でしょでしょ? モキュメンタリー要素満載だった~」

「モキュ?」

「作り話を本当にあったことのように表現する方法って言うのかな。あることないこと書きまくるSNSも似たようなモンじゃない? 都市伝説だってその類だろうし」

「そうなのか?」

「ロジもよくわかんないけど」

「わからないのかよ」

「かはは」


 クケエエエエエエエーッ!


 征燈がなんとなくズボンに入っているシルバーリングに触れた途端に、シャモが鋭く鳴いた。

 それに驚いてビクッとなった征燈に、路次くんは首を傾げる。


「なんか、ビックリした?」

「いや……なんでもない」

『朝を告げる声だな。怖い時間は終わりってことだ』

「んだよ、それ」

『一種の祓いだ。悪夢を見る夜を終わらせる、明るく慈しむ朝の到来。不浄を浄化させ、魂を護ることに等しい』

「はあ~! なんだかお日様が眩しいねえ~」

「そっか」

「ねえねえ、休憩してから行こうよ。霊園のスタッフさんにはぁ、午後の三時くらいに行くって伝えてるんだあ」


 時計はまだ昼前だ。

 休憩もなにも、と言いかけた征燈に、路次くんは「実はね~」と小さめの鞄に手を突っ込んだ。


「じゃーん、さっきの映画おかわり券~!」

「は?」

「これはロジのおごり。ね、もう一回観ようよ」

「もう一回?」

「うん。これを観たら移動時間も含めてちょうどいいかなって」

「……検討する、少しここで待ってろ」

「はあーい」


 路次くんは征燈が唐突に行動することに疑問を感じない。

 言われた通りに映画館の待合でひとり座り、スマートフォンを弄り始めた。

 少し離れた場所からそれを確認した征燈は、躊躇いながらも竜樹くんにメッセージを送る。


 ダチがもう一回観ようと言ってます


 年上に送る文面でなかったが、すぐに既読がついて返信があった。

 よし、短いモノなら読めるようになってきたぞ。

 俺の目もまだ鍛えられるということか。


 ヤバい感じはなかった?


「ヤバい感じ……は、しなかったな」

『問題視するような気配はなかった』


 大丈夫だったと思います


 既読はついたが、そこからしばらく返信はなかった。


「どうしたんだろ」

『向こうから確認しているのかもしれないな』

「まあ、あの人ならしそうだ」


 座席へは同じ道を辿らない

 シート番号が同じなら座る場所を変わってもらう

 歌は初めから聞かないで


「歌のことまでわかんのかよ」


 上映二日目だ。

 ネタバレが出回っていてもおかしくはないが、征燈は率直に竜樹くんの書いてきたことに心が震えたらしい。

 幾分目を輝かせて瞬きをすると「頑張ります」と返した。


「同じ道を辿らないって、あれだよな、中に入ってから別ルート使えってことだよな」

『そうだな』

「座席はどうにでもなるけど、歌を聞くなは難易度高いな」

『歌が聞こえ始めたら奥歯を鳴らせ。長く続けると怪しまれるから耳に触れたり、咳をしたりして全部聞こえないようにすればいいだろう』

「わかった」

『俺は全力で警戒する』

「そか」


 独り言大会を終わらせ、路次くんの元へ向かう。

 路次くんは楽しそうな笑顔でスマートフォンを眺めていて、征燈に気がつくと手を振ってすぐに駆けてきた。


「二周目行くか」

「やたーっ」

「お前はご機嫌でなにしてたんだ?」

「映画観た感想SNSに書いてたあ」

「ネタバレしてないか?」

「失敬なー! そんなヘマはしないよお」

「本当か?」

「本当ですうー」


 軽快な応酬を楽しみながら、今度は飲み物を購入して同じスクリーン番号の上映会場へと向かう。

 相変わらずまばらだが、館内に入ると先ほどよりも人が入っていた。

 時間帯も関係しているのだろうか。


「ゆっきー、こっちからのが早いよ?」

「同じように行ったって面白くないだろ」


 遠回りをしようとする征燈の口車に乗せられ、路次くんはついてくる。

 シートは一回目とは違っていたのでそのまま着席した。

 一列前になっただけなのに、スクリーンの見え方が若干違うのは面白い現象だ。


「別に違う映画でもよかったんじゃないのか?」

「戦争ドキュメンタリーやアイドルモノ、子ども向けアニメ、難しい歴史モノと恋愛モノだよ?」

「…………一択だな」

「でしょ?」


 どちらもアイドルに興味がない。

 征燈は歌モノから自分を遠ざける傾向にあるからだが、路次くんはキラキラしすぎて目が痛いそうだ。

 日曜日に高校生男子が楽しむ娯楽に最適と思われる題材は、この場合ホラーしかなさそうだった。


 そういうワケで、俺たちは本日二度目のホラー映画に挑むことになった。

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