第23話
土曜日は曇っていた。
雨が降りそうなほどの曇りではないが、気分の晴れない空模様だ。
だが、嫁神楽家は朝から賑やか声で溢れていた。
「今日は午後から出かけるんだったわよね? 戸締りしっかりしてね? ガスも使うなら気をつけて」
「はーい」
「出かける時に連絡をちょうだい。帰りも母さんのほうが遅いと思うから、帰ってきてからも連絡を入れること。わかった?」
「はーい」
「会場の近くに洋菓子で有名な場所があるらしいから、お土産買ってくるわね」
「はーい!」
「それじゃあ、行ってきます!」
「「いってらっしゃーい」」
慌ただしく母親が出かけて行った。
兄弟仲良く見送ると、放置されている朝食の食器を洗うためにキッチンに並んだ。
「晴燈、少し背が伸びたか?」
「そうかな?」
「そろそろ本格的に伸び出す時期か……痛いぞぉ」
「痛いってどういうこと?」
「フッフッフ」
「えーっ、教えてよ。身長が伸びるとなにが痛いのっ?」
「どうしようかなあ」
もったいぶる征燈に晴燈くんが水をかけたをの皮切りに、仕返しの応酬であっという間にキッチンの床が濡れてしまう。
ひとしきり遊んだあとは仲良く食器を洗い、床は征燈が拭いてキレイにした。
キッチンマットは文字通りびしょ濡れだったが、母親が帰ってくる頃には乾いているだろう。
晴燈くんはダイニングでテーブルの上を拭いたり椅子を整えたりして、征燈の作業が終わるのを待つ。
母親がいない時間の、二人だけの空間はいつも通り平穏だ。
そこからリビングへ移動してゆったり過ごす。
晴燈くんは宿題を征燈に見てもらい、午前中の内に済ませてしまった。
「兄ちゃんは宿題ないの?」
「月曜日の教科はなかったかな」
「火曜日は?」
「火曜日……現国があったけど今日じゃなくても大丈夫だろ」
「もー、そういうトコだよ兄ちゃん」
どうやら征燈は、母親に似ているようだ。
弟に顔をしかめられながらも、征燈は時間を見て立ち上がった。
「昼の準備、始めるぞ」
「わかった!」
目を輝かせる晴燈くんに、征燈の視線も和らいだ。
様々な大きさや厚さのパンケーキをホットプレートで焼き合って食べ尽くした。
ジャムやバター、シロップにはちみつと、かけられるものは手あたり次第に駆けて味を評価するのを楽しむ。
一番盛り上がったのはカップ入りのアイスで、スプーンで取り分けパンケーキに乗せて頬張る。
さすがは成長期男子たちだ。
焼き始めに「残ったら母さんに置いておこう」と言っていたのに、パンケーキは残らず消えた。
「そろそろ出かけるか」
「うん」
「雨、降らないかな」
「どうだろ……大丈夫かな?」
晴燈くんは学校のタブレットを持ち出している。
軽快に操作をして天気情報を確認したようだ。
「大丈夫みたいだよ」
「そっか。なら傘は持って行かなくてもいいな」
母親が心配するからと何度もキッチンで電気やガスの確認をして、戸締りのために要所を回る。
その間に準備を整えた晴燈くんは、玄関で靴を履いて待っていた。
「行ってきまーす!」
晴燈くんの元気な声をあとに、嫁神楽家の玄関は静かに閉じた。
先週と同じく登校時と同じルートを歩きながら、土曜日の様相にキョロキョロする晴燈くんの手を繋いで歩く。
しっかりしているとは言えまだ小学生だ。
突然、走り始めたり飛び出したりする可能性もある。
車道と反対側を歩かせるなど気を配る征燈は、正直晴燈くんとその周辺しか見ていない。
厳重すぎるボディーガードみたいだな。
「今日、兄ちゃんがサークルに合格できるか聞けるんだよね?」
「そうだな」
「楽しみだな~」
「もしかして、合格できるつもりでいる?」
「合格しないの?」
「そ……それは、兄ちゃんが決めることじゃないし」
「大丈夫だよ、兄ちゃん凄いんだもん!」
なにをどう凄いと思っているのかはわからないが、晴燈くんは自信満々の笑顔と拳を征燈に向ける。
キラキラの弟くんに後ろ向きなことが言えず、征燈は諦め気味に「ありがと」と礼を零し頭を撫でた。
学園に到着し、時間通りにやってくる学園内運行バスに乗り込む。
先週と同じルートを辿るバスの中、不意に晴燈くんがタブレットを起動する。
「どうした?」
「バスの道ってひとつなのかなって」
「どういうこと?」
「毎回同じじゃ飽きちゃうでしょ? 別のルートを回るバスがあるならチェックしようと思って!」
「はあ、晴燈は本当に頭の回転が速いな。兄ちゃんそんなこと考えてもなかったぞ」
「んふふっ、兄ちゃんと一緒にたくさんの場所が見たいから!」
最高の弟全開の晴燈くんに、奥歯を噛みしめて喜びに悶えそうになる己を抑えている。
憑纏の一件からこっち、ますます晴燈くんへの感情が強火になっているのは気のせいだろうか。
護りたいと思う一心だけならいいが、度を超すとヤツの二の舞になる。
ヤツが自分と似ていると呟いたことがあるからには注意してくれるとは思うが、どう転ぶかは本人次第だ。
道を指し示すことが本来の仕事であり、感情を操作するような干渉は守護霊の仕事ではない。
だから俺からは注意を促さない。
「兄ちゃん、ピンポン押してもいい?」
「いいよ」
降車ボタンを押す晴燈くんを見守る征燈を見つめつつ、俺はこの状況が明るい方へ向かうようにと願わざるを得なかった。
「あれっ、他のお兄さんたちは?」
「あとから来るよ。アイツら補習受けてんだ」
「ほしゅう?」
「特別に勉強を教えてもらってるんだよ」
「ふぅん」
いいように言ったこがねくんに渋面を見せる征燈だったが、竜樹くんを見つけて駆け出していく晴燈くんを見送る顔は情けなかった。
先週と同じように手を振り、隣の準備室へと消えていく。
「先週みたいなこと、起きないよな?」
「考えられる限りの手は打ってる。心配ならさっさとテスト始めようぜ」
部屋の中央で向かい合って立ち、征燈が付けたシャモと言う名前に大爆笑を始めたこがねくん。
結構なツボに入ってしまったらしく、お腹を押さえてしゃがみ込んでしまったこがねくんの守護霊が申し訳なさそうに出てきた。
『どうされました』
『千倶観の分家から連絡が入りまして……その、嫁神楽の祠に亀裂が入ったと』
『それが?』
『嫁神楽の祠は、門外不出とされた秘伝書に目を通した全流派始祖が建立したとされる祠です。暦に従い交代制で管理し、今も受け継がれております。その嫁神楽の祠に異変があることは初めてで』
『……そうですか』
『な、なにかの前兆だと、みな言っております。どうか気をつけて、あ、いや、別に気をつけていないワケではないのでしょうが、気をつけるに越したことはないと言いますか』
『ありがとうございます。十分に気をつけます』
勝手に祠など建てられても困る。
嫁神楽の存在はなく、彼らの申し訳ないという残滓と澱が溜まっているだけの祠だろう。
亀裂が入ったからと言って、嫁神楽の血族になにか起きるとは考え難い。
とは言えこがねくんは既に征燈の師匠に当たるワケだから、彼の一族の忠告は素直に受け入れるべきだろうな。
「で、テストって?」
「簡単。バトる」
「は?」
「安心しなってー。焼き鳥にはしないか~らさ♪」
こがねくんは笑いながら、須佐之男命が入っているシルバーリングではなく左の人差し指に嵌めているリングをなぞった。
現れたのは黒い犬神だ。
すでにケンカ上等なギラついた目で征燈を睨み歯を剥き出している。
「可愛いワンコだな」
「言うね~。生半可なレベルだと食っちまうから気をつけな?」
ポケットからシルバーリングを取り出し、語り掛けるように撫でると印が流れる。
そう言えば、征燈は印の文字の意味を知ろうとしないな。
教えてくれと言われるまで俺から伝えることはないが、少しくらい気にしてもいいだろうに。
リングを撫でてなにかしらないが文字のような模様が見えたら呼び出しOK、そういうスタイルだと思っているのかもしれないな。
滑らかに出てきたオナガドリのシャモは、一回り大きくなっている。
毛艶もよく、しっかりと手入れをされた輝きに溢れていた。
「どう足掻いたってコイツには勝てねえだろうけど、全力でかかってきなよ」
「言われなくてもそうする」
「先手必勝っ!」
こがねくんは犬神に突進を指示した。
無論のこと、危険と判断した俺は結界を貼る。
「ズルくね?」
「俺を勝手に護ってる守護霊に言えよ」
「えー」
「今度はこっちの番だぞ」
パン、と手を叩いた。
反応したシャモが結界に阻まれた犬神の耳に噛みつき、存分に捻り上げる。
キャウン!
パパン、と今度は手拍子をする。
シャモは犬神の背中に飛び乗り、鋭い爪を食い込ませた。
「おぉ」
もがく犬神の胴に縄のように巻きついた長い尾が、見てわかる勢いで絞め上げていく。
「絞め千切るぞ」
「待った待った! 消すなよ、ストップ!」
焦るこがねくんの声に、征燈は手を叩いた。
シャモは戦意を失った犬神に鋭く鳴き、堂々と胸を張って征燈の元へ戻ってくる。
「品評会の優勝を経験しただけある。度胸が違うな」
クケッ
背中を撫でれば嬉しそうに首を上下させ、大人しくシルバーリングの中へと戻って行った。
同じタイミングで犬神を戻したこがねくんは、感心したように呻いて腕を組む。
「いやー、マジ数日であそこまで使える?」
「明日墓参りの約束してるから、アイツも張り切ってんだろ」
「それにしては強すぎでしょ。あと、お前の守護霊卑怯だぞ」
『失礼な。俺は俺の仕事をしているだけだ』
『は、はいっ、ごもっともです、申し訳ありませんっ』
「名前がシャモなんて言い出すから大丈夫かと思ったけど、全然大丈夫だったかー」
「明日にはお別れかもしれないし、全力出しきってくれたんだって」
「朝を告げ魔を祓い、風を読み救済とする。そう言われてるニワトリがあんなに武闘派だったなんて驚きですわよ。言霊じゃなく柏手なのも気に入った」
「声は、あんま出すと、その……恥ずかしいから」
「ははっ。まあ、それは一理ある」
屈託なく笑うと準備室の扉を開けて二人を呼んだ。
駆け出してくる晴燈くんは真っ直ぐ征燈に抱きつく。
「どう? どうだった? もう結果聞いた?」
「いや、まだだけど……」
「こがねさん兄ちゃん合格っ?」
「あいあい、合格です」
「やったあー! 凄いね兄ちゃん、兄ちゃん凄い!」
自分のこと以上に喜ぶ晴燈くんをみんなで見守り、こがねくんは「はは……」と笑いを乾かしている征燈の肩に手を置いた。
竜樹くんは相変わらず、俺を視ては小さく悲鳴を上げ身体を強張らせている。
「なにを演奏するの? もしかしてボーカル?」
「は、晴燈。無理だから、全部無理だから、な? いきなりは、さすがに兄ちゃんできないって」
「できるよ! 大丈夫、だって兄ちゃん凄いんだもん!」
「凄いくても無理は無理……」
「ふほほ。征燈、ファイトっ」
「腹立つ言い方するなっ」
「あ、あ、あの、ま、先ずは、相性のいい楽器、み、見つけては?」
大喜びの晴燈くんと対照的に疲弊していく征燈、その様が面白いのか機嫌のいいこがねくんに控えめな優しさを見せてくれる竜樹くん。
そんな状況に、残りのメンバーが次々と集った。
「そーだ。明日昼前に知り合いと軽くセッションするんだけど見学来る?」
「午前中は友だちと映画の約束があって」
「映画?」
「ホラー映画だって」
ホラーと聞いて興味が湧くのか、お兄さん方は各々スマートフォンでタイトルを検索をしたようだ。
こがねくん含む三人は「ふーん」という反応だったが、竜樹くんともう一人は嫌悪感を露わにした。
「自然の中でカルト集団の置き土産とバトルって、色々失礼だな」
「ちゃ、ちゃんと、お祓い、できてるかな……どの山、だろ」
「えーとな、撮影は中部地方だと」
「えぇ……仕事、の、い、依頼、き、来てなかった、けど」
「おいおい大丈夫かよ」
「ダイジョブくない」
竜樹くんの言葉に、防音室の温度が数度下がったような緊張が走った。
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