第22話
「え~、ゆっきー明日も用事かあ~」
「なにか用か?」
「ん~ん。遊びたいなぁって思っただけぇ」
金曜日の昼休み。
路次くんが翌日のスケジュールを聞いてきた。
「映画行こうかなあって思ってさあ」
「映画?」
「今日から公開される、こわ~い映画」
ついついとスマートフォンを弄り、画面を向けてくる。
「緑の環? ホラーなのか?」
「山の奥に存在したカルト集団施設の廃墟に迷い込んだ学生サークルの男女に襲い掛かる恐怖と狂気! 果たして生き残る術はあるのか、正気を保つ希望はあるのか!」
映画の見出しをそれっぽく語った路次くんは、楽しみにしているのがわかる笑顔を浮かべて征燈を見た。
「面白そうでしょ?」
「興味ない」
「えーっ」
「つか、明日は用事があるから行けないって」
「かはは、そうでしたあ」
他愛もない会話を楽しみ、昼食後のひと時を過ごす。
教室内に残っている生徒たちはそれぞれに会話やゲームを楽しみ、解放されている校庭では他学年も加わった賑わいと笑い声が響いていた。
冷たくはない風が開け放たれた窓から侵入し、カーテンや生徒たちの髪をやんわりと揺らす。
「佐納さ、この人知ってるか」
「んぉ?」
征燈が出したのは、昨晩こがねくんにもらったメモ用紙だ。
「俺の家の近くの、今は空き地になってるトコの」
「ああ、オナガドリのやっさん家!」
「オナガドリのやっさん?」
「うん。
割と有名人だったのだろうか。
路次くんは野洲本さんと言う人物のことを知る限り教えてくれたが、さすがは実家が不動産業だけはあると納得の情報量だった。
「今はあ、
「そんなに広いのか」
「山半分削ってるからねえ~見晴らしもいいしぃ、日当たり最高、広くて開放的~って人気なんだあ」
「へー」
「ちなみにぃ、お父上管理だから顔パスだよぉ」
普通の高校生なら霊園に顔パスでもなんの得もないだろうが、新しい霊園となると警備も厳重で関係者以外立ち入り禁止でもおかしくない場所だ。
征燈は真顔のまま真っ直ぐ路次くんを見つめ、ぽん、と両肩に手を置いた。
「佐納」
「なーに?」
「一緒に来てくれ」
「えぇ~どこにぃ?」
「桐津霊園」
「ちょっとお、映画じゃないのぉ~」
「映画は明日行くんだろ。俺が行きたいのは日曜日だ」
「じゃあさぁ、日曜日にぃ、映画の帰りに行くってどおかなあ?」
「それでいい」
「ほんとぉ?」
「ああ」
「うわーい、やったー! ねえねえみんなあ~、今度の日曜日にぃ、ゆっきーと映画館デートすることになったあ~!」
教室内にいた女子からは「いいなあ」と羨ましがられ、男子からは「俺らも誘えよ」と捏ね繰り回される路次くん。
全員が路次くんの性格を理解しているからこその、日常風景だ。
ため息交じりにそれらを眺めつつ、征燈はスラックスのポケットに忍ばせているシルバーリングを撫でた。
『んふふふ~ロジってば役に立つでしょぉ~』
『とても助かりますよ』
『だってねぇ、いい子だもの~』
『そうですね』
最近落ち着いている路次くんの守護霊は、とても得意げに自慢して「えっへん」と胸を張る。
それだけでたわむ双房に何人かの守護霊がざわつくので、教室の空気が若干おかしなことになった。
「丸一日映画館でデートっておかしくない?」
「えっ、映画のあとにもどこかに行くの?」
「うん。桐津れ」
「映画だけだっ! 映画だけ!」
「おっとぉ、ここで嫁神楽が焦るなんて怪しいなぁ」
「なにかあるな」
「ホ、ホラーだから、ほら、あれだ」
「もしかして嫁神楽くんホラー苦手なのっ?」
さわさわさわっ、と女子たちが瞬間的になにかを共有した風に感じた。
征燈は、路次くんが言いかけた霊園の名前を検索しようとしている男子たちを全力で止めている。
『皆さん、冷静に律してください』
『いやいや、これくらいは学生の範疇です。多感な年齢ですし、こういった刺激もまた大事なものです』
『そうですよ。行き過ぎそうなら止めますから』
『ねー』
守護霊の皆さんまでのんびりと楽しんでいる。
悪くない空気感だが、俺の感覚になにかがキリキリと鋭利に触れてくるのだ。
油断をしてはいけないと、培ってきた経験が警鐘を鳴らす。
『……征燈、教室を一度出よう』
「は?」
『昂っている感情をリセットしろ』
やっと征燈も自分が興奮していることに気がついたようだ。
ハッとして小さく深呼吸をすると、まだざわめいている教室から出た。
廊下を挟んで教室の眼前には開放的な大きめの窓。
見上げれば青い空が薄い雲と共に広がっていた。
「あー、佐納に乗せられた」
『必要以上に隠さなくてもいいと思うが』
「は? ホラー映画観たあとに霊園に行くって話せば、ついてくるヤツが増えるかもしれないだろ」
『その可能性は否めないが、少し騒ぎすぎだ』
「普通だ」
『そういう割には、あまり楽しそうではない』
「……遊んでる場合じゃないって、わかってるからな」
早く飼い主に会わせたいし。
小さく付け加えた征燈は、少しだけ照れくさそうだった。
「ゆっきー、これ返すよお」
「サンキュ」
「それえ、誰の字?」
「大学の知り合い」
「大学う?」
「まあ、偶然知り合ったんだけどな。ご縁ってヤツ」
「そっかあ。知り合いが増えるのって、いいことだと思う~」
「だな」
予鈴が鳴り響く中、にっこり笑う路次くんに薄く笑うと外から戻ってきたクラスメイトたちと一緒に教室へと戻って行った。
帰宅するとすぐ、晴燈くんがやってきた。
学校で起きたことをひとしきり征燈に報告をすると満足したらしく、リビングのソファにちょこんと座る。
「兄ちゃん、明日は朝から行くの?」
「いや、午後からにしてくれって連絡があった」
「そっか。じゃあお昼ご飯はおうちで食べる?」
「晴燈はどうしたい?」
「兄ちゃんとおうちで食べる!」
晴燈くんがこんな風に言い出すときは、食べたいメニューが決まっているときだ。
明日は早朝に推し活のため母親が出かける。
つまり、自由にできる食事のチャンスが巡ってくる。
「なに食べる?」
「パンケーキ!」
「だと思った」
「バレてた?」
「兄ちゃんですから晴燈の考えてることはお見通しです~」
「うん、そうだね! えへへっ」
無邪気な笑顔に笑顔を返し、日曜日は一日出かけることを知らせた。
残念そうな表情だったが、晴燈くんはわがままを言わずに「わかった」と言って抱きついてくる。
「本当はね、お休みの間はずっと一緒にいたいんだよ?」
「わかってる。ごめんな?」
「ううん、大丈夫。だって、兄ちゃんがサークル活動するようになったら、僕は独りになる時間が多くなるでしょ? だから、独りでも寂しくないように練習しなきゃ」
「う、っくぅ……っ、いい子だな、晴燈は……っ」
こうなると、征燈のほうが晴燈くん離れができるか心配だ。
晴燈くんは、ちゃんと自分で状況を理解し変化しようとしている。
さすがに一日中べったり一緒でなくては耐えられない、と言うほどの病的な執拗さはないにしても、弟最優先の認識はそう簡単に覆ることはないだろう。
いつかその執着が弟くんに呆れられたら、征燈は再起不能に陥ってしまうかもしれない。
晴燈くんの純粋さに取り乱していた征燈だったがなんとか立て直すと、明日の予定を話し合い始めた。
こういう計画性は、出張で忙しくしている父親譲りだな。
予定を立てておけばある程度の不測の事態にも対応しやすい。
無計画に突っ込んで遠回りするほど時間の無駄はないと思っているタイプだ。
母親はというと、ほぼ反対の性格をしている。
だからこそ凹凸が上手く嚙み合っているのかもしれない。
「ねえ……兄ちゃん」
「ん?」
「あのね、最近ね、膝にふわふわなにかが当たることがあるの」
微かに戸惑いを見せながら言った晴燈くんの言葉に、征燈も俺も直感的にゴンの存在を思い描いた。
「嫌な感じか?」
「ううん。怖くないよ。だけどね、僕、視えないから気になるんだ」
「それは」
『管狐だと説明してもわからないだろう。お前が渡したお守りの効果で、狐さんが傍にいるんだと伝えておけ』
「……少し前に、鈴をお守りとして渡したろ?」
「うん」
「その効果で、狐さんが晴燈を守ってくれてるんだ。晴燈の膝が気持ちよくて、たまにお昼寝するのかもな」
言葉選びはザックリだったが、間違ったことは話していない。
征燈の言葉に晴燈くんは納得したのか「そっか!」と目を輝かせている。
「僕の膝、気に入ってくれたのかな」
「そうだな」
「ふふっ、嬉しいな」
ポケットから鈴を取り出すと、慈しむように指先で撫でた。
「狐さん、ありがとう。僕の膝、いつでも使っていいからね?」
「優しいな晴燈は」
「兄ちゃんは視えてるんでしょ? 狐さん、喜んでる?」
クォン
「とても喜んでるよ」
「よかった!」
抜け出してきたゴンは、嬉しそうに兄弟の間をクルクルと回っている。
それが視えるのは征燈だけだったが、晴燈くんも視えているように笑っていた。
「久しぶりに一緒に風呂入るか」
「やだ。狭いもん」
幸せの絶頂とは、瞬間に崩れ去るものだ。
一瞬にして叩きのめされた征燈を気にすることなく、晴燈くんは鈴をポケットに大切そうにしまうと征燈のスマートフォンでゲームを始めた。
俺が見守ってきた血縁の兄弟の中でも格段に仲のいい二人。
彼らを今のまま、穏やかに護ることができれば守護霊としてこれほど嬉しいことはないんだがな。
僅かに感じるヤツの気配は、俺の感覚を過敏にさせる。
アイツを理解する努力はいくらでもした。
たくさんの人に相談し、様々な思考を描き想像したが解決には至らなかった。
そうして俺がもがいている間にアイツは性質を変化させた。
生きながらに憑纏の気配を吐き出し、あっという間に術者である血縁者たちに捕えられ隔離された。
嫁神楽流派からすら切り離され、霊的な縁を強制的に断たれた。
彼らは俺のためにと迅速に動いてくれた。
だが、それが悪い方向に転んでしまったのだ。
魂魄から嫁神楽の血を抜き取られたヤツは、完全な怪異と成り本格的に俺を憑纏し始めた。
嫁神楽の血を抜かれたとしても、嫁神楽流派の術は覚えているヤツの侵入を防ぐ手段などあるハズもない。
激しい攻防の末に着いた先は共倒れだ。
俺は肉を、骨を微塵に砕かれ、
これで安心と思った俺の、生き果てる鼓膜を響かせた慟哭。
ずーっとずーっと一緒だよお
その時すでに、俺の子孫は脈を作り始めていた。
永劫とまではいかなくとも続く血の道が、ヤツの纏に穢され潰えることだけは許したくなかった。
だからこそ、ヤツが災いを向けないよう、俺は嫁神楽家を護るために守護霊としてこの世に留まることにした。
なのに、よりにもよって魂としてしれっと輪を巡り、子孫として嫁神楽に辿り着く魂魄に憑いていたなんて。
俺の目をかいくぐり、アイツは再び嫁神楽に戻ってきた。
お前はなぜ、まだ俺を諦めない?
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