第19話

「ん……兄ちゃん」

「よく寝てたな」

「いつの間にか寝ちゃってた……テスト、どうだった?」

「テスト?」

「入部テスト!」

「あ、あぁ……」


 穏やかに寝息を立てていた晴燈くんを起こさないようにと、大学生含む全員で寝顔を鑑賞していた。

 先ほどの出来事を口にする者はおらず、別の話題を出す者もいなかったのだ。

 守護霊たちも押し黙り、晴燈くんの中に存在する者の気配を探っていた。

 俺はなによりも、今、晴燈くんを守護しているはずの彼のことを案じていた。


「テストは終わった?」


 征燈の歯切れが悪いからか、晴燈くんはこがねくんに話題を振った。

 こういう時の所作も慣れているのか、こがねくんはにっこり笑って前にしゃがむ。


「テストが終わったからって、すぐに結果は出ないもんだぞ」

「そうなの?」

「晴燈たちが帰ったら、ここで俺たちが入部してもいいかどうかの厳しい採点をじっくりと行うんだ」

「に……兄ちゃん合格できるよね?」


 不安になったのか、晴燈くんは隣に座っている征燈の腕をしっかりと掴んだ。

 それに目を細めるこがねくんは、神妙な顔をしている征燈を見る。


「ま、俺たちがOKを出したとして、あとは本人次第だな。本気でやる覚悟があるかどうかで今後も決まるだろ」

「そうだな」

「どうしたの兄ちゃん、元気ない? 疲れちゃった?」

「いや、ちょっと考え事を」

「ダメだよ兄ちゃん。こういう時は、ちゃんとやる気を見せておかなくちゃ採点に響くよ!」

「ははっ。いまどきの小学生はしっかりしてんなぁ」


 機嫌のいいこがねくんの言葉に「ちゃんとお勉強してるからね!」と笑う晴燈くん。

 同じ笑顔なのに、ヤツの時に見た笑顔とはまったく違う晴れやかさがある。

 晴燈くんの笑顔は緊張を解したようで、膝を叩いて立ち上がったこがねくんは大学生チームを招集した。

 それを見守る晴燈くんは、ずっと征燈の腕を掴んでいる。


「よし、結果発表は来週土曜日! 少し時間がかかっちまうが、ちゃんと結果を伝えるからもう一度ここに来てくれ」

「僕も来ていい?」

「もちろん」

「やったあ!」


 次回の予定が立ったのならばと、征燈は「じゃあ……」と言って立ち上がった。

 だが、その征燈を再び座らせた晴燈くんは自分たちを見守る大学生たちをゆっくり見まわしてにっこり笑う。


「練習しているところ見たい!」

「お~、そうだな。いっちょ聞いてもらおうか」

「了解!」

「ちゃんとしたサークル活動紹介なんて初めてじゃないか?」

「あれ、おかしいな。緊張してきたぞ」


 ようやく本来の自分たちを思い出したように賑やかになると、お兄さん方は各々楽器を手に配置につき、一番奥に座った竜樹くんのスティックでのカウントを皮切りに演奏を始める。

 打ち合わせもなく演奏が始まり、電源の入っていないスタンドマイクに向かうのはこがねくん。

 私用する楽器はギター、ベース、キーボード、ドラムとバンドとしては基本的な組み合わせだ。

 幼い晴燈くんを気遣ってかアンプを使用せず、各々楽器が出す音だけを響かせている。

 それでも形にはなっているし、奏でる歌詞は不思議な言霊を含んでいる。

 燈鎮韻は、言霊を基にする読み上げは主に生者に向けたものが多い。

 それを歌のように組み上げて発することにより、対象人数を増やすことができる。

 バンドであれば歌を披露する場を無理なく準備できるし、集客も見込める。

 チケットなどになんらかの印をつけておけば、目的とする対象の人間が自然と集まってくる算段だ。


『考えたな』

「なに?」

『このバンドの活動は、現在の霊媒にとって良質な環境のようだ』

「ふうん」

『お前も参加するといい』

「……裏方でいいだろ」

『晴燈くんが悲しむぞ』

「うっせ」


 あーでもない、こーでもないと細かな調整を挟みつつ、一つの歌曲が練り上げられ構成されていく。

 なにより楽しそうだ。

 歌は楽しいに限る。


『っはあ! あ、や、やった、出られた……!』

『よかった。戻ってこられたんですね』

『ずっと閉じ込められていました……お騒がせしてすみません』


 目を輝かせて練習風景を見ている晴燈くんから、守護霊が飛び出してきた。

 口ぶりからすると、脱出を試みていたようだ。


『どういう状況だったのか、聞いてもいいですか』

『はい。誰か残っていないかと探していたところ、一番の奥底に真っ白な泥を見つけたんです。あ、いや、白い泥という感覚で、本当にあったわけではありませんが』

『わかっています。続けてください』

『その、初めて見たものですから不用心に近づいてしまい……白い手が伸びたかと思うと、あっという間に泥の中に引き込まれまして』

『身代わりにされたんですね』

『いやはや、子どもたちが作った落とし穴から出るのは得意だったんですが、泥の中からは一向に出ることができませんでした』


 不甲斐ないと苦笑する守護霊を労い、流れている「音」に集中するように言う。

 竜樹くんの能力が守護霊に効くかどうかはわからないが、幾分か早く回復するだろう。


『不思議な音がしますね』

『言霊や音色に、燈鎮韻が使われているようです。こんな風に使われるとは思いもしませんでしたが、人の意識が絡み合い時間をかけて練り上げられる技の素晴らしさを痛感します』


 けしてひとり占めをしたくて門外不出にしたワケではない。

 俺の生み出した嫁神楽流は生身の人間が駆使するには反動が強すぎる技が多く、ちゃんとした修練を正しく継承した者から受けなければ自滅しかない。

 そう思っていた。

 そんな危険な流派は未来において不要だろうと、勝手に思っていたのだ。

 それがどうだ。

 俺の知らない時代に、俺の知らない進化を遂げ、派生し、今もこうして受け継がれている。


『人間の貪欲さ、勤勉さ、欲求の深さには感心する』


 独り言が零れた。

 ピクリと反応を示した征燈だが、俺に声をかけることはなかった。



 大学生のお兄さんたちに盛大に見送ってもらった帰り、バスの中で晴燈くんは夢中になって征燈が扱える楽器を探していた。


「あ、兄ちゃん。誰からかメールがきたよ」

「ん」


 貸していたスマートフォンを返してもらい、征燈は素早く確認をする。


「誰だった?」

「佐納」

「なんて?」

「大学の見学は面白かったかって」

「ロジくんって、たまにストーカーみたいだよね」


 ポロリと出た言葉に、征燈は目を見開き晴燈くんを見た。

 晴燈くんは目が合って嬉しそうに笑うと、征燈の腕にしがみつく。


「僕のほうが兄ちゃんのこと知ってるんだからね!」

「それは当然だろ、兄弟なんだから」

「でも、学校でのことはロジくんのほうが知ってるの。授業中の態度や、休み時間にどんなお話をするのかとか……僕も混ざりたいな」

「疲れたのか、晴燈」


 ずいぶんな甘えモードになっている様子だ。

 察した征燈はしがみついている晴燈くんの頭を撫でる。


「僕が寝てる間、どんなテストしたの?」

「え……えーと」

「歌ったり楽器演奏したりとかした?」

「そういうのはしなかった」

「そうなの?」

「歌って言うか、激しい言い合い? みたいなのはした」

「言い合いって……ラップバトルみたいなの?」

「う、うん、まあ、そんな感じの」


 知らぬが仏とはこのことだ。

 征燈は小さなウソに心苦しくなりながらも、眠気でふわふわしている晴燈くんとなんとか会話を合わせようとしている。

 そうしている間にバスは学園の大正門に到着し、動きが鈍くなった晴燈くんを抱っこして征燈は滅多にくることのない土曜日の学園をあとにした。


 ピロン


 着信音が鳴り、スマートフォンを見た征燈は再び路次くんからのメッセージに目を通す。


「月曜日……英語の小テストって、マジか」


 どこから漏れるのか、こうしたリーク情報は路次くんが統制している。

 故に征燈のクラスは割と突発テストの成績が高かったりするのだ。

 軽く返事を出してからスマートフォンをポケットにしまう。


「疲れたな、さすがに」


 週初めのテストを知ってどっと疲労感を覚えたのだろうか。

 竜樹くんの能力で心身の疲労は回復しているだろうに、征燈は深くため息を吐いた。

 すっかり寝入ってしまった晴燈くんを抱え直し、トボトボと帰路を辿る。


「アイツ、今はどういう状況?」

『管狐に受けた破損が大きかった。元の場所に戻り沈んでいるハズだ』

「動けるようになったらまた出てくんのかよ」

『確実に出てくる』

「なんとかできねえのか?」

『なんとかできていたなら、俺は穏やかに天寿を全うしただろうな』

「……素人判断だけどさ、アイツ、晴燈の守護霊になったらスゲー強いと思う」

『そこらの守護霊よりは強いぞ』

「俺が護ってやれなくても、いざって時に護ってもらえるように説得できないか?」

『そこまで人間的理性が残っているとは思えないが、お前がヤツに守護の一部を託すと言うなら影響されるかもしれないな。アレもお前の先祖だ。なにかしら通じるモノはあるだろう』


 俺の言葉に征燈は黙った。

 色々と、たくさんのことを考えているのだろう。

 俺にはなにを考えているのか上手く想像ができない。

 頑なに思考を隠す征燈を無理強いするのは守護霊の範疇ではないし、常に共に動きどこへ向かうつもりなのかを推し測るしかないだろうな。


 少しばかり視える子孫と会話を楽しみ、必要な時には護ってやって、子孫の人生を最期まで見納めるだけでよかったのに。

 こんなにも入り組んだ時間が訪れるなんて想定外だ。

 子孫には守護霊として拒否られ、因縁の相手が復活し、それでも俺は守護霊と言う立場で居続けたいと思っている。


 守護霊でなければ、俺に嫁神楽の人間を護ることは不可能なのだから。


 静かだ。

 晴燈くんの寝息と征燈の歩く靴音だけが周囲にある。

 脇を走る車の音も、風の音も木々の葉擦れも聞こえない。


 早く、喧騒の日常に戻らないだろうか。

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