第18話

 ただならぬ空気が機材保管室を満たしていく。

 俺は結界レベルをすぐに上げて、満ちていく穢れの吐息から二人を護った。


「スゲェ……この至近距離で憑纏の影響ゼロかよ」

「そんなことどうでもいいんだよ! 晴燈がっ」


 ガクンガクンともげるくらい頭を激しく前後に振ったあと、足元に広がっている唾液の中に顔から突っ伏した。

 リアルな重たい音が床から足に振動したようで、征燈は今にも飛び出しそうになる。


「晴燈……っ!」


 こがねくんが征燈を止めようとした時、俯せの晴燈くんの、ちょうど口の辺りから冷ややかな白い腕がにゅうと伸び出た。

 どう見ても小学生の口から出せるような太さじゃなかったが、当然のように「口から出ている」と認識させるなにかがある。

 見ているだけでも芯から冷えそうな冷たい白色の腕は、なんの動きもなくそのまま静かに戻って行った。


『こがねくんの推測通り、アレは憑依系だ。俺が戻ったと言うまで、目の前にいるのは晴燈くんじゃない』

「なんだよ、それ」

「なんて?」

「ひょういけいだから、晴燈じゃないって」

「お、それならなんとかなるぞ」

「はあっ?」


 苛立ちの矛先がこがねくんに向かおうとした矢先、突っ伏していた晴燈くんの頭が勢いよく上がった。

 晴燈くんとなにも変わらない子どもらしい笑顔を浮かべながら、憑纏の宿主は虫のように身体を収縮させ、手足を使って「跳ねて」きた。


 ガンッ


「晴燈!」

『違う』

「晴燈の身体だろうが!」


 結界に当たって拒まれるということは、晴燈くんは憑纏の宿主に支配されているということになる。


 晴燈くんは結界をバンバンと叩き、その目は征燈ではなく俺を射抜いた。


 覚えている。

 この狂気に満ちた視線を。

 話の通じない、どうやっても平行線を辿る会話を。

 目が合うと笑って左から右に下唇を舐める仕草を。


「やあっと出られたあ」

「うわ、こっわ。気持ち悪い声だな」


 水の中で声を出したような不透明な音に、嫌悪感を詰め込んだような圧が加わった声だ。

 さすがに、こがねくんも聞いたことがないようで対応に困る顔をしている。

 それが面白かったのか、相手は喉の奥で「グクグク」と笑い声をこもらせた。


「っ、晴燈……」

「ねえねえねえ覚えてる?」


 目を見張り、笑顔を結界に擦りつけ、可能な限り俺との距離を縮めようとする。


「名前覚えてるぅう」

「知り合いかよ……」

「憑纏ってのは、大体が顔見知りの拗れが原因だからなー」

「責任取れ」

「そおだよお責任取れよお責任~」


 結界内が微妙な空気になった。

 外側で嬉しそうに結界を叩きまくる憑纏の宿主。


「拒むからあさあこういうことになるんだよお」

「お前、コイツのこと嫌いなのか」

『待て征燈。あっちの味方をしてこの場をどうにかしようと思っていないか』

「思ってる。原因がお前なら、俺はなんとかしろって言うしかできねえだろ」


 なぜこういう時は物分かりがいいんだ。

 俺に対しての風当たりはいつもいつも強いのに、生者であった俺を死に至らしめた憑纏の宿主にはあっさり手を貸そうと?

 酷くない?


『言っておくが、なんとかできない理由がある』

「なんだよ理由って」

『なんとかするためには理解が必要だが、俺にはどうにもアイツのすべてが理解できない』

「なになに、守護霊なんて言ってる?」

「アイツのことを理解できないから、なんとかできないって」

「なら一回荼毘ってみる?」

「だび?」

「燃やす」

「止めろっ晴燈が火傷するだろ!」

「ねえねえねえってばあ! 覚えてるう?」

「お、覚えてはいるみたいだぞ」

「はあ? なにお前関係ないから黙ってろよカスが」


 対話を試みた征燈。

 だが突然吐き出された滑らかな蔑みの言葉に速やかに燃え尽きた。

 自分のことを顧みず護ろうとしている弟の口から飛び出した凶器たる言霊は、さすがに堪えるだろう。

 ガックリと肩を落とし膝をついた征燈に、こがねくんは「おいおい」と小さくツッコミを入れる。


「覚えてるんだね覚えてるっていいねえ想いが通じ合ってるってことだもんねえそれだけで興奮しちゃうう」


 喉の奥で水音を響かせながらのセリフを聞いたこがねくんは、真意を確かめるように首を捻った。


「恋人?」

「相互理解し合ってぐるぐるになってくっついて溶け合ってひとつになって神様になるって天命で決まってんだよお他人がちょっと日和ってくっつくだけの恋人なんてくだらない関係なワケないでしょぉ」

「お、相当イってんな」

「あのさあそんなことよりどうして会わせてくれないの? お前自分が不幸蒔き散らしてるって自覚ないんだろう何でもかんでも全部肩代わりしてもらってるのにそんなことも知らずに酷く言ってさあ責任取って早く消えろよなあ早くう!」


 深いに喉を鳴らし、晴燈くんの人懐こい表情が変わっていく。

 目元が暗くなって眼孔がギラつき、可愛らしい笑みは歯を剥き出しにした野蛮なものになった。

 明らかに憑依された人間の表情になった晴燈くんを見て、こがねくんは中指のリングに指を添える。


 しかし、こがねくんが式神を使役して晴燈くんに須佐之男命の炎を浴びせたとして、ヤツには恐らく通用しない。

 式神は使役する人間のレベルを越えないのだ。

 残念だがアイツの実力は、こがねくんを越えている。

 しかも晴燈くんを攻撃したと、征燈がこがねくんを完全に敵視しかねない危険性も孕んでいる。


『征燈、立ち直れ。この場をなんとかしないと晴燈くんは衰弱していくだけだぞ』

「晴燈……」

「ねえ会わせてよ会わせてよおお前ができないなら抜いてやるからさあ結界から出て来いよ今すぐに会わせて触らせて話をさせて声を聞かせろよお!」

『いいのか? 護りたい相手が乗っ取られて、その口で、その声で、好き勝手喚いてお前の心を折ってきたんだぞ? 怒りはないのか?』

「……うっせ」

「お前なんか要らないんだよお邪魔なの邪魔あ! 自分の立場ってモノをちゃーんとしっかり嫌ってほど把握して生きなよカスがよお! お前みたいなのが始祖のご立派な囲いになれるワケねえだろうがよさっさと消えろよ!」

「うっせえんだよ! さっさと消えるのはそっちだ! 俺の大事な弟の身体を勝手に使ってんじゃねえよ憑依霊が! 意味わかんねえこと言って粋がってんじゃねえぞ!」

「うわビックリした」


 この場合、売り言葉に買い言葉と言う流れで正解だろうか。

 征燈の怒りへの着火が激しくて初見のこがねくんは引いてしまっているが、こんなのは序の口だ。

 そこからは口汚い言葉の応酬がいくらか続き、やがて怒りの限界に達したのか晴燈くんの口から白い腕が伸び、忌々しそうに結界を叩き始める。


「目的も見えない若造が愚弄すんなよ! 二人でどんな言葉を交わしどんな時間を潜り抜けどんな生死の狭間でなにを約束したのか知らないくせに!」

「元から知らねえヤツのことなんか興味ねえんだよ! ゴン!」


 チリリリン


 鈴の音にハッとしたこがねくんは、それがなにかを察している。

 晴燈くんのズボンのポケットからスルリと出てきた白銀の物体は、晴燈くんと距離を取った空中でくるりと一回転した。

 紛れもなく、こがねくんが征燈に渡した管狐だ。


「噛み千切れ!」


 迷いも容赦もなく征燈は管狐に命じ、従った管狐は晴燈くんの口から出ている腕に噛みつき、思い切り首を振った。

 悲鳴が漏れることもなく白い腕は引き摺り出され、一気に肩の辺りまで見えるほどに露出し、ことごとくを管狐に噛み砕かれ千切られる。

 太い骨が砕かれる音を聞いて、こがねくんは顔をしかめた。


「もおおおおぉせっかく戻ってきてたのにせっかく動けるようになったのにせっかく話ができるようになったのに……お前ええ絶対許さないからなあ!」

「許さなきゃなんだ! 俺とやり合うなら徹底的にぶっ潰すぞ! 俺の弟に怖い思いさせたヤツは誰だろうが絶対に絶対に許さないからな!」

「バーカバーカ同じこと言うな!」

「バカって言うほうがバカだバカ!」


 征燈の苛立ちに相当する破壊力で管狐に腕を完全に噛み千切られ、洞の中の風のような音と共に気配が消えた。

 途端にその場に崩れるように倒れた晴燈くんを起こそうと結界から出そうになる征燈を、こがねくんが即座に止めてくれる。

 周囲に残滓を警戒し、安全であることを確認してから結界を解いた。


「晴燈!」


 抱き起し、ぐったりしている弟の乱れた髪を整えてやっている。

 その傍に寄ってきた管狐が征燈の頬に擦りつくのを見て、こがねくんが「寝取られた気分だわ~」と呆れたように言った。


『管狐に礼を言えよ』

「ゴン……ありがとう。この中で一番役に立ったし、物凄く助かった」


 クォン


 ご満悦に目を細め、ゴンと改名した管狐は晴燈くんのズボンのポケットへと戻っていく。


「ゴンて」

「ごんぎつねのゴン」

「俺もコンってつけてたし同レベルか。すんごい威力出してたけど訓練したのか?」

「してない。言われた通り接してただけで」

「へー。お前やっぱ使役の才能あるよ」

「そ、スか」


 晴燈くんの容態に気を取られていて、こがねくんとの会話も適当だ。

 察しているこがねくんは機材保管室の扉を開け、向こう側でやきもきしていただろう面子を呼び込む。


「床が汚れたんで、掃除しまーす」

「「「はーい」」」

「あ、あ、じゃあ、僕、シャワー室、案内、するよ」

「よし、お願いする」

「うん」


 こういう事態に慣れているようだ。

 大学生諸君は各々できることを即座に理解し行動してくれた。

 晴燈くんを抱えて座り込んだままの征燈は、竜樹くんに促されてシャワー室へ向かう。

 きっとその間に、機材保管室の汚れは残った面子が清掃するのだろう。


「あの」

「ヒッ、は、はひ」

「晴燈……どっか悪かったりしませんか」

「え、いや……気絶、し、してるだけ、では?」

「…………」

「僕から、見、見ると、とても、キレイ、だよ。澱みも、ない、くらい」

「でも変なヤツが出てきたんです。口から腕が出てきて、結界の中に入れなくて、俺に向かって「お前」とか汚い言葉吐いて」

「嫁神楽の能力って、ぼ、僕らじゃ理解が難しい、から、そ、そう言うこと、かも」


 チラリと俺を視て、竜樹くんは恥ずかしいのか前髪を引っ張る。

 口下手なりに征燈を慰めてくれているのだろう。

 なんとかしてやりたいと想う気持ちが伝わってくる。


『気を遣わせてしまって申し訳ない』

「ヒギィ! そっ、そう言うのじゃっ、な、ないっ、ですしっ!」

『燈鎮韻を使っているだろう。征燈の心的疲労を見抜いている』

「う、う、めっ、滅相も、ない……はうぅ」


 俺との会話に慄きながらも、竜樹くんは同じフロアにあるシャワー室へ案内してくれた。

 入ってすぐ目隠し用のパーテーションがあり、小道のようになったところを進んで右折、すぐに脱衣所がそこに広がる。

 音楽系の部室階だからだろうか、想像以上に清潔感があって整頓されている。


「あ、あ、あの、さ」

「はい」

「お、弟くん、ダメージは、快癒してる、から……あ、安心して」

「ありがとうござます」

「いやいや、僕はな、なにも」

「あれ、なんなんですかね」

「え?」


 独り言のような質問に、竜樹くんは俺に視線を流す。


『心根が拗れてしまい、尋常ならざる感覚でのみ己を動かすようになってしまった、お前の先祖であり俺の子孫だ』

「道理で、雰囲気似てると思った」

『似てる?』

「アイツ、俺に似てるよ。お前もそう思うだろ」


 まさか征燈から、そんな言葉が出るとは思わなかった。

 上半身を脱衣しズボンを膝まで捲ると、身体の力が抜けている弟の服も脱がせていく。

 竜樹は「着替えとタオルを」と出て行った。

 個室の狭いシャワー室にぐったりしたままの弟を抱えて入ると、自分の上着を濡らして拭き始める。


「さっきのヤツ、あれが晴燈の守護霊になるってことか?」

『そうだ』

「……そか」

『なにを思っている。征燈、話してくれないとわからないぞ』


 だが征燈は竜樹くんが戻ってくるまで、一言も発しなかった。



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