第16話

 約束の土曜日。

 その季節には珍しくじっとりとした暑さだった。

 学校の大正門の守衛に許可証をもらい、兄弟揃ってバスに乗る。

 晴燈くんを窓側に座らせ、運動部と思われる部活バッグを持った生徒たちを何気なく見つめる征燈。


 その目には、変わらず見えないモノが視えている。


 チリリン


 晴燈くんに「お守り」として渡した鈴が鳴る。

 視線を晴燈くんにやれば、弟はいつもは通らない校内の景色に夢中になっているようだった。


「兄ちゃんのクラスってどこ?」

「この裏だよ」

「えーっ、見たかったなぁ」


 そんな会話や昇降する生徒を眺め、やがて永城大学の門が見えてくる。

 校内が巨大すぎて、学校ごとに門を置くことで敷地を区切っているのだが、傍から見ると変な感じだろうな。


 大学前でバスを降りると、さすがの征燈も未知の場所に緊張をしたようだ。

 守衛室で許可証とこがねくんの名前とID番号を教えると、守衛室横にある待合室のような部屋に通された。

 そこで五分ほど待ち、校舎のほうから赤髪男子がやってくるのが見える。


「あっ、こがね兄ちゃん!」

「兄ちゃんっ?」

「だって僕より年上だから兄ちゃん」

「はっ、晴燈の兄ちゃんは、お、俺、俺だけっだからな」

「わかってるけど、年上の人を呼び捨てにできないでしょ」


 弟の正論に反論できない征燈を置いて、晴燈くんは先に待合室を出るとこがねくんと挨拶を交わした。

 のろのろ出て行った征燈の腕を引っ張り、三人で大学敷地内を歩き始める。


「なんだか、建物がおっきく見える!」

「小等部からすれば大きいだろうなぁ」

「あれなに?」

「なんだっけ、確か大学作る時に貢献したおっさんだったかな」

「どこでサークルやってるの?」

「慌てなくても連れてくから」


 思い切り会話の弾む二人を交互に見て、征燈は口を歪ませる。

 晴燈くんが社交的なのは前からだ。

 征燈が「こう」なってしまった頃から、晴燈くんの社交性は一層磨きがかかっているらしく、老若男女問わずすぐに馴染んでしまう。


「兄ちゃんはバンドでなにがしたいの?」

「はっ? バ、バンドで?」

「うん。バンドに興味があって声をかけたんでしょ?」

「そ、そうだけど」

「明確な希望がなくてもいいんだ。サークルに入って活動してりゃ、したいことも決まるだろうし。裏方がいいってのもあるからな」

「僕、兄ちゃんがライブしてるとこ見たい!」


 期待に満ちた目はキラキラ輝いていた。

 そしてくれると信じて疑わない弟くんの無垢な笑顔に、征燈は言葉が見つからなくて咄嗟にこがねくんを見た。


「征燈はまだ未成年だから、ライブするなら文系祭の時だな」

「おい止めろ大学の祭りなんか参加するかよ」

「えーっ、見たいなぁ」


 文系祭とは、いわゆる大学で行われる文化祭だ。

 永城学園では、小中等部、高等部、大学部と三回に分けて文化祭が行われる。

 運動会と言われるモノは、気候変動の激しい昨今、開催していない。

 その代わりにメタバースとか言う異次元空間で、運動会イベントが開かれているらしいが俺にはさっぱりわからない。

 晴燈くんは楽しいと毎回参加しているようだが、征燈は面倒臭がって一度しか参加したことがない催しだ。


「出られるかどうかは、これからの活動次第だな」

「……だな」

「頑張ってね、兄ちゃん!」

「ん。にいちゃんがんばる」


 晴燈くんに振り回されている征燈に大笑いするこがねくんは、土曜日で人の少ない校内を軽く説明しながら移動してくれた。

 興味津々で質問をする晴燈くんと、しょっぱなに力尽きた征燈を連れて行きついた先は、コの字型の校舎の左端、五階建て最上階の非常階段横にある防音室だ。

 こがねくん曰く、この階は音楽系の部活動のクラブハウスとして利用されているらしい。


『気がついているか、征燈』

「なにが」

『道すがら、なにも視ていない』

「……そう言えば」

『大学は広い。ここを清められる実力を持っているということだろうな』


 いや、それ以上に空気が澄んでいる。

 人の集まる場所では考えられないほどの清涼感だ。

 これにも謎があるのだろうか。


「おいでませ、我らがSexualVoltage Re-cycleの活動拠点へ!」


 防音になっている部屋の重い扉を開けた途端、気の抜ける笛の音が聞こえてきた。

 騒音を覚悟していた嫁神楽兄弟は、ギャップに一瞬同じ表情で呆ける。


 ぷぴ~


 またしても笛の音が聞こえ、今度はそれに笑い声がついてきた。


「連れてきたぞー」

「あ、いらっしゃーい!」

「おお~母校の後輩たちよ!」


 わらわらと集ってきた面々は、ごく普通の風貌をしている。

 強いて言えば、髪の色が独特だったり服装が独創的だったりとその程度だ。


「こんにちは! 今日はよろしくお願いします!」


 元気に挨拶をして頭を下げる礼儀正しい晴燈くんに、大学生のお兄さん方はほっこり顔で「よろしくー」と返してくれる。

 晴燈くんに未だ腕を掴まれたままの征燈ももぞもぞと挨拶をして、それにもお兄さん方は嫌な顔をせずに「よろしく」と挨拶してくれた。


 そしてすべてのお兄さん方の守護霊たちは、俺に深々と頭を垂れている。


『あの、楽にしてください?』


 声をかけたが、誰一人として目を合わせずに慌てて引っ込んでいった。

 みんながみんな俺に対して後ろめたいことでもあるんだろうか。

 嫁神楽流派直伝書を見たからって、怒るようなことはないんだがな。

 そう言うことは共有しておいてくれてもいいのに、と思いながら伺うようにこっちを見ているこがねくんの守護霊を見たが、彼もまた激しい一礼をして引っ込んでしまう。


「全員お仲間だから安心しろ」

「お仲間?」

「同じ穴の狢」

「言い方!」

「同業者とかさ~あるじゃん」

「俺ら全員そっち系のお仕事してる家のモンなんだ」

「そ、そうですか」

「晴燈の相手してもらおうと思ったのに……たつどこ行った?」

「最推しきたっ眩しすぎて灰になるっ退散するって」

「あんな素早い竜樹久々に見たなー」

「なー」


 にこやかな年上に不思議そうな顔を向ける晴燈の手を取り、こがねくんが征燈を見た。


「晴燈~あっちで俺の幼馴染みと遊んでられるか?」

「幼馴染み?」

猪渕いぶち竜樹たつきってんだ」

「わかった! 兄ちゃんのテストするから僕はいないほうがいいんだね?」

「お~そうそう。ここに来たからには、実力を見るためのテストを受けてもらわないとだからな」

「いいよ。僕、いい子にしてる!」

「おぉ~すでにいい子だぞ~」


 どうして俺の弟の扱いがあんなに上手いんだ。

 兄ちゃんは俺なのに、兄ちゃんは俺なのに。


 みたいな血走った眼をこがねくんに向ける征燈に、晴燈くんは軽やかに手を振ると機材保管室と書かれたドアの向こうに消えた。


「相当な弟担だな」

「強火~」

「安心しろよ。大丈夫だって、竜樹の傍にいたら即寝だから」

「……っ、どういう意味だよっ」


 強火の弟担は悪いように受け取ったようで、血相を変えて機材保管室へ走る。

 後ろでお兄さん方は「本格的な弟担きたぞ」と会話をしている。

 悪意があるならと思ったが、彼らの守護霊が恐縮しまくっているので見逃してやることにした。


「大丈夫か晴燈! って、え、マジで寝てる?」

「ヒッヒッヒィイッ! あぎゃああああああ~!」


 奇妙な悲鳴と物が倒れたり落ちたりする音が重なった。

 何事かと口を噤んだ征燈の眼前には、三人掛けソファで熟睡している晴燈くん。

 そして、腹を抱えて笑いをかみ殺しているこがねくん。


「あっ、あんま、フフッ、近づくなよ。気をつけないと、おま、お前も眠っちまうから、な?」

「おい……どういうことだ?」


 本気度が伝わったのか、こがねくんは何度か咳払いして深呼吸をし、笑いを鎮めてから征燈を見た。


「たつの能力。アイツ、全世界癒し系代表なんだ。いるだけで癒し効果抜群でどんな病み事も清浄しちまう。癒しが過ぎて小学生くらいまでの子どもなら寝落ち不可避なのよ。制御しろっても面倒臭がって駄々洩れなんだ。もったいない」


 猪渕家は修験山を管理していると言っていたな。

 なるほど、霊山を正常に保つための祓いに特化した能力を持っているのか。

 能力の拡散力も威力も対象に合わせてあるから、人間レベルだと「ああ」なってしまうのだろう。

 そこまでの能力を持っていながら、普通に大学生をしていられる精神力を持っているとは驚きだ。


「たつ、こっちこい」

「ダメッ、ダメダメ無理無理無理無理っ」

「ダメじゃないだろ」

「無理だよグミ、僕はここから一ミリ出ただけでもチリになる気がするから」

「ならないって」

「なったらどうするのさ!」

「ならないってば」

「ぴぎゃあああああああああーっ!」


 大きなスピーカーの後ろに隠れた幼馴染みに声を駆けつつ近寄るこがねくん、混乱しているのか興奮して意味がわからない言葉を発する猪渕家の息子さん。

 なるならないの軽いラリーから一転、こがねくんに腕を掴まれ引っ張られた彼がとんでもない悲鳴を上げた。


 説明をするとそんな経緯で引きずり出されたのは、こがねくんよりも痩身で猫背、濡れるような長めの艶髪ストレートが目を惹く若者だった。

 色もこの国古来の色を含んでいるようで、黒なのに緑に見える。

 顔面を腕で隠し、あまりの叫びに涎が滴る口元が丸見え、歩くことを拒否してすぐに座り込んだ。


 ……若干、普通からは外れている、かもしれない。


「眩しいっ、眩しいいいいいぃっ」

「眩しくないって」

「グミは視えないからそう言えるんだよっ! あっ、あんな、お姿っ、神々しいなんてもんじゃないよ超越だよ超越! 初めて生で見たっ、ヒッ、もう、もうリタイアしていいですか、このままリタイアして幸せに浸りたいっ」

「ダメだっつの」


 液体のように柔らかく仰け反る形で床に仰向けになる猪渕家の息子さん。

 呆れ顔で引っ張り起こすこがねくんは、ようやくひとり置いてけぼりの征燈に意識が向いたようだ。


「あ、ごめんな。たつってば嫁神楽流派始祖の大ファンでさ。ご本人登場に完璧自分を見失ってるわ」

「嫁神楽流派、始祖?」

「おう。お前の守護霊だよ」

「守護霊様って言いなよ! ホント礼儀なってないんだから!」

「はいはい。つーかお前はそれでいいのかよ、守護霊様への礼儀がそれか?」

「っっっ!」


 幼馴染みだから扱いが上手いようだ。

 こがねくんに言われて、猪渕家の息子さんはようやく顔を見せてくれた。

 シャキンと立ち上がって征燈の前に前進、その視線は完全に俺を視ている。


「はじめましてこんにちは! 僕は猪渕竜樹と申します! 猪渕家の山脈守護及び祓いの基礎は嫁神楽流燈鎮韻ひちんいんにあり、韻の伝承は嫁神楽家三代目当主次男燈呂ひろより授かったとされております!」

『ご丁寧にありがとうございます』

「ぎゅひっ…………」


 小さく悲鳴みたいなものを零し、竜樹くんはぶっ倒れた。

 慌てる征燈、大爆笑のこがねくん、様子を見にきた他のメンバーも気絶した竜樹くんに笑っている。


「あの、すみません。俺の守護霊が視えてる人、どれだけいます?」


 ふと疑問に思ったのだろう。

 征燈の疑問に手を挙げたのはひとりだけだ。


「あとはコイツね。竜樹は自然霊と守護霊が視える。この反応を見るに声聞いちゃったかな」

「守護霊の声が聞こえるんですか」

「会話ができるのはごく一部みたいだけどね。みんな視えるモノは違うんだ。同じでも視える方向が違うっていうか、交流の方法が違う感じ」

「そんなこと、言ってた気がします。俺の、守護霊」

「おーやっぱスゲーな。嫁神楽流派始祖の燈」


 パアン!


 全員を結界の中に入れ、敢えて俺の姿が視えるようにチャンネルを強制的に調整した。

 普段守護霊を視ない者は驚きを隠せない表情をしているが、声は出せない。

 出せないように制約した。


『突然に強制をして申し訳ない。嫁神楽流派を知る者たちに頼みがある。生前の名前を俺の子孫に教えないでくれ』


 どうして、と言う顔が殆どで、こがねくんだけが頷いた。


『生前の名前は、守護霊をしている今の俺に行動を制限させる枷になる』


 だからこそ守護霊として能力者たちへ懇願と言う形を取った。

 言い訳めいて苦しいが、これも守護霊としてできうる範疇ではある。


『征燈と、晴燈くんにも、教えないでくれると助かる』


 ひとりひとりの目を見た。

 各々慎重に頷いてくれたので、気絶している竜樹くんにも伝えるように頼んでから結界を解除する。


「おい、なにした」

『頼み事をしただけだ』

「頼み事?」

『俺がお前の守護霊であるための、大切な頼み事だ』

「どんな頼み事だ」

「はいはーい。征燈がライブに参加できるように、ぜひとも手伝ってほしいって頼まれたんだよー」

「絶対嘘だ!」


 俺への配慮は守護霊からも働きかけてくれるだろうから、征燈の俺の生前の名前が漏れることはないはずだ。

 うっかり口にしたとしても誤魔化せる名前ではあるが、耳に入れないでおくほうがいい。


 晴燈くんと竜樹くんを置いて防音室に戻った面々。


「さあて、いよいよ入部テストだな」

「入部希望なんかしてないがっ?」

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