第14話

 お菓子とジュースをトレイに乗せリビングへ移動している途中で、凄まじい音が外から聞こえてきた。

 開放的なリビングからも伺うことができる、家屋前の私道を右から左へ流れる自転車の錆びたブレーキ音。


 征燈は慌てながらも慎重にトレイをリビングのテーブルへ置くと、駆け寄った晴燈くんの肩を抱きしめカーテン越しに外を見る。


「じ、事故かな」

「当たった音はしなかったし、事故じゃないだろうけど……」


 嫁神楽家は二車線道路を一本入った住宅街の私道沿いにある。

 私道は出入り口片側だけの袋小路になっているから、走行中の対向車に衝突することは滅多にないだろう。

 自転車同士の事故にしてもブレーキ音は一つだけだったし、騒ぎにもなっていない。


『勢いのいいただのブレーキだな』


 はた迷惑な騒音だったが、何事もなかったようだ。

 その代わりに、むわりとした熱を感じる。

 この辺りでは感じたことのない、独特な熱の気配。


『……来たか』


 ブレーキ音を聞いたご近所さんたちが外に出ているようで、和やかな会話をする声がいくつか聞こえた。


「教えてくれてありがとなオバちゃん!」


 聞き慣れない若い男の声が一番大きい。

 その声は周囲にお礼を言いながら嫁神楽家の前へと移動している。


「そこよ、そこ!」

「ども~!」


 お節介で話好きな二軒隣に住むシニア女性の声に、チャラく手を振って応えている姿が見える。


 真紅に染めた髪を頭の上部で団子のようにキッチリと括りスクエアスタイル形の黒サングラスを着用した人物が、ビタビタの黒のライダースーツで身を固めてゴツいブーツの靴底を鳴らしながら押しているのはどこにでもあるママチャリだった。

 どう見てもこの地域にそぐわないその姿に俺すらも言葉を失う。


 いまどきとは恐ろしいな。

 外見は関係ないが、それにしてもずいぶんな格好だ。


「兄ちゃん、派手な人がきたよ」

「そ、そう……だな」


 困惑の兄弟。

 兄は姿を見せた人物の傍に控える存在に気がついて目を見張った。

 ぎゅ、と弟くんの肩に添えた指に力が入る。


 見知らぬ彼は嫁神楽家のドアチャイムを迷うことなく押した。

 その視線はリビングから伺う征燈を的確に射抜いている。


 ピンポーン


「兄ちゃん……」


 見るからに不審者だ。

 どう見たって関わることのない類の人間だし、宅配や郵便の配達員でもない。


 ピンポーン


「ど、どうしよう。怖い人かな」

「居留守使って追い返すから安心しな」

『待て待て。征燈、出るんだ』

「あぁ?」

「え?」

「っ、なんでもない」

『出ろって。視えてるだろうが』


 わかっている。

 征燈は、怯えている晴燈くんを優先して動いている。

 自分の客だと薄々気がついているだろうに、この縁を無碍にするつもりらしい。


 派手な人物は、見せつけるように仁王像のようなムキムキな存在を隣に立たせている。

 溢れ出す熱の気配を察するに、守護霊や持霊ではなく使役されている「神」と名のつく者だろう。


 ピンポーン

 ピンポーン

 ピンポンピンポン

 ピピポピンポーン


 外の人物は征燈が迷っているとわかっているようだ。

 にんまり笑いながらも、ふざけたリズムでチャイムを押し始めた。

 それがまた、晴燈くんの恐怖心を煽ったらしい。


「兄ちゃぁん、怖いよぉ」


 キチキチキチキチ


 昆虫の威嚇に似た音が聞こえて、庭先からぬぅっと巨大なカマキリの前肢が現れ来客の首を狙った。

 だが、控えていた者に妨害されて一瞬で燃えそして消える。


『今のは……』

『ほら、あの、む、昔飼育していた、征燈くんが捕まえてきたカマキリですよ』

『捕まえてきたのを飼育していたアレか?』

『そ、そうです。そのカマキリ、ですね』


 俺が守護霊になるギリギリ前の話だ。

 六年生になった征燈が学校で捕まえ、家に持って帰ってきた。

 虫かごのない状態だったものだから母親が悲鳴を上げ、父親は喜んでティッシュボックスで簡易のかごを作ってくれた。

 晴燈くんは「にーやんしゅごい」と大喜びで、晴燈くんに褒められた征燈もご機嫌だったらしい。

 征燈の代わりにと晴燈くんがお世話をしていたが数日後には死んでしまって、泣き止まない晴燈くんと一緒に庭へ埋葬したと。


 そのカマキリが今、出てくるか?


『……』


 微かな違和感に首を傾げる。

 見えないなにかに産毛を触られているような、それくらいの違和感だ。

 だが、それは確実なる違和感でもある。


 ピンポーン

 ピンポーン

 ピンポーン

 ピンポーン

 ピンポンピンポン

 ピンポンピンポン


 派手な人物は帰るつもりはないらしい。

 楽しそうにチャイムを繰り返し鳴らし、伺っている征燈を見て笑っている。


「……仕方ない、出るか」

「でも」

「案外、ちゃんとした用事かもしれないし……な?」

「う、うん……」


 怖がる晴燈くんを連れてダイニングへ移動、ずっと鳴り続けるチャイムを聞きながらドアのモニターをしばらく見つめて征燈は通話ボタンを押した。


「はい」

『やって参りましたーっ!』


 嬉しそうな顔がモニター越しにアップになった。

 歯が人間の歯の形をしていない。

 どうやら自分の歯をギザギザになるように削っているようだが、肉食獣にでもなりたいのだろうか。


「誰ですか」

『お呼ばれに馳せ参じた一番乗りさんです』

「呼んでませんけど」

『鈴、使ってくれたでしょ?』

「!」


 視えている人ではない存在と例の鈴、どちらも征燈には事実でしかない。

 それでもなお迷う視線を晴燈くんに泳がせた。


「兄ちゃんの、知り合いなの?」

「知り合いってワケじゃないけど……」

『サークル仲間でーっす!』

「サークル?」

「サークル」


 未だ外に締め出されている客人からの唐突な言葉に、弟は兄に首を傾げ兄は無理やり頷いて見せる。

 征燈は嘘が下手だかならな……それでも誤魔化せるのは、相手が晴燈くんだからだ。

 不審人物だが兄と面識があると理解したのか、晴燈くんが背伸びをしてインターホンに向かう。


「サークルって、なんのサークルですか?」

『バンド』

「兄ちゃん、バンドやってたの?」

「えっ、あ、いっ、?」

『興味が湧いたからって、コンタクトしてくれたんだよ~。嬉しくってチャリンコ漕いで来た』

「本当?」

「お、う、うん。ちょっと、そう言うのもいいかなって」

「ふうーん。じゃあ怖い人じゃない?」

『全然怖くないよーとっても無害だよー』


 ギザギザの歯で笑いながら言って果たして説得力はあるのかわからんが、征燈が同意するように頷いて見せるものだから晴燈くんの警戒心が一気に解けた。


「兄ちゃんのお客さんなら、僕がお迎えする!」

「あっ、晴燈っ」


 恐怖からの解放の反動なのか、少しテンションの高い晴燈くんはダイニングを飛び出し廊下を駆けて行ってしまう。

 慌ててあとを追いながら、征燈はポツリと俺に呟いた。


「大丈夫かよ、アレ」

『能力は本物だ』

「晴燈に悪い影響出ないかな」

『一緒にバンドする言い出すとか?』

「…………知ってるだろうけど、俺、音痴だし音感ねえぞ」


 知っている。

 どうして音痴のままなのかも知っている。

 晴燈くんの寝かしつけ時に子守唄を歌ってやったところ、無邪気な眼で「にーやんおうたおへたね~」と頭を撫でられたことがトラウマになっているのだ。


『まあ、誤魔化せるだろ』


 言葉が見つからなくて、俺も適当な慰めしか出なかった。




「開けてくれてありがとう。千倶観ちぐみこがねって言います」

「はじめましてこんにちは。僕は、嫁神楽晴燈です」

「よろしく」

「よろしく! ちぐみこがねってどう書くの?」

「一十百千の千に、倶利伽羅の俱に、観葉植物の観るって字。こがねは平仮名」

「くりからってなに?」

「不動明王さんの剣の名前」

「不動明王?」

「ん~神様の名前。仏様ってほうがいいか」

「へえ~!」


 三和土なのに膝をつき、サングラスを外して視線を晴燈くんに合わせて自己紹介し合っている。

 晴燈くんはあんなに怖がっていたのに、見ず知らずの男に警戒なく名前を名乗るなんて初めてじゃないだろうか。

 普段は、真っ先に兄に確認をする。

 兄の了承がなければ個人情報を口にすることはない賢い子だ。


「はじめまして。こがねでいいよ」

「どうも……嫁神楽征燈です」


 もぞっとした挨拶だったが、千倶観こがねと名乗った青年はにこやかに笑ってからスッと目を細めた。

 昔の記憶の中の人物に似ている。


「こがねさん、サークルでバンドしてるの?」

「そだよー。大学のサークル。箱でライブしたりしてる」

「えっ、凄いね! 歌ってるの見たい!」

「動画は撮らない主義なんだ。ライブハウスは未成年入れないしなぁ」

「えーっ」


 和やかに会話をしながらこがねくんはゴテゴテブーツの横ファスナーを下ろして脱ぎ、晴燈くんは導くようにリビングへ向かう。

 会話の弾む二人のあとを、征燈は黙ってついて行く。


「なんてバンド? 検索できる?」

「SexualVoltage Re-cycle、セクボリって略されてる。俺はボーカル。検索は……できるかな」

「待ってて! 兄ちゃん、スマホ借りてもいい?」

「ああ」


 現代っ子だからスマートフォンの扱いも上手い。

 晴燈くんがバンド名を検索している間に、つつつ、とこがねくんが寄ってきた。


「弟くんは内情ご存じでない?」

「ああ」

「そっか。なら、用件は改めるか」


 あっさり引く気になったのだろうか。

 こがねくんは大きな掌を征燈に向ける。


「じゃ、鈴、返してくれる?」

「わかりました」


 こちらもあっさり言うことを聞いて部屋へ向かう。

 俺はひとりこがねくんの正面に残り、素性を探ることにした。

 さすがに自宅内であれば守護対象と少しくらい離れていても問題はない。


『彼も守護霊が視えないタイプだな』


 控えている者は俺を視線で追っているが、こがねくんは二階に上がった征燈の気配を気にしている。

 真正面にいるのに、視線が合わない。

 その俺の目の前に突然にゅっと出てきたのはこがねくんの守護霊だ。


『おはっ、お初にっ、おめめっ、ヒッ、違うっ違うますっ』

『……落ち着いてください。よろしくお願いします』

『ヒィーッ、ヒィッ、滅相もないっ! 滅相も! ただただ申し訳なく……っ!』


 こがねくんの守護霊は、俺と同じく彼の先祖のようだ。

 態度から見て、俺みたく古くから護っているんだろう。


『千倶観はっ、拙者がっ、かかかかっか嫁神楽流派血子直伝の書をっ』

『あー』

『直伝の書をっ、あっ、開けて見てっ、見っ……申し訳ございませんーっ!』

『気にしないでください。時効ですよ、時効』


 管狐の練りが引っかかったのはそう言うことか。

 千倶観家の祖先は嫁神楽流派の直伝書を盗み見した上、それを基にして独自の流派を生み出したのだろう。

 結局のところ、死んでしまえば血族限定流派もクソもない。

 門外不出だと言った直伝の術だって、書にしてしまえば出回りもする。


 ここはポジティブに、嫁神楽流派をどうしても世に遺したいと熱望した子孫が俺の没後にいた、ということにしておこう。

 けして、略奪や脅迫で毟り取られた知識ではないと信じておくさ。


『俺が怒り狂っているかもしれないって思いながらも、俺の式を察して、こがねくんに見せて促してくれたんでしょう? 感謝するのはこっちですよ』

『くっ……ううぅ、懐がっ、懐が広すぎて拙者感激に溺れそうですっ……!』


 自分たちの住まう場所が世界のすべてだと思っている民が殆どだった頃に生きていた人間のはずだが、現代人のようなノリで守護霊は大袈裟に顔を腕で隠し泣き真似をしている。

 時代の流れに順応しながら子孫を護り続けているんだろうな。


『この出会いはこがねにとっても、大変、大変に勉強になると、直感した次第でございまして、はい、感謝はこちらも同じ、いや、こちらのほうこそ大大感謝と言ったところで……っ』


 血筋という部分で繋がっているから守護霊がこがねくんのためを想うことは不思議ではないんだが、俺と征燈は火と油みたいだから、守護霊の意図に沿って行動してくれる子孫は少し羨ましいかもしれない。

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