第13話
翌日、路次くんは言っていた時間よりも早く来た。
曰く「はーくんが幸せになるために」だそうだ。
「午前中には終わらせて退散するので、お昼ご飯は気にしないでくださあい!」
「まあそうなの?」
玄関で迎えた征燈の母親に元気いっぱいで宣言している。
「でも、お菓子がたくさんとジュースがいっぱいあると嬉しいで~す!」
「うふふ、足りなくなったら買い出しに行くわね」
「わはーい!」
他人同士の会話に聞こえないくらいに親しい会話を楽しんだあと、リビングに通された路次くんは征燈の隣を絶対に譲らない姿勢で睨みつける晴燈くんへ先に挨拶をした。
「おはよう、はーくん」
「……おはよ」
「今日ねぇ、ロジも午後から用事入っちゃったからあ午前中で帰るねえ」
「そうなのか?」
「ん」
征燈は晴燈くんの想いが伝わっていないのかと思うほどの鈍感な返しを路次くんにして、路次くんは無駄に晴燈くんに凄まれている。
だが、小学生の睨みにビビるような路次くんではない。
のんびり笑顔を返して、片付けられたテーブルの上に持ってきた資料を広げ始めた。
「手袋とかはしなくていいのか」
「そんなの必要ないよぉ」
「……」
「ほらほら見てよはーくん。これねぇ、同じ場所の地図を年代順に重ねてるんだよお。古いのだと江戸時代の末期辺りの地図なんだけど……」
出すところに出せば重宝されそうな地図を、特に気をつけることもなく捲って晴燈くんに見せる。
「長屋があってえ、ここは井戸でしょお……それがねぇ、次の地図になるとお」
「更地?」
「そう~なんとかって暴動があってえ、この辺り燃えたんだ~。んでえ、買取ったのが今回取材した廃墟の主ってわけえ」
路次くんが見ているのは一件目の廃墟周辺地図だ。
枚数はそれぞれだが、各所数枚の古い地図が存在しているらしい。
「電波が悪かったあそことかはねぇ、ほら見て」
「なんだこれ……光信慈悲の会?」
「わかりやすく言うとぉ、宗教団体さんだねえ」
「その跡地ってことか……」
「ね? 電波障害出しそうなもの、埋まってそうでしょ~」
そうなると気になるのは、あの壮絶な体験をした廃墟だろう。
そわそわと地図を見ていた征燈に気づいたのか、路次くんは「これ~」と言って地図を置いた。
「ウチの保管分だと今と数十年前の地図しかなかったらしいんだあ」
「家主さんのとこにもなかったのか?」
「ん~家主さんの記憶だとぉ、おばあさんが勝手に燃やされたんだって言ってたらしいよぉ」
「燃やされた?」
「霊媒師さんっているでしょ? その人がね、残しておくなって地図とかあ土地の権利書とかに火をつけたんだってぇ」
「放火だろそれ」
「ね~。本当はあ、お屋敷も燃やそうとしてたんだってさあ」
霊媒師は当然のことをしようとしたのだ。
先祖の過ちを子孫に残すな。
そう言うことだ。
あの屋敷に使われていた木材は、土地神信仰のあった場所から無理やり伐採され運ばれてきた樹木が使用されていた。
大切な樹木を伐採された民の怨みはもちろんだが、金品で黙る人間以外の存在の怨みすらかってしまったのだ。
信仰してくれる民を慈しみ護り、共に生きていた土地神そのものの怨みだ。
神と言っても信仰心で練り上げられた存在だが、自然と一体化し融合することで人間の想像を超えた能力を持つようになる。
奇跡とも言うべき存在を土地から切り離し、バラバラにした上に屋敷の建材として使ったのだから呪怨は強くなるだろう。
早い話が、あの屋敷はバラバラにされた御神体で構成されていると言うワケだ。
「あとはねぇ、あの十字路のところも面白かったんだあ」
路次くんの言葉に、ようやく十字路のことを思い出したらしい。
征燈は俺を視て説明を求めてきた。
今じゃないだろ。
「そこね、お社のある湖を埋め立てた上にあるんだ。十字路の角に建ってるビルと、その隣のビルの間に湖の中にあった鳥居を置いてたんだけど、法律で引っかかっちゃって壊したんだって」
「お? はーくん知ってたの?」
「クラスメイトが言ってた。昔から怖い場所だって」
「怖い場所かあ~だから事故とかもあるんだろうねえ」
「……」
「どうした、晴燈」
「……怖い話……思い出しちゃった」
ボオオオオオオォオオォ
木の洞に風が当たるような音が聞こえた。
咄嗟に結界を張ったが、外からの音じゃない。
「クラスでそんな話してるのか」
「うん。僕はあんまり好きじゃないんだけど、聞こえちゃうでしょ?」
「この手の話は事欠かないからねえ。十字路の事故だって、最近のことみたいだけど噂は早いから~」
『パパ、パパ! なんだか空気がおかしいよぉ~!』
『たたた、大変ですっ、持霊の皆さんが空けた洞から
『きゃーっ! きゃーっっ!』
『二人とも落ち着いてください』
遠くに聞こえる汽笛のような音が、晴燈くんの中から聞こえてくる。
慌てて飛び出てきた守護霊の言葉に、不測の事態に慣れていない路次くんの守護霊がパニックになった。
『話題を変えろ』
「え?」
『晴燈くんが危険だ』
征燈は、俺と他の守護霊の会話も聞こえない。
俺が征燈と「接する行動」だけが視えている状態だな。
だから晴燈くんの守護霊が慌てていても、路次くんの守護霊がパニック状態になっていても気がつかない。
だが、晴燈くんのことだ。
理由も聞かずに十字路の怖い話を進めようとする二人を止めた。
「関係ないから、それ」
「あ~そだねえ~余計なお話してるとぉ、遅くなっちゃうかあ」
「お待たせ~ジュースとお菓子たくさん持ってきたわよ!」
「わーい!」
路次くんがリビングに入ってきた母親のほうへ飛んでいってしまい、必然的に十字路の話はなくなった。
『ナイスタイミングです』
『当然でしてよ』
『た、助かりましたぁ……』
『えーんえーん怖かったよぉパパぁ』
『あれくらい対処できずでその方と並びたいだなんて、おこがましい田舎娘ですわね?』
『むぅ~!』
『もう少し大人になりなさいな。いいですこと?』
『いーっだ!』
淑女としてのアドバイスだっただろうに、路次くんの守護霊は敵意丸出しで歯を見せると引っ込んでしまった。
嫁神楽家の守護霊一同で見回し、肩を竦める。
『なんですの、あの方。酷くありません?』
『守護対象に影響され易くて、精神年齢が幼いみたいでしてね』
『それは困りますわね。守護霊としての己の価値を見誤ってしまわないかしら』
『そ、その辺り、気を遣われたほうが、いいかも、ですよ……征燈くんのお友だちですし』
『ですね』
こう言うことは、守護霊界隈でも起きることだ。
先輩後輩とまではいかなくても、経験値の差を埋める努力をする守護霊のほうが可愛がられる。
だから路次くんの守護霊のように「人間味」を残したままの守護霊は、仲間内では心配の対象となるのだ。
ここで陰口やら虐めなんかに発展する守護霊は、まだまだ守護霊としては経験不足だと言えるだろうな。
「ろんなひゅうにまろめる?」
「食いながら話すな」
山盛りポップコーンを頬張りながらの路次くんに、征燈は呆れ顔をする。
晴燈くんは征燈の腕にしがみついて離れなくなったが、征燈は慣れているので気にしていないようだ。
つまり、晴燈くんの身に起きた異常には気がついていない。
「廃墟が建つ前とお、建ってる時と、現在の地図、でどお?」
「わかりやすくていいな。あんまたくさんあっても見難いだろうし」
「じゃ撮影して~」
「わかった」
晴燈くんを腕にくっつけたまま、征燈は自分のスマートフォンで地図を撮り始める。
助手のように地図を広げたり閉じたりする路次くんは始終にこやかで、晴燈くんの様子も気にしていないようだ。
予定していたよりも時間があまったらしく、路次くんは地図を見て遊び始めた。
古い地図はそれだけでロマンが溢れているそうで、小さなことを見つけては楽し気に征燈に話をする。
殆どが想像の範囲を越えない話題だったが、征燈は聞き役に回って頷き続けた。
出されたお菓子がもったいないという理由で居座り、食べ尽くし飲みつくしてから自主的に帰る準備を始める路次くん。
十字路の話はあれから一度も出てこなかった。
故意か偶然か、路次くんはあの場所の地図を再び出すことがなかったのだ。
「それじゃあ、また月曜日!」
「おう、気をつけてな」
「ありがとお~」
ちゃっかり未開封のチョコ菓子を手土産にして、路次くんは本当に午前中の内に嫁神楽家を出て行った。
「晴燈、ちょっと態度悪いぞ?」
「……」
「帰りの挨拶はしたほうがよかったんじゃないか?」
「…………」
ぎゅ、とより強く腕を握りしめる晴燈くんの頭を撫で、連れ添ってリビングへ戻る。
ソファに座り、無言の晴燈くんの気が晴れるのを待つつもりらしい。
スマートフォンを弄る征燈に、晴燈くんの異変を伝えるべきだろうか。
タイミングを見計らわなければならない話題だから、慎重に期を伺うべきだろうか。
それにしても、晴燈くんのアレはなんだったんだろうか。
持霊の洞と言うと厳ついが、要は集合住宅地のようなものだ。
イメージ的には増築され続ける、タワー型マンションみたいな感じだな。
上になるほど近年の縁を持つ持霊で、最下層には魂の成り立ちを表す持霊が存在する。
晴燈くんの洞は現在もぬけの殻、その「廃墟」から突然、忌水が出てきたと言っていた。
忌水は持霊と魂の縁の痕跡で、普通なら溢れるほど出るものじゃない。
ただ他人の忌水に触れると縁が弱まり切れてしまう可能性があるため、守護霊は守護対象外の忌水を警戒し避けようとする。
「征燈~母さん、買い物に出てくるわ」
「一緒に行こうか?」
「お友だちと行くから平気よ、はるちゃんと一緒にお留守番頼むわね」
すっかり支度を整えている母親は、征燈の返事を聞く間もなく軽やかに出かけて行った。
彼女は今、ドハマりしている海外アイドルで盛り上がっている。
それまであまり使わなかったSNSを利用し、同じファンを見つけて友だちになり、時には一緒にライブへ行き、グッズを買い漁り、メイクも口調も若々しく蘇っていた。
その内の数人が近所に住んでいるとわかり、たまにこうしてグッズ限定品などを買い物に出かけていく。
父親は一昨日から一週間の出張に出ている。
母親は友だちとの買い物で、恐らく夕方までは帰ってこない。
そして路次くんはもう帰った。
「ゲームでもするか?」
「…………うん」
お菓子のおかわりがキッチンにあるだろう。
晴燈くんにゲームの準備をするよう言って、征燈はお菓子とジュースを補充しにキッチンへ向かった。
「兄ちゃーん、ゲーム、クラッシュでいい~?」
「いいぞー」
「はぁーい!」
さっきまでの沈黙が嘘のように声が弾んでいる。
歓びに溢れた晴燈くんの声に、征燈の顔も緩んだ。
『ブラコン』
「うっせ」
『真面目な話、晴燈くんに怖い話を聞かせるのはよくない』
「怖がりだからな」
『それだけじゃない。危険に身を晒すことになる』
「嘘じゃないだろうな」
『晴燈くんだって俺の子孫だぞ。嘘を吐いてどうする』
「……わかった。クラスメイトが話していても聞かないように言っておくよ」
『それが一番賢明だ』
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