第11話

 征燈の前に出る。

 庇うように腕を広げる。


 やったんぞオーラが悪鬼と女もどきの怪異から噴き出した。

 いい感じだ。

 強く悪意や殺意を向けてくれれば、俺の守護霊としての防御力は上がる。


「で?」

『俺ができることはこれだけだ』

「は?」

『あとはお前がやれ』


 振り返ると、征燈が実に怪訝な表情で俺を見ていた。


『その手の能力を使ってみたいんだろう?』

「そうは言ってない」

『守護霊である俺から離れたいってことは、そういうことだ。この状況をなんとかするアイテムがあるだろう』

「そんな物、持ってな……」


 自分だ、と言いたげな鈴の音が響いた。

 征燈は小さな鈴を手に取り、俺を見る。


『少し前、約束通りにお前の師を募集した。そのあとに届いた地図と鈴だ。星型シールの貼られたこの場所のことも知っている輩の施しだろう』

「これが……どんな役に立つんだ」

『想像力はないのか。心霊系の動画を貪るように見ていたのにピンとこないとは、情けない』

「うっさい」

『素人が使役できるモノが入れてあるんだろう。相手にとっては不利な属性を持っているだろうから、使役すればなんとかなる』

「使役って」

『それも知らないのか? お前は本当にどんな動画を見ていたんだ。とにかく、お前しか触れていない鈴だから、使役する権限がお前にだけ一時的に発生する。それを使役してヤツらを屠って終いだ』


 緊張に動揺しているようには見えなかったが、征燈は難しい顔をして黙り込んだ。

 考えをまとめるのもいいが、早くしないと路次くんたちが危ない。


 悪鬼に絞められている守護霊はなんとかもがいてみようとしているが、非力に戻った彼女の拳では痛くも痒くもないようだ。

 女もどきの怪異はピクリとも動かず、だが、明確な敵意をこちらに向けている。


 彼らがここに棲みついた経緯を読み解こうとしたが、その他が多すぎて彼らの残滓に辿り着くまでに時間がかかる。

 まあ、この屋敷の呪いに取り憑かれた犠牲者なんだろうが、幾重にも連なる思念によってどれほど本質が変化しているかも想像できない。

 面倒な相手だ。

 だが、対峙するのは征燈だから俺は全力で応援するだけだ。


 地図と鈴を投函した人物の意図がここにあるのなら、鈴に入れた「使役できるなにか」は征燈の能力で強さの出力を変えるはずだ。

 二匹を鎮静できれば、試験は合格……かもしれない。


「使役って、さ」

『なんだ?』

「呪文みたいなもの、あるんだろ?」

『呪文?』

「お経みたいなヤツ」

『ああ、そういうのは雰囲気だ。自分の知る言葉で儀礼をもって手助けを要請する、何をしてもらいたいかを明確に示す、手助けに厚く感謝をする、それでいい』

「手順は大切だろ」

『自分の中で手順が整っていればいい。第一、差し迫った時に長い真言唱える余裕があると思うか? 俺が守護しているから膠着してるが、俺がいなければとっくにお前はヤツらの仲間入りだぞ』


 鈴を握ったまま動く気配がない。

 まったく……納得できないと動かないのは征燈の悪い癖だ。


『俺が言ったことが本当だと証明するために、今からお前が質問をする度に結界の強度を下げる。結界が消える前に、それを使役しろ』

「どうやって」

『一段下げる』

「おい」

『早くしろ。路次くんももたんぞ』

「っ、わかってるけど」


 言葉が出なくて困惑しているのだろうか。

 なにが仕込まれているかわからないモノを使役することに躊躇しているのだろうか。


『先ずは深呼吸で己を整えろ。それから鈴に集中して』


 懐かしい。

 何度こうして弟子に指導を繰り返したか。

 弟子と言っても血縁だけだったから、今の状況と相違ない。


 征燈くらい動きの鈍い弟子は滅多にいなかったが、経験はある。

 あの頃を思い出すと結界が一段薄くなってしまった。

 いかんいかん、俺はこっちに集中しなければ。


『鈴の中のモノに手伝ってくれと頼むんだ。相手は誰かわからなくても問題ない。敵意がなければ今は味方だ』

「……わかった」


 目を閉じて数秒、握られているはずの鈴が鳴った。

 それが使役可能の合図だ。


『繋がったぞ。使役相手になにをどうしてほしいか伝えるんだ。具体的じゃなくていい。イメージを送るだけでも動いてくれる』

「うん」


 目を閉じたままの征燈の、鈴を持つ側の手に獣の匂いが纏わりついた。

 なるほど、管狐であれば使役者の能力を最大限発揮できるか。


『イメージが伝わったと思うなら、征けと命じる』


 口にするのは恥ずかしかったのか、無言だった征燈の手元から一体の獣がするりと抜け出した。

 結界に穴を開ければ素直にそこから外へ出る。


 途端に、獣は狂暴化し大きな爪で鬼の手を引き千切った。

 よろめく鬼を今度は無視して、女もどきの怪異を頭から容赦なく噛み砕く。

 その身体の中から溢れ出す無数の蜘蛛のような鈍色の魂魄に群がられながらも、路次くんの守護霊を放り出して殴りかかる鬼へ再度爪を立てる。


 どこまでが征燈のイメージなのかわからないが、なかなかに極悪だ。

 投げ飛ばそうとする鬼に対し、体躯を大きくして力で押し戻すと床に倒して腹に強烈な後ろ足の一撃を食らわせ、暴れる前に喉元に噛みついた。

 犬がするように頭を振り引っ張れば、丈夫なゴムが切れるような音と共に鬼の首が胴体から離れる。


 クオオォオオン


 満足そうに高く鳴いて青白い炎を纏い、二つの躯と未だに群がる魂魄を容赦なく焼き尽くした。


「……すげえ」


 ものの数十秒で終幕だ。

 敵意を向けてくる相手がいなくなり結界を解く。

 管狐は滑らかにうねりながら飛行し、征燈の眼前に細長い鼻っ柱を突きつけた。


『礼を言って戻ってもらうんだ』

「あ、ありがとうございま、す……?」

『礼くらいちゃんと言わんか』

「うっさい」


 クルルルルル


「う……。手伝ってもらって、ありがとうございました」


 鼻をくっつけられて気圧されていたが、さっきよりかはましな礼が言えたようだ。

 管狐は細い目を一層細めて「クゥ」と短く鳴き、しゅるんと鈴に戻って行った。


「なんだ、さっきの……狐?」

『管狐だ。使役にもってこいだが、鈴に入れる能力者は滅多にいないだろうな』

「ふぅん」

『さっき鼻をくっつけていたが、何か感じたか?』

「え? ああ……晴燈の鼻先と似てるなって」

『聞いた俺が愚かだった』

「なんだよ、答えてやったのに」

「う……、うぅ、なんか臭いいぃ」

「佐納」


 管狐が暴れた拍子に仰向けに昏倒した路次くんが気がついたようだ。

 全身隈なく鼻をつけてしかめっ面をしている。


「ねえゆっきー、ロジ生臭くなぁい?」

「…………相当臭い」

「げえー!」

「お前が寄り道したいっていうからだぞ! さっさとここを出てれば臭くならなかったのにっ」

「ううぅ~、ごめんよお」


 さすがに反省しただろうか。

 路次くんは臭いを気にして征燈から距離を取ろうとしたが、腕を絡めてガッチリと真横を占拠する征燈に苦笑している。

 その後ろで守護霊も安堵した表情で路次くんを撫でていた。


『……』


 白く細長くしなやかな狐だった。

 だが、見た目に騙されては痛い目を見るほど緻密な印で囲われていた。

 あの印のクセには見覚えがある。

 だが、嫁神楽流は潰えて永い。

 どこから伝承が漏れたのかわからないが、注意をしておく必要はありそうだ。

 どうせ近々顔を合わせるだろう。


 その時に、征燈に悪影響を及ぼすようなら呪をもって駆逐しよう。


『待て』


 悪しき怪異の大物が消失し、屋敷の中は比較的歩きやすい状態になっていた。

 視えているモノも慣れてきたのか、征燈も躱さず歩いている。

 腕を組んで歩く二人だが、方向が間違っていたので声をかけた。


『来た場所を辿るな。正面から出ろ』

「……佐納、あっちは狭いからこっちから出よう」

「え? でも開くぅ?」

「開くだろ」


 適当な言い訳に笑う路次くんを引っ張って、征燈は正面に見える大きな扉を目指す。

 何度も張り直された蜘蛛の巣、古い防腐剤に貼りつく埃、ドアノブは青錆が浮いている。

 一瞬掴むのを躊躇したが、豪華な装飾錠の持ち手を握り親指で留め金を押し込んだ。


 低い解錠音がして、扉が薄く開く。

 差し込む光は、茜色になろうとしている。


「わ、見て見てゆっきー、キレイ!」

「え?」


 蝶番が錆びてあまり開かない扉を限界まで広げた征燈は、ぱっと明るい声を上げた路次くんが腕を伸ばすほうを見る。


 長く積もった埃が舞い、入ってきた陽光にキラキラと反射している。

 陰鬱に見えた屋敷の中は、当時の豪勢さを取り戻したかのように見えた。


『そうか』


 悪意の楔のように居座っていた怪異が減り、元から屋敷を支配している建材の気配が力を取り戻したようだ。

 本来、恨まれるべきはこの屋敷のために樹木を伐採した権利者だ。

 彼らがここから離れた時点で、呪いは静かに年月と共に朽ちていくはずだった。

 それを無下にしたのは間違いなく人間で、余計なモノを呼び込み増長させたのも人間。


「しもしもー! こっちは終わったから合流地点に向かうよお~!」


 いつの間にか通話をしている路次くんは、丁寧にドアを閉めた征燈を逆に引っ張り走ろうとする。


「ビックリだぁ! ものすごく時間たってると思ったのに、全然だよ!」

「あ……本当だ」

「凄いねぇ、ロジ初体験だったよお」

「ちょっと待て。ここに来た目的を忘れるところだった」

「おょ?」


 屋敷の出入り口から正門まで長く、鬱蒼とした木々や雑草は裏口と同じだった。

 だが重い空気は感じず、路次くんは足取りが軽い。

 歩きにくそうに引っ張られながら、征燈はスマートフォンを取り出し撮影する準備をしている。


「不法侵入の事実は俺たちだけの秘密だぞ」

「ほーい」


 錆びだらけの門から敷地外へ出ると、さらに空気が変わる。

 路次くんは解放感に深呼吸をして笑顔全開だ。

 その隣でスマートフォンを屋敷に向けた征燈は、撮った画像の確認もせずズボンの後ろポケットに突っ込む。

 チリリン、と鳴った鈴は外してカバンにつけ直した。


「あっちより早く最後の場所行こー!」

「待てよ、蜘蛛の巣ついてるぞ」

「そんなの関係ないよ」

「あるよっ。敷地内に入ったって、山佐辺りは気がつくって」

「誤魔化せばいいじゃん」

「誰が誤魔化すんだよっ」

「ゆっきー」

「おまっ、ざけんなよ」

「かはは~」


 征燈が晴燈くん以外で振り回されるのは路次くんだけだろう。

 軽やかに笑ってスキップを始める路次くんを、ため息を吐いてから追いかける姿はどこにでもいる高校生だ。


 それでいいのに。

 守護霊が視えるだけの、普通の高校生でいればいいのに。

 大好きな弟のためにどこまで自分だけで解決しようとするのか。


 とはいえだ。

 俺も結局、加担してしまった。

 守護霊の範疇を越えないようにしてきたってのに、これからどうなるかはその時次第だ。

 今回の地図と鈴を準備した者が現れたら、方向性も変わるだろう。


 今まで気楽に子孫の守護霊をしてきたツケが、一気に回ってきた気分だな。

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