第10話
「佐納、大丈夫か」
五つ目の扉は抵抗なく開き、広めの客室だったと思われる内装で一番目を惹く豪奢なベッドに仰向けになっている路次くんを発見できた。
他の部屋よりも格段に空気はよかったが、逆に警戒するほど違和感がある。
足元に気をつけてベッドへ進み、路次くんの肩を揺らす。
「しっかりしろ」
さすがに揺らしすぎだったが、路次くんは目を開けない。
路次くんのことだから悪戯心から目を開けないのでは、と思ったがそうではないようだ。
『離れろ』
「またかよ」
『噛みつかれるぞ』
「!」
限界まで首を捻って征燈の腕に歯をむき出した路次くんを見て、突き飛ばすように手を離した。
数歩離れて、背中を押されたような不自然な起き上がり方をした路次くんは、その勢いまま前のめりに半弧を描きベッド脇の床に頭から落ちる。
「さ、佐納……」
どう状況だと言いたげな征燈に肩をすくめた。
『取り憑かれているだけだ』
「だけってなんだよ!」
『焦るな。路次くんの守護霊になんとかしてもらう』
「一緒に取り込まれてんじゃねぇのかよ」
『そうだが、覚醒の方法はある』
征燈の納得いかなさそうな顔に薄く笑うと、俺は前後に揺れている路次くんに向かって声を張った。
『しっかりしてください! 子どもが虐められていますよ!』
「敬語かよ!」
征燈のツッコミはさておき、俺の言葉に反応しない彼女じゃない。
そう、生前彼女は肝っ玉母さんだ。
子どもが痛い目を見て黙っていられるワケがない。
『あたいの子どもにっ、悪さするならぶん殴るよっっ!』
揺れる路次くんの頭部がほんのり光り、そこからいつもとは全然違う腕っぷしのいい守護霊が叫びながら出てきた。
一緒に押し出されたのは、黄土色の塊だ。
ぼてん、と床に転がり小柄な餓鬼の姿を取った塊を、路次くんの守護霊(覚醒のすがた)が追う。
『耳かっぽじってしっかり聞きな! あたいはね、子どもに手ぇ出すヤツを容赦しないんだ!』
肝っ玉母さんを通り越したバイオレンスを感じるが、彼女は餓鬼を大きな拳で何度もぶっ叩いた。
なんとも頼もしい母の姿だな。
ちなみに、守護霊が守護対象のために感情をむき出しにする時は、大体が暴走している。
今回は俺が誘発させたが、こうなると本人が冷静さを取り戻すまでは手を出さないほうがいい。
「変なのが踊ってるぞ」
『踊ってる?』
「ああ、びよんびよん跳ねるみたいに踊ってる」
『……お前、俺以外の守護霊が視えないのか?』
「守護霊?」
『路次くんの守護霊が、目の前で餓鬼をフルボッコ中だが』
「ふぅん……なら、お前以外視えてねえな」
特に焦りもせず事実を受け止めた征燈が静かで、逆にどうして俺だけが視えているのか疑問に思わないのかとか、路次くんの守護霊はどんな奴だと聞かないのかとか、俺が散々思いを巡らせることになった。
晴燈くんを守るために神を守護霊にしたいと言うくらいだから、すべての「視えないモノ」を視たいのかと思っていたが違うようだ。
「あのさ。アイツの色的にもしかして」
『勘が冴えているな。路次くんを引っ張り込んだ内の一つだ』
「やっぱり」
『俺の結界から出るな』
一緒になって殴りたそうだったが、それをするには結界を解かなければならないから我慢してもらう。
不満そうだが、未だ怒りの収まらない路次くんの守護霊にボコられて惨めに踊っている餓鬼を見つめていた。
『まったく、どこの悪ガキだい。親の顔が見たいさね!』
フヒュ、と武闘家のような息を吐き、ようやく暴走が落ち着いた時には既に相手は虫の息だった。
そこまで結界を一時的に広げ、黄土色の餓鬼を結界圧ですり潰す。
『よくできました』
『あ、あれ? パパ? どうしてここにいるのぉ?』
手を叩いた俺に驚き、空気が抜けるみたいにいつものサイズになった彼女は逃げ帰るように路次くんの中に飛び込み顔だけ出し直す。
視線的に、状況の説明を求めているがそれはあとでもできるだろう。
「佐納、しっかりしろ」
餓鬼が砂粒になって消えるのを視た征燈は、床に転がっている路次くんに駆け寄り抱き起した。
軽く怪我をしていないか見る辺りが優しい。
『ロジったらもう起きてるのに……どうして目を開けないんだろお?』
『起こしてください。ここを出ますよ』
『えぇ~疲れてるのかもしれないしぃ、もう少し』
『またさっきみたいなことになりますから』
『さっき?』
『路次くん、怖い存在に虐められますよ?』
『むっ、そんなの許さないモン~!』
想像以上の覚醒の姿を思い出した俺は、次に虐められても大丈夫だろうなとしか思えなかった。
本人に言っても信じないかもしれないが、生前の姿のほうが腕っぷしが強い自覚はあるだろうし、いつか立派な守護霊としてその力を制御してもらいたい。
守護する能力であるなら、殺傷能力だろうが身につけておくべきだ。
守護霊として。
チリリン、と征燈の鈴が突然鳴り始めた。
小さな鈴なのに部屋中に響き渡るほどの大音量に、寝たふりをしていた路次くんも堪らず飛び起きる。
「お前、起きてたのか?」
「え、え~? 今起きたぁ」
「本当かよ」
「かはは」
誤魔化すように笑う路次くんの肩を叩き、征燈は先に立ち上がる。
鳴り止まない鈴を手に包むと、不思議そうな顔をしている路次くんに手を伸ばした。
「出るぞ」
「出るって?」
「ここを出るんだ」
「もう少し、探検しようよぉ」
「ダメだ」
「う~」
口を尖らせ拗ねる路次くんだったが、さすがに勝手に鳴り続ける鈴を異常と認識したのか、大人しく征燈の手を取った。
「その鈴ってなぁに?」
「わかんねぇ」
「かはは~。なんだよお、それぇ」
危機感のない路次くんを引っ張り廊下に出た征燈の足が止まる。
左右から下から、先ほどとは打って変わって悪意を剥き出しにした怪異どもが迫ってきていた。
「どしたの?」
「……走るぞ」
「え?」
路次くんはこの気配を微かにも悟らないのか。
ここまで鈍感なタイプは初めてだが、守護霊が似たようなタイプだから仕方がないのか。
路次くんの守護霊は、しっかりと路次くんを後ろから抱きしめて警戒している。
ちゃんと今できる範囲での仕事を果たせているようでなによりだ。
ではこちらも仕事をするとしよう。
『散らせる』
言葉に頷き、なにも言わずに階段を目指す征燈。
俺は結界を一旦最小にして、強度を数段上げた。
途端に周辺で生枝を折るような鈍い音が響き始める。
「何の音お?」
「ラップ音だろ」
「へえ~これがぁ」
「暢気すぎんだろ、少しは自分で走れよ!」
「かはは~りょうかぁ~い」
『ロジはぁし~っかり守るよぉ』
路次くんに抱きつく守護霊は、先ほどの覚醒で少しばかりレベルが上がったようだ。
肝っ玉母さんの破壊力まではいかなくとも、頑丈そうな結界を背部限定だが広げている。
これからのためにも、少し鍛錬をしてやったほうがいいかな。
「わっ?」
「なになにっ?」
「……滑った」
「ちょっとぉ、驚かせないでよお」
誤魔化すが、征燈の意識がチラッと俺に向く。
『視えないようにはできないぞ』
「……」
『修練しないからだ』
「……チッ」
路次くんに気がつかれないような小さな舌打ち。
まったく、自分の怠慢が招いた状況だと反省しろ。
征燈は襲い掛かってくる怪異をすべて視ている。
結界を小さくした分、ヤツらは間近にまで迫ってくるワケだ。
怪異の悪意は絶対に通さないが、ゾンビゲームのアトラクションくらいには迫力があるだろう。
逃げ出す状況でこの視界は非常に悪い。
攻撃されないとわかっていても、視えれば本能が回避しようと身体が動く。
人間はそういう生き物だ。
特別な訓練を受けない限り、避けたくなるだろう。
「ねえ、どして変な動きするの?」
「っ、ビ、ビビってんだよ」
「えぇえ~ホント~かなあ?」
「本当だよっ! くそ!」
ほら見ろ、苦し紛れの嘘を吐いて友人に誤解された。
なにも見えていない路次くんは、あちこちに興味が湧いて大変な状況の中でも寄り道をしたがった。
その度に「ダメだ」と言って「怖いもんねえ」と薄ら笑われている。
きっと、今年一番の屈辱だな。
「待ってよ、ねえゆっきーってば!」
「待たない!」
「ホントお願い、あそこだけ。ね?」
「ダメだって」
「せっかく中に入ったのに画像撮らないのは勿体ないよお」
「要らないって」
「ケチー!」
「あっ、こら佐納!」
またか。
路次くんはわがままを言って征燈の手を振り切り、一階の応接室らしき広間へと走って行ってしまった。
「ったく……!」
悪態を吐きつつ追いかける。
ここへ引っ張り込んだ怪異が、まだ二匹残っていたな。
その内のどちらかが、再び路次くんを操ろうとしているらしい。
応接室の中は比較的日当たりがよく、ちょっとしたショーができるくらいのダンスホールになっていた。
贅沢だったろうアンティークなソファが窓際にずらりと並び、端には汚れているが上品なレースのテーブルクロスがかかった丸テーブルがまとめられている。
他の場所と同じく壁一面の下品な落書き、散乱するゴミがあったが、部屋の中央に近づくにつれて当時の面影を残す床だけが鈍く光っていた。
埃の積もる廃墟において、これほど異常な光景はないだろう。
路次くんはその中央に立ち、天井からぶら下がっている華奢なシャンデリアが揺れるのを見上げて倣うように揺れている。
『!』
訂正、一匹じゃなく二匹が徒党を組んで俺たちを閉じ込めるつもりだ。
『パ、パぁ……っ』
俺の目には、路次くんの守護霊を後方から締め上げる黒い悪鬼が映る。
悪鬼の傍らに寄りそうように立っているのは、女のような形の怪異だ。
征燈にはどちらも視えているだろう。
「アイツら」
『路次くんを引っ張り込んだヤツらだな』
「あれって、鬼?」
『鬼だな。彼岸へ逝く前に怨念を吐き、此岸に還り呪詛を纏った悪鬼だ。色は黒、一方的に他人を恨み、己の咎を否定する者』
「単なるイタい奴じゃねえか」
現代の若者の言葉は実に的確だ。
しかも小気味がよくて俺は気に入っている。
「もう一匹は?」
『色からしても鬼と関係している。沿う側は右、夫婦ではなさそうだ』
「わかんねえのか」
『興味がないだけだ。知りたいのか』
「知りたいって言ったら、教えてくれんのかよ」
『ああ』
知りたいからそう聞いたのかと思ったが、征燈は知りたいと返してこなかった。
「知ったところで他人だし、興味ない」
『一番いい判断だ。怪異の事情を知ろうなんて、人間が思わなほうがいい』
俺の言葉が気に食わなかったのか、鬼がさらに守護霊を絞め上げる。
女らしき怪異は、能面のような表情を崩さず不快感だけを溢れさせた。
やり合うつもりらしい。
『怪異の親玉じゃないようだが、厄介な連中だ』
「どうにかしろよ。佐納だっているんだ」
『俺は、お前を護るだけだ』
「はぁ?」
『守護霊だぞ』
ヤツらに会話は届かない。
迫れるモノがあるとすれば、それは拳だけだ。
だが今の俺にその選択肢はない。
向こうは存分に敵意を剥き出しにしているから、守護は容易だろう。
だが、それだけでは路次くんたちを助けることはできない。
都合よく子孫の身体を使って、えいやーとできれば簡単だが、世の中そんなに都合がよくては歪も大きくなる。
便利と不便利は等しくなくては。
「おい」
『焦るな』
「のんびりすんな」
『黙ってろ』
「大丈夫かよ」
俺を信用していないようなため息を吐く。
この状況からすれば、お前のほうがよほど肝が据わっているぞ。
さすがは俺の子孫だ。
だからその可愛い子孫のために、ちょいとばかり動こうか。
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