第9話

「いるか?」

『いない』

「本当かよ!」

『この状況で嘘をついて得があるのか?』


 目を閉じて二階に辿り着いた征燈は、廊下の手すりを使って移動しながら扉を開けて回っていた。

 どの扉にも鍵はかかっておらず、簡単に荒れ果てた内装を開放した。

 現在三つ目、路次くんの姿はない。


『残り二つだ』

「どっちかにはいる、よな」

『いないと困る』


 時空を捻るような能力を持った怪異がいるとなると、守護霊である俺にもできないことが出てくる。

 守護霊じゃなければ余裕だが、俺は今、子孫の守護に徹しているのだ。

 そこはブレちゃならない。


 三つ目の扉から離れ、壁からゆっくり腕を伸ばして手すりに摑まる。

 壁伝いには大小さまざまな木箱や変形した段ボールなどが積んであり、目を閉じたままでは横移動が困難な状況だ。

 中には現代的な空き缶やペットボトル、お菓子の袋やタバコの吸い殻なんかもあるのには頭が痛い。

 心霊スポットだとしても、ゴミ捨て場ではない。

 申し訳ないが、ちょっとくらい厄が憑いて悪いことが起きても自業自得だとしか言えないぞ。


「佐納、いるか」


 四つ目のドアノブを俺の導きで見つけた征燈は、部屋の中へと声をかける。

 少しだけ待ってから扉を開けようとした。


「開かない」


 埃だらけのドアノブを握ってガチャガチャと回してみるが、扉は動かなかった。

 単に鍵のかかった部屋なのか、ここがアタリなのか。


「佐納!」


 征燈はアタリと捉えたらしく、扉を叩き始めた。

 路次くんを呼ぶ声も次第に大きくなっている。


「ここにいるのか、大丈夫か!」

『あまり騒ぐな、別のモノが起きる』

「そんな悠長なこと言ってられるかよ!」


 かなり焦っている。

 生物的感覚が捻じ曲げられる空気が充満しているのだから仕方がない。

 今の征燈の感覚では、路次くんと離れて一時間以上経っているに違いない。

 俺がまだ二十分くらいしか経過していないと言っても、恐らくは信じないだろうから黙っていよう。


「佐納! どこだよ!」


 ドアノブを乱暴に扱う征燈から鈴の音が鳴り響く。


『静かにしろ、鈴の音がおかしい』


 征燈を黙らせると、鈴の音がよく聞こえる。

 チリチリと澄んだ音を響かせていたのに、中に泥が詰まったような伸びを欠く濁った音を立て始めた。


「なんだ?」

『扉の前から離れろ。一歩後ろへ』


 疑問と指示が重なってしまった。

 征燈の反応が遅れ、唐突に外側へ向けて開け放たれた扉に全身を強打し、勢い余って手すりに腰を強打して呻いた。

 足元に不浄が音もなく流れ込んできたが、守護の能力で無効化し一階への転落を免れる。


 さあああああああ~のおおおおおおおぉぉおお~


「!」


 本能的に目を開いた征燈の眼前には、扉を開けた巨大な嬰児の頭が迫っていた。

 征燈の身長よりも大きな頭部はさすがに可愛げがない。

 皮膚にはカビが広がっていて、ところどころ捲れて赤黒い内側が見えている。

 腫れた瞼を蠢かせ開ききった瞳孔を持つ眼からは白い汁が涙のように滴り、幼子らしい丸みの凹凸に従った汁が小さな鼻の穴を詰まらせていた。

 鼻の周辺で変色して粘度を増した汁は薄皮の捲れ上がった唇に吸い込まれ、どこかには存在しているらしい喉の奥で空気と混ざり合いうがいをしているような音が漏れている。


 さあああぁ~ああぁぁあ~の、のおおおおぉおぉお~


 むわりと熱のように感じる気配を取り巻く強烈な臭いに征燈は顔をしかめた。

 簡単に死臭と言うが微生物やらが活発に動いている証拠でもあるから、気配のある臭いになることはおかしなことではない。


「っく、せ……!」


 ああ、とは思う。

 ピクニック気分でやってきてゴミを捨てて帰る者がいるように、自分には要らないモノを捨てに来る輩もいるということだ。

 忘れたほうがいい記憶だとしても、忘れてはならない事実。

 僅かでも悔いていればいいが、己の傷を隠し生きることに必死になろうと努力しているかもしれない。


 巨大な嬰児の頭部は、ただ征燈の顔面を占拠している。

 手足の概念が失われているのか、頭部にだけ念が残ってしまっているのか判断できないが、害はない。


『後ろだな』

「うし、っ、おえっ」


 声を出して死臭を吸い込みえずいた征燈に驚いたのか、嬰児は顔をしわくちゃにして口を大きく開けた。

 動かすことによって裂ける肉からは、血の代わりに白い粒が零れ落ちる。


 あああああああぁぁぁあ~


 爆音の圧に押され征燈は耳を抑えしゃがみ手すりに摑まったが、身体にパラパラ落ちる物の正体を見てすぐに立ち上がり払い落とす。


「どうにかしろっ」

『ちゃんと落とせているぞ』

「そうじゃないだろ!」

『……守護に徹する』


 征燈も人間だ。

 幽霊やら怪異を視て怖がらなくても、本能的に嫌悪する物は存在する。

 小さくて白くて、もぞもぞ動いている蛆にイラついても仕方はない。

 だが、それだけの理由で敵意のない相手を過分な守護能力で捻じ伏せることはできない。


 俺は号泣する嬰児を遠ざけるべく結界の範囲を広げた。

 この世のなにも理解しないまま葬られた者に防ぐ手段はない。

 風に転がるボールのように泣きながら後方へ転がっていく頭部が扉を境に部屋へと入った瞬間に弾け飛んだ。


「守護に徹するんじゃなかったのか」

『俺じゃない』

「あ?」

『後ろだ』


 ねっとりした赤黒い液体が床に広がる。

 小さく切ったベーコンのような塊がいくつか浮かび、蛆たちが緩やかに揺蕩う中、白くて丸い物も転がっていた。

 征燈がそれらすべてを視認したとみなした気配が、床の中へと強欲に吸い込んでいく。

 下品にスープをすするような音とともに、嬰児の頭部だったものは消えた。


 同時に室内の陰りが靄のように動き、綿あめのように形を作り上げていく。


 さのおおおぉ~さののおおおおぁあああぁああ~


 指二本分ほどの太さの歯が並ぶ大きな口が、征燈が吐き出した言葉をなぞり、嘲笑うようにゲラゲラと嗤い始めた。

 実に耳障りで不快な嗤い方だ。

 ついでに、征燈に対する猛烈な羨望と嫉妬を向けてくる。

 明らかなる悪意。

 守護霊として、赤信号が点るのを感じた。


『俺の子孫を嗤うか』


 さのおおぉぉぉ~ゲラゲラゲラゲラ

 さああぁ~の、おおぉ~ゲラゲラゲラゲラ


 俺に肉体があれば嗤ったことを存分に後悔させるまでボコボコにしてやるところだが、あくまでも守護霊としてそれなりの力を出させてもらおう。

 相手のレベル的には下の中ほどだ。

 しかも下品ときている。

 人の不快感を煽って上げ足を取るだけの輩なんぞ、右の拳一つ分で事足りる。


『俺が誰かも知らずに嗤うか』


 一度言ってみたかったセリフだが、俺のことを知ってるヤツなんてここにはいない。

 そんなことはわかってる。

 ついでに、征燈のひんやりした視線が痛い。


「おい」

『すまん、興が乗った』

「こんなときにふざけんな」

『言ってみたかっただけだ』


 俺の言葉にいよいよ文句が飛び出しそうになる征燈に向かって右腕を伸ばした。

 その先には嗤い続けている口のついた黒い石綿みたいな輩がいる。


『悪意は排除する』


 広げていた手をぎゅっと握り込んだ。

 同じタイミングで石綿が小さく丸まり、嗤い声も途切れる。


『失せろ』


 石綿の思念は部屋の中に広がっていたのか、形を戻そうと黒い靄が集まり始めたが、守護の能力ですべて絡め取り丸めた石綿ともども圧をかけてすり潰した。

 砂のように床に落ちるそれらをさらに結界圧で押し潰し、結界と床の摩擦で生じる熱で炎を作り浄化させる。

 石綿っぽいと思っていたが本当に石綿だったのかもしれない。

 よく燃える。

 浄化の炎だから延焼にはならないが。


「燃えるのか」

『時と場合による。今回は摩擦が生じて炎の浄化になっただけだ』

「……色々聞きたいが、佐納を見つける」

『偉いぞ』

「ガキ扱いすんな」

『凄かったと一言あってもいいぞ?』

「うっさい」


 結局、四つ目の扉の向こうにも路次くんはいなかった。

 巨大な幼児の頭部と石綿が引き起こした流動に刺激されたのか、周囲の気配に殺気に似たモノがじんわりと滲み始める。


『最後の扉だ』

「ああ」


 征燈はもう、目を閉じていなかった。

 未だに溢れるほど視界を邪魔する霊やら怪異が視える中、真っ直ぐに閉じている扉を見据えて歩き出す。


 チリリン、と小さな鈴は再び澄んだ音を響かせた。

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