第8話

「待て待て待て待て」

「止めないでえ~」

「止めるだろっ」

「どうしてさあ」

「不法侵入!」


 想定外の展開だった。

 ヤバい連中を見て我慢の限界に達した征燈が突撃するかと思いきや、廃墟に潜む連中の様子を視ている間に路次くんが見つけた裏口らしき扉(の隙間)から入ろうとしたのだ。

 思わず引き留める征燈は、内心しまったと思っているかもしれない。

 一緒になって勢いで入ったほうが楽だっただろうに。


「ここねえ、土地の所有者生きてるんだあ。お父上も知ってる人だからぁ、ちょ~っと入るくらい、怒られないよ?」

「そういう問題じゃない。生きているんだったらきちんと許可取らないとダメだろ。どんだけ危ないかわかんないし、倒壊して怪我でもしたら」

「ゆっきー興味ないの?」

「っ、え?」

「ここがあ、な~んて言われてるか……知ってるでしょ?」


 まさか路次くんが率先して心霊スポットへ侵入しようとするなんて想定外だ。


『なに考えてるんですか! 危険な場所だって、話しましたよねっ?』

『パパが護ってくれるから安心だも~ん』

『あなたはちゃんと路次くん護らないとダメでしょ!』

『ん~でもお、ロジが入りたいって言うならあ、入らせてあげたいんだもん~』


 そんな顔してもダメ!

 玩具をねだる幼児のような顔で俺を見てくるが、それで許可が出せるほど気楽な場所じゃない。

 曲がりなりにも守護霊なんだから既に境界線を越えているのはわかっているだろうに、止もせず危険信号も出さず奥へ進む守護対象と一緒になって……。


 そうか、相互影響が原因だな。

 ということは、入りたい欲求を強く持っているのは路次くんか。

 好奇心旺盛なのは知っているが、まさか守護霊が自ずと警戒する境界線を無視させるほどとは。

 というか、彼女も主張をもっと強く伝えてくれ。


「おいっ、佐納!」

「おっ先ぃ~」


 征燈の手を振りほどいて嬉しそうに行ってしまった。

 路次くん、本当によくわからない子だな。

 警戒強化して視てみるか。


 征燈を護る前提で能力をわずかに開放した。

 それまで視えていなかった気配の色や形なんかがハッキリしてくる。


 路次くんの気配の残滓が、漂う湯気のように薄く揺蕩っていた。

 そこに絡まる黒と黄色、赤黒い紐のようなモノ。

 一度に三体のヤバいヤツらが彼を捕らえて引っ張って行ったようだ。


 数体は意思疎通をして徒党を組んでいるとみていいかもしれない。

 これは思った以上に厄介だぞ。


『引っ張られた』

「なんだよそれ」

『中の誰かが路次くんを引き寄せているんだ。路次くんには抵抗する術がないから、引かれるがままだな』

「は? 守護霊はっ?」

『あそこの守護霊は路次くんに影響されやすい。すっかり一緒になって巻き取られてしまっている』

「はぁ~っ?」


 素っ頓狂な征燈の声音には納得せざるを得ない。

 そうだよな。

 普通は、守護霊が踏ん張って護る場面だ。


 うん、なんだかすまない。


「追いかける」

『路次くんを見つけたら離れるな』

「当然だろ」


 一応、周囲に人の目がないかを確認してから路次くんが入って行った隙間に身体を滑り込ませた。

 チリン、と鳴った小さな鈴を、征燈は無意識に握りしめている。


「佐納、どこだ」


 入ると真っ直ぐ、苔に汚れた石畳が伸びていた。

 生い茂るというより大発生したような様相の常緑樹が群れを成して太陽光を阻み、薄暗く湿度の高い場所を作り出している。

 苔と湿度で滑りやすい石畳を慎重に進むと見落としそうな曲がり角があり、そこを覗くとボロボロのプランターフェンスがあった。

 管理されていた頃は何某かの美しい花が咲いていたのだろうと想像ができる枯れた蔓が絡まっていて、雨風にさらされて壊れかかったフェンス自体の形をなんとか留めさせている。


「佐納?」


 常緑樹が茂りすぎて狭くなっていたが、プランターフェンスの横に家屋への入り口があるのが見えた。

 横歩きするようにそこを通り、過去勝手口だったであろう入り口を正面にして立つ。


「っ」


 怪異を見ても動揺しなかった征燈だが、さすがに言葉を詰まらせた。

 中の状態が視えるだけでは辛いだろうな。

 

 この屋敷は建造された時から呪われている。

 その呪いは廃墟になった今でも蓄積され続けている。

 引き寄せられる霊、怪異、興味本位の人間が生み出す念、統一感のない様々な「視えないモノ」たちが集まりぎゅうぎゅうに押し込められている。

 肝試しをして何某かを連れて帰ってしまい、それが原因で命を落とした者の魂魄もあるだろう。

 犠牲者も時間が経てば怨みを吐き出す霊になり、行き過ぎればもっとヤバいモノになる。


「こ、この中に、入ったのか?」

『入ったんだろうな』

「マジか……」

『急に弱腰か?』

「汚れないよな? 臭いとか大丈夫なのか?」

『そっちの心配か』

「帰って晴燈に、兄ちゃん臭いとか言われたら瀕死ダメージだろうが!」


 本気か。

 本気だな。


『視覚的な汚れはつかないが、視える者には視える痕跡が残る場合がある。それは俺が消してやるから安心しろ。臭いは……帰って即風呂でなんとかなるだろ』

「臭うのかよ」

『廃墟だぞ。カビの臭いや小動物なんかの死臭もあってしかりだ』

「なんだ、その臭いか」

『言っておくが、死霊や怨みを残した霊が多ければ臭いはつく。死臭と同類だ』

「どうにかできないのかよ」

『お前が求めるのなら、俺がどうにかしてやるが?』


 お前の守護霊だからな。

 どんなことからも完璧に護ってやる。


 俺の言い方が気に入らなかったのか、征燈は鼻を鳴らしただけで答えなかった。

 数回浅い深呼吸をしてから、意を決して屋敷の中へと踏み込んだ。


 ゴーン……


 重い音が響いて、俺は即座に守護結界を張った。

 鐘系の音には警告を越えた「入ったからには確実に後悔する」という予告の意味もある。

 他にも術にかかった~とか、発狂へのカウントダウン~とか、まあとにかくよくないことを知らせる音だ。

 それでも俺は結界のレベルを抑えた。

 低め設定にしたのは、初めから手の内を全開にして見せびらかすのはよくないことを知っているからだ。

 気配を探ろうにも詰まっているモノの量が多すぎる。

 安全と危険の区別がつかない状況で、全力を出すのは無謀としか言えない。


「これ、本当に歩けてるか?」

『歩けている、大丈夫だ。路次くんの気配に集中しろ』

「どうやって」

『路次くんは生きているんだから、なにかしら音を出しているだろう』

「ホラー映画観たことないのか? 生きてる奴らも霊に憑かれたら生気がなくなって気配なくなるんだぞ」

『人間知識を守護霊に披露するのは止めろ。霊に関してはコッチのほうが専門だ。いいから耳を澄ませて物音を聞け』


 結界の外側に圧がかかる。

 霊的体積が相当量だから仕方がない。

 それでも周囲にいる連中からは敵意を感じないから黄色信号だ。

 この辺りに詰まっているのは、巻き込まれた新しい魂たちだけなんだろう。


「あっちで物音がした」


 霊的物体をよける動作をしながらギシギシと軋む床板を踏み進む。

 かなり年代が経っているのに、シロアリ被害などで穴になっている場所や風化の部分がない。

 征燈には周囲を見る余裕はないだろうが、廃墟の内部は想像以上にキレイなままだ。

 糸を使った製品は虫に食われて無残な状態だが、屋敷を構成する木造部分は古びた様子が伺えるだけで朽ちてはいない。

 美しい陶器の壺は埃をかぶり、家族の肖像画を収めた大きな額縁は重力で下枠が外れてキャンバス自体が落ちてしまっている。

 なのに、屋敷自体は汚れを取りフローリングにワックスをかければいつでも入居ができるほどだ。


 朽ちる前からの呪いは、つまり屋敷を構成する「木」が引き起こした問題なのだろう。


 そうなると、ますます厄介だ。

 このとんでもない異界を構成している正体候補が増えることになる。

 屋敷自体が問題なのか、屋敷に吹き溜まった霊なのか、彼らに引き込まれて変異した怪異なのか。

 なんにせよ、俺たちはすでに獲物として怪物の口の中に入っている。


「佐納っ」


 征燈は勝手口から使用人室を抜け、食料や日用品を保管していた倉庫的な部屋の先にある料理場に到着した。

 何人もの給仕係があくせく働いていたであろうそこには、陶器製のシンクと広い調理台がある。

 例の木材は使われていないようで、ちゃんとした廃墟の様相だ。

 シンクに溜まった水がすきま風に儚い波を立て、腐敗の臭いを漂わせている。

 こういうところに錆びた刃物などがある場合は、殆どがやりすぎ演出だから驚くことはない。


「佐納、どこだよ返事し」

『返事を求めるな』

「なんでだよ」

『別のモノが応える』

「別のって」


 おぉ~い


『アイツらは耳がいい。ついでに、人の感情を弄ぶのが大好きだ』


 おぉ~い

 さのぉだぁよぉ~


「ふざけやがって。ぶっ飛ばしてやりたい」


 路次くんは自分を主に「ロジ」と呼ぶことを相手は知らない。

 冷静だった征燈は、路次くんの代わりに返事をした何者かに不快感を見せ、イラついて舌打ちをした。

 握っている鈴が同調するようにこもった音で主張する。


 おおぉ~い

 ぃひひ、ひひひ

 さぁ~のぉ~だあぁ~よお~


 特殊な場所での悪戯としてはかなり質が悪い。

 しかし、返事をしてきている相手は楽しんでやっている。

 悪気がないのは生前の性格によるものだろう。

 怖がるみんなをさらに助長させるような、そういう悪戯を好んでいた人間だったようだ。

 ちなみに、こうした特殊な場所で助長させる行動を取る人間は取り込まれやすい。

 波長が合いやすく、合ってしまえば連れていかれる。

 肉体は家に帰っても、魂魄は捕まったままで朽ちるパターンが多いだろうか。

 翌日冷たくなっていて「呪いだ」と騒がれるおまけがつき、その騒ぎが根源への追加燃料となり、捕らえられた魂魄は彷徨い朽ち果て残滓から怪異が生まれる。


「こっちか」


 征燈は声がする方向を完全に無視して、人工的な音に集中していた。

 聞こえたのは扉が閉まる音だ。

 ホール中心に移動して、周囲を見回して音を出しそうな扉を探す。


「ドアが閉まる音がしたけど、幻聴か?」

『結界の中で聞こえる音だ。リアルにどこかで扉が閉じた』

「そうか」


 ほんのわずかに焦りが見えた。

 落ち着けと言っても聞かないだろう。

 大切な友だちを見つけて助けてやりたいと思うのは正常な感覚だ。


 征燈は迷わず二階への階段を上り始める。

 もっと一階で遊んでもらいたいのか、一斉に霊たちが征燈に縋り始めた。


「お……重っ!」

『視えないのに不思議だろう。これが霊の体積だ』

「退けろ、邪魔だ! 俺は二階へ行く!」

『守護は任せろ』

「守護してないだろっ」

『こう言うことも経験しておかないと』

「言ってる場合か!」


 確かにあまりゆっくりはしていられないか。

 二階からも察知した霊や怪異が征燈を止めに動き始めている。

 流れの速さを察するに、二階が正解だな。


『雑魚ども、これ以上の孫へのお触りは禁止だ』


 結界のレベルを三段階ほど上げた。

 それだけで怯むのは最近仲間入りした憐れな霊たちだ。

 道は示してやれないが、捕まった呪いからは解放してやろう。

 増長する結界能力の波動で、数体分の魂魄を廃墟の外まで弾き飛ばした。


 粘る一階の霊や二階からの諸々に向かって浄化灯を見せれば、大概慄いて離れる。

 果敢な連中もいるが、俺の結界に入ってこれる奴はここにはいないだろう。


『もう楽に動けるだろう。早く進め』

「わかってるよ」

『怪異に怖気づいているんじゃないだろうな?』

「そんなわけねぇだろ!」

『はいはーい』

「くっそ、余裕ぶっこきやがって」

『実際余裕ですが?』


 鼻で笑うと舌打ちが返ってきた。

 こんな状況だ、どんな方法でも気持ちを萎えさせないよう気をつけないとな。


 ここまで中に入り込んでしまうと、弱気になった隙を突かれて取り込まれてしまう可能性もある。

 俺がいればたいていは問題ないが、どんなことにも例外は存在する。

 それを嫌と言うほど目の当たりにしてきたんだから、いくらでも用心していくらでも警戒するのさ。


「……ゆっきぃー……」

「佐納っ?」


 緩くカーブする立派な階段の先には、見えているだけでも五つの扉がある。

 そのどこから声が聞こえているのかわからないだろうに、路次くん本人の声だと判断した征燈は軽くなった身体で階段を二段飛ばしに駆け上がっていく勢いだ。


『落ち着け』

「はあっ?」

『慌てるな。お前、何段階段を上ったと思う?』

「え、結構上まで……」

『足は一歩も動いてない。まったく、こんなに分厚く結界を張っているのに同調するな』

「どうなってんだ」

『簡単な幻惑だ。そうして辿り着かない二階を求めて走り続ける夢を見て、やがて疲れて果ててヤツらの仲間入りだ』

「……」

『こういう時は冷静さが一番重要だ。鈴から手を放せ。身に着けろ』


 相手の術中にかかったことが衝撃だったのか、征燈は反抗せず握りしめていた鈴を開放し、カバンから外すとジーンズパンツのベルト紐に結わえ直す。

 可愛らしい音が似つかわしくなかったが、その音は耳への不浄を祓ってくれるだろう。


『目は閉じろ。見えなくても一歩ずつなら上がれるだろう』

「……わかった」


 いつもよりも素直な子孫に合わせるように鈴が鳴った。

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