第3話

「ウザ」


 吐き捨てるような短い言葉に征燈を振り返る。

 途端に前面から攻撃力の高い威嚇がぶつかってきた。

 一言物申したいところだが、先ずはこちらをなんとかとしよう。


『その男をどうするつもりだ』


 答えはない。

 それもそうだ、誰だって知らないヤツに話しかけられても簡単には返事をしないだろう。

 だが問いかけの回答のように、巻き付けた髪で首をキリキリ絞めている。

 怪異になった状態でも、意識と別の部分は素直に感情が現れるんだから人間の情とは面白い。


「うっ、ううっ」

「せ、先生……やだ、大丈夫?」

「後ろから出ようぜ」


 保健室へ向かう一行は、教室の前から出ることを諦め、教師を支えながらゆっくりと後ろ側へ移動する。

 見守るクラスメイトは机を動かし、歩きやすいように通路を広げるなど協力している。

 実にいいクラスだ。


『殺すつもりか?』


 答えは、教師の呻きで返ってくる。

 征燈の隣を通りすぎ、それでも敵意のある視線は俺たちに向いている。


『殺すのは簡単だがアンタのモノにはならないぞ』


 色恋沙汰が捻れた場合「殺して自分のモノにする」ことが選択されやすい。

 確かに対象の人生を終わらせてしまえば、それ以降に誰となにをするか、どう生きるのかで気を揉まなくてもいい。

 選択した本人は結果に満足だろうが、現実を生きる身としては幻夢の世界にでも居座らなければ生涯幸せな人生にはなり難い。

 己の決心に素直になったとしても、後悔は案外すぐに襲い掛かることが殆どだ。


 それは生霊も同じで、怪異の姿になるほどの固執はイコール後悔と背中合わせの状態にある。

 コッチの場合は人間に戻れるかの瀬戸際が第一関門になるが、それすらも知らずに欲望のままに行動しようとする。


『アンタは生きてる。摩訶不思議な力を使ってソイツを殺し罪に問われなかったとしても、人生を終わらせた後に待つのは人を殺めた罪への責め苦だけだ』


 小さな目がぎゅっと一点に集合し、でろでろと溶けて赤と黒の色に混ざり合い大きな一つ目に変化した。

 まつ毛のように上下に生えているのは、枝のような骨ばった無数の指。


「……」


 征燈が固唾を呑む音が聞こえた。

 さすがに喧嘩を売る気にはならなかったようだ。


『魂になってとか来世では出会うとか甘ったれた考えで殺すつもりなら止めておけ。その男を殺してもアンタたちに「次」はない』

『ぐぅううぐぅう』


 背骨を這うような呻きが湧き出し、教師の背中が痙攣を始めた。

 教師自体は声も出せなくなったのか、ただひたすら苦痛に耐えているようだ。


「どうしたの先生しっかりして!」

「これって保健室より救急車案件じゃね?」

「そうだよ、救急車呼ぼうよ!」


 今どきの若者は手元に連絡手段を持っている。

 生徒たちはいっせいにスマートフォンを取り出し、全員が全員を見回した。


「だ、誰かひとり連絡したほうがよくない?」


 こういう冷静さもあるのか。

 そうなると「誰が連絡をするか」のアイコンタクトが始まる。


「あ、もしもーし。急病人です、救急車お願いできますかー?」


 周囲の緊張やら目配せなど我関せず、なぜか笑顔でスマートフォンに向かって話し始めたのは路次くんだった。

 スピーカーにしているらしく、向こう側の声が教室中に聞こえる。


『どんな状態ですか?』

「えー? すごく苦しそうで、さっきからビクビクしてる?」

『声をかけて受け答えできますか?』

「できる?」

「できない!」

「そうですぅ」


 緊張感のある場面のはずが、マイペースな路次くんが真ん中に入ると空気がふんわりと和むから感心する。

 しかも滞りなく状況を伝え終わり、救急車は学園に向かってくるそうだ。


「それまで先生このままにしとくの?」

「寝かせたほうがいいかな」

「寝かせるより座らせたほうがいいんじゃね?」

「そだね、そのほうが救急車の人たちも運びやすいかも」


 教室の後ろまで移動していた一団は、今度は近くに用意された椅子に教師を座らせる流れになった。

 もうしばらく閉じ込められたことはバレなさそうだが、救急隊員なり知らせを受けた教師なりがやってきたらもうダメだ。

 急ぐか。


『執着するなとは言わないが、人であることを忘れてはいけない。アンタはまだ生きている、目を覚ませ』

『ぐううううぅうぅう』

『少しだけ、この男以外のことを意識しろ。腹は減ってないか? ちゃんと風呂に入っているか?』

『ぐうぅうううぅぐうううぅ』

『まともに寝てもいないんだろう、そんな不健康でどうする』

『ぐぅうぅ、う、ぐ』

『いったん休憩だ。目を覚ませ。風呂に入って飯を食い、しっかりと寝て起きてからもう一度考えろ』

『がん、がんぐぅうう、が』


 教師はというと、未だに痙攣をしているが悪化もしていない。

 生徒たちはしきりに声をかけ、救急車はまだかと長く感じる数分を共有している。


 彼らの守護霊たちはなるべく怪異を見ないようにして、自分たちのするべきことに集中しているようだ。

 守護霊たるもの、守護対象は意地でも護るのが鉄則。

 慣れ不慣れはあるが、経験を積めばいくらでも対処法は知識として蓄積される。


『さて、やすはかおるさん、我に返る時間だ』

『ぐぐうぅう』


 ぱちん


 一つ目が小さな音とともに弾けた。

 中から白い煙のような靄が薄く広がり、怪異の全身を柔らかく包むと空調の風にかき混ぜられながら消えていく。

 最後の最後、首に巻きついた髪だけはなかなか消えなかったがそれもやがて崩れるようになくなった。


「す、少し……楽に、なってきました」

「よかった! 救急車来るから病院で診てもらったほうがいいよ」

「だな」


 顔色が戻ってきた教師に安堵が広がり、遠くからサイレンの音が近づいてくる。

 男子はほぼ全員が窓際に走り、女子は教師の周りから離れず、学級委員である三宅くんと花田さん、保健委員の冴木さんが教室を出ていった。


『面目ない』

『気にするな。あそこまでの執着、貴殿には荷が重かったろう』


 抑え込まれていた教師の守護霊が解放されて顔を出した。

 腕に覚えがあっただろう鎧武者の姿は、複数の野犬に喰いちぎられたように鎧諸共ボロボロになっている。

 歴戦の武士だとしても色恋沙汰は管轄外、いくら斬っても湧いてくる生霊の念には立つ歯もなかったようだ。


『ゆるりと休まれよ』


 駆けつけた救急隊員によってストレッチャーに乗せられた教師を見送り、何事かとざわつく他クラスの生徒、鎮めようとする教師の喧騒を受け入れつつようやくいつもの空気を取り戻していく。


「よかったあ! さっと動いてくれた嫁神楽くんのおかげだよ」

「あの時声かけてなきゃもっと酷かったかもだし」

「なんの抵抗もなく救急車呼べる佐納もすげーよ!」

「ロジやるなぁ!」

「かはは、照れる照れるぅ」


 和気あいあいのクラスメイト、同じくホッとしたらしい守護霊たちすらも不機嫌に睨みつけ、征燈は誰にも聞こえないように舌打ちした。


『危機回避してやったのに不機嫌だな? 礼はまだか?』

「大したことしてねぇだろうが」

『ほほう? あれでは不満だったと』

「なにが神様級だ。ただの説得じゃねぇか」

『説得のなにが悪い。ド派手な戦闘でもすると思ったのか』

「あんな振りで前に出たら期待するだろ」

『ほーぅ、期待してくれたのか。そうかそうか』


 小馬鹿にしたのがわかったらしい。

 眉間に険しいシワを作って自分の席に座る。


「ゆっきーどした?」


 存分にチヤホヤされて隣に座った路次くん。

 征燈の不機嫌を秒で読み取り、懐っこい顔を近づけてくる。


「みんなのトコ行ったら、褒めてもらえるよ?」

「褒めてもらいわけじゃないし」

「そういうことサラッと言えるんだから、ゆっきーはイケメンなんだよお」

「おまっ、抱きつくな!」

「かはは~」


 突然征燈を抱きしめた路次くんの行動に、一部女子からなんとも言えない悲鳴が上がる。

 楽しいことをしていると察知した男子が群がり、磁石のように密着していく。


「やめろっ、重いだろ! 暑いっ! お前ら離れろ!」


 和やかな笑い声。

 みんなで乗り越えた困難からの解放に安堵する空気。

 征燈の気難しいところを知っているクラスメイトのイジリに、征燈もやがて笑顔を作った。


 思えば、征燈がこんなに表情が豊かになったのはこのクラスに馴染み始めてからだ。

 最初は路次くん、彼が橋渡しをしてくれてクラスにどんどん溶け込んでいった。


『ふむ、路次くん様様だな』

『ああ~パパがロジのこと褒めたぁ~ズルい~』

『よしよし、守護霊として立派に路次くんを護れたな』

『んひひ。がんばったよぉ~』


 路次くんの守護霊は嬉しそうだ。

 あまりに嬉しかったのか上半身を出して揺れているものだから、一部守護霊たちからざわめきが漏れる。

 まだまだ人間然とした守護霊たちからすれば、この画は相当に刺激的だろう。


 男子たちの騒ぎが落ち着いたところで、戻ってきた学級委員から補習が通達された。

 そのままサボろうとする生徒もいたが、殆どは自席に座りタブレットを見始める。


「おい、ノート写せよ」


 ノートを渡した男子に声をかけることを忘れなかった征燈に、再び路次くんが「かっこいいいい」と悶えたが自分も分け前をいただく側だと思い出したようにノートを持って席を離れた。

 各々が思うことをしている教室内は想像するよりも静かだ。

 征燈は手元のタブレットを見るでもなく、ぼんやりと窓の外を眺める。


『暇か』


 それなりに静かな中で声を出すこともなく、征燈は俺の声に頷きだけを返す。

 思考会話も可能だと話したことはあるが、そういうのは嫌いらしい。

 俺と会話をすることが独り言大会になるぞと忠告したが、かまわないと征燈は言った。

 なぜ思考会話を拒むのか聞いてみたが回答はまだもらってない。


「……」


 視線を教室内に戻し、征燈の視線がクラスメイトの守護霊に焦点を当てる。

 そして、箸にも棒にも掛からぬレベルの黒い靄も興味なさげに見た。


『先ほどの状況解説をしてやろうか』

「ああ」


 傍から聞けばため息のような返答に、俺は征燈の前に出たところからの状況を説明し始める。


『生霊だと判断するポイントは形状だ。怪異とは人間の想像力が大きく関わっている。彼女は目と腕、指と髪が歪んだ感情にくっついていた状態だな』

「女ってわかるのか」

『自国限定の現象で見極められる。今回は長い髪だな』

「ふうん」

『彼女はお前に視られたことで敵意を感じ、敵意を返してきた。相手の敵意に対してお前はなんの準備もなく抵抗する術もない、身の危険を顧みず防御力ゼロで向かったわけだ』


 危なかったことが伝われば、必要以上にきつく言うこともない。

 防御力ゼロに眉間のしわが深くなったが、事実だから反論はないようだ。


『お前の身に霊的な危険を察知して守護霊である俺が登場、護るために怪異と相対し危険を回避するために行動した』


 なにごともパワーで押し切ることは簡単だ。

 だが、その力が相手の増悪を膨張させる原因にもなることは覚えておかなくてはならない。

 地脈と同じ、歪みが大きいほど揺れは大きく激しくなる。


『彼女の形状が変化したのは俺の言葉が感情に触れたから。我を失うほどの怪異であろうと、怪異の元になった人間は呼吸をしている。生きている人間にはどんなに僅かでも感情があり、そこに触れることができれば変化が起きる』

「……」


 考える表情になった。

 征燈がこの顔になると一瞬で集中する。

 つまりそのあとなにを話そうが聞こえない。


 続きを口にすることを止め、征燈の思考が俺の言葉を噛み砕いて嚥下するのを待つことにした。


 久しぶりの感覚だ。

 嫁神楽流を確立したあと、後継ぎたちの面倒を見ていた頃を思い出す。

 他人を介さず、血族のみで継ぐことを許された流派は俺が死んですぐに流派でなくなった。

 征燈に言えば「一発屋」と笑われるだろう。

 まあ遠からず、だがな。

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