第2話
征燈が通うのは、幼稚園から大学までエスカレーターが可能な学園の中にある高校だ。
数世代前に比べると少ないが、それでも周辺の学校と比べると生徒数は多い。
「じゃあ兄ちゃん、行ってきます!」
「おう、気をつけてな」
「兄ちゃんもね!」
元気な弟に片手を挙げた征燈を呼び止めた晴燈くんは、ちゃんと視線を合わせる兄に笑顔を浮かべる。
「今日も一日、楽しくすごそうね!」
「ん、笑顔でな」
再び片手を挙げた征燈に、晴燈くんは両手を振ってその場でぴょんぴょん跳ねたあと通りかかったクラスメイトと一緒に小等部のある方向へ歩き始めた。
「……」
『あれくらいなら問題ない。心配するな』
「本当かよ」
『っかー、ブラコン』
「うっさい」
晴燈くんのお友達の足元に、形すら定まらない黒い靄が絡みついている。
歩く度に千切れるが散ることなく靄の状態をキープしているそれを、征燈はしっかりと視ていた。
「あれなに?」
『最近死んだ小動物だ。骸を見たか触ったんだろうな』
「黒いってことは、恨みを持ってんだろ?」
『どこ調べだ。あのくらいなら感情すらあやふやだ。ああいうのに問題が発生するとすれば、目玉ができたり手足や触角が生えたりしてからだな』
「その前に潰せば安全じゃねぇの?」
『手あたり次第か? それは節理じゃなく傲慢だ。必要のない場面で力を振りかざすなんぞ、目立ちたがりのすることだ』
俺の言葉に返答はなく。
登校する生徒の波に飲まれて消えた晴燈くんに小さくため息を吐き、征燈は高等部のある方向へ歩き出す。
「うぇ~い!」
背後からチャラい声と同時に征燈の尻を下から撫で上げられた。
征燈は確認もせず、いつもの高さ、いつもの角度で右肘を後ろに打ち放つ。
「ぶげっ」
「朝からセクハラすんな」
「んもぅ~無邪気なスキンシップでしょ~?」
「断るが?」
ここまでがいつものルーチン。
俺が見ているとも知らず、征燈の尻を撫で上げた人物は見事に顔面にヒットした肘の痛みに涙目になりつつも「かはは」と笑った。
横に移動し、歩く征燈の肩に腕をどしんとかけて顔を覗き込む。
「おっはよ、ゆっきー」
「うっす」
「相変わらずイケメンよの~」
「お前は誰でもイケメンっつーだろ」
「ゆっきーは別格だよぉ~」
「言ってろ」
二年生になってからクラスメイトになった、あからさまなムードメーカーの彼は【
彼は自分のことを「ロジ」と呼んでいる。
『パパはよはよ~う』
『おはよう。今日は息災だな』
『うん、ロジが昨日シャンシャンしてくれたから元気ぃ』
『それはよかった』
俺のことを「パパ」と呼ぶ路次くんの守護霊は、彼と同じく少々不思議な雰囲気を醸し出す女性だ。
守護霊としての経験値が少なくて満足に着衣できないことが恥ずかしいのか、最近は特に肩のあたりまでしか見えない。
肝っ玉母さんだったそうだが、魂魄になった段階で本来の性質に戻ってしまったらしく周囲の空気に影響されやすくある。
そう思うと、子を成した女性は自らを封じてまで強くなければならない定めなのかもしれない。
『シャンシャン、もっとしてくれないかなぁ』
『求めればいいだろう』
『ん~上手くできないんだ~。お勉強不足、だよぉ』
影響されやすいか弱き質を取り戻した守護霊だと、護られている側も不安定になりがちだ。
路次くんは小等部から通っているそうだが、彼は十年近い学校生活で「色んな意味でヘンタイ」の異名を欲しいままにしてる。
要するに、守護霊の不安定さが彼の行動を完全に侵食し奇抜な行動を取らせていたのだ。
そんな路次くんを守れないと、守護霊はさらに不安定になるという悪循環。
初めて顔を合わせた時にはパニックのまま数年が経っている状態で、路次くんに鈴を鳴らしてもらうように迷わず助言した。
ついでに少しだけ手伝った。
守護霊たる存在意義を説き、今も少しずつ知識をわけている。
『パパにもちゃんとお礼しないと』
『守護する者に不幸を与えないことが俺への礼だと思えばいい』
『むふふ、優しい好きぃ』
あまりにも長くパニック状態が続いていたからなのか、彼女は未だに子どものような口調をしている。
そうなる前の彼女を知らないから、元からこうなのかもしれないが。
『パパぁ、今日はぁ生活指導の日だよ~やだなぁ』
『気落ちするな』
『ん~、あんまし好きじゃないんだもん』
確かに、好きになれる守護霊はいないだろう。
とはいえそうなってしまった原因を知らない俺が即座に相槌を打つのもよくない。
少し、気がかりではあるが。
征燈に問題が降りかからなければ俺はそれでいい。
むしろ視えるようになった子孫が余計なことをしないか心配だ。
「生活指導のセンセ、今日は元気かなー」
路次くんの言葉に頷く征燈は、なんとなくの雰囲気で自分の後ろをチラリと見る。
『俺はコッチだ』
「っ!」
「お、どしたのゆっきー、虫でも飛んだか?」
「……なんでもない」
俺の声に反応して路次くんとは逆の方向へ顔を向けた征燈は、視えていないクラスメイトを誤魔化している。
『俺は守護霊だぞ? 背後固定なわけないだろ』
ニマニマすると舌打ちされた。
『ねぇパパ』
『どうした?』
『最近、ロジが小柄女子を気にするの』
『意識する年齢だから仕方がないのでは?』
『意識したりは別にいいのぉ。えっちな妄想もへーきなんだけど……』
歯切れが悪い彼女に首を傾げて眉を寄せる。
俺を見て少し躊躇いながらも路次くんから「出て」来たその姿を見て、なにが言いたいのかを察してしまう。
『お、おう……』
初めて彼女に会った頃、スレンダーでありながらもしっかりした体格の持ち主だった。
それが、柔らかなふくよかさと重そうなゴム毬のような張りを誇張する乳房を有する小柄な体型に変化していた。
薄っすらと透けている白のタンクトップが、アニメ的な有り得ないシワやら影を再現している。
いくらなんでも守護対象に影響されすぎだ……。
『所作が~わかんないのぉ』
『それは……く、苦労するな?』
『ねぇ~』
困った顔で笑いながら、自分の胸を手で掬い上げて揺らさないでくれ。
教室に到着すると、我らも挨拶に忙しい。
ロクに話したことのない守護霊もいるが、朝の挨拶には顔を見せる。
『おはようございます』
『おはようです、昨日教えてくれた方法凄い効果でした』
『おはようございます。あの、少しご相談が』
『ハヨー、元気ぃ? ちょっと聞いてよ!』
『皆さんおはようございます。教室内とはいえ、守護対象から離れないようにしてください。ちゃんと聞きますから焦らないで』
俺が囲まれている間に着席した征燈も、数人の男子に囲まれる。
ひとりは路次くん、残りの面子も二年になってからできた知り合いだ。
彼らが朝から征燈を囲むには理由があって。
「頼む!」
「断る」
「内容言ってないのに断らんで」
「2時間目の提出課題写したいんだろ?」
「わかってらっしゃる」
「1時間目は生活指導だから自分でやっても間に合うぞ」
「えーんえーん嫁神楽がケチだよー」
泣き真似をするクラスメイトに軽い腹パンを食らわすと、ノートをカバンから取り出した。
食い入るクラスメイト立ちにノートを扇ぐように見せつつ、意地悪な顔で笑う。
「見せるのはひとりだ」
即座に行動に出るのは路次くんで、右手拳を振る。
「ジャンケン!」
「あいこで!」
「あいこで!」
「あいこで!」
なかなか勝負がつかないかと思いきや、割とすぐに結果が出た。
「スマホで撮って回してやれ」
歓喜する勝者にノートを渡して言いつけると、チャイムが鳴る中で席に向かうのを軽く見送る。
隣の席には路次くんが座り、守護霊たちも落ち着いて各々の守護に戻った。
ふぅ、若い守護霊が多いといつでも賑やかだ。
それに最近は人型が多いから会話も弾む。
それだけ縁が深く絡む歴史が「人間」に重なり続いてるってことなんだろうな。
生徒が全員着席して数秒後、異様な気配が教室の外に広がった。
どよめき悲鳴を上げ困惑するのは守護霊たちで、生徒たちは覇気なく入ってきた生活指導の教師を見るだけだ。
明らかに不健康に痩せた姿は「先生大丈夫?」と生徒に言わせるに止まった。
「……」
『視るな、征燈』
「でも」
『お前に相手はできん』
征燈には俺が見ているモノが視えている。
生活指導の教師を後ろから抱き抱えるように貼り付く異形。
日を追う事に、それは禍々しい形へと変化していた。
見たところ生霊だが、捻れ歪んだ念が強烈すぎて自らを堕としめてしまったらしい。
今日は、執着に広がる好意の念が毒々しく混ざり合い、すべてを望む無数の眼孔と我が物にしようとする無数の細い腕がゾロゾロと蠢く立派な怪異に成り果てていた。
女の念を表す長い髪が、教師の首に巻き付き締め上げている。
「おい、先生の守護霊はなにしてんだ」
『気配が完全に潰されてる。制圧されたか』
「制圧?」
『消えちゃいない』
と言っても、もってあと二日ってところだな。
妙な正義感を出して手を出すと面倒くさい。
征燈の守護から逸脱するような真似をできるなんて思わないでほしい。
子孫の頼みでも聞けないモノは断るが。
「では……この前の、つ、続きから……」
タブレットをなんとか操作して映し出しと、生徒が手元のタブレットで同じ画面を呼び出すまで待つ。
軽く咳き込み、反動でよろけて背中を黒板に打ちつけ教卓に必死にしがみつくも膝をついてしまった。
突然のことに生徒はざわめき、守護霊は各々警戒態勢を取って様子を見ている。
「っ……す、すみません、驚かせてしまって」
立ち上がるも動けなくなり、不気味な緊張と静寂が広がった。
「花木先生」
『近づくな征燈。こら、言うことを聞け!』
俺の警告を無視して教師の元に歩いた征燈は、しきりに謝る教師の肩に手を置いた。
「保健室で休んでよ。そんな状態で授業されても集中できないし」
「そ、それも……そう、ですね、すみません」
「沢木、付き添って保健室行ってくれるか」
「わ、わかったわ!」
「山脇と溱は先生支えて」
「おうよ!」
クラスメイトに指示を出しながらも、間近で視線の合っている異形に臆することなく睨み返す度胸はどこから湧いてくるのだか。
だが、その度胸が裏目に出ることはコッチの世界ではよくあることだ。
「あ、あれ、開かない……」
「え?」
「ドア開かねーんだよ」
ほら見ろやられた。
教室という区切られた空間は念を貯めやすい。
元からコツコツと思念がわだかまっている場所、ヤツらの汚染もあっという間だ。
『皆さん、しっかり護ってください』
『で、でも、こんなことは初めてで』
『大丈夫です。必ず護りきると強く念じて』
『が、頑張りますっ』
若い守護霊たちを落ち着かせ、生徒たちがなにかが引っかかって扉が開かないと思っている間に解決しなくては。
これが怪異の仕業であると誰かが思った瞬間、汚染は呪詛に変わる。
そうなると若い守護霊たちがダメになるだろう。
『下手に刺激するからだ』
「どうすればいい?」
『どうにかなると思っているのか? 何様だ? 祓いはお前ではできない。だがこの事態はお前の責任だ』
「……」
『神を守護霊にしたいなどと言う前に、自分の程度を思い知るがいい』
「つまり、助けないってか」
『バカモノ。俺は守護霊だぞ、護るに決まっとろうが』
「どうにもできないんだろ?」
『はぁー、この俺の子孫が頭悪くて困りますなー』
「は?」
生徒に支えられた教師の背後から威嚇するように征燈を睨み続けるソレと、征燈の間に立ち塞がる。
『俺の護る力はお前が憧れる「神様級」ってことだよ』
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