第4話 宇佐美葵という決意
「ここか」
この前の彼女の一件から、俺はチケットに記載されていた〈水仙ホール〉に訪れていた。辺りを見回すと、数多くの一般客の姿が目に入る。彼らのほとんどが〈Queens〉のメンバーがプリントされたTシャツを着ており、その熱気が伺えるだろう。
「うぉぉぉぉぉぉ~!!葵ちゃ~ん!!!」
見知った顔がいた気がしたが、気のせいだろう。
「入場開始で~す!」
受付の女性が元気そうに叫ぶと同時に大勢の人が入り口に向かって走り、数秒経つとこの場には俺一人になった。
「あ、お兄さん。応援ですか?」
「えぇ、まぁ」
「おっ、じゃあ誰が推しですか~?お姉さんキャラのゆかりちゃん?元気っ娘のみさきちゃん?あ~でも、やっぱり葵ちゃんですか?それともそれとも…………」
やばい、めんどくさいのに捕まった。俺が少しでも〈Queens〉に興味があればついていけたのだろうが、今はまさしく豚の真珠だ。
「あの、これ」
咄嗟に、握っていたチケットを女性に手渡す。女性はそのチケットを見ると、みるみる顔色が変わっていく。
「えぇぇぇぇぇ!?嘘でしょ!?サ、サイン付きの最強チケット、それも葵ちゃんのものですっっっっってぇぇぇぇぇぇ!?」
女性はそう叫ぶと、白目を向いてた倒れ込む。
騒ぎを聞き付けた警備員の男性がやってくると、女性を見て、またか、と呟いた。
「いやはや、申し訳ない、少年。この女はいつもこうなんだ。ちなみにだが、そのサイン入りチケット、どこで手に入れた?」
「あぁ、えっと、学校で本人から貰いまして」
「そうか…………。よし、ついてきてくれ」
男性についていくと、彼はなにやら運営側しか入れなさそうな扉を開けた。
「サイン入りのチケットはな、〈Queens〉のアイドル個人が一人の特別なファンに与えるものなんだ。もちろん、普通のファンじゃない。自分の両親だとか、お世話になった恩師とか。そういう彼女らにとって特別な人に与えられるんだ。まぁ、そんなチケットだからもちろん特典もあるわけだ。その特典は────ここだ」
男性が立ち止まった先にあるのは、一つの扉。
通ってきた道からして、普通の部屋でないことはたしかだ。だが、一体何の部屋なんだろうか。
「ほれ、見てみろ」
男性が指差した先には、《宇佐美葵》と書かれた名札が取り付けられていた。
「アイドルの楽屋に入ることができる、これが特典なんだよな。ま、とりあえず行ってこい」
「は?あの、失礼ですが警備とかは」
「ん?あぁ、大丈夫だ。それ渡すのはアイドルがこの人は絶対安全だ、って決めた人だし。それで何かあったらアイドル側の責任、ってことになってるからな。んじゃ、俺はここで」
そう言い残すと、男性は去っていった。
「あ、おはよう。月斗くん」
外での騒動を聞いていたのか、葵がドアから顔を出していた。
「あぁ、おはよう」
「来てくれたんだね。さ、どうぞ入って」
「良いのか?」
「良いの良いの。さ、早く」
中に入ると、不思議な空間が広がっていた。部屋中全てが彼女のイメージカラーである紫に染められており、今は夜だったかと勘違いしそうになるほどだ。机の上には様々なお菓子が並べられており、その中には高級ブランド物のマカロンもあった。
「ささ、座って座って」
彼女に勧められるまま、座布団に古紙をおろした。
「もう大丈夫なのか?」
「うん、ごめんね。心配かけちゃったみたいで」
彼女は明るく答えた。
「ねぇ、聞いてもいいかな」
彼女は遠慮がちに口を開いた。
「どうして、来てくれたの?私、来ないと思ってた。だって、月斗くんはアイドルに興味無さそうだったし」
彼女の問いに、俺は黙り込んだ。正直、自分でも分からないのだ。どうしてここに来たのか。
でも、ただ一つ言えることがある。
「分からない。でも、少なくとも、俺はお前のライブを見に来るほどお前に魅かれているらしい」
「……そうなんだ」
俺の言葉に、彼女は小さく微笑む。
「ねぇ、この後───」
彼女がそう言葉を綴った時だった。突然、扉をノックする音が楽屋内に響いた。
「誰だろう?警備員さんかな?」
彼女がそう言いながら、扉に手を掛ける。
「待て」
俺は慌てて彼女の腕を掴んだ。
「え?」
「俺の後ろに回れ」
「わ、分かった」
そう言うと、彼女は不思議そうな表情を浮かべながら扉から離れた。壁に立て掛けられている時計を見ると、時刻は12時20分。ライブは15時から始まるため、スタッフの呼びつけには早すぎる。それに、さっきの警備員の男性は『サイン入りのチケットはな、〈Queens〉のアイドル個人が〈一人〉の特別なファンに与えるものなんだ』と言っていた。つまり、この扉をノックしているのは、ファンでも、スタッフでもない。
「葵ちゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃゃん!!ボクの、ものになってぇぇぇぇぇ!」
扉が開かれ、大柄で肥満体の男が現れた。男の目は血走っており、会話できそうな相手ではない。
「い、嫌ァァァァァァァァァァ!」
彼女が泣き叫ぶ。
「あァァ!?誰だオマえェェェ!?ボクの葵チャンに、ちカづくナァァァァァ」
男は目の前にいる俺に気づくと、懐から何かキラリと輝く物体を取り出した。ナイフだ。
「しネェェェェェェ!!」
男が俺に向かってナイフを付き出す。狙いは男の視線からして心臓。
「くっ」
咄嗟に胸を反らし、ナイフを避ける。が、完全に避けきることはできず、服が少し破れてしまう。
「つ、月斗くん!」
後ろで不安げに声を上げる彼女を無視し、男に向き直る。まずいことになった。相手は武器を持っているのに対し、こちらは素手。しかも、後ろには彼女がいるのだ。今俺が男倒されると、間違いなく彼女は殺されるだろう。
「このクソやロうガァァァァァァァ!」
再びこちらにナイフを突き出そうとする男。
「やってやるよぉ!」
俺は意を決して前に出る。俺も、彼女も。こんなところで、死んでいる暇はない。
「シネェェェェェェ!」
男が突き出したナイフ屈んで避け、彼の膝を思いっきり蹴った。
「グゥッ……」
痛みに耐えかねたのか、男が膝をつく。その隙を見逃さず、近くにあったカーテンを取って男を縛りつけた。男はもう動けないだろう。
「はぁ……はぁ……」
心からの安堵に、足の力が抜け、その場に倒れ込んだ。
「月斗くん!だ、大丈夫!?」
彼女が駆け寄ってくる。
「あぁ、大丈夫だ」
「よ、良かったぁ」
彼女は安心したようにため息をつくと、真剣な眼差しで口を開く。
「ねぇ、どうして逃げなかったの?私のことなんて、別に───」
彼女の言葉を遮るように言った。
「言ったはずだ。俺はお前に魅かれていると。そうだな、今、やっと自分でも分かった。俺は、君のファンだ」
「そっか、本当に、ありがとう」
彼女の瞳に涙が浮かぶ。だが、すぐ笑顔に戻ると、床に倒れている俺の頭を自分の膝に乗せた。
「どう?トップアイドルの膝枕だよ?」
「まぁ、悪い気はしないな」
「私ね、初めて屋上で会ったときから、月斗くんの事が気になってた。あなたなら、私を助けてくれそうな気がしたから」
彼女は優しく微笑んだ。
「私ね、今日でアイドルやめようと思うの」
唐突な発言だった。
「お母さんともちゃんと話し合ったよ。『ごめんね、お母さん、葵のこと全然分かってなかったね』だって」
「そうか」
「だから、今日で最後なんだ。【宇佐美葵】は。でも、全然怖くないよ。だって、私を応援してくれるファンがいるから。ありがとう、月斗くん」
彼女はそう言うと、俺の頬にキスを落とした。
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