第2話 宇佐美葵という偶像
教室に入り、先程確認した自分の席に座る。新しいクラスメイト達はどんなものかと周りを見回すと、自分のより少し後ろの席だった祐介が机に荷物を置き、何か思い出したような顔をしながらこちらに近づいてくる姿が見えた。
「そういや、俺ら、あの宇佐美葵と同じクラスだぜ。ま、これも俺の日頃の行いの成果かもな。感謝したまえ」
「宇佐美葵、って誰のことだ?」
聞き覚えのない名前だ。少なくとも、自分の記憶の中にはそのような名前の人は知らない。
「はぁ?お前、マジで言ってるのか?今話題の超人気アイドルグループ【Queens】の葵ちゃんだぜ?最近話題の【僕は君の声を知らない】に出てたじゃねぇか。いや~、あの主人公に告白するシーンはやばかったな。かわいさの余り心臓止まりかけたぜ。サインもらっちゃおうかな、俺」
そう言われてみれば、確かにどこかで聞いたような気がしないわけでもない。それにしてもいつもサッカーの話しかしない祐介がここまで熱弁するということは、その葵という子は本当に可愛いのだろう。
「みっんな~、おっはよぉ~!」
突然、蜂蜜のような甘い声が聞こえ、思わずそちらに意識を向ける。そこには、目を疑うほどの美少女がいた。光沢のある黒髪をツインテールに結び、くりっとした二重の大きな瞳に赤い果実のような唇。身長は150cm前半程度だろうか。全体的に小柄だが、出るところはしっかり出ており、まさにアニメや漫画の中から出てきたかのような容姿をしていた。その子が教室に入った瞬間、俺を除いたクラスの全員が彼女を囲った。
「う、嘘じゃないよね。本物の葵ちゃんだよね!」
「なにこのつるつるな卵肌、こんなのチートじゃん」
「葵ちゃん、ぼ、僕と、結婚してください」
「葵ちゃーん!サインくださーい!」
「ずっと応援してます」
「葵ちゃんは世界一!」
口々に騒ぎ立てるクラスメイト達。そんな彼らを前にしても、驚いた様子を見せずに彼女はいなしていく。
「嘘なんかじゃないよ、本物の葵ちゃんだよ、」
「毎日しっかりスキンケアしてるからね、貴女も頑張れば、私みたいになれるよ!」
「ごめんね、私、今はそういうのに興味なくて」
「いいよ!はい、どうぞ!」
「応援ありがとう!頑張りたいと思ってるから、これからもよろしくね」
「葵ちゃんは世界一!」
見事な返しで続々とクラスメイトを捌いていく彼女の様子を、俺は呆然と眺めていた。少しも疲れを感じさせないのは、プロ、というべきものなのだろう。
「おーい、お前ら、席に着けー」
入ってきた担任らしき男性の声でようやく落ち着いたらしく、みんなは席に戻った。
「今日からお前らの担任になる、神田洋一だ。担当教科は社会。一年間よろしくな」
神田先生は大人の男といった容姿をしている。少し長めの髪に無精髭を生やしたその姿は、一部の女子生徒に人気がありそうな雰囲気だ。
「俺の事を知ってるやつもいれば知らないやつもいるだろうし、今日は自分の自己紹介をしてもらおう。それぞれ名前と趣味を言ってくれ。じゃあ、宇佐美」
「はい、宇佐美葵です!踊ることが大好きだよ!みんな、仲良くしてね!」
満面の笑みを浮かべながら元気よく自己紹介をする彼女を見て、何人かの男子は鼻血を出したらしく、鼻を押さえていた。その後も順調に進んでいき、ついに自分の番が来た。
「よし、じゃあ、宮野」
「はい、宮野月斗です。趣味は読書です。よろしくおねがいします」
当たり障りのない、よくある一般的な自己紹介をした。クラスのみんなは彼女に夢中なようで、誰一人として拍手をする者はいない。
それにしても、すごい人気ぶりだ。今気付いたのだが、教室の外にも生徒が集まっており、彼女と一緒に帰ろうと意義込んでいるようだ。
最後の生徒の自己紹介が終わり、そろそろお開きといったムードになった。
「じゃあ、明日から早速授業が始まるから、忘れ物するなよー。では、解散」
こうして、俺の高校二年生の初日が終わった。鞄から予め持ってきていた教材をロッカーに入れ、運良くサッカー部が休みだった祐介と共に学校を出た。途中まで同じ道なので、並んで話しながら帰っていると、ふと、何か違和感を覚えた。鞄が異様に軽いのだ。
「どうした?月斗。忘れ物か?」
鞄を開くと、その中には何も入っていない。この中には教材しか入れてきていないのだ、当然だ。ん?、待てよ。たしか、今日の朝、原稿用紙を鞄に入れたはず……。今思い返せば、ロッカーに入れる時、教材にしては重いな、と感じた。おそらく、誤って教材と一緒に原稿用紙もロッカーに入れてしまったのだろう。最悪だ。俺にとって、原稿用紙というものは生きるために必要な酸素と同じぐらいの価値がある。明日まで酸素を取り込まずに生きていくことは不可能だ。
「悪い、祐介。先帰っててくれ」
「おーけ、じゃ、また明日な」
走り去る祐介に手を振り、来た道を引き返していく。学校に着き、教室のある四階まで上がる。ロッカーの中を調べると、何冊かの教科書に原稿用紙が混じっていた。
「はぁ、良かった」
原稿用紙を鞄に入れ、教室を出る。今日は始業式なのでクラブは活動しておらず、校内には静寂が流れている。だが、そんな中、小さな足音が鳴り響く事に気付いた。その足音は教室を通りすぎると、横にある階段を上っていく。なんとなく気になった俺は、その足音を追って階段を上ったにあったのは、小さな扉。たしか、この先は屋上だったはずだ。普段は鍵がかかっているため、生徒は利用することができないはずだ。が、ここにくるまで誰ともすれ違っていないため、足音の主はおそらくこの先にいるのだろう。鋼で作られたドアノブに触れると、鍵が開いていることに気付いた。そのままドアを押し開けると、備え付けられたベンチに座る誰かの後ろ姿を見つけた。その艶やかなツインテールと少し小柄な体格から、宇佐美葵と認識するまでに時間はかからない。彼女はどこか遠くを見つめているらしく、俺が後ろにいることに気付いていないようだ。
「屋上は立ち入り禁止のはずだが」
彼女に声をかけた。ゆっくりと振り向いた彼女は、宝石のような大粒の涙を流していた。
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