第6話 父と息子

 本邸の三階には広い執務室があった。窓際には大きな執務机、その近くには一回り小さい執務机もある。本棚には、領地関連の本や資料が数多く収められていた。部屋の中央には、たくさんの資料を広げられるように大きなテーブルが置かれていた。


 夕食後、セシリアを部屋へ送り届けたあとにルイスはこの執務室へとやってきた。昼間に視察に行った調査書をまとめるためだ。領主代行を務めている父・グレアムも同席している。


「街の活気はより良くなってましたね。人が増えた分、スリなどが増加傾向なのは問題でしょうか」

「街が発展するのと比例して犯罪も多くなるからね。それでも、ルイスが発案した巡回兵は一定の効果を出しているよ」


 二人は領民から上がってきた犯罪関連の調書を机に並べながら議論を交わした。泥棒やスリなどは人がいる限りどうしても起こってしまう。問題なのは組織的な犯罪だ。これが大きくなると街は一気に荒れる。


 フェーンベルグ領は、他領よりも安全とは言われているが、王都が近い分どうしても犯罪者が流れてくることがあった。


「そういえば、賭博場が出来たのは知っているかい?」

「あぁ、父上からの報告にあったやつですね。今のところ問題はないようですが」

「賭博場といっても酒を飲みながら軽い賭け事をする程度だからね。ただ気になるのがたまによくない連中が出入りするようになってね。情報の場としては役に立ってたんだけどなぁ」


 父の言葉にルイスは訝しむような視線を向けた。どうやら父は賭博場を情報源の一つとして使っているらしい。清濁両方の面を持つあたりが実にこの父らしい。


「俺も調べましたが、今のところ違法性は見当たりません。軽い賭けだけであれば取り締まる理由にはなりませんし」

「そうだね。まぁ、しばらくは様子見かな」


 のほほんとしているグレアムだが、この男が油断できない人物である事をルイスは分かっていた。穏やかなだけの男であれば、公爵家当主を務めることは出来なかっただろう。この見かけに騙されると痛い目を見るのは間違いない。


 人当たりの良い見た目に反して、政策は大胆かつ奇抜。苛烈で冷酷な面も持ち合わせている。人を動かすのが上手く、話術や交渉力に長けていた。だからといって剣を扱えない訳ではない。おそらく、すぐに軍の中で活躍できる程度には腕が立つだろう。身内なら頼もしいが敵に回すと非常にやっかいな人物なのだ。


 そんな事を思っていると、グレアムは優しげな笑みを向けてきた。父の笑顔は、裏を読ませないため何を考えているか分かりにくい。だが、長年の勘から何となく嫌な予感がした。


「ルイス、セシリアさんとの結婚はいつを予定しているんだい?」

「帰ったらすぐにでも」


 ルイスは即答で答えた。あまりの早さにグレアムが目を少し大きくしたくらいだ。一刻も早く結婚したくてここまで来たのだから当然の答えとも言えるだろう。


「結婚はもちろん認めるよ。お家騒動があったとしてもヴェルナー家は歴史も古いし、家格としても問題はないから他からうるさく言われることはないしね」

「……やはり知っていたんですね」


 ルイスの問いかけにグレアムは笑顔で答えた。


「いやぁ、お前が一目惚れだなんてどんな子か気になってね。強引に婚約したかと思えば、今度は記憶喪失だなんて。まぁ、最終的にはこうして結婚の報告に来てくれて嬉しいよ」


 どうやらグレアムは今までの事を全て把握しているらしい。自分にもアシュトンを中心とした情報網があるように、グレアムにも長年培った広い人脈がある。セシリアが家名を名乗らなくても変に思わなかったのはそういう事かと今更ながら納得した。


 グレアムは書類をまとめる手を止め、真っ直ぐにルイスを見据えた。青い瞳がすっと細められる。


「でもね、今すぐの結婚は認めないよ」


 そう言われてルイスは渋い顔になった。きっと眉間にも皺が寄っていることだろう。思わず睨むようにしながら反論してしまう。


「俺は今すぐにでも結婚したいのですが」

「だめだ。お前だって分かるだろう?」


 バッサリと一刀両断され、ルイスはますます険しい顔つきになった。


 父の言いたいことは分かる。今すぐに結婚となると、セシリアの評判に傷が付く可能性があるのだ。


 セシリアの生家であるヴェルナー家の不祥事――異母妹がごろつきと結託してセシリアを殺そうとした事件。一応あれは公にはされていない。セシリアを刺した犯人も、ただのごろつきとして処理されている。


 しかし、セシリアが死の淵を彷徨うほどの大怪我を負ったのは、捜査上の都合もあり隠すことが出来なかった。


 貴族令嬢が死にかけたとなると、それだけで社交界では傷物扱いされる。そんなセシリアを王家主催の夜会にパートナーとして連れ出したことである噂が立ってしまったのだ。


『フェーンベルグ公爵は、傷物の令嬢に同情して婚約をした』


 表向きでは未婚の公爵がついに婚約者を決めたと話題になったのだが、裏では根も葉もない悪辣な噂が流れていたのだ。


 これにはルイスもブチ切れた。あれほど自分がセシリアにベタ惚れだと前面に出したというのに、腹立たしい事この上ない。だいたいセシリアが怪我をする前から婚約はしていたのに、都合のいいように脚色までされている。


「貴族の足の引っ張り合いなどクソ喰らえです。人の結婚に口を挟みやがって」

「やれやれ。やっと結婚してくれる気になったのはいいが、ここまで盲目的になるとはね」


 噂を思い出して感情的になるルイスに、グレアムは溜め息をついた。父の言葉は常になく厳しい。


「独り身を貫いたお前が突然婚約をした。そして、婚約してまもなくその子が大怪我を負う。まず、これだけでも社交界で噂の的だ。そして、パートナーとして夜会への参加。さて、何が懸念される?」


 グレアムは、幼い子供に語りかけるように優しく問いかけた。いつものような柔らかな笑みをたたえているが、妙な迫力がある。


「…………我が家を蹴落としたい連中に目を付けられます」


 セシリアを傷物と罵った噂を流したのは間違いなくそいつらだろう。付け入る隙を見つけたとばかりに吹聴したに違いない。


「そうだ、よく分かってるじゃないか。それで、噂を落ち着かせたのはどんな手を使ったんだい?」

「アデルとリンダに協力を仰ぎました。夜会ではセシリアの美しさも噂になっていたらしいので、それを利用して『女性嫌いだった男が一目惚れで婚約した』『怪我をしようがその想いは変わることがない』という方向に話を広めました」


 アデルとリンダは、アシュトン達と同じ孤児院出身の者だ。アデルは第一部隊の隊長補佐、リンダは王城の侍女として働いている。セシリアの不名誉な噂を払拭するために、噂の上書きを依頼したのだ。上書きと言っても事実なのだが。


「あの子達に協力をお願いしたのか。王城での噂なら確かに貴族連中の耳にも届くだろうね。お前の結婚相手となると話題になるだろうから、純愛となればそこそこ効果的ではあるかな」


 含む言い方をされたルイスはまだ続きそうなお叱りにげんなりした。ルイスとしては、これでセシリアへの批評はある程度打ち消すことが出来たと思っていたのだ。自分でもしっかり確認したつもりであった。


「まだ見落としがあったのでしょうか? 一応、沈静化したとは思っているのですが」

「ルイス、女性を甘く見てはいけないよ」

「……………は?」


 話の意図が掴めず、ルイスは間の抜けた声を出した。


「おや、自分がモテていた自覚はないのかい? 貴族連中には効果的だったかもしれないが、お前に恋心を抱いていたご令嬢方からすれば、火消しに使った噂は火に油だ」

「……と、言いますと?」

「結婚したい男として真っ先に名が上がっていたお前が、傷物の令嬢だろうと惚れた女性を愛し抜く。うーん……美談にもなるけど、お前の妻の座を狙っていた女性陣からはやっかみがすごそうだよね。これじゃあ、セシリアさんが嫌がらせをされてしまうよ」


 グレアムの指摘にルイスはようやく過ちに気付いた。社交界で気を付けるべきものの一つは、女性の存在なのだ。


 彼女達は、見た目の華やかさとは裏腹に、相手を蹴落とすためなら嫌がらせや陰口など平気でやってのける。ルイスとて、それに辟易して女性嫌いになったくらいだ。


 セシリアと同じく自分の容姿にあまり頓着しないルイスは、表向き噂は沈静化しても火種が燻っていることまで考えつかなかったのだ。セシリアがあの女狐共に嫌がらせをされるのを想像して顔色を悪くする。


「ようやく気付いたようだね。夜会に連れていくのはいいが色々と対応が甘かったね。お前にしては珍しい失態だ」


 グレアムの言葉に一言たりとも反論できなかった。確かにルイスは失態を犯したのだ。事前に根回しをしておけば、不名誉な噂が流れてもそれが広まることはなかっただろう。令嬢達への対応も手を打てることはするべきであった。


 ルイスが顔色を変えたのをグレアムは穏やかな笑みのまま見ていた。己の失態をよくよく身に染みさせるように、あえて少し間をおいてから続きを話し出す。


「今回はこちらで対応したよ。あらぬ噂ばかり吹聴するご令嬢方に、レベッカがいたく憤慨していてね。私も義理娘がいじめられるのは見たくないからね」


 さらりと解決したと言い放つグレアムにルイスは勢いよく顔を上げた。セシリアには自分の元に嫁ぐことで嫌な思いなどさせたくないのだ。


「この件はレベッカにお礼を言いなさい。女性の揉め事に男が介入するのは余計こじれるからね」


 ルイスは母・レベッカの顔を思い出した。彼女は、普段は快活でエネルギッシュだが、ひとたび社交の場に出ると圧倒的な存在感を発揮する。妖艶な赤バラとも呼ばれる美貌は未だ衰えず、堂々とした態度と豊富な知識、物怖じしない胆力も兼ね備えていた。前公爵夫人という立場もあり、常に社交界をリードするような存在であった。


「ありがとうございます。明日にでもすぐお礼を言いに参ります」

「まぁ、そんな訳だから今すぐ結婚となると、また色々な噂をされるだろうね。残念だけどしばらくはお預けだ」

「ぐっ…………」


 完全に敗北したルイスは父の条件を呑むしかなかった。だが、やはり早く結婚したい気持ちは変わらない。よほど表情に出ていたのか、グレアムが笑みを深めた。


「ルイス、前向きに捉えてごらん。セシリアさんを守るための期間だと思えば耐えられるだろう?」

「………」


 セシリアのためならば耐えられる。でも、やはりセシリアを早く嫁に迎えたい。自分が何事からも守ればいいのではないか。


 ルイスの考えは、分かりやすいくらい顔に出ていた。


「そんなに納得出来ないならレベッカに直談判してごらん。明日、朝食後に時間を空けておくから」

「………ありがとうございます」

「まったく、頑固なところは誰に似たんだか」


 間違いなく父上です――ルイスは、心の中でそう呟いた。

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