第9話 お出迎えをしましょう

 あれからジーンは度々セシリアの部屋を訪れるようになった。可愛いジーンはすっかりセシリアの癒やしとなっている。


 いまだに誰の子供なのかは分からないが特に聞いたりすることもしなかった。ジーンが訪れるのはルイスや医師のいない時ばかりなので、きっと親からちゃんと言われているのだろう。訪れる時間もセシリアが暇をもてあます午後が多いように思う。


 セシリアとジーンは、本を読んで過ごす事が多い。たまに部屋で追いかけっこのようなものをする事もある。おかげで、今ではすっかり仲良しとなっていた。元気なジーンと遊ぶのがいいリハビリになったのか、セシリアの体力もついたようだ。


 今日も午後になってジーンがひょっこり遊びに来たので、膝に乗せて本を読んであげていた。今日は冒険者が色んな場所を探検するという物語だ。


 絵が多めなのでジーンはいつも以上に夢中になっていた。セシリアも期待に応えるべく、より感情を込めて読み上げていく。


「――そうして、冒険者は次の街へと旅立つのでした」

「かっこいー! ぼうけんしゃってすごいね!」


 この前は騎士にはしゃいでいたのだが、今日は冒険者に夢中のようだ。膝に乗せているので顔は見えないが、きっと目は輝いている事だろう。ありありと想像できてしまい、セシリアは笑みをこぼした。


「ジーンが冒険者になったら会えなくて寂しいわ」


 何気なくそう言ったセシリアに、ジーンが振り返りじっとこちらを見上げてきた。


「ねーねー、セシリア姉さまはルイスさまのおよめさんなの?」


 大人びた質問にセシリアは面を食らってしまった。しかし、すぐに思い当たる節を見つけた。これはおそらく本の影響だろう。読んであげる本はヒーローとヒロインが幸せになったというエンディングが多いからだ。もしくは誰かから婚約者の事を聞いたのかもしれない。


 真っ直ぐに見上げてくるジーンに、セシリアは少し答えに困ってしまった。幼い子供に何と言うべきか。婚約破棄を願い出てるなど難しくて分からないだろう。悩んだ末に、あるがままを伝える事にした。


「えぇと……ルイス様には怪我が治るまでお世話になっているの。あんなに素敵な方は私にもったいないわ」

「ふーん……」


 意識を取り戻してから、ことあるごとにルイスから『婚約者だから』と言われ続けているが、セシリアは未だ後ろめたい気持ちから脱せないでいるのだ。ルイスからは、はっきりと婚約破棄はしないと言われたが素直に喜べないでいた。


 苦笑するセシリアを見つめていたジーンは、膝から下りると満面の笑顔を見せた。


「ぼくはセシリア姉さまだーいすき!」

「まぁ、嬉しい。私もジーンが大好きよ」


 ジーンの好意を嬉しく思い、頭を撫でてあげるととても嬉しそうに笑ってくれた。


 ほのぼのした時間を過ごしていると、遠くから鐘が鳴り響いた。この国では深夜を除き一時間ごとに鐘が鳴る。時計は高価なもののため、こういう風習があるのだ。セシリアの部屋には時計があるがジーンはまだ見方が分からないようであった。


「あー、もう帰らなきゃ……」


 鐘の音を聞いたジーンは、残念そうに眉をしかめた。いつもだいたい夕方になるとジーンは帰っていくのだ。


「また今度遊びましょう。気をつけて帰るのよ」

「はぁーい…。またね~セシリア姉さま」


 そう言うと、ジーンは渋々といった様子で部屋を出ていった。扉の所まで見送るが、小さな背中からはまだ遊び足りないという雰囲気が伝わってきてつい笑みがこぼれる。


 毎回ジーンを見送っていて、セシリアはある事がとても気になっていた。ある程度動けるようになった今、部屋の外ーー屋敷の中に興味を持ち始めていたのだ。


 部屋の外はどんな所だろうか、たくさんの本があるという蔵書室、綺麗に手入れされた庭も気になる。医者から完全回復の御墨付きをもらい、ここを出ていく前に一度見てみたいと考えているのだ。


 ジーンを見送った後も屋敷に興味を馳せているとエマがやってきた。ジーンが来ている時は、メイド達が部屋へ来ることはない。気兼ねなく遊べるように気を遣ってくれているのだろう。


 エマは部屋へ入ってくると悪戯っ子のような楽しげな笑みを浮かべた。


「セシリア様ぁ、今日はリハビリを兼ねてルイス様のお出迎えをしてみませんかぁ~?」

「お出迎え?」

「はい~、玄関で出迎えるのですぅ。いいリハビリになると思いますよぉ~」


 エマの提案にセシリアは目を輝かせた。お世話になっているルイスを一番に出迎えられるという事に魅力を感じたのだ。部屋の外を見られるということよりもそちらの方がとても魅力的だった。


「ぜひ、やりたいわ! ふふっ、ルイス様驚くかしら」

「嬉しすぎて鼻血出すかもですぅ~」

「まぁ、エマったら」


 くすくす笑うセシリアにエマは「本当ですよぅ」と頬を膨らませた。それがジーンに似ていてついまた笑ってしまった。


 エマの話では、本日ルイスが帰ってくるのはいつもより少し遅めの21:00くらいらしい。確かに朝食の席でも今日は遅くなるから先に夕食を食べていていいと言われていた。


「早めに向かった方がいいわよね。ちゃんと玄関まで辿り着けるか不安だもの……」

「最近のセシリア様なら問題ないかとぉ~。お時間になりましたらお迎えに来ますのでご安心を。あっ、お医者様にはちゃんと許可は貰ってますのでぇ~」


 部屋の外を知らないセシリアとしては、玄関までどのくらい離れているか分からないためエマに任せる事にした。エマであれば時間に余裕を持って呼びに来てくれるだろう。


 夕食を食べた後、気が逸り過ぎて早めにお風呂にも入った。いつエマが来てもいいように夜着にガウンを羽織り準備も万端だ。セシリアはそわそわした気持ちを抑えられず、何度も時計を見ては部屋の中を行ったり来たりしていた。


 ようやくエマが迎えに来たのはセシリアが想定していたよりもぎりぎりの時間であった。間に合うのかと落ち着かない気持ちを抑え、エマの案内で玄関へと向かう。初めて部屋の外に出たが、広い廊下は藍色の絨毯が敷かれており所々に花が飾られている。しかし今のセシリアは周りを見るよりも時間の方ばかり気になってしまった。


「途中で疲れて間に合わなかったりしないかしら……」

「大丈夫ですよぉ~。私の見立てでは時間ぴったりに着きますぅ~」


 エマの言う見立てとやらが不思議に思ったが、まずは玄関まで辿り着かねばと思考を切り替えた。長い廊下を歩き、階段を下りた先が玄関らしい。


 階段を下りるのは少し不安があったが、実際はセシリアが思っていたよりもなんなく進むことが出来た。セシリアの心配は徒労に終わるほど、あっさりと目的地へ着いてしまった。広い玄関ホールへ辿り着くまで一度も休むことなく来られたのだ。


「良かった……ちゃんと辿り着けたわ」

「バッチリ時間通りですぅ。そろそろですよぉ~」


 間に合った事に安堵していると、タイミングよく遠くの方から馬車の音が聞こえてきた。それを合図にしたように使用人達も集まってくる。


 エマの時間の読みが見事にぴったりであったのには心底不思議であったが、セシリアは手早く身だしなみを整えた。そんなセシリアより少し後ろに、メイド長のアメリアやエマ達使用人が控える。


 軽快な蹄の音と馬車の車輪の音が近付いてくる。馬車が止まりしばらくすると外から重厚な玄関扉が開けられ、ルイスとモーリスが入ってきた。颯爽と歩いてくるルイスは堂々としていてとても凛々しい。使用人達がお辞儀をして主人の帰宅を迎える中、セシリアは少し緊張しながら声をかけた。


「ルイス様、モーリスさん、おかえりなさいませ」

「セシリア!?」


 声をかけられたルイスは玄関で出迎えたセシリアに、目を見開いて驚いていた。セシリアは、悪戯が成功したかのように笑みを浮かべた。


「エマに誘ってもらいました。お出迎え出来て嬉しいです」

「そうか……驚いたよ」

「ふふっ、お仕事お疲れ様でした」


 ルイスは最初普通に驚いていたが、状況を飲み込むと次第に喜びを抑えきれなくなっていた。ニヤけそうになる口元を押さえ、表情を隠すように顔を逸らす。このシチュエーションはルイスにとって最高とも言えるものなのだ。


「何だこれ……新婚のようではないか……新妻の出迎え……なんて良い響きだ…」


 ルイスは感極まって幸せに浸るように悶絶した。一応小声なのでセシリアには聞こえていないが、出迎えた使用人達からは冷ややかな視線が向けられている。ルイスの背後にいるモーリスなどはあえて明後日の方を見ていた。


(うっわぁ、色男が台無し…)

(ルイス様が今日も残念過ぎですぅ~……)

(美女の『おかえりなさいませ』……気持ちは分かりますけど……)


 そんな微妙な空気が漂っていると、遠くからパタパタと忙しい足音が近付いてきた。


「セシリア姉さま~」


 名を呼ばれたセシリアが声のする方へ振り返ると、寝間着姿のジーンがこちらへと走ってきていた。


「まぁ、ジーン。こんな時間にどうしたの?」

「えへへ~。セシリア姉さまにお休みのあいさつをしたくて」


 腰を下ろしたセシリアの元まで走り寄ってきたジーンはニコニコと可愛らしい笑みを浮かべている。セシリアとジーンが親しいのを知っているからか使用人達も静観していた。


「ごめんなさい。部屋にいなかったから探したでしょう」

「うぅん、だいじょーぶ。セシリア姉さま、おやすみなさい」


 そう言うとジーンは小さな手を伸ばし、セシリアに抱きつくようにして頬にキスをしてきた。セシリアもジーンの柔らかな頬へと口づけを返す。


 お互いの頬にキスを贈るのは、親子や恋人などがよくやる挨拶なのでセシリアも特に気にしたりはしなかった。


「お休みなさい。お部屋まで気を付けて帰るのよ」

「はーい!」


 そう言うとジーンは元気よく走り去っていく。その背をセシリアはしゃがんだまま手を振って見送った。


 ほのぼのした空気が流れる中、すぐ傍でこの一連の流れを見ていたルイスだけはとても物言いたげであった。それはセシリアの出迎えを邪魔されただけではない。ジーンはセシリアの見えないところで自慢気な顔をルイスに向けていたのだ。小さなライバルの挑発に先程までの幸せな気持ちが遠のいてしまった。


 全てが見えていた使用人達は、ルイスの心情が手に取るように分かってしまった。もちろんこちらもジーンの威嚇はばっちり見えていた。おそらくこの場で何も分かっていないのはセシリアただ一人であろう。セシリアは背後のルイスが物騒な気配を漂わせていることにも気付いていない。


(セシリア様、お逃げ下さいっ)

(ルイス様、子供に殺気を飛ばさないでー)

(ジーンのやつ……やるなぁ……)


 もはや玄関ホールは軽い修羅場と化していた。


 ルイスと共に帰宅したモーリスだけは、この後主人からジーンへのヤキモチを散々聞かせられるであろう覚悟を決めるのであった。

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