第17話 ブレード
その日、かしまし商店街の脇の児童公園に、菊川は走っていた。自分の名前を名乗らない謎の男から電話があり、呼び出されていたのだ。
「…あんた、マナビーゲームネットの菊川さんにまちがいないね。どうしても伝えなくてはいけないことがあるんだ。悪いが、今日の夕方6時ごろ、出てきてくれないか…。」
一方的な電話だった。ちょうど忙しい時間帯なので断ろうと思ったが、電話の向こうから聞こえてくる声は、とても真剣なものだったので断れなかった。だが、案の定、時間に遅れそうになり、かしまし商店街の雑踏の中を急いでいたのだ。マナビーゲームネットは、業績が悪くなかったので、今、新しいスポンサーが決まりそうで、何とかこの危機を凌げそうな状態だ。ただ、どうも納得いかないのは、灰田社長が、今だに、こう、言い続けていることだ。
「あの会長の偽物と覇まったく違う、ちゃんとした大山会長がまちがいなく実在する。ほとんど会社には出て来なかったが、私は何度も会っているし、電話は週に何度ももらっていた時期もあった。なんで今、会長は実在しないと言われるのか、それ自体がカラクリなのかわからない…。」
いったいこの事件は何なのだ。解決すれば、解決するほど底なし沼のように深みにはまって行く。今日の電話の男だってそうだ、多分一回も会ったことのない男が、なぜ私に伝えることがあるのだ。真実が見えない。
「約束の時間より2、3分ほど遅刻しちゃった。」
公園には、ボール遊びする小学生以外誰もいなかった。
「もう帰っちゃったのかな。それともこれから来るのかしら。一寸だけ待ってみるか。」
菊川小夜子は夕日の公園で、ベンチに腰かけて少し待つことにした。長く伸び始めたジャングルジムの影が複雑な模様を作り、遠い空をカラスが帰って行く…。彼女は、どっと疲れを感じて、大きく深呼吸をした。会社をつぶさないよう、灰田は、明日明後日と新しいスポンサーに会うため、出かけて行った。灰田は被害者だという立場も考慮され、逃げる可能性も無いだろうと、仮釈放されたのだが、それから毎日休む間もなく菊川と働き続けた。会社はやっと平穏を取り戻し、活気を取り戻してきた。特別な感情を持っていた灰田は、菊川に何度も土下座までして誤った。最初は絶対に許せなかったが、嫌われても、さげすまされても会社のために黙々と働く姿を見ていると、少しは口もきくようになり、なにか哀れな気もしてきた。まだ許せるところまで行かないけれど、だんだん気持ちが動いてきた自分を感じるのだ。
「…菊川小夜子さんだね。遅れてすまなかった。伝えたいことがあってね…。」
背後から夕陽を浴びて、その男の顔はよくわからなかった。
いるはずのない黒い帽子の男が、菊川小夜子の前に立っていたのだ。
そこは、マナビーゲームネットのそばに或る雑居ビルの一角だった。表向きはマナビーネットサービス、メンテナンスや修理屋の基地になっている。中には気材質や資料室、そして最新のコンピュータが並ぶ研究室まである。
今、最新コンピュータの画面の前で、怪しい男たちが動き回っていた。
「グレイ様。突然行方不明になったあの次のターゲット、天山署の白峰流石が3日ぶりに街に姿を現しました。何人かのSPと一緒に重要人物の警備に当たっているようです。」
するとグレイと呼ばれた男は、部下のニトロとソードに指令を出した。
「あのとんでもない女刑事が、なぜ前触れもなく、姿を消したのか全く分からなかった。だがこの間の三ツ星会館の件のあとあいつは突然姿を消した。こちらの最終作戦が気付かれたのかと思ったが。どうやら違うようだ。その重要人物から女刑事の現在の動きを探れ。人相合致システムと、ハッキングBシステム始動。」
しばらくしてニトロが最初のヒットを出した。
「白峰流石刑事が警備しているのは、どうやら白峰の叔父、白峰教授です。白峰教授はコードネームP・K;パニック・ガイの暗号名を持つ、日本とアメリカの共同管理下に置かれている人間兵器の模様です。」
「なんだって?人間兵器?」
ソードが続けた。
「今、グレイ様にデータを転送しますが、クライシスシンドロームと呼ばれている稀有な現象を起こす、非常な危険人物なので、われわれのターゲットにするにしても、それなりの予備知識と作戦が必要だと思われます。」
ソードから渡されたデータを見て、最初は首をかしげていたグレイ様だったが、そのうち笑いだし、狂気に満ちた瞳の輝きをきらめかせた。
「なにこれ、アメリカ軍が手を焼いてるってよ。おっかしいよね、こんな男ありえない。しかも何かのセキリュティ上の理由で女刑事がついてるみたいだぜ。こりゃ、傑作だ。おもしろい、でも、今普通に街の中を歩いているんだろ?クライシスシンドローム、クライシスバンなんてひとかけらも起きていねえじゃねえか。おおげさなこと言って、大したことないんじゃないの?おもしろすぎるよ。へえ、それじゃあ、クライシスが起こらないように、隔離した空間に呼び出せばどうだ。周りに危険なものがなけりゃいいんだろう。面白い、あえて挑戦してやるぜ。おい、ソニックはいるか、ソニック、霊の最上階の高級クラブを貸切にする。おれの言うこと聞いて作戦を立ててくれ。いいか、1時間以内だ。1時間以内に用意するんだ。」
外回り担当のソニックの声が入ってきた。
「あそこ押さえますか、かなりの高額ですが、よろしいんですか?」
「もちろんだ。それから閃光舞台のだまし討ちをやるから、車使える奴と、腕っ節の強いのを集めとけ!」
「ラジャー!」
「ふふ、今日中に作戦を決行だ。なぜなら、今日は金曜日だからだ。あのダークフライデーを再現してやる。ブラッククラウド逮捕の報復だ。思い知るがいい。街は荒れ果て、うめき声と悲鳴だけが支配するだろう。恐怖におののく人々は、我々ブレードの前にひれ伏すのだ。ふははは。」
グレイ様とその部下たちは、暴力と高度なパソコン技術を平然と使いこなし、まるで自分たちが全知全能の存在でもあるかのような、神をも恐れぬ傍若無人なやつらだ。
「あと数時間後に、あの女刑事はあの世いきだ。誰にやられたのかわからないとかわいそうだから、犯行声明を出しておいてやろう。どうだい、いるのかいないのかわからない大山会長の名前で出すってえのは。はは、こりゃ傑作だ。こりゃ愉快だ。」
平穏な天山の街の裏で、かってない凶器が牙を研いでいた。
流石は、その頃、SPの斉藤さんと一緒に、白峰教授をある店に案内していた。斉藤さんは丸亀と同じ天外流合気じゅうじつの有段者で、気は優しくて力持ちの頼れる人だ。実は前回の来日の時においしい店に行くはずが、巨大ショッピングセンターで、流石が迷子になったためクライシス・バンが発生したのだ。数千万円の被害を出し、おかげでおいしいものにありつけなかったのだ。
「実は教、無名の新人アーティストの杉崎友也の再起を祝ってささやかなパーティーを地球やって言う店でやることに鳴っててね、特別のメニューが出るらしいのよ。急だけれどおじさんたちも呼んでいいかしらってきいたら、ぜひにと言うことになったのよ。でも、料理を作る前に一度その地球屋って言う店に顔を出してくれってマスターが言うのよ。その人の顔を見てから料理を作りたいって言うからね。面白いでしょう。」
すると教授は、ていねいに答えた。
「それはとても大事なことだよ。きっとそのマスターはすばらしい人だろうね。」
この暑いのにダンディな教授はサマースーツをびしっと決め、あのトレードマークの帽子をかぶっている。なぜかほとんど汗もかいていないようだ。裏道に入り、地球屋の戸を開ける。
中には、杉崎友やと恋人の森村レイがもう来ていた。
「マスター、約束通り、叔父様をお連れしたわ。」
教授はさっと帽子を取り、そのダンディな顔に笑みを浮かべ頭を下げた。
「初めまして、流石の叔父の白峰と申します。流石がいつもお世話になっています。」
マスターと教授は、少しの間見つめ合っていた。
「地球屋の海道と申します。そうだ、少々お待ちください。」
マスターは、厨房の奥にさっと入ると、数種類の完熟有機フルーツをその場でしぼり、香りづけのリキュールをたらし、生ジュースをさっと作ると、大吾に運ばせた。
そのジュースは冷やし過ぎずとろみがあり、複雑な香りと爽やかな酸味で飲む人をうっとりさせた。
「おいしいです。疲れと渇きが一気に癒されます。マスター、ありがとうございます。」
そのあと流石は地球屋のマスターに呼ばれた。
「おい、流石、どういうわけか知らないが、お前の叔父さんは男の私が見ても、身震いするようないい男で、しかも何も偉ぶらないがとても高い知性を持っている。まあ、超一流だな。あのSPの斉藤さんってのも性格がよさそうで、しかもたくさん食べそうだ。今日は、全力で、夕食を作らせてもらうよ。」
「ありがとうございます。よろしくお願いします。」
「そうだ、大吾、そこの喫茶店ブレイクで曽根崎とウタポンが待っているから、伝言を頼む。今日、流石たちと一緒に食べていいぞってね。しかも今夜はスペシャルが出るぞってね。あの教授なら、二人と楽しい会話が弾むだろ。よろしく頼む。」
「はい、よかったですね。」
流石と教授、そして、SPの斉藤さんと2mの格闘家大吾で連れ立って外に出る。
「あ、そこの大通りでビルの工事やってて、大きなクレーン車とか来てますから、気を付けてくださいね。」
大吾が声をかけた。なるほど大きな壁とシートが道をふさぎ、道路が狭くなっている。
だが、その壁を越えた瞬間だった。突然フルフェイスの男が三人、壁の後ろから飛び出し、金属バットを振り回し襲いかかってきたのだ。SPの斉藤さんが、体を張って教授を守り、格闘技のプロ、大吾の高速前蹴りが一人の脇腹に命中し、鋭い肘打ちが、もう一人の金属バットごと体をぶっ飛ばした。二人はその場でうずくまり、先頭不能。まさかの強力な反撃に、よろけ逃げ出すリーダー格のフルフェイスの男、すぐに斉藤さんと大吾が追いかけ、とッつかまえた。流石が叫んだ。
「大吾さん!気をつけて!」
フルフェイスの男は振り返りざまに、するっとナイフを取り出した。
「食らえ。」
銀色の軍用ナイフはクルクルと回り、サソリの毒のように迫ってきた。とっさにかわす大吾。凶器はSPの斉藤さんの首元に食い込んできた。だが、天外流合気柔術の師範である斉藤さんは全く動じなかった。
「いてええ!」
フルフェイスの男は、眼にもとまらぬ速さで踏み込んだのだが、斉藤さんに関節を逆に撮られ、ナイフを落とした。そこにすかさず、大吾のカカト落としを食って、無様に路面に転がった。フルフェイスのヘルメットはひび割れ、へこんでいた。
「ブレードのソニック様ともあろうものがやきが回ったな。」
「いや、お前は弱くない。ただ相手が悪かっただけだ。」
だが、ソニックはへこんだヘルメットを脱ぎ捨てると、先ほどの壁のあたりをながめてニヤッと笑った。
「だが、作戦は成功だ、とりあえずこっちの貰いだな。」
斉藤さんの顔が青ざめた。流石と教授は、かき消されたように、影も形もなくなっていた。
そのころ、工事中のビルのそばから急発進して暴走する車があった。追いかける間もなく、すぐ目の前の道路を走り去っていった。
「やられた。その車に二人は運ばれたんでしょうかね。」
柴田が丸亀に話しかけた。
「これは本当に大変なことになった。やつらは教授の本当の恐ろしさをわかっていないのだ…。
」
流石と教授はその頃高速エレベーターで上に上がっていた。あの時、工事現場の壁の後ろから、斉藤の部下だという身なりのきちっとした男が迎えに来た。この辺は危ないので、1時間ほど安全が確認できるまで避難していましょうと言うのだ。
ここは工事現場のすぐ隣、高級なレストランや宝石店などが入っているセキュリティーの高いビルで、4階以上は、暗証番号が無いとエレベーターを止めることさえできない。
最上階に着く。暗証番号を打ち込んで、やっと部屋に入って行く。そこは1フロアすべてが一室のような広い、ゴージャスな空間だった。
「少しの間お待ちください、係りの者が参ります。」
男はそういって早々と姿を消した。ガランと広井室内に高級な家具セットが贅沢に置かれ、調度品の上には、世界の名酒、頭
上にはシャンデリアも輝いていた。予定外の天界になったので、さっそく本部に連絡する流石。だがどうしたのだろう。携帯はどうやっても圏外を表示するばかりだった。
「おかしいわねえ。どうしたのかしら?」
すると、近くに置かれた電話機に繋がれたタブレットの画面に覆面姿の人物が映り、言葉をかけた。
「無駄だ。ここは携帯などの電波がまったく届かない堅牢な構造だ。携帯は内部のアンテナで繋ぐこともできるが、今はわざと切ってある。つまり、電波関係で、外部と連絡を取ることはできない。しかも、今自動暗号キーをセットした。エレベータはもちろん、非常口もすべて暗証番号が無ければ開かない。そして暗礁番号を知っている男は今もう2階まで移動している。つまり、お前たちは連絡をとることも逃げることもできない。
「私たちを閉じ込めて、何をするつもりなの。」
「ここは、駅に近い高級クラブでね、お偉方の記念パーティーや、有名人のイベントなどに使われる高級な場所でね。そこであんたがた二人をご招待しておもてなししようということになったんだ。いいかい、ここはまったく隔離された空間で、しかもセキュリティ、防災設備も完備された安全な部屋だ。君のおじさんの特異な能力も発揮しようがないだろうね。」
「ふん、すぐに警察が私たちを探してここにやってくるわ。覚悟するのね。」
「警察はこっちの用意した暴走自動車がお前らを連れ去ったと勘違いして高速道路を追っかけてるよ。このビルの周りにはだれも探しにゃきてないぜ。もちろんここは最上階だから、飛び降りることもできないし、非常ドアも開かないし、大声出したって聞こえない。そしてね、このビルの監視カメラも切ってあるし、ブレード実行部隊はいつも何も証拠を残さずに仕事をやり遂げる。つまり、これからお前たちはボコボコにされるが犯人の証拠は何一つ、かけら一つ残らない。ましてやおれたちの招待などわかるはずもない。おれたちを捕まえることはだれにもできないって寸法さ。」
しかし男顔負けの度胸の持ち主流石は、画面に向かって怒鳴った。
「あんたがあのダークフライデーの時、麻薬を盗んで逃げ切ったっていう影のボス、グレイね。しかも今度の事件の黒幕、あんたは一体誰なの?それとも仮装人間っていうわけ?」
『グレイ』という言葉をなぜこいつが知っているのか。まずい、はやくつぶしておかないと…。グレイの目がギラリと光った。
「…ふふ、時間だ。おもてなし、スタートだ!」
すると、どこに隠れていたのか、部屋の隅から、全身黒ずくめ、覆面姿のマッチョな4、5人の男たちが金属バットや鉄パイプを持って現れた。
流石はすかさず拳銃を取り出し男たちにむかって構えた。
「こっちは拳銃も持ってるのよ。全然怖くないわ。」
だがその時、真横から鞭が唸りを揚げ、流石の持っていた拳銃を、たたき落とした。横にもう一人隠れていたのだ。鞭の男は拳銃を拾いながら声を出した。
「どんな手を使ってでも、まず女刑事の拳銃を奪い取る。これが第一命令だった。もう恐れる物は何も無い。」
「ひきょうもの!」
「卑怯じゃない、戦略だと言ってもらおう。」
黒ずくめの男たちは、じりじりと間合いを詰めてきた。すると、教授が初めて口を開いた。
「悪いことは言わない。今のうちなら何も起きない。そのうち君たちは悲鳴を上げて逃げ出すかもしれない。それでもいいのか。」
すると覆面の男が笑いながら言った。
「へへ、このくつろぎの空間、高級クラブで何が起きるというのだ?おっさん、悪いことは言わない。今のうちに土下座しな、そうすりゃ、おまえさんの命だけは助かるかもしれない。女刑事はわからないけどな、ははは。」
すると、教授は、流石に何かを言い含め、前に進み出た。そう、流石からだんだん離れて行ったのだ。
「破壊は恐怖を生み、空間を支配する。だが、それは一時的に空間を支配しているに過ぎない。なぜなら、再生と創造の高次元時間軸の中で、われわれ人間は生きているからだ。しかもおまえたちのやっているのは、一時的な支配のための破壊だ。
一番おろかしい非創造的な行為だ。真の破壊は、君たちが考えているようなものではない。君たちが破壊のスイッチを押すと言うならここにそのスイッチがある。それほどいうのなら私がお相手しよう、たった一人でね。」
金属バットの男がバットを振り上げ、襲いかかろうとした。
「今、その口をしゃべれなくしてやる!」
だが、その時、流石と教授の間の距離が5mを大きく超えた。クライシス・バンの起こる距離だった。
「な、なに?」
その時、バットの男の動きが止まった。大きな縦揺れが調度品を一瞬にして持ち上げ、何度もたたき付けた。地震だった、天山市にその時、震度4強から5の地震が起きたのだ。ビルが大きく揺れ、棚に載っていた高級酒が何本か落ちて割れた。そしてあのグレイの顔が映っていたタブレットもぱたりと倒れて顔が見えなくなった。
一体何が起きようとしているのか。男たちも一瞬顔色が変わった。だが、そこまでで地震が終わると、男たちはまた元気になった。
「驚かしやがって、偶然地震が起きただけじゃないか。」
教授はクールに言い放った。
「そうかな?」
すると倒れたタブレットから、グレイの声だけが響いた。
「何をしている。早くやっちまえ!左右から挟み撃ちだ。」
「コンノヤロー!」
左右から一人ずつ金属バットの男が殴り掛かった。ところが教授のそばで右から来た男が、思いっきりすっころんだ。地震でこぼれた酒が水たまりのようになっていだのだった。
同時に右側の男のバットは左側の男の顔面を直撃した。相打ちだ。うずくまる二人。それを見ていた3人目の男がダッシュで駆け出し鉄パイプを振り上げた。
「フザケルナー!」
だが、あせった男が振り上げた長い鉄パイプは、偶然ぶらさがったシャンデリアに直撃し、次の瞬間、シャンデリアは3人の男たちの上に落ちてきた。
「ギャー!」
しかも男たちのうち誰かがタバコを吸っていたらしく、床にこぼれたアルコールの強い酒に引火したのだ。
「ぎゃあああああ!」
火が燃え移り、転がって苦しむ男たち。すると火災警報が鳴り、天上からシャワーが降り注いだ。
火は静かに消えて行った。その天井からのシャワーの中を教授はゆっくりと進み出た。
「まだ、やるかね?」
「当たり前だ。死ね!」
「もう、襲い。誰にも止められない。」
その時、窓の外で、土砂が崩れるような大きな音がした。
「な、何だ!」
次の瞬間、大きくきしむ音とともに、何か巨大なものが傾き、このビルに突き刺さった。
ガシャーン!!
「な、なんだ!」
あの隣のビル工事に使われていた巨大クレーンが地震で、大きく傾いて、このフロアの窓と壁を突き破ったのだ。降り注ぐ割れたガラス、どこかで電気系統がショートしたのか、パチパチ言う、嫌な音と小さな爆発音が響く。
遠くで消防車のサイレンが聞こえる。更に、クレーン車が傾いたため、道路が陥没し、ハンドルを切った車が十字路に突っ込み、車は横転、底に何台もの車が激突するとんでもない交通事故も起きていた。やがて、外はマスコミのヘリコプターの音が近付き、どこで火災が起きたのか、黒い煙も逆巻いている。その時、ビルの中に警報が鳴り響き、ドアについているライトが消えた。
「おじ様、何だか知らないけれど、非常口が開いたわ。」
「流石はすぐに降りて脱出しろ。私に考えがある。先に降りて待っていてくれ。」
「わかった、下にいるわ。」
急いで非常口を駆け下りて行く流石。
「死ね!」
全身びしょ濡れになったボス格の鞭の男が、殺人鞭を振り回し教授を襲う。だが、大きなシャンデリアが落下していて鞭の先が偶然そこに触れたと思った時だった。
「ギョエエエ!」
全身にものすごい電撃が走った。なんだかわからないどこかで電気が水や酒と交じってひ
どいことになっている。
「くそ、なんてこったい、死ぬかと思ったぜ」
男は鞭をポトリと落とし、よろめいた。
「おれも、こ、こんなのつきあってられないぜ…た、助けてくれ!」
窓のそばにいた覆面の一人の男が、ガラスの破片を浴びて、血だらけになり、エレベーターから急いで逃げ出した。
「グレイ様、もう、私にも判断ができません。指令を、指令を与えてください。」
黒ずくめの男がおどおどしてたずねた。すると
「おまえには、さっき女刑事から奪った拳銃があるだろう。近付かずに、ぶっ放せ。それですべては終わる。」
「ラジャー。そうか忘れていたぜ。鉛の球を食らえ!」
さすがの教授も一瞬動きが止まった。これはどうしようもない。
「あ、ありゃ?弾丸が一発もはいってねえ。どういうことだ?」
それは、単に白峰流石が天然で、銃弾を入れ忘れていただけであった。
「だめだ、一旦退却します。」
最後の男たちもエレベーターに向かって走り出した。教授はそのまま窓の方に向かって歩き出し、倒れたタブレットを立ててしゃべりはじめた。
「グレイよ。外部との唯一の連絡方法である、タブレットが地震で倒れた後も、お前はまるで見ているように指令を与えていた。どうもおかしいと思っていたが。今確認した。お前の居場所はこの向かいの雑居ビルだ。窓からこっちのビルを覗いて指令を出していたな。もう場所は確認した。あとは警察に知らせるだけだ。お前はもう終わりだ。」
教授は確認し終わると、急いで非常口に走り出した。
「ば、馬鹿な。」
向かいの雑居ビルにいたグレイはあせった。場所の特定は命取りだった。あわててブレードのデータが入ったハードディスクだけを引き抜いて、出口に向かって走り出した。
あわてて、覆面を脱ぎ去る。その下に隠れていたのは灰田だった。
そして今、向かいのビルで流石たちを襲っていたのは、実にメンテナンス班の連中に違いなかった。
奴らが身分を隠し、犠牲者を演じ、陰で牙を研いでいた暴力組織ブレードだったのだ。
すると、灰田のいる雑居ビルの出口のドアがなぜか一人で開いた。
「うん?誰かいるのか?」
ドアが静かに開いて、そこにあの菊川小夜子が姿を現した。
「何をあわてているんですか?社長。」
「さっきの地震で向かいのビルが大変なんだ。」
「わかりました。お手伝いしましょう。じゃあ、ハードディスクをお持ちします。」
だが、菊川は半ば強引にハードディスクを奪い取ると、すぐにドアの外に出て、外から、ドアを閉めたのだった。
「な、何をするんだ、菊川君!」
「昨日、夕焼けの公園で杉崎智也と言う若者と会ったんです。そしたら、組織のヘッドにいいように利用されている女がいる、それが菊川さん、あなただと言われたんです。ヘッドの正体を知って、早く縁を切るように言われたんです。」
「何の話だか分からない、早くドアを開けてくれ。」
「あなたは大山会長に命令された被害者を演じ、実際に仮釈放されてこうしてまた、何も変わらず悪事を働いている。しかも私を利用して、隠し金まで作っている。今日だって、新しいスポンサーとの契約のはずですよね。何でここにいるんですか。私はバカだった、あなたを見抜けず、またあなたを守ってしまうところだった。だから今日は早くから来て、メンテナンス部隊の隣の部屋であなたたちの会話をこっそり聞いていたんです。よくも今までだましてくれましたね。灰田社長、いいえ、影のボス、グレイ!」
その時また向かいのビルで大きな音がした。
「…菊川君。話せばわかる、落ち着いて話そうじゃないか。」
灰田は、いつもの優しい口調で説得に移りだした。ドアの向こうだが、菊川の脳裏にあの優しかった面影が浮かぶ。涙がぽろぽろこぼれる。そうやって、あなたはいつも生き延びてきたんだ。悔しくて、悔しくて…。
また爆発音が起こった。教授が非常階段を降りるたびに、看板が吹っ飛び、ネオンサインが砕け散り、爆発音とともに大きな火花が飛び散った。消防車やパトロールカーが近付こうと来るが、交通事故や道路の陥没でなかなか近寄れない。その時空撮でやって来ていた、マスコミのヘリコプターの一台が他の一台と接触事故を起こし、バランスを失った。乗っていたカメラマンと操縦士は、近くの屋上に飛び降りた。ヘリコプターはそのままバランスを失って、下降を始めた。
非情階段の下では流石が待っていた。
「おじ様!」
「携帯を用意してくれ、犯人のいる場所がわかった。すぐに犯人を捕まえるんだ!」
後ろではなぜかヘリコプターの音が近づいて来る。灰田はもう、ドアをむちゃくちゃにたたき、力ずくでドアをこじ開け始めた。
「開けろ、開けるんだ、菊川!てめえ!」
その声はもはや、あの暴力の悪魔、グレイの声だった。ドアが10cmほど開いた。やはり、力ではかなわない。さらに、ドアが少しずつ開いていく。菊川はその時ヘリコプターが突っ込んでくるのを見た。菊川はハイヒールで、思いっきり灰田の足の甲を踏みつけると、叫んだ。
「地獄に墜ちろ!」
そしてドアを閉めた。
グレイは振り向いて悲鳴を上げた。ヘリコプターが窓に思いっきり突っ込んで、爆発を起こした。灰田の意識もそこで途絶えた…。
教授が、地上で流石と手を取り合った瞬間、何かが終わった。
柴田や丸亀が飛び込んできた。火災はそれ以上大きくなることもなく、ギリギリのところで死者は出なかった。ブレードのメンバーは全員残らず身柄を確保され、証拠のデータの入ったハードディスクは菊川の手から警察に渡った。奇跡的に軽傷で済んだ灰田も病院に運ばれたあと、逮捕された。凶器は破壊に飲み込まれ、事件は終わりを告げた。
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