第33話 それから
それから
芽依はそれからその雑誌でモデルをすることになったけれど、謝礼が発生するので会社にも話をしなければいけなくなった。芽依がモデルをするときは必ず鉄雄がブーケを作ると言う約束で、「やってみたら?」と鉄雄が言った。
「プチラパンの魅力を最大限に活かせるのは私しかいないし」と鉄雄は言う。
確かに芽依もそう思った。
そうやって、春、夏、秋、冬と二人三脚でやって来た。
芽依は結婚情報誌のモデルとして人気になり、冬にはその表紙を飾るまでになった。その裏ではパンを焼いている。お店に表立って立つことはないので、気づかれずに働けるようになった。二足の草鞋のおかげで、前ほど切り詰める生活もしなくて良くなったが、引っ越しはせずに相変わらず、ボロアパートに暮らしている。
「モンプチラパーン」と声高に二階の手すりから声かけられるのも変わらない。
芽依はパンの袋を持って下から手を振り返す。急いで階段を駆け上がって、鉄雄に飛びつく。
「鉄雄さん、また男遊びしたでしょ?」
「えー? まぁ、したわよ」と言って、芽依の頭を撫でる。
「好きになりそうですか?」
「まだまだよ。いい男って、なかなかいないからね」
「ふーん」と言いながら、鼻に皺を寄せて「イーダ」と言う顔をする。
鉄雄も基本的に夜のカフェで働いてはいるが、花の仕事も増え、そろそろカフェを辞めようかな、と言っている。
「モンプチラパンのおかげで、仕事が増えたわ」
「私は…鉄雄さんのおかげでたくさんウエディングドレス着れて、最高に幸せです」
「早く本番が着れたらいいわね」
「はい。そしてマタニティ雑誌でも働きたいです」
「マタニティだと私の仕事ないじゃない?」
「お花…それでも作ってください」
「…そうねぇ。それは雑誌社の企画によるわよ」
そんな話をしながら、鉄雄と芽依は同じ部屋に戻る。ウエディング以外でも鉄雄は花の仕事をするようになっていた。ホテルのエントランスを飾ったり、パーティの花の注文も受けるようになる。セレブと呼ばれる人達に好かれると、仕事は増えていった。
鉄雄自身もパーティに呼ばれる時があって、たまに芽依も連れて行く。
「二人とも付き合ってるでしょ?」と誰かに言われると、曖昧に笑ってやり過ごす。
パーティではいろんな人間に知り合った。
「あ、いい男いたわ」と鉄雄が言うと、芽依は「じゃあ、私、帰ります」と言うけど、鉄雄が芽依を一人で帰すことはなかった。
でもちゃっかり連絡先だけはもらって来る。芽依はため息をつきながら、鉄雄がナンパする様子を離れて見ていた。
その日はファッションデザイナーのパーティで鉄雄がその会場の花を頼まれていたので、芽依も手伝いがてら参加することになった。二階建てのカフェを丸々貸し切ったようで、花を飾るのに、上へ下へと忙しかった。高い天井から吊るされた花のシャンデリアは圧巻だった。指定された位置に花を運び終えて、やれやれと思った時だった。
「あらあら、てっちゃん、さすがだわー」と言いながらデザイナーが近づいてきた。
「ふふ。ありがとうございます」
綺麗に髪がなく、恰幅のいいデザイナーが芽依の方を見た。
「やだ。このちんちくりんの子がいつも一緒にいるモデルでしょ?」
ひどい言われように、芽依は俯いた。
「可愛いでしょ? 私のミューズだから」と鉄雄は笑いながら芽依を抱き寄せる。
「本当、そうよね。この子、てっちゃんのお花ですごい変身するもの。ちょっと貸してくれない? 私も服作ってみたいから」
「ダメよ」と言って、今度は両手で芽依を抱き込む。
「女に興味ないんだから、構わないでしょ?」
「言ったでしょ? 私のミューズだって。誰にも貸せないわよ」
「あらあ。でも…確かに、この子見てたら、個性がない分、デザインしやすいわよね?」
「個性ないことないわよ。可愛いんだから」と鉄雄が芽依の頭に顎を乗せる。
「もう、てっちゃんは本当、少女趣味よね? あ、そうそう、こっち来て」と言って、遠くに手招きをする。
「だあれ?」
「ミニチュア作家の美沙さんと、それから素敵な甥っ子よ」
「素敵な甥っ子?」
「そう、もうがたいが良くて、最高なの。大学生になったかしらね? でも忘れられない女の子がいるみたいよ」
ようやく鉄雄は腕を解いた。
「こんにちは」とミニチュア作家の女性が挨拶をした。
確かにがたいのいい男の子が荷物を持ってきていた。デザイナーにやたらベタベタと体を触られて、顔が強張っているのを見て、芽依はかわいそうに思った。
それでもデザイナーが仲を取り持つように紹介してくれる。
「今日、みんなにプレゼントしようと思って、美沙さんに作ってきてもらったの。見てみて、可愛いから」と言って、荷物から小さなクリスマスローズのミニチュアを出す。
これには芽依も鉄雄も思わず声をあげた。
「あなたたちにもプレゼントするから、楽しみにしててね」と言って、一旦、その場を離れたデザイナーがまた戻ってきた。
「ねぇ、てっちゃん。本当に貸してくれない? 今日、可愛くしてあげるから。それと、素敵な甥っ子も借りていい?」
美沙が快く甥っ子を差し出すので、鉄雄も仕方なく芽依に「ドレス着たい?」と聞いた。
「着たいよねぇ」と言うデザイナーの圧に押されて、芽依は頷いた。
デザイナーの用意してくれた服は超ミニ丈のワンピースだったが、芽依がきたら膝上十五センチくらいだった。水色で大きなボタンが胸に四つ付いていて、レトロモダンと近未来が混ざったようなテイストだった。そこに共布で作られたスカーフを頭巾のように巻かれた。一緒に連れてこられた大学生はハーフパンツにラウンド型の少し立ったネックにやはりボタンが四つ付いていた。たくさんのモデルさんがうろうろしていて、芽依と素敵な甥っ子も部屋の端っこの方に立っていた。
「さっきは大変でしたね」と緊張してそうな大学生に声をかけた。
「あ、まぁ…。いつもなんですけど、慣れなくて…」
「私もちんちくりんって言われました」
「え? そうなんですか? 小さくて可愛いと思います…よ」と会話しているのに、緊張がずっと続いている。
「あの…お名前、忘れちゃって…」
「吉田勇希です」
「吉田さんは大きくていいですね」
「あ、ずっと大きくて、アメフトしてさらに大きくなりました」
なるほど、と芽依は感心した。
「あなたたち、一番最初に歩いて出てきてね。二人で手を繋いで。いい?」と言いながら、さっきのデザイナーとは違う男性が指示を出してくる。
「で、真ん中きたら、両端に分かれてね。簡単でしょ?」
「できるかな…」と勇希が震えていた。
「大丈夫ですよ」
「芽依さん…すごいですね。高校生ですか?」
「え?」
思わず芽依は聞き返してしまった。
「え? 違うんですか? …あ、じゃあ、同じ歳ですか?」
「私…二十一です」
「え? 年上でしたか。すみません」と思い切り頭を下げる。
「吉田さんは…大学生?」
「あ、はい。十九です」
その後、何となく会話が途切れた。でも芽依は年下だからか、そんなに気まずさを感じなかった。
「…あの…あのお花の人は…お兄さんですか?」
「鉄雄さん? お隣さんなの。色々助けてもらってるうちに仲良くなって、今は一緒に住んでて」
「あ、そうなんですね。何だか雰囲気が似てたから兄妹かと思ってました」
「似てますか? 初めて言われました。片思いなんです」
なぜか、素直に話せることができた。それを聞いて勇希が驚いた顔をして質問を続ける。
「でも一緒に暮らしてるんですよね?」
「はい。でもどうしたって無理だって言われて」
「え? でもすごく大切にしてるの伝わりましたけど?」
「そうなんです。ものすごく大切にしてくれて…。でもいつかは離れないと…って思ってます」
「いいんじゃないですか?」
「え?」
「一緒にいれるなら、いれるだけいたら」
そんなこと言われたのは初めてで、芽依は思わず勇希を見た。芽依と鉄雄の関係を勘繰る人たちは口を揃えて「やめておきなさいよ」と言った。
「苦労するだけよ?」「行き遅れるよ」とアドバイスをしてくる人もいた。
「ありがとう…」と芽依は俯いた。
「そんな…感謝されることじゃないです」
「モンプチラパーン」と扉の近くで呼ぶ声がする。
鉄雄が手招きをする。
「そこの素敵な甥っ子君も来てー」と言う。
モデルたちが声の主と呼ばれた方を見るから、二人は恥ずかしくなった。そそくさとモデルの間を抜けて、入り口まで急ぐ。
「花の腕輪作ったから。二人につけてあげる」
そう言って、薄紫と薄ピンクのバラがリボンに付けられている。
「二人ともおめかししちゃって」と言いながら、手首に花の腕輪を巻き付けてくれる。
鉄雄の花をつけてもらうと、気持ちが明るくなる。
「トップバッターだって? がんばってね。どうりでプチラパンの身長を聞いて来てたわけね。素敵な甥っ子さんの方は…あのお姉さんが事前に教えてたみたいだけど、もうすでにたくさんお酒を飲まれてて…帰りまでもつかしら?」
「あ、すみません。ちゃんと連れて帰ります」
「それだけ体が大きかったら、任せられるわね」と鉄雄がにっこり笑った。
「高校生だって言われちゃった」と芽依が鉄雄に言うと、鉄雄は「まぁ、そう見えなくもないわよね」とごく普通に言う。
一緒に驚いてくれるかと思ったけれど、そうじゃないどころか、同じ感想を持つとは思いもしなかった。
「だって、あんたのいいところじゃない。イノセントなとこ」
そう言って笑ってくれる鉄雄を見て、芽依はこんなにも理解してくれている人が他にいるのだろうか、と思うと心細くなった。
二人の花の腕輪を見て、他のモデルたちが羨ましそうにしている。デザイナーが来て、「みんなに作ってあげて」と鉄雄に言ったから「割増料金」ときちんと請求していた。
その日、芽依は幸せな気分だった。鉄雄の仕事は成功しているし、芽依もモデルの仕事を少し楽しめた。
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