第32話 植物園
植物園
平日の植物園は人も少なくて、のんびりしている。温室に入ると、外気より暑くて、湿度も高い。
「熱帯みたいねぇ」と鉄雄は生い茂る南国の木を見る。
「湿度がすごくて…息が…なんとなくし辛いです」
「かわいそうに、鼻ぺちゃだから空気が入りにくいのね?」と言って、芽依の鼻を押す。
「鉄雄さんに比べたら小さいですけど」と芽依は顔を横に向けた。
「私ね…。いつか南国にも行ってみたいの。そこの花や、葉っぱは豪快で素敵だから。でも…形にはめなくてもいいのかもって思うの。野生のなかで生い茂る植物の力強さも魅力的だから」
「…そうですね」
芽依は海外はおろか、日本でもそんなに遠くに行ったことはない。
「いつか一緒にいきましょうか」
「一緒に?」
「そう今みたいに蒸し暑くて、鬱蒼と木々や花が生えている南国に。楽園かもしれないわよね」
芽依は想像してみる。この蒸し暑い空気と生い茂る熱帯の木々。横にいる鉄雄は木々を見上げて、遠くの空を見ているようだ。
「…いつか」
「本当に素敵な花もたくさんだしね。…花の仕事、増やそうと思ってるの。深夜の仕事も減らすか…やめるか…考えてるところ」
「え? そうなんですか?」
「まぁ、まだわからないけどね」
南国の背の高い木を眺める鉄雄を見て、芽依は鉄雄が遠くへ行くような予感がした。思わず鉄雄の腕を掴んで「雇ってください」と言う。
「頑張って、働きます」
「そうだったわね。一緒に花屋さんするって言ってたもんね」
「約束です」
そう言うと、優しく笑って「約束が多い」と言う。
「嫌ですか?」
「嫌じゃないわよ。モンプチラパンは…可愛いから」
「紙に書いておきますよ。いつか、南国に行って、それから花屋さんするって」
「そうね。他になかった?」
「他に?」
「約束」
できるなら、ずっと一緒にいるって芽依は言いたかったけれど、言えずに俯く。すぐに大きな手が頭を撫でた。
「流石に暑いわね。出ましょうか」
温室から出ると、さっきまでの空気とはまるで違って、爽やかな風が通っていく。思わず、大きく息を吐いた。
「ちょっと休憩しようか」と言って、鉄雄は飲み物を買ってくるという。
芽依は噴水の近くのベンチで待っていた。小さな噴水にスズメが近づいては、離れるを繰り返すのを見ていた。このままでいて、いいのだろうか、と芽依は考える。芽依がひっついている限り、鉄雄は自分の道を行かずに側にいてくれているような気がする。なんでも我がままを聞いてくれて、優しくしてくれて、芽依はその温かい世界を手放したくなかった。でもそれが鉄雄の足枷になっているような気がする。鉄雄の恋愛を止めいているのも、仕事に向き合えないのも、自分が原因だとしたら? そう思うと芽依は怖かった。本当に鉄雄を愛してるのなら、もっと鉄雄のことを考えられるはず…。
スズメは数回水と戯れて、どこかへ行ってしまった。
「お待たせ〜」と呑気な声で鉄雄が戻ってくる。
鉄雄はいつもそうだった。何があっても態度が変わることなかった。
「鉄雄さん…」
手に二つのクリームソーダを手にしている。その姿を見ると、芽依は決心ができなくなる。
「どうしたの? 誰かにいじめられた?」と言いながら、渡してくれた。
受け取って、黙ってソーダを飲む。鉄雄も何も言わずにクリーム部分を食べ始めた。日差しが温もりを持って、降り注ぐ。
「あ、先にデザート食べちゃったけど…お昼、何しよっか?」と突然、鉄雄が言い出した。
「お昼?」
「お腹空いてない?」
そう言えば、何も食べずにここまで来てしまった。朝、あのまま着替えてすぐに出てきたから、芽依も鉄雄も何も食べてなかった。確かに聞かれるとお腹が空いてきた気がする。
「…食べないと哀しい気持ちになりますね」
「哀しい気持ち?」
「私…もう大丈夫です。お昼ご飯も…鉄雄さんの心配も…」
「世界の半数以上を敵に回すのは辞めた?」
そう言われて改めて、鉄雄に声をかけられた日のことを思い出す。
「はい。少なくとも鉄雄さんは違ってました。…だからさっきの約束ももう…必要ないです」
「うーん。まぁ、私、男に入ってるかは微妙だけどね。約束はもう必要ないの?」
「大丈夫です。だから…鉄雄さんは自分のこと優先してください」
「あのさ…なんか…」と言いかけた時に、鉄雄の携帯が鳴った。
電話番号を見て、考えてからそのまま放置した。
「出ないんですか?」
「後でかけ直す。この間の、編集者だから」と言って、携帯の音を消した。
「モンパチラパンは誤解してるみたいだけど…。別に無理してあんたと付き合ってるわけじゃないの」
「…でも、私といたら男の人と付き合えないし」
「別に今は付き合いたい男がいないって言ったでしょ? それにあんたがいるからって、仕事ができない人間じゃないわよ?」
「…それはそうですけど」
「それともう一つ…あんただけが別に頼ってるわけじゃないし。私もプチラパンに助けてもらってるから」
芽依はそれを聞いて、驚いた。
「私、何もしてませんけど?」
「…確かに、そうね」と言って鉄雄は笑った。
それを聞いて、少しむっとしたけれど、芽依は鉄雄の役に少しでも役に立っているのなら、と嬉しくなった。
「だから、そんなに気にすることないのよ」
それを聞いて、少し芽依は気が楽になって、アイスクリーム部分を食べ始めた。また電話が鳴ったらしく、仕方なく鉄雄は出た。鉄雄は電話に出ながら、芽依の方を見るので、芽依は首を傾げて鉄雄を見返す。
「じゃあ、本人に聞いてみれば?」と言って、芽依に携帯を差し出した。
「え?」と言いながら芽依は携帯を受け取る。
この間のウエディング情報誌の編集者で、芽依をもう一度、モデルに使いたいと言う話だった。
「モデル…」と呟いて、芽依は鉄雄を見ると、肩を竦めた。
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