第30話 バタフライ
芽依は憧れのドレスを着せてもらい、メイクまでしてもらった。芽依のショートカットは三つ編みのつけ毛でくるっとまとめられた。ドレスはオフショルダーで、ハイウェストの切り替え、スカート部分はそこまで広がらず、マーメイドタイプでもなく、ストンとしたシンプルな形だった。このドレスを選んだのは鉄雄だという。細かいオールド模様のレースで覆われたドレスだった。芽依は思っていたようなお姫様タイプじゃなかったので、内心、がっかりしたが、それでも白いドレスは素敵だった。
「あら、よく出来てるわ。本当に…とっても可愛いわねぇ」と言いながら鉄雄が大きな紙袋を下げて入ってくる。
「鉄雄さん…このドレス」
「まぁ、黙ってて」と言って、紙袋からグリーンの長い形状を出した。
それはグリーンで作られたサッシュで芽依の肩から下げる。
ユーカリの葉、アイビーで作られて、下の方にいくと、ミモザが下がっている。そしてもう一つ取り出したのは花とアイビーで作られたヘッドドレスだった。白いトルコ桔梗とグリーン、そして左側にはミモザも挿されている。
遅れて入ってきた編集者の人に鉄雄は説明する。
「ねぇ、見て。森で結婚式する少女のイメージで作ったの」と言って、白い薔薇と野花が散りばめられたカゴに入ったブーケを渡した。
鏡に映った芽依は確かにグリーンに囲まれた少女だった。
「あら。神立さん、こっちに物凄く手間かけてません?」と編集者が目を大きく開けている。
「そんなことないですよ? あっちのブーケは手間もお金もかかってます」
芽依は自分の姿を何度も確認する。お姫様とは到底違うスタイルだけれど、芽依によく似合っていた。小さな芽依がまるで森の妖精のように見える。振り返ると、鉄雄が目を押さえていた。
「神立さん?」と編集者も変な顔をしている。
「なんか…娘を嫁にやる気持ちが…分かる気が」と鉄雄は涙ぐんでいた。
「バタフライでも流しましょうか」と隣の編集者が笑う。
「そんなことしたら、泣くから」
仕上げにマリアベールをかけてもらった。芽依はその姿を見て、自分の夢が叶う日が来るなんて思いもしなかった。
「鉄雄さん…本当にありがとうございます」と芽依が言うと、「もうダメよ。そんな…」と鉄雄が泣き出した。
編集者が笑いながら、「じゃあ、お父さん役してもらいましょうか」と急遽、鉄雄はタキシードを着ることになった。
「想像以上の…いい出来だったから…来月に回して、ちょっとページ数増やすようにします」
健人はベージュのスーツを着ていた。そして鉄雄からブートニアを着けてもらう。芽依とお揃いのミモザが付けられていた。急遽、結婚式場で撮影することになって、健人は芽依がどんな衣装なのか見ないまま、式場で待つことになっている。自分の気持ちが届かない人と擬似結婚式をするなんて、皮肉だな、と思いながら待っていた。
扉が開くが逆光なので、芽依の姿がシルエットに見える。それに隣に背の高い男性もいた。
その瞬間に、バタフライが流れる。
「え?」と健人は不思議に思っていると、二人がゆっくりと歩き出す。
「もうやめなさいよ」と鉄雄の声がする。
カメラのシャッター音。
「新郎役の人もこっち見ててくださいね」と言われて、眩しい光の方を見る。
ようやく芽依の姿が見えた。その瞬間、健人は芽依がどうして好きだったのかよく分かった。花や草で飾られ、それ以外はシンプルな芽依を見て、彼女の素直さ、その美しさが端的に表されている。少女のような飾らないところが好きだったのだ、と。
少し恥ずかしそうに俯いて歩く芽依を見て、この姿がそのものが芽依だと分かる。
「…綺麗だ」と声にならない言葉が出た。
そしてこのスタイルを作った鉄雄が誰より芽依のことを理解していることも知った。不思議な関係だと思う。こんなにお互いの理解者であるのに…。本当だったら、ここで待っているのは鉄雄が妥当なのでは、と健人は思った。
ゆっくり歩きながら近づいてくる芽依は本番さながら緊張しているのだろう、鉄雄が何か話しかけて、芽依の表情は柔らかくなる。シャッター音が増える。
「新郎さん、少し動き止めていてくださいね」と指示される。
いよいよ近づいて、鉄雄を見ると、本当に目に涙を浮かべている。
「あ、新郎さん、引かないで」と編集者に言われて、みんなが笑う。
「もう、バタフライのリピートやめて」と鉄雄が怒ってる。
それには芽依も笑っていた。
写真だけで見ると、本当にみんな幸せそうに映ってる。父親役だけ除いて。それも泣くのを我慢して怒っているようにも見えて、リアルだった。
「じゃあ、よろしくね」と言って芽依を健人にそっと渡す。
「はい」と言って、細い芽依の腕を取った。
後は二人だけの撮影で、それを見ながら、鉄雄は涙を心置きなく流していた。
編集者が横で笑いながら「よっぽどあの子がお気に入りなんですね」と言う。
「だって、可愛いじゃない? 私の最高傑作だし…」
「確かに…。あの子…取り立てて目立つタイプじゃないのに。この姿は…とっても印象的で」
「もともと可愛いわよ」とぶっきらぼうに言い切る。
「神立さん…仕事、もっとしませんか?」
「え?」
「…多分、これから依頼、増えると思いますよ」
「そうねぇ…」
しばらく待っていると「鉄雄さんも最後、一緒に撮りましょう」と芽依に呼ばれる。
「あぁ、本当に可愛い。作った私も最高」と言って、鉄雄は立ち上がった。
その日は本当に綺麗に晴れていて、何一つ文句のない一日だった。日差しが柔らかく三人を包んだ。
撮影が終わり、着替える前に健人に呼び止められる。
「芽依ちゃん…。本当に綺麗で、可愛い」と健人は改めて言った。
「ありがとうございます。それに…わざわざ来てもらって」
「本当に。来なければよかった。せっかく忘れようと思ってたのに、こんなに可愛い姿見せられたら…難しい」と健人は素直に言った。
芽依は何て言えばいいのか分からず、俯いた。
「モンプチが欲しいの?」と鉄雄が会話に入ってきた。
「はい。僕は…諦めようとしてたけど…今日会って、どうして好きか…はっきり分かって。鉄雄さんが芽依ちゃんのこと、よく分かっているのも…理解できました」
ふんふん、と鉄雄は鼻を鳴らしながら聞いている。
「モンプチがどう思うかは知らないけど、あんたがちゃんと大学を卒業して、働いて、それでもまだ好きだったら、もう一度アタックしてみたら?」
「え?」と健人は驚いたように言った。
「それまで変な男が来ないように、しっかり見張っておくから」
「鉄雄さん?」と芽依が驚いたように聞き返す。
「あんたも、モンプチも…今すぐ、結婚とか無理でしょ? その間にどっちかにいい人ができるかもしれない。それはそれで運命だし。まぁ、変な男だったら、私も許さないけど…。あんたはまだ見込みありそうだし…。モンプチは今、付き合う気がないって言うんだったら、ちゃんと結婚ができる時に、もう一度来なさいよ」
「もう一度?」
「そう。もう一度。モンプチ、そういうのきっと感動すると思うの。『二年も私を好きだったの?』って」
「ちょっと、鉄雄さん」と言いながら芽依は顔を赤くする。
「その間、ちゃんと預かって、花嫁修行させとくから」
「…分かりました。芽依ちゃん、待ってて」
「え? あ、はい」と思わず返事をしてしまった。
そして去っていく健人を見て、「あんたも着替えなきゃ…」と芽依に言う。
「鉄雄さん、私の気持ちは?」
「でもあんた、二年も思ってられたら感動するタイプでしょ?」
「それは…」
「信頼できないんでしょ? 学生だから。いいとこのお坊ちゃんだから」
「…。信頼できないというか、住む世界が違い過ぎて」
「…そうね。だから時間をかけなさいよ。悪い子じゃなさそうだし…。でも時間は人に試練を課すから。本当に二年間、思い続けてくれたら…考えてあげなさい」
芽依は唇を噛んで、鉄雄を見る。
「そうでも言わないと、あいつ、帰らないでしょ?」と言って、ベールをそっと取って笑う。
不満そうな顔をしている芽依を見て、鉄雄は片膝立ちをした。
「さぁ、お姫様、私たちのお城に帰りましょう」
そう言って、差し出した手に芽依は小さな手を乗せた。すると手を掴んで立ち上がると、勢い良く鉄雄が走り出す。
「ま…て」と芽依は慌てて、片手でスカートを摘む。
「そのドレス、大丈夫よ。友達に作ってもらったから」と鉄雄が笑いながら走る。
芽依も走ろうとするけれど、ヒールもロングドレスも上手く走れない。もたもたしていると、鉄雄は芽依を子どもを抱き上げるように抱えた。
「モンプチラパン…本当に可愛い。私のお姫様」
そう言われて、芽依は嬉しい気持ちと恥ずかしい気持ちで鉄雄に抱きつく。
「…私の王子様にはなってくれないんですか?」とさっきまでいた教会を眺めながら聞いてみる。
「それは無理よ」と優しい声で拒絶が返ってきた。
「んー」と言いながら芽依は頰を膨らませた。
「でも…私たち、恋愛しないから…壊れることない関係じゃない?」
「壊れない?」
「壊れようがないじゃない。こんなに大好きで、一緒にいて楽しくて。恋愛じゃないから傷つけ合うこともない」
「そうですね」と芽依は目を瞑って、鉄雄の暖かさと春の光を感じていた。
春風が吹いて、芽依を優しく撫でる。向こう側に見える教会が幻のように霞んでいった。
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