第28話 再会
芽依が仕事から帰ってくると、鉄雄がドアの前の手すりにもたれかかってタバコを吸っていた。眼帯は外れていたけれど、長い前髪で隠すようにしていた。芽依は久しぶりに鉄雄がタバコを吸っている姿を見たなぁ、とぼんやり思っていた。一緒の時は全く吸っていなかった。
「あ、パン」と芽依は自分の分しか持って帰ってきていないことに、ほんの少し逡巡した。
階段を登るのに躊躇っていると、上から呑気な声で「おかえり〜」と鉄雄が声をかけてきた。
「ただいま…です」と芽依は言いながら、階段をのろのろ登る。
芽依が上に上がると、鉄雄はにっこり笑った。
「いい話があるの。ちょっとお邪魔していい?」と言って、タバコを携帯灰皿に入れる。
「鉄雄さんって、タバコ吸うんですか?」
「うーん。なんて言うか、ごくたまに?」
「…私、見たことなかったから」と言って、芽依は鍵を開けた。
「だって、プチラパンの部屋では吸わないわよ。別に吸わなくてもいいし」
中に入ると、もうチューリップの入っていた花瓶は空になってたし、鉄雄の布団も片付けられていた。いつもだらしない芽依のパジャマもきちんと畳まれていて、ベッドの上に置かれていた。芽依の心境の変化が部屋から見てとれた。
「…お布団、お返ししましょうか。花瓶も…」と芽依が言うと、鉄雄は黙ってダイニングの椅子に座る。
「部長の息子、あれから来たの?」
「来てません。外で会ってます」
「いい子ね。お母さん、心配しちゃう」と言って、鉄雄は笑った。
「彼はいい人だから大丈夫です。…でも話が合わなくて」
「話? そりゃ仕方ないわよね」と鉄雄は立ち上がって、芽依の薬缶に水を入れて、湯を沸かし始めた。
「…何だか申し訳なくて」
「なんで?」
「一生懸命話してくれるのが」と芽依が言うと、鉄雄は吹き出した。
「それは気にしなくていいんじゃない? 好きでやってるんだから。それで好きになった?」
「あ、デートすることになりました」
「あら? よかったわね」
「植物園行ってきます」
「いつ?」
「えっと…二十四日です」
「二十四日? キャンセルしなさい」
「え? どうしてですか?」
「…モンプチラパンはウエディングドレス着たくない?」
「ウエディングドレス?」
芽依は思わず聞き返した。鉄雄が仕事でブーケを作ることになったから、その関係で読者モデルをさせてもらえるかもしれない、とのことだった。それでその打ち合わせの日に芽依も連れて行くと言ってくれた。それが健人とのデートの日だった。
「着たいですけど…キャンセルするのは…ちょっと悪いです」
「部長の息子も連れてくればいいんじゃない? タキシード着せて…読者モデルだから男役もいるだろうし…。まぁ、顔もいいからいいわよ。連絡しといて」
「…はい。でもそれも烏滸がましい気が…。私の相手役なんて」
鉄雄は芽依がそんなことを言うので、「もう、電話かして」と言って、芽依の携帯を出すように言う。
「部長の息子に聞いてあげるから」と言って、芽依に電話番号を出させて、通話ボタンを押した。
「あ」と言った時に、お湯が沸いたらしく、芽依は慌てて、火を止めた。
「もしもし?」と鉄雄が出ている。
スピーカーにしているらしく、健人の声も聞こえた。
「あのね、結婚情報誌のモデルしない? 芽依にウエディングドレス着せたいんだけど。それがデートの日で。一緒に来ない?」
「え? 鉄雄さん? 帰ってきたんですか?」と健人が驚く。
「帰ってるわよ。毎日。それで、どう?」
「どうって…」
「嫌なら別にいいけど。でもデートはキャンセルしてね」
「え? ちょっと」と芽依が慌てて、声を出す。
「芽依ちゃん? そこにいる?」と健人に聞かれて、芽依は「はい。あの…ごめんなさい。キャンセルしなくても大丈夫です」と言った。
「いいよ。植物園はまた今度にしよう」と健人が言った。
「え? でも…」
「僕も芽依ちゃんのウエディングドレス見たいし」
そう言われて、芽依は急に恥ずかしくなった。
「でも…あの…雑誌に載ったら…小林さんに迷惑かなって」
「少しも迷惑じゃないよ。じゃあ、楽しみにしてるね」と言って電話は切れた。
通話が切れた画面を芽依は眺める。何だか恥ずかしい会話を鉄雄に聞かれたような気がした。
「やだ、ベタ惚れじゃない」と鉄雄が真面目な顔で言う。
「…ドレス着るなら…髪の毛長い方がよかったかな」と芽依が呟いた。
「じゃあ、綺麗なお花のヘッドドレス特別に作ってあげる」
「え?」
「本当に可愛いモンプチラパンになるように」
「ヘッドドレス? 鉄雄さんが?」
「そうよ。世界一可愛いお花の花嫁さんを作ってあげる」
芽依は思わず嬉しくなって、鉄雄に抱きつこうとして、宙に上げた手をそのまま固めてしまった。それは健人への遠慮だった。恋人同志になったわけではないが、デートまでする約束をしているのに、鉄雄とはいえ他の男性とスキンシップをとって良いものか、思わず思案してしまった。
「ありがとうございます」と言って、芽依は宙で固まった手を自分の体の前で組み合わせた。
「じゃあね。仕事行ってくる」と言って、手をひらひらとさせて鉄雄は出ていった。
いつもなら一緒にご飯を食べていたのに…と芽依は寂しくなって、思わず、芽依は玄関を開けて、鉄雄を引き止めた。
「ご飯…食べませんか?」
「え? いいの? お腹空いてたの」と階段を降りかけていた鉄雄は振り向いて、にっこり笑った。
「…また焼きそばですけど」
「モンプチラパンの焼きそば大好き」と言って、鉄雄が戻ってくる。
たった一度、あまり美味しくない焼きそばしか食べていないのに、そう言ってくれて芽依は嬉しくなる。もう一度、家に二人で入る。
「鉄雄さんの怪我、良くなりましたか?」
「なかなか綺麗には治らないわよ。歳だし…」とため息を吐きながら、前髪をかき上げる。
うっすら黄色くまだ皮膚の変色はあるけれど、治りつつあるのは分かる。思わず触れようとして、芽依は手を引っ込めた。
「そこまで治ってきたら、温めた方がいいですね」と言った。
「えー? じゃあ…温めてよ」
「はい」と言って、芽依は慌てて、タオルハンカチを濡らして、レンジに入れた。
ほかほかになった濡れハンカチを差し出す。
「これを当てて…」
「つれないわねぇ。当ててちょうだい」と言って、台所の椅子に座った。
芽依はそっと鉄雄の目に当てる。
「私…寂しかったです」
「私もよ」
「もう帰って来ないのかと…。布団も片付けました」
「…ごめんねぇ。あんまり無様な姿も見られたくなくて…。それにモンプチラパンの幸せを考えると…。一緒にいることがいいことなのか分かんなくて」
「私の幸せ?」
「オカマと同居してるなんて、男が寄って来ないでしょ?」
芽依が黙っているので、鉄雄は芽依をみると、涙を浮かべていた。
「どうしたの?」
「…鉄雄さんに嫌われたから…あの部長の息子とデート勧められたのかなって。だから帰っても来ないのかなって…」
「嫌いになんか…」
「私、今…恋人なんて欲しくないし…。でも寂しくて、小林くんとお茶してたけど…気は紛れても…家に帰ると、鉄雄さんいなくて、寂しくて…。お布団も片付けたり…もうパンもたくさん持って帰らなくていいとか…そんなこと考えて。でも焼きそば…うまく作れるようになりたくて、練習したり…」
「馬鹿ね…」と言って、鉄雄の目に当てていたハンカチを芽依の手ごと包んで、芽依の涙を拭いた。
「ばか…ですか?」と芽依は思わず目に当てられているハンカチを鉄雄の手とともに下げる。
「私のことよ」
「泣かせてしまって…」
そう言って、芽依の前髪を優しく撫でた。芽依はそれで安心してしまい、さらに涙が溢れた。
「私は…一緒にいたいです。鉄雄さんと…。恋人とか彼氏とか…いらないです」
「そんなこと言うもんじゃないわよ。私は恋人欲しいし…」と鉄雄が言うと、芽依がじっと目を見る。
「私の方が先にできるかもしれません」
芽依のその一言を聞いて、鉄雄は吹き出した。
「まぁ、そうね。そうかもしれないわね。じゃあ、どちらかに彼氏ができるまで、楽しく暮らしましょう」と鉄雄は言いながら、芽依の頭を撫でて、心の中で謝った。
居心地の良さにつられて、芽依を傷つけることになるのはわかっていた。芽衣といる心地よさと…そして傷つけてしまう自分の弱さ。芽依が本当に嬉しそうに笑うのを見て、鉄雄も微笑みながら悲しくなった。
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