第21話 ギフト

 商業ビルに入っている花屋の店先にはラナンキュラス、ガーベラ、チューリップ、スイトピー色とりどりのお花が花屋に飾られている。小さなミニブーケもお手頃な値段で売られていた。芽依はその一つを買って、家に飾ろうと思った。鉄雄は小さなガラスの花瓶を一つ買っていた。

「お花屋さんで働くといい匂いだし、気持ちいいですねぇ」

「思ったより重労働なのよ。重いもの運ぶし、水触るから手も荒れるしね」と夢のないことを鉄雄は言う。

 芽依は「へぇ」と言いながらも買った小さなブーケを眺めた。黄色とオレンジ色でまとめられたガーベラとユーカリ、チューリップがセットされている。

「お花…買うだけでなんだか嬉しくなりますね」

「モンプチラパンは平和ねぇ。もっと欲とかないの?」

「ありますよ。素敵な人と出会いたいとか。結婚したいとか」

「夢見る夢子ちゃんね」

「はい。だって、一緒にお出かけしたり…その上、帰るところが一緒って素敵じゃないですか? 後、おかえりとか、ただいまって言える人がいるっていいじゃないですか」と言ってから、今もそうだ、と芽依は思った。

 鉄雄も同じことを思ったようで「じゃあ、今は幸せってこと?」と芽依に聞いた。

「はい。おかげさまでとっても幸せです。…でも私のこと、好きですか?」

「プチラパンのことは好きよ。それに助けてもらってる」

「私が?」

「そう。側にいてくれるだけで、気持ちが和むわよね」

「…私が…役に立ってますか?」

「役に立たなくても…側にいてくれるだけで」

 その言葉は芽依の気持ちを明るくさせてくれたと同時に恥ずかしい気持ちにもなった。芽依はさっきしたように鉄雄に抱きついた。

「え? 何?」

「そんなこと言われたら、離れませんよ」

「もうお芝居終わってるのに」と言いながらも、抱きついた芽依の頭を撫でた。

 大きな掌が何往復もしてくれるのが心地ちいい。芽依は顔を上げて、鉄雄に笑いかけたつもりが、涙が溢れた。

「え? やだ、ちょっと」と鉄雄は慌てて、芽依の涙を指で拭う。

「…私もやっぱり傷ついてたみたいです。だから…」

「いいよ。モンプチラパンが気が済むまで一緒にいましょう」

「本当に?」

 頷く鉄雄の顔はお芝居をしている時よりも優しく見える。コアラのお母さん…と心の中で芽依は呟いたけれど、きっと鉄雄はコアラの赤ちゃんと思っているはずだ、と芽依は抱きつくのをやめた。鉄雄の元カレに子供っぽいと言われたのもあって、少し癪に触ったからだ。

「鉄雄さんは顔がいいし…大人だし…」

「なあに、それ?」

「鉄雄さんの元カレ、悪口言っちゃうけどいいですか?」

「言って、言って」

「あの人、意地悪です」と芽依は眉毛を両方の指で吊り上げて言う。

「そうそう、意地悪なのよ、ほんと」

「私のこと、子守りって。わざわざマウント取ってきて、そっちの方が子どもっぽくないですか。っていうか、なんであんな人と付き合ったんですか?」

「本当よねぇ。なんでだろう? あんな優しさのかけらもない人と」

「私も人のこと言えないけど…。鉄雄さんにはもっといい人がいますよ」

「じゃあ、今日は腹が立つからハンバーガー食べに行きましょ。大きいの手で持って、かぶりつくの」

 芽依は喜んで「そうしよう」と言った。今まで食べたことのない一番大きいハンバーガーを食べようとワクワクした。

「顎が外れるくらい大きいの食べたいです」

「いいわよー」と二人は半分ヤケクソな気持ちで、でもやっぱり幸せも感じながら、お店を探した。

 夕方のファーストフード店は学生が多い。大人のカップルが晩御飯をファーストフード店に来ることはなかなかないだろう。ここだと元カレに会う可能性は全くない。予定通りビッグサイズのハンバーガーを注文すると、二人は窓際のカウンター席に横並びで座った。窓からは行き交う人が見える。

「鉄雄さんはどんな学生でした?」

「俺? 普通に勉強してた」

 一人称が急に俺になったので、芽依は思わず「どうしたんですか?」と言った。

 ファーストフード店は席の間隔も近いし、話を聞かれるのも面倒だから、と鉄雄は説明する。喋り方が違うだけで、芽依は急にドキドキして来た。

「あー、でも好きな人と一緒に勉強したなぁ。向こうは気づいていなかったと思うけど」

「男ですか?」と芽依は小声で聞く。

「当たり前じゃん。向こうは生徒会長で、人望もあって、スポーツも勉強もなんでもできたから、せめて勉強は一緒にできるようになろうと頑張ったわけ」

 鉄雄は進学校に通っていたらしく、そこで勉強も頑張って、同じ大学を目指していたようだった。

「でも途中で彼女ができて、彼女と同じ私大に行くって彼が決めて…同じ大学に行っても、二人の姿見るくらいだったら、って、元々そいつが目指してた国立受けて、通ったから、それ以来会ってない。あんたは?」

「…私はスーパーでバイトする日々です。だから就職も大手スーパーにしました。クラブにも入ってなかったし…。放課後、友達と寄り道するのも少なかったかなぁ」

「不憫」と口では言いながら、目は優しい。

「でもおかげで今、幸せですよ。こうして、鉄雄さんとハンバーガー食べれて。高校卒業して働かなければ、ここにはいなかったと思うし」と芽依は笑った。

「でもまた違った幸せがあるかもよ?」

「そうかもしれないですね」と芽依も同意して、すぐに首を横にする。

「今が一番、幸せです」

 そう言う芽依を見て、この子はどれほどの苦労をして来たのだろうと思う。人と比べて悲しくなることもあっただろうに…と。それでもにこにこしている芽依を見て、本当にその姿が綺麗だと思う。

「俺も。…会えてよかった」

 そう言われて、恥ずかしくなったのか芽依は大口を開けて、ハンバーガーに齧り付いた。

「ハンバーガーのマスタードが」と言って、泣き始めた。

「すぐ泣く…」

 鉄雄はこんな子だから芽依の元カレだって、立場も顧みず、本気で好きになったんだろう、と思った。でももう傷付けるような相手とは付き合ってほしくない、とお母さん目線になっている自分がいる。

 しばらく無言でハンバーガーと格闘して、そして店を出た。もうとっぷり暮れた夜になり、芽依は「ちょっとだけ寄り道していいですか?」とキャラクターショップを見たいと言う。

 可愛いキャラクターが並べられた店内を楽しそうに見ている芽依は年相応の女の子に見えた。キャラクターの形のポーチにお菓子が入ってるのを芽依は買うことにしたようだった。散々「無駄遣いかな」と呟いていたのは芽依らしいが。

「さぁ、そろそろ帰りましょう。本当に、帰るのも一緒って寂しくなくていいわね」

「でしょう? 友達と別れ際が一番辛いです」

 向かう駅も、乗る電車も、降りる駅も同じ。

「これは神様からのご褒美です」

 芽依はそう言って、夜空を見上げる。鉄雄といると、少しも寂しくない。ずっとなんとなく抱えていた寂しさがあった。でもそれを母には遠慮して伝えられなかった。まして友達にはそんな風に見られたくなくて、いつも笑っていた。

「じゃあ、私にとって、モンプチラパンは…神様のプレゼントかしらね?」と鉄雄が芽依の手を取った。

 まだ早春の夜は肌寒くて、繋がれた手の温かさが心地いい。家路に急ぐこともないから、ゆっくり帰る。帰っても同じ時間を過ごせるのだから、と優しい目で見てくれる鉄雄に微笑んだ。

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