第20話 下手な演技

 休みの日に鉄雄と芽依の母と映画に行った。芽依の母は鉄雄が男の格好をしていたので、最初は驚いていた。大きなターミナル駅にある映画館は混雑をしていて、予約チケットを発券するのも列に並んだ。

「すごいイケメンと芽依が歩いてくるからびっくりしちゃったじゃない」と母のテンションは高くて、声も大きい。

「お母さんも可愛らしくて、モンプチラパンと似てるわねぇ」

「モンプチ? 猫の餌の?」と芽依の母が言うから、鉄雄も吹き出す。

 フランス語で『私の子ウサギちゃん』と言う意味で、芽依の愛称だと言うことを鉄雄は教えた。

「中身まで一緒なんですねぇ」と言いながら、笑いが止まらないようだった。

「え? そうなの? あの子、私よりはしっかりしてる…と思うけど」と急に母が不安そうになる。

「お母さんは酷すぎるの」と芽依も言った。

 映画は芽依の母が推しているアイドルの主演の悲恋物語で主人公が余命少ない彼女を支えるという話で、上映中、ほぼ母と鉄雄は泣いていた。芽依も確かにうるっときたが、そんなにずっと泣く内容だったのか疑問だった。映画が終わって、パスタ屋さんに入っても、ずっと二人は推しの話をしていて、走って病院に駆けつける時の足の振り上げ方が格好良かったとか、最後に好きだったプリンを彼女に食べさせるシーンの腕の浮き出た血管が素敵だ、とかずっと話している。

 パスタが終わっても、デザートを注文して、さらに話が止まらない。二時間弱の映画について、もう一時間以上は話しているし、多分、三時間位は余裕で話し続けるつもりだろう、と芽依はため息をついた。

 鉄雄がトイレに立った時、ようやく芽依は違う話ができると、母を見るとまだうっとりした顔をしている。

「お母さん?」

「あ、良かったわよねぇ。でも鉄雄さんと来れて、本当、良かった。こんなに深く話せる人いないもの」

(深い? ただずっと格好いいって繰り返してるだけのような…)と芽依は心の中で思ったが、口には出さずに「良かったね」と言っておいた。

「でも…芽依。失恋したんでしょ? 大丈夫?」

「あ、うん。もう大丈夫。彼…結婚してたから」と言うと、さすがの母も目が覚めたような顔をしている。

「なんで? そんな人と」

「知らなかったの。結婚してたなんて」

 心配しそうだったから、一応、今までのことを説明しておいた。転勤にもなるし、もう会うことはない、と。

「気づかなかったの? もお…。だから…元気なかったのね」と言って、母の方が目を潤ませた。

「うん。でも大丈夫。鉄雄さんと知り合って、元気になれたから」

「そう? 本当、いい人よねぇ。見た目はただのイケメンだけど、喋ったら、女子みたいで楽しいし」と言った母の後ろにトイレから戻った鉄雄が立っていた。

「ただのイケメン? お母様?」と上から声が降ってきて、母は思わず肩を震わせた。

「あ、極上のイケメンでございます」と母が言うのを見て、芽依は自分も同じことを言いそうだと反省した。

 笑いながら鉄雄は席に着くと、また女子会トークが始まった。たっぷり話した後、母はお暇する、と言った。

「どうしたの? 用事?」と芽依が聞くと、「デート」と言った。

「変な人じゃない?」と心配すると、母は笑って「大丈夫」と言った。

 小さな会社で働いていて、よく知っている人らしい。特に付き合うと言うわけでもなく、たまにご飯を食べる関係だと言う。

「お互い一人身だから、日曜の夕方がたまらなく寂しくなるのよね。それでだと思うわ」と言った。

「いつか会わせてくれる?」

「嫌だわー。食事するだけの人よ? 大袈裟じゃない? それより、鉄雄さんは男の人しか好きになれないの? やっぱり芽依は無理?」と突然言った。

 芽依は驚いて母に「何を聞いてるの?」と言おうとして、口を開けたが、先に鉄雄が断った。

「可愛いモンプチラパンにはちゃんと素敵な人が現れますよ。お母様」

「そうだといいわね」とそう言って、小さく手を振って、母は先に店を出た。

 鉄雄と芽依も店を出ることにしたが、母が全て払ってくれていた。

「…あら。困ったわね。お母様に奢っていただいたわ」と鉄雄が困った顔をする。

 何となく駅までの道へ歩き出したが、何も喋らない芽依を見て、

「なんでそんなにふくれてるの?」と聞いた。

「お母さん…が変なこと言って…ごめんなさい」

「えー? どうして? 嬉しかったわよ。娘の恋人に、なんて信頼してないとなかなか言えないじゃない?」

「でも不快じゃないですか?」

「どうして? あんたも結構、ずけずけ聞いてきたじゃない。親子だなぁって思ったわよ」

「あ、そうでした。ごめんなさい」と芽依は肩をすくめた。

「じゃあ、今日は仕事休みだし…、まだ時間あるから、どこか行こっか?」と芽依の手を取る。

「えっと…」

 あまりにも自然に手を取られたので、芽依は一瞬、息が止まった。

(でもこれは女友達で、手を繋いだりするのと同じで…。繋ぐ? 女友達と?)と芽依は思わず考え直した。

「パチンコは嫌でしょう?」

 芽依は反射的に「嫌です」と答える。

「じゃあ…」

「植物園に行きたいです。私、お花知らないからたくさん見たいです」

「植物園? 今からだと閉まっちゃうわよ? お花見たいなら、花屋さんに行きましょ」と言って、方向転換して芽依を引っ張ったかと思ったら、すぐに止まった。

 芽依は鉄雄の視線の先を見ると、人波の向こうに綺麗な男女が歩いて来るのが見えた。鉄雄は視線を逸らさずに「元カレ」と言った。

 鉄雄の元カレは肩幅もしっかりあって、冷たい感じだが、美形だった。髪はオールバックにきっちり固められ、よほど自分の顔に自信がないとできない髪型だと思った。隣の女性も綺麗で、周りの人もチラチラ見ていた。

「あれに…勝つ気はしませんけど、でも鉄雄さん、やりましょう。復讐の時が来ましたよ」と芽依は小声で言った。

「分かった。ちょっと密着するわよ」と言って、繋いでいた手を話して、腰に手を回す。

「ひえ」と変な声が出て、背中が伸びた。

「情けない声出さないの」

 そして鉄雄が芽依の髪の毛を手で優しく触れる。

「変ですか?」と芽依は前髪を気にしたが「お芝居始まってるのよ」と音声とは違う表情で、髪を撫でた。

「え? あ」と言って、芽依の顔は赤くなるが、芝居じゃなかったっとしても、いい雰囲気を出していた。

 芽依も負けずと、鉄雄を見上げて、微笑みながら「お芝居、上手いんですね」と小声で言った。

「あんたもなかなかね」と言って、腰に置いた手で芽依を引き寄せる。

「もう」と言って、わざとじゃれつく感じで、芽依は体を引き離すように鉄雄を押した。

 するとさらに強く芽依を引き寄せる。思わず、芽依が鉄雄の顔を見上げた時、「あ…鉄雄?」という声がした。

「あ、こんにちは。婚約者さんも…」と鉄雄が挨拶をしている。

 ついに元カレと婚約者に遭遇した。

「あら、可愛い彼女さん?」と婚約者が芽依を見て言う。

「へぇ、鉄雄の女性趣味ってこんなんだったんだ」と元カレは言った。

 オールバックで綺麗に出しているおでこに青筋が立っているように芽依は感じ、更なる攻撃を加える。芽依は鉄雄の体にもたれ掛け、頭をコツンと当てた。

「とっても親切で、素敵な人です」と笑顔で言った。

 眉毛が片方だけ上がったのを確認する。

「最初は変わった子だなぁって思ったんだけど、なんだかほら、子ウサギみたいで、可愛くて目が離せなくなって…」と鉄雄が芽依の顎に手をかけて、顔を鉄雄の方にむかせた。

「まぁ」と黄色い声を上げたのは婚約者の方だった。

 芽依は顎を挟まれたまま、口角は上げ、でも目の奥で鉄雄を睨んだけれど、鉄雄はうっとりしたような顔を向けている。きっと鉄雄は俳優になれるのではないか、と芽依は思った。

「でもちょっと…子供っぽいけど、大丈夫?」と元カレが言う。

「そう…まぁ、子供っぽいんだけど、中身は橋本さんよりしっかりしてるよ」と鉄雄が言って、ようやく芽依の顎から手を離す。

 婚約者がそれを聞いて、くすくすと笑っている。芽依は最後の攻撃とばかりに「嬉しい」と言いながら鉄雄の体に抱きついた。思わず、硬い体に芽依は少しびっくりしたけど、ぎゅうっと離れないと言った感じで顔を鉄雄の体に埋めた。そうでもしないと、変な表情を見られてしまう。

「でも子守りしてるみたいだな」

「そうだね。絶対、何があってもこの子は守るから」と言う鉄雄の声を芽依は鉄雄の体を通して聞いていた。

 そして芽依は体を離して、元カレに言った。

「大好きなので。何があっても、彼のことは大好き…です」

 婚約者の方がなぜか顔を赤くしてる。元カレは少し呆れたようにため息をついて、「じゃあ」と婚約者を連れて去って行った。

 芽依と鉄雄は手を繋いで、二人を見送ると、すぐの角を曲がった。

「ちょっと、何、あんた下手くそすぎるわよ」

「どこがですか? 頑張ったじゃないですか?」

「頑張りは認めるけど、もう下手すぎて、顎を掴んでやったのよ。なんなのよ、その親切で素敵な人っていう薄っぺらい感想と気持ち悪い動きは」

「えー? だって、鉄雄さん親切だし…。後、何いえば良かったんですか?」

「何も言わなくて、横でニコニコしてたらいいのよ。最後の「嬉しい」って抱きついて微妙な顔隠すのも、絶対、変だったから」と鉄雄は小言を言う。

「だって…攻撃は効いてそうだったし、変な顔になるの困るし…」

「私、コアラのお母さんになったのかと思ったわよ」と言って、笑う。

 確かにコアラの子守に見えなくもない。芽依も我慢してた分、笑った。

「でもさ。結局、途中からあいつに加担してる気がして来たのよ。私に彼女がいるっていうことは、あいつの知られたくない性癖を隠してるってことだからさ」

「まぁ、いいじゃないですか? 青筋立てさせることができたし、元カレにとってもいいことしたんだったら、相殺されます」と芽依は笑った。

「呑気な話よねぇ」と鉄雄は芽依を見て、呆れた。

「それで…鉄雄さんはスッキリしましたか?」

「しましたよ。少しは」

 すると芽依はにこにこ笑って「お役に立てて良かった」と言う。

 その素直な笑顔を見て、鉄雄は言葉を無くした。元カレとは納得して別れたはずなのに、婚約者をわざわざ店まで連れてこられた時には、自分の中がこれでもかというほど、ひどく汚い感情で揺さぶられた。自分で飲み込んだつもりが、体のどこかに潜んでいて、それが急に溢れ出るような感情の渦巻きに鉄雄は吐き気すら覚えた。でもあまりにもシンプルな芽依の笑顔を見ていたら、そんなものがどれほどつまら無い存在だったか、と思わされる。芽依は鉄雄の持っていないもの、あるいはもうすでに失ったものを持っていて、輝いて見える。確かにひどい失恋をして傷ついたかもしれないけれど、だからと言って、芽依自身は何も失っていない。そんな彼女がこの先、幸せになって欲しいと心から思う。

「鉄雄さん?」

「まぁ、あんたの下手な演技だけど、協力してくれたお礼にお花屋さんに行きましょう」

 すぐに嬉しそうな顔をする芽依を見て、

(だから裏切られるのよ)と思う反面、その素直さがただ眩しくも感じる。

 ちょうどビルの合間から西日が差している。目を細めても誰も気にしない。この隣にいる小さな存在がかわいそうに思って、何となく愛着を持っていたと思っていたけれど、もしかしたら、必要としているのは鉄雄自身だったかもしれない、と思った。一瞬、まぶたを閉じると夕日の残像が残っている。

「モンプチラパン…」

「はい?」

「私、結構ひどく傷ついてたみたい…」

「まぁ…それは…仕方ありません」

 そう言った芽依は驚いたような顔をしていた。

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