第8話 痛み

 鉄雄に連れて行ってもらったカフェは飲食店が並ぶビルの地下にあった。白塗りをしている壁の階段を降りると、木の扉がある。カフェ「ミノコス」と看板がかけられていた。そこを開けると、白い壁に穴がいくつも開いていて、飾り棚みたいになっている。どこか異国のような風景に芽依は足を踏み入れるのを躊躇した。平日の昼下がりでそんなに客がいなかった。

「あら、てっちゃん、お休みの日でしょ?」と言って、笑うのは短髪の筋肉質な男だった。

 黒いズボンと白シャツに黒ベストを着て、カウンターから出てきた。

「たまにはお客になってもいいでしょ?」

「女連れてる。どしたの?」と肩をすくめて、芽依を見た。

「可愛いでしょ? お隣さん。この人はサブロー」と店員を紹介してくれた。

「へぇ」と上から下までジロジロ見られた。

 たった一着しかない余所行きなのに、あんまりだったのかな、と少し気後れした。

「何で、こんなダサい女連れてるの?」と言われて、芽依は思わず固まってしまった。

 確かにそんなにおしゃれではないと自覚はしているが、初対面の人にそんなことを言われるなんて思ってもみなかった。

「こら、いじめない」と鉄雄が割と真剣に言った。

「だってー。あんた、前はエディターとかデザイナーとかそういう女に囲まれてたじゃん」

「囲まれてないわよ。仕事で一緒にいただけ…」

「落ちたものね」と今度は鉄雄に辛辣な言葉を吐いた。

「落ちてないわよ。別に。もともと上にいたわけでもないし…。つまらないこと言ってないで、接客して。あんた、人の気分を害して、楽しんでるの? その性格じゃ、彼氏できないわよ」

「あんたに言われたくないわよ。選り好みして…。結局、ダサい女と一緒にいるんでしょ?」

「いい加減に」と鉄雄が言った時に、芽依が「ダサい女のどこが悪いんですか?」と言った。

「は?」

「ダサいと迷惑ですか? 私がダサいと鉄雄さんに嫌なこと言ってもいいんですか? そんなあなたの心がダサいです」と芽依は言って、そのまま店を出た。

「あーあ」と言ったのは鉄雄だった。

「何? あれ」と言ってからサブローは笑い出す。

「あんた、本当にその中身、何とかしなさいよ。人としてどうかと思うわ」

「だって、あの子が言ったように、あたし、心がダサいもん」

 鉄雄は笑い続けるサブローを放置して、店を出た。芽依はもうどこかに行ってしまって、辺りにいなかった。今日の店員がサブローじゃなければよかった、と思いながらも、芽依がサブローに会って傷つけられたかもしれないが、どこかでそれを期待していた。すっかり鉄雄を信じ込んでいる芽依に教えたかった。でも鉄雄が自分で出来なかったから、サブローを使ってしたような…そんな罪悪感もある。

 しばらくそこらへんを歩いていると、大量生産で作られた若い女の子が着る服を置いている店があった。可愛い店舗で値段もお手頃だが、生地はペラペラしている。その中に芽依がいて、服を見ていた。高級品でもないのに、手にとっては離す、を繰り返しているのを見ていると、胸が詰まった。

「モンプチラパン」

 そう呼ぶと、芽依は振り返った。

「あ」と言って、顔を赤くしている。

 見られたくなかったのかもしれない、と鉄雄は思ったが、そのまま店に入って行った。

「…この店は若い子の特権よ。若いから着こなせるの」

 芽依は言っていることが分からないみたいで、首を傾げる。

「まぁ…あんな奴の言うこと気にしてちゃダメよ」

「…でも」

「あいつ…親に酷いことされ続けて、逃げて来たの。包丁向けられて…。でもさ…だから捻くれたのかもしれないけど、みんながみんなそうなるわけでもないし…」と言って、芽依が見ていたワンピースを手にした。

「…そうだったんですか」

「でもだからって許してあげてって言うわけじゃないの。そう言う人間もいるのよ。されたことを人に返す。嫌なことをされ続けて、自分もやってしまう…」

「サブローさんは鉄雄さんのこと、好きなんですか?」

「は?」

「好きだから、ダサい女と一緒だとイライラしてしまうのかなって」

「…あいつはみんなにあんな態度よ。あ、まぁ、でも憧れてる存在には犬みたいにひれ伏すけどね。…成功した人とか業界人とかアーティストとかそう言う類の人間にだったら、何でも言うこと聞くし…。だから…昔は私もそう言う対象だったのかもね」

「鉄雄さんも?」

「そう。花の仕事してたから…。雑誌とか…そういうの載ったり、ホテルの受付飾ったり…」

 そう言うと、手にしていたワンピースをレジに持っていった。芽依が欲しかったワンピースを鉄雄が着るのだろう、と少し残念な気持ちになりながら、芽依は会計が終わるのを待った。可愛い紙袋にリボンまでかけてもらっている。

「じゃ、仕切り直しに何か食べに行こう」と鉄雄が言う。

「…うどん。今日は肌寒いしうどんがいいです」

 鉄雄は笑いながら、頷いた。


 熱々のきつねうどんを啜りながら、芽依は鉄雄に付き合っていた人がいたのか、どんな人だったのか、聞いた。

「突然のインタビュー?」と言いながらも鉄雄は答えてくれた。

 年上でイケメンだったらしいが、細かいところで気が合わなくなってしまって別れたらしい。

「ショックでしたか?」

「まあね。…でもお互い無理だって、最後の方は分かってた」

「そうなんですね。イケメンって誰に似てましたか?」

「似てる人ねぇ。韓国のスターかなぁ」

「…あぁ。ちょっと分からないです」と言って、またうどんを啜り始めた。

 鉄雄はその様子に軽く笑う。素直な芽依のままが可愛いと思うけれど、もっと世の中を知らないと生きていけないんじゃないかとも思ってしまう。芽依は苦労はしているが、愛情をたっぷり受けて育ったのだろう。

「…どうかしましたか?」とじっと見ていたので、芽依が聞いた。

「人のこと、信じすぎ」

「え?」

 芽依はうどんを咥えたまま、鉄雄を見た。その顔を見て、ずっとこのままの芽依だとまた騙されるだろうと思いながらも、鉄雄はワンピースの入った紙袋を芽依に渡した。

「これ、あんたが着た方が似合うわ」

「え? まさか」と怯えたような顔になる。

「何?」

「お金…ないのに…」と言って、芽依は紙袋を押し返した。

「やだ、あげるって言ってるのよ。さっきのお詫びに」

「え? どうして鉄雄さんが?」

「私が連れて行ったからじゃない」と紙袋をまた渡す。

 目の前で無邪気に喜ぶ芽依を見て、鉄雄は複雑な気持ちになった。傷つけたからお詫びに買ったのだが、また芽依に自分をいい人だと思わせてしまった、という罪悪感。でも芽依にそう思って欲しいという気持ちは本当だけど、それはただの欲であって、単なる見栄だ。

「ねぇ、もし私が普通にあんたを傷つけるとか思わないの?」

「鉄雄さんが? 思わないです」と即答される。

「どうして?」

「だって、そんなことするなら、もうとっくにされてるはずです。ずっと一緒にいて、ただ…優しくしてくれてるから…」

「男好きって嘘だとか思ったことないの?」

「嘘?」

「そうあんたを安心させるための」

 芽依は目を大きく開けて、くるっと動かした。

「もし鉄雄さんが嘘をついてまで私を安心させようとする理由は…私のこと、好きですか?」と思いがけないことを言うので、鉄雄は思わず脱力した。

「…あんたの頭は天国すぎるから、困るわ。まぁ、男好きは嘘じゃないけどね」

「じゃあ、やっぱりいい人ってことですよね?」

 そう言って、トレーの横に置かれた木のスプーンでうどんの出汁まで飲んでいた。

 二、三回飲むと、鉄雄に「もし私のこと好きになってくれたら…でも嬉しいです」と言った。

「ないない」と鉄雄は即答した。

 頬を膨らませて「そんな二回も否定しなくても…」と芽依は呟いた。


 鉄雄はお店が休みだが、今夜は女装して遊びに出かけると言うので、芽依は明日も早朝出勤なので早めに寝ることにする。着替えのために鉄雄が自分の部屋に戻ると、壁の穴から芽依が覗いているので、「何してるの?」と聞くとクスクス笑い声が聞こえる。

「イケてる女に変身するのが見たくて」

「ダメよ。早く、寝なさい」

「おやすみなさーい。行ってらっしゃーい」とその後に聞こえた。

 芽依もそうだが、鉄雄も出かける時の挨拶を言う人がいて、幸せだった。

「行ってきまーす」と化粧をしながら壁に向かって言った。

 

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