第6話 元カレ

「モンプチラパンはかわいい、かわいい」と変なメロディをつけながら鉄雄が歌いながらレストランから家までの道を歩く。

「美味しかったです。ご馳走様でした」

「まぁ、立て替えたけど、戻ってくるから…」

 並んで歩いていると、芽依の頭をくしゃくしゃっと鉄雄が撫でる。ポニーテールが崩れそうなので芽依は何度も鉄雄の手を払う。さっきのレストランでデザートまで頂いて、お腹いっぱいで、晩ごはんをどうしようか悩みながら歩くと鉄雄は「若いんだから、また夜になるとお腹空くわよ」と言う。

 鉄雄は今日は出勤の予定があるから、今から仮眠を取ると言う。冷蔵庫に何もないのでスーパーに寄ろうかな、と思いながらアパートまで来た。

「あら? お客さん?」と鉄雄が言うので、芽依が見ると、岡崎が芽依の部屋の前で立っていた。

「…スーパー…行こうかな」と芽依は踵を返そうとする。

「え? お客なのにいいの?」

「一番、会いたくない人ですから」と芽依は怒ったような声で言った。

 奥さんと話してから、本人とは一度も会っていない。

「まぁ、それもいいけど、一度は本人の話、聞いてあげようか?」

「え?」

「一度も本当のこと、聞いてないんでしょ?」

「…今更聞いたところで」

 何を言われても、芽依にとってはいいことにならない。会わないという奥さんとした約束も破ることになる。

「騙してた人と…関わる気はないし…」

「あんたはなくても向こうにはあるかもしれない」

 そう言うとにっと笑って、芽依の手を引いた。

「え?」と驚いたが、しっかり手を握られていて、簡単に外せそうになかった。

 二人で階段を登る。芽依の鼓動が早くなる。階段を登る音に、岡崎が振り返った。

「…石川」 

 そう言われて、芽依は動けなくなった。よく聞いていた声と呼び方。

「何か用ですか?」と鉄雄が低い声で聞いた。

 言った鉄雄の声が冷たくて、芽依は思わず鉄雄の横顔を見た。

「…男がいたのか?」

 岡崎は繋いだ手を見て、そう言った。芽依は手を振り解くこともできずにそのまま立ちすくんだ。好きだった人が目の前にいる。一緒にいる時は本当に大好きで、幸せで、それが全てで、それだけだった。少し痩せたようにも、やつれたようにも見える。

「男がいた? 奥さんがいる人が言うことか?」と鉄雄が言うと、岡崎は唇を噛んだ。

 続け様に、鉄雄が「だから二度と会わない約束をしているんだけど? どう言うつもり?」と言う。

「…本気だったんだ。本気で」

 鉄雄は言ってる最中に笑い出した。

「本気だからって、何やってもいいと思ってんの? あんた、ふざけてんの?」 

「お前には関係ないだろ? なぁ、石川…分かるだろ? 俺は本当に」と言いながら、近づいてくる。

 芽依はあんなに好きだったのに、急に怖くなった。

「…私、もうお会いしたくないです。奥さんにもそう約束しました」

「あぁ、そうだ。言われたから会わないんだろ? 本当は会いたかっただろ?」

 芽依の言葉は少しも届いていないようで、体が固まってしまう。本当にこの人を好きだったのだろうか、と芽依は分からなくなる。明らかに様子がおかしい。

「会いたくないです。…嘘ついてた人なんかに」

「嘘なんかついてない。好きだから、本当に好きだから言えなかっただけだ」

 何を言っても、岡崎には聞こえていないようで、芽依は思わず鉄雄の手を強く握った。それで、鉄雄は「部屋に入って、待ってて」と言って、自分の部屋の鍵を渡すが芽依の手が震えてうまく鍵穴に入れられそうにない。軽い舌打ちをして、鉄雄は自分で鍵を差し込んで、扉を開けると芽依を部屋に押し込んだ。

「もう、これ以上、あの子を傷つけたら…許さない」と言って、岡崎に対峙した。


 部屋に入れられた芽依はドアスコープから覗き込む。岡崎の様子がおかしかったから、不安で仕方がなかった。そして携帯で警察に連絡しようか迷っていると、ドアが開いて、鉄雄が入ってきた。

「帰ったわよ。でも…あんた、当分、気をつけた方がいいわよ。あいつ…執着してるから」

「…執着」

 そう呟くと、芽依はその場にしゃがみ込んだ。

「あんたの部屋で寝るわよ」と言うと、鉄雄は自分の部屋の押し入れから布団を引っ張り出して、丸めた。

「え?」

「あたしがあんたの部屋で寝るから、あんたは好きにしてたらいいわよ。あたしの部屋でもいいし。自分の部屋でテレビ見ててもいいし」と言って、枕を芽依に持たせる。

 そして掛け布団まで運び込むと、芽依のベッドの横に、布団を引いて、「何かあったら起こして」と言って、すぐに眠ってしまった。

 芽依はどうすることもできずに、チューリップを見ながら、鉄雄の寝顔をチラシの裏に描いた。でもこの部屋に、誰かがいてくれると思うだけで何となく安心できた。

 

 夜になって鉄雄は起きると「あんた、一人で大丈夫?」と起き抜けすぐに聞いた。

 芽依は首を縦に、振って、鉄雄を見る。すると鉄雄が笑って、いいものあげると言って、自分の部屋に、戻って行く。そして戻ってきた時にはカップラーメンを山ほど抱えて「お腹空いたら、これで凌ぎなさい」と言った。

 そして今日は絶対、鍵をかけて寝るように。誰が来ても開けないように、と言って出ていった。

 布団はそのままにされていたので、芽依はため息をついた。


 明け方、出勤準備をしていると、押し入れの穴から「芽依ちゃーん、モンプチラパーン」と声がするので、芽依は押入れに、頭を突っ込んだ。穴から声がする。

「鍵開けてー。布団返してー」と鉄雄が言う。

「だって開けちゃいけないって」 

「意地悪言わないの。畳で寝ろっていうの?」

 情けない声で言うので、芽依は少し笑って「取りに来てください」と言った。

 ドアを開けると、お風呂に入った後のような濡れた髪をタオルで拭く鉄雄がいた。

「今から出勤?」と言いながら部屋に入ってくる。

「はい。そうです」

「じゃあ…行ってらっしゃい」

「え?」

「ここで寝るから」

「え?」

「留守番しとく。布団運ぶの面倒だし」と言って、鉄雄は濡れた髪のまま布団に入ろうとするので、芽依が「髪の毛乾かしてください。ドライアーあるし」と言う。

「うーん。面倒臭いなぁ」と言いながら、洗面所に向かう。

「じゃあ、行ってきますね」

「はーい。頑張って」と言いながらドライアーをかけている。

「あ、鉄雄さんも、お帰りなさい」と芽依が言うと、鉄雄は驚いたような顔をして、でも嬉しそうな顔で笑った。

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