第3話 対峙

 初めて入ったパチンコ屋さんはタバコの匂いが充満しているのと、会話できないほどの大音量で音楽が流れている。

「あのー。どうしたらいいんですか?」と大きな声で鉄雄に聞いた。

 のこのこと着いてきてしまった芽依は鉄雄の横に座った。指さされたところにお金を入れるらしいことが分かって、千円札を震える手で入れた。鉄雄は一万円も入れていた。出てくる玉の量が違う。芽依の千円の玉は三分もかからずに吸い込まれていった。

「え? 終わった? えー?」と芽依は思わず叫んだ。

 なんだか分からないうちに千円札が消えてしまったからだ。

「終わりました」と言うと、またお金を入れるところを指で刺される。

(もうだめだ。今日はパンと合わせて3千円も使ってしまった)

 首を横に振って、鉄雄の方を見る。何だかピカピカ光出して、球が出てくる。ぼんやりみていると、玉がだんだん増えていく。あまりにもじっと見ているからか、自分の玉を取って、芽依の台に入れてくれた。でも一握りの玉は今度は一分もかからずに吸い込まれていく。

「何が楽しいんだろう」と思って見ていると、一つだけ真ん中に入った。

 横からまた一握りの玉が追加された。少しだけ玉が吐き出されたが、またすぐに吸収された。パチンコにすら騙されている気になる。箱一杯になると、鉄雄は立ち上がった。

「もっと出そうだけど…あんたがあんまりにも悲惨な顔してるから」と言って、玉を運ぶ。

 そして文鎮と景品に変えてもらった。

「景品はあんたが好きなの選んだら?」と言うので、クッキーをチョコでコーティングされたお菓子を選んだ。

 好きだけれど、お菓子もあんまり買うことはなかった。喜んで受け取っていると、文鎮をお金に換えると言って、表に出た。空気がこんなに新鮮だとは思わなかった。

「タバコくさい」と自分の服を匂って、そう言う。

「待ってて」と言って、横にある小さな窓口に行った。

「いくらになったんですか?」

「まぁ、元よりちょっと良いくらいかな」と言って財布に入れる。

「パチンコよく来るんですか」

「久しぶりよ。あんたのまんまるな顔見てたら、ちょっと行きたくなったから」

「な…」と芽依は思わず怒りが込み上げてきた。

 確かに丸い顔だけど、まんまるとは言い過ぎじゃないか、と芽依は思った。

「泣き腫らしたんでしょ? 昨日の夜。お顔が腫れぼったいわよ」

 確かに…そうだった、と芽依は言い返す言葉もなかった。

「あんた、本当に忙しいわね。落ち込んだり、怒ったり。でもさ」と言って、財布から千円札を出す。

(その千円…くれるの?)と芽依はじっと見た。

「千円で気分転換できたんだから、安いものよね」と言って、また財布に収めた。

 一瞬でも鉄雄が優しいと思った自分を恥ずかしく思った。何だか悔しくて涙が出てくる。

「は? なんで泣かなきゃいけないの? これは私の千円じゃない」

 ポロポロ道端で泣く芽依を見て、鉄雄は狼狽えた。

「千円…。千円も…です。でも私、あなたのこと、いい人だと思って。こんなところまで来たのに…。また馬鹿を見ました」

「ちょっと、何言ってんのよ? あんた本当にいい加減にしなさいよ」と鉄雄はそう言いながらも強い口調ではなかった。

「馬鹿だから…騙してもいいんですか?」

 芽依は泣きながら、鉄雄を睨む。

「…あんた、今、何持ってるの?」

 そう言われて、手に持っているお菓子を見る。

「お馬鹿なのは手にしているものに気づかないで、失ったものばかり考えてるあんたよ」

「でも…千円あったら…このお菓子…四つは買えます」

 そう泣きながら言うと、鉄雄は笑い出した。

「じゃあ、あんたはもうパチンコに行ったらダメよ。スーパーに行きなさい」

「誘ったのは…神立さんじゃないですか」

「でも付いてきたのはあんた。なんでも人のせいにして、それってお馬鹿ちゃんらしいけど…。また騙されるわよ。あんたは、好きって言われたら、好きになるタイプでしょ?」

 確かにそうだった。岡崎のことは特に好きでもなく、ただの上司だった。優しくされて、嬉しくなって、好きだと言われて、好きになった。

「素直なのはいいけどね。もうそろそろ大人になりなさい」と言って、おでこを指で優しくつついた。

 自分では充分大人になったつもりだったが、芽依は道端でも泣いてしまうような子どもみたいなことをしている。

「大人です」と強がって言ってみたが、どう考えても今は大人だとは言えない。

「はいはい。まぁ、あんた、面白いからまた気晴らしに行きましょう」と言われて、芽依は首を横に振った。

 そしてぶすっとしている芽依の手を握って、歩き出す。

「え?」と思わず顔を見ると、「あんた、手を繋ぐのすら慣れてないの? 私で練習したら?」と言って笑いかけられた。

 男の姿をしている鉄雄にそう言われて、気持ちも読まれて芽依は思わず嫌な顔を作って、見せつけた。すると鉄雄は手も離さずに嬉しそうに笑う。

「あ、あそこにスーパーあるわよ。行きましょう」

 強く手を引かれて、芽依は断ることができなかった。

 スーパーに入ると、かごを持ってうろうろするが、いつまで経っても空っぽだ。買い物する気はないのだろうか、と思っているとお菓子売り場に来た。

「あ、これ、あんたの持ってるお菓子じゃん。手にしてたら万引きかと思われるわよ」

「え?」と慌てて、鞄に入れる。

 その横で同じお菓子を四個、カゴに入れた。

「へぇ。本当、千円で四個買えるのね」と感心したように鉄雄は言った。

「なんで、四つ買うんですか?」

「千円で四つ買えるから。パチンコで使うよりはいいでしょ? いるの?」

「いらないです。一つで充分です」

「じゃあ、いいじゃん。今日、一個手に入ったし」と言いながら、そのままレジに向かって、お金を払った。

「どうするんですか? そのお菓子」

「今日、出勤するから…そこで配ろうかしら?」

「出勤?」

「そうよ。ナイトバーで働いてるのよ」

「お化粧とかして?」

「馬鹿ね。あれは趣味よ。普通に男の格好で働くの。あんたに来てとは言わないけどね。またお金が…ってうるさそうだから」

 そう言われて、芽依は確かにそんなところには行くことは無いと思った。それから芽依はいろいろ聞いてみた。男が好きで、女性になりたいのか、とか。

「あんた、そう言うことは…さ。もっと聞きにくそうに聞いてよ」

「ごめんなさい」

「まぁ、いいけど。女性になりたいのよ。だって綺麗じゃない。同時に男が好きなのよ」

「女性は恋愛対象に一度もなったことないんですか?」

「無いわよ。…まぁ、あんたのことはペットを見て、可愛いって思うのと一緒で。ペットに恋愛感情って持たないじゃない?」

 鉄雄がどう言う気持ちであれ、可愛いと思っていると言うことに驚いた。

「ペット…」

「ペットより手がかかるけど。まぁ、飴、一つ食べて後は返すとか。夜中に笑っちゃったわ」と鉄雄は言った。

 食べずに全部返せばよかった、と芽依は少し頰を膨らませた。

「まぁ、私に恋愛指南を受けたかったら一回につき、五百円払ってね」

「…必要ありません」と言って、芽依はさらに頰を膨らませて鼻に皺を寄せた。


「じゃあ…出勤前に軽く仮眠するわ」と言って、アパートの前まで来た時、芽依の部屋の前に人が立っているのが見えた。

「あ…」

「誰?」

「奥さんだ」

「嫌だー。修羅場?」となぜかうきうきした声で軽やかに階段を上がっていく。

 その音で、奥さんはこっちを見た。男の格好をしている鉄雄と一緒にいるのを見られて、どうしたらいいものか、と考えた。

「他に…男がいたの?」と奥さんは芽依に言った。

「この人はお隣さんで…」と言い訳を言ってから、この言い訳では何にもならない、と思った。

「お隣さんとお買い物?」とスーパーの袋を見ながら言った。

「お買い物。楽しかったね」と鉄雄は芽依の顔を覗き込みながらわざと笑いかけた。

「あなたね…。会社から連絡があったの。うちの夫が転勤になるって。それで…あなたは辞めずに働くですって?」

「…転勤」

「そうよ。違う店舗に。どうしてあなたはそのままなの?」と岡崎の妻にじり寄られた時に鉄雄に肩を抱かれた。

「だって、あんたの夫が原因だからだろ?」と言葉遣いも男になっている。

 思わず芽依が鉄雄を見るが、腕を解く気はなさそうだった。

「何にも分かってないような子を独身って言って騙してさ。散々、美味しい思いしたんだから、そのツケは払うしか無いだろ? それでここに来て、あんたは何がしたかったわけ? この子が会社辞めて…困るのを見たかったわけ? それでそうしたら、あんたの旦那を許せる? ここに来て、この子が泣くのを見に来たわけ? それであんたの気が晴れる? ちなみに昨晩来てたら、泣き顔はたっぷり見れたけど?」

 岡崎の妻は唇を噛むと、体を芽依にぶつけて、去っていった。

「おー、あいたたた」と鉄雄は手を離して、振った。

 どうやら岡崎の妻がぶつかった時に鉄雄の手にあたったらしい。

「やっぱり…辞めた方がいいのかな」と芽依が呟く。

「好きにしたら?」と言って、鉄雄は自分の部屋のドアを開けて、そのまま入っていった。

 芽依は一人廊下に残されたが、岡崎の妻の後ろ姿を追った。少し先を歩いている妻に走って追いかける。

「あの…ごめんなさい」

 岡崎の妻は振り返って驚いたような顔をしている。

「本当に…知らなかったとはいえ…。仕事も辞める約束してたのに…」

 黙って見ているが、口は一文字に引き結ばれている。

「でも辞めてほしいのでしたら、明日、もう一度」と言いかけた時に、「いいわ」と呟いた。

「法的にあなたに私が仕事を辞めさせることはできない。でもあなたに何か仕返ししたかった。…けどあんなにボロいアパートに住んでて…惨めな人を虐める気持ちになれなくなったわ」

「ボロい…」と思わず反芻してしまった。

「岡崎と別れてあげましょうか?」と妻から言われて、思わず首を横に振った。

 そんな芽依を見て、妻の口の端が少し上がった。

「本気じゃなかったの?」

「…本気でした。私は…。でも本当のことを言わなかったのは…私のことは遊びだったから…と思います」

「そうかしら? 本気だから…言えないこともあったかも」

「え?」

「まぁ、今後のことはあなたには関係ないけど…。でももし離婚して…あなたが岡崎とよりを戻すことがあったら…私は自分が何をするか分からないわ」

 芽依はそう言う妻の気持ちが痛いほど伝わってきた。

「…無いです。好きでしたけど…。私は奥さんがいるって知ってたら好きにはなりませんでした。その程度です」

 最後の言葉は付け加えた。本当に好きだったけれど、芽依が彼女に言える言葉を探した。

「…信じるわ。あなたのその言葉を」

 そう言って、岡崎の妻は去って行った。


 芽依は部屋に戻ると、押入れを開けた。穴の向こうは静かで、もう鉄雄は仮眠を取っているのだろう。物音一つしなかった。芽依は押入れをそっと閉めて、カバンの中のクッキーを取り出した。食べようと思ったけれど、結局、しばらくそれを眺めるだけだった。

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