第28話 人狼



 見下すようにマリアを見た人狼の右眼には、どうだ、と言わんばかりに自慢げな色が浮かんでいた。

 だが、すぐにそんな気色は消え失せることになった。マリアは折れて3分の1ほどになった左手の剣を引き戻すことなく、そこからさらに、その右眼に突き入れたのだ。


「グギャアッ!!」


 苦鳴が響いた。右手で剣の柄を掴み、引き抜く。潰れた眼から血が溢れた。怒りを込めて、抜いた剣を地面に叩きつけた。


「貴様ァ……!!」


 人狼は今度こそマリアを眼で追ったが、すでに後退したマリアは追い縋る2頭の狼を切り伏せ、もう1頭も投げナイフで仕留めていた。

 残る狼は2頭――。


「殺スッ!! 殺シテヤルゾォッ!!」


 激昂した人狼が顔を上げたところへ、すかさず投げナイフが飛んできたが、パキン、という空気の弾ける音がして、人狼の目前で弾き返された。ランドが〝風〟で防いだのだ。一応は仲間として、庇ったものだった。しかし、助けられた当の人狼は、


「余計ナコトヲスルナッ!!」


と、感謝するどころか、ランドにも怒りの矛先を向けた。助けてやったのに怒鳴られたランドは戸惑いを隠せなかったが、それでも、ここは剣を1本失ったマリアを一気に畳み込むべきタイミングだと判断したランドは、人狼の抗議を無視し、マリアを狙って〝かまいたち〟を起こした。


 が、間の悪いことに、マリアに飛びかかった狼2頭を〝かまいたち〟が両断してしまったのだ。しかも、肝心のランドの〝かまいたち〟は、マリアの〝風〟と〝水〟の防護壁に相殺、消滅させられた。

 ランドが狼を誤って殺してしまったのは偶然が引き起こした出来事だったのだが、当然ながら、残っていた最後の狼2頭を殺された人狼が激怒した。


「貴様ッ……!! 何ヲスルカッ!!」

「い、いや……今のは偶然の事故で……」


 しどろもどろになって答えようとするランドに、


「邪魔ヲスルナッ!! 弱イ奴ハ引ッ込ンデロッ!!」

「なっ……」


 怒り心頭に達していた人狼は、ランドの弁明など聞く耳を持たず食って掛かったが、すんでのところで何とか踏み止まった。

 ここで仲違いをすればマリアに有利になる、と僅かに残った理性が判断したのか――。

 それとも、自分に向けられるマリアの殺気に、正気に戻ったのか。

 いずれにせよ、マリアという難敵を相手に、ランドと争っている暇はないと気付いたようだ。先の不手際への怒りを何とか飲み込んで、矛先を収め、


「コレ以上、手ヲ出スナヨ」


 そう言いおいて、再びマリアと対峙した。人狼の要求に、ランドもどう対処して良いものかと戸惑っていたようだが、無闇に事を荒立てても仕方がないと思ったのか、可とも不可とも述べず、了承したように黙っていた。

 その間にも、マリアは残っていた最後の死人を切り捨てていた。これで、このミケランジェロ広場に立っているのは、マリアとランド、人狼の3人だけとなった。


「あら。もう、話し合いは済んだの?」


 全ての死人を始末し終えたマリアは剣に付いた血を振い落としながら、どうにか落ち着いた様子の2人を眺め、


「残念ね。あのまま仲違いしていてくれれば、こちらもだったのに」


と、柔らかな微笑を浮かべ、内輪揉めを煽るように皮肉を込めて、そう言った。天使と見紛うような美しい顔で、凄惨な言葉を平然と述べるから、なお恐ろしい。

 その言を受けてかどうか、


「オイ……、手ヲ貸セ。タダシ、俺ノ言ウ通リニ動ケ」


 先ほどまでは、ランドの手は借りない――と人狼は宣言していたのに、急に態度を軟化しランドに協力を求めた。右眼を潰されたからだろうか、マリアの実力を考慮したようだ。人狼の態度の豹変振りにランドも内心では呆れていたが、各個で当たるよりもここは協力するべきだと判断した。

 そこへ、


「ランドさん」


と、マリアが呼びかけた。あまりにも自然な呼びかけだったため、ランドもそれを受けて、


「何です?」


と、普通に返してしまった。


「その人狼……のよね?」


 マリアはさらりと、そんな物騒なことを口にした。ランドは一瞬口籠り、人狼をちらりと見た後、こう答えた。


「ええ、あなたにそれが出来るものなら……ね」

「そう、構わないのね。なら、やってみましょう」


 当の本人は蚊帳の外でそんなやり取りがあったものだから、人狼としても面白くないし、プライドを傷付けられたと感じたのであろう。押し殺した声であったが、その声には怒りが滲み出していた。


「言ウジャナイカ……。ノヲ忘レタカ?」

ことを忘れたの?」


と間、髪を入れずにマリアに返された。


「グッ……」


 人狼は言葉を詰まらせた。それを言われては返す言葉がない。


「でも、まあ……。では、また噛み砕かれるだけだしね」


 そう言って、マリアは右手の剣を納めた。それから、腰に差していた短刀を引き抜いた。昔、切り裂きジャック事件の折り、ロンドンに発つ日の早朝にミケーレに貰ったものだ。


「それは?」

「日本刀よ。知らない? だけれど〝〟でね」


 物珍しそうに短刀を見るランドにマリアが言った。自然に垂らして短刀を握っていた右手を上げ、ランドをその短刀で指した。そして、


わよ」


と、挑発するように、人狼を見た。再三の挑発にとうとう我慢の限界を超えたか、人狼が動いた。マリアに向かって一直線に突進してきたのだ。


「あ」


 マリアが誘って来ている――と解っていたランドが止める間もなかった。

 機先を制するように、その胸元にマリアは投げナイフを1本放った。人狼は余程の自信があるのか、それとも、などの弱い部分――急所でもない限り、ナイフ如きでは斬れないとでも言うのか――。

 飛んでくる投げナイフを歯牙にも懸けようとせず、人狼は事実、それをこわい獣毛で弾き飛ばした。


「ガハッ!!」


 どうだ!!――と言わんばかりに胸を張り、鼻息も荒く突っ込んできた人狼に、マリアは無造作に右手をさかしまに斬り上げた。マリアの何気ない一撃と、刃物にも負けない自身の防護性への自負から人狼は、こちらもまた無造作に掌で受け止めようとした。


「ギャアッ!!」


 人狼の叫び声が上がり、親指を除く右手の4本と掌の半ばまでが、血煙りを伴って宙に舞った。


「オノレェ……!!」


 飛び退いて距離を取り、血走った左眼で睨む人狼に、マリアは告げた。


――って言ったじゃない」


 ちゃんと言ったはずよ――とそこまでは言葉には出さないが、余裕を含んだ微笑で、マリアは見返していた。

 ランドも感心していた。ナイフを弾いたほどの人狼の身体なら、刃物は通じないだろう――と、彼も思っていたようだ。

 それを斬った。


 日本刀――か。

 あの切れ味、侮れないな――。


 ランドは認識を新たにした。そんなランドの分析とは対照的に、掌を斬り落とされた人狼は激昂しており、


「グアアッ……!!」


と、唸り声を上げつつ、またしても後先考えずに再びマリアに突っ掛かった。対して、マリアは素早く後退し、距離を詰めさせない。

 先ほどまでもそうであったが、マリアは破砕孔が開いた荒れたアスファルトやコンクリートの地面を、躓くこともなく、器用に後退する。

 それも人狼に追い付かれないスピードで――だ。


「あのバカ……」


 それではマリアの思う壺だということに気付かない人狼を、ランドはあからさまに罵った。このまま事態が推移すれば、人狼は殺されるだろうことは疑いようもなく、もはや気を使う必要もないと判断したようだ。


 いつまでも追い付けないマリアを、人狼は意地になって追いかけた。

 ふと、後退を続けていたマリアが前進した。不意を突かれた形で、一瞬の戸惑いはあったが、マリアに追い付こうとスピードを上げていた人狼にとっては、これ幸いと噛み付きに掛かった。

 狙うは頭――。


 しかし、当然マリアも攻撃に出た。

 こちらも狙うは頭部――。


 マリアは短刀を寝かし、頭部を狙って突きを入れた。それを見た人狼は、先ほどまでと全く同じだ――と短刀を噛み砕くため、顔を横にして大きく口を開けた。そこには1度、マリアの剣を1本噛み砕いた――という自負があった。

 ただ1つ、違っていたのは、顔の向きだけだった。右眼を失っていたので、残った左眼でマリアの攻撃を見切るために、今度は右に顔を振ったのだ。


』――。


 人狼はそう思ったが、そう思うように仕向けたのは、マリアだった。


 後退し、前進し、短刀で突き込んだのだ。違っているのは、今回はマリアがしていること。

 ――。人狼が大口を開けて短刀を噛もうとした瞬間、寝かせていた刃を立てて、上方に払った。

 人狼の口吻、上顎の鼻先から半分が斬り飛んだ。


「オオッ……カフッ……フッ……」


 鼻を含めた口吻を失ったせいで、苦鳴も声にならない空気の漏れるような音しか出せず、反射的に血が溢れる鼻面を手で押さえようと前屈みになった人狼の首筋を、


「ふっ!!」


と、マリアは吐気とともに文字通り、返す刀で斬り付け、その首を刎ねた。首の後ろからくい込んだ冷たい鋼の感触が、人狼が感じた最後の感覚であった。

 ごろり、と転がった首と、滑らかな断面を見せて、止め処なく血を溢れさせながら突っ伏した人狼の身体。それらを視界に納め、ランドを油断なく睨みながら、マリアは短く鋭い〝横血振よこちぶるい〟をし、血脂を落とした。ほんの僅かな〝振い〟で刀身は綺麗になった。


「さて……残ったのはあなただけよ」

「いやいや、実にお見事」


 ランドはマリアの手並みを素直に感心し、同時にまた、少しばかり感謝すらしていた。このところ、増長していく人狼を、ちょうど持て余していたところでもあったからだ。最近は何かにつけ、ああしろだ、こうしろだ、と煩くなっていたのだ。


「あれを始末してくれて助かりましたよ。最近はとみに煩くてね」

「相変わらず、仲間に薄情なのね」

「どうとでも言ってください。……で、そう言うあなたは情が厚いでしょう? 彼を覚えてますか? 先ほどは、色々と世話を焼いておられたようですが」


と、ランドがマリアの後方を指差しながら言った。マリアがランドを視界に納めたままに注意を払いながら確認すると、少女の死人を撃てなかったあの彼が、どこかに隠れていたのだろう、生き残っていた――と言うと語弊があるが――死人に襟首を掴まれて、引きずり出されていた。

 涙でぐしゃぐしゃの彼の顔は恐怖に強張っており、一縷の望みを託して、マリアを縋るような眼で見つめていた。

 その彼を認めたマリアは、


「あら……。逃げ損ねたのね」


と、ぽつり、そんな感想を漏らした。そこに、これといった感情はない。だが、と受けとらなかったランドが続けた。


「ええ。使と思ったもので、捕まえておきました。さて……。それではお判りでしょうが……彼を生かしておきたければ、その剣を棄ててください」


 ランドの要求に、マリアが僅かに目を細め、


「仕方ないわね……」


と、呟いた。その言葉を聞いたランドは、勝ち誇ったように余裕の微笑を見せ、鷹揚に頷いて言った。


「そうそう。大人しく……」


 だが、調子付くランドを遮るように、ピシャリとマリアが言った。


「彼には諦めてもらいましょう」


 

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