第29話 決着

 


「なっ……!?」

「えっ……!?」


 勝利を手中にしたと思っていたランドはともかく、これで助かるかもしれない――と淡い期待を抱いていた彼は、望みを打ち砕かれて、がっくりと項垂れた。先ほど、優しい言葉を掛けてくれたこの女性なら――との考えが心のどこかにあっただけに、尚のこと、その絶望感は大きかった。


「なんですとっ!? 先ほどは、あんなに彼の面倒を見ていたではありませんかっ!?」


 マリアの彼に対する態度の豹変に、敵でありながら、見捨てられた彼を弁護するようにランドが問いかけた。得心がいかなかったらしい。同様の疑念を持っていた彼も顔を上げ、マリアの返答を待った。

 マリアは、何を言っているの?――と言わんばかりの顔で、


「彼もこの組織に所属したのなら、『』を覚悟していて当然でしょう?」


と、答えた。自分も彼も、常に『死』と隣り合わせの仕事に従事しているのだ――とマリアは言うのだ。


 その言葉に、彼は打ちのめされた。

 軍籍だった1年ほど前に、家計が楽になると考え、高給に釣られて転職したのは彼だった。軍隊と同様だろうと、仕事の内容を深く考えなかったのも事実だった。訓練の内容はやはり、ほぼ軍隊と同じであった。

 1年余の訓練を経て、今日、初めて駆り出されたのだ。

 だが、人外の者たちとの戦いは、彼の想像を超えていた。

 相手が人間であれば、銃弾を浴びれば、身動きが取れなくなる。たとえ、重装甲の戦車であろうとも、その耐久値・防御力を上回る攻撃を加えることが出来れば、対象物の破壊は可能だ。


 しかし、今日の相手である死人たちは、勝手が違った。

 銃で撃てば殺せる――とは限らなかったのである。いや、確かに彼らも破壊することは出来る。ただ、そのためには、屍者に鞭打つような冷酷さ・冷徹さが求められた。


 結果、彼は軍籍時代には感じなかった恐怖を覚え、戦いを放棄した。

 その自分を彼女は助けてくれた。逃げ出す機会をくれたのに、それを活かせなかったのは自分だ。彼女の言うことは尤もだと思った。

 彼は力なく、打ちひしがれた。

 それを見たランドが、人質を指差して、

 

「見なさい、彼を! あなたが見放すから、あんなにがっかりしているではありませんかっ!!」


と、立場や状況がこんがらがったように彼を擁護したが、マリアはきっぱりと、


「大体、素直にその要求に従えば、人質は無事に解放してくれる――とでも言うの?」


と、ランドを問い詰めた。


「そ、それはもちろんですよ。約束は必ず守……」

「そもそも!」


と、強い口調でランドの言葉を遮り、マリアが続けた。


「人質を取るような相手が、約束を守ると思う?」

「う、うぐ……」


 ランドが言葉に詰まり、二の句が継げなくなったところを見ると、やはり図星なのだろう。

 ランドが言い淀んでいる様を見ながら、マリアは左掌の内にそっと、投げナイフを3本隠し持った。ランドが逆上すると睨んでいたからだ。

 案の定、彼を捕らえている死人に向かって、


「や、役に立たない人質などいらん! 殺ってしま……」


と、命令しかかった瞬間に、マリアは左手を振るった。

 のナイフがランドの顔面を目掛けて飛び、不意を突かれたランドは大きく仰け反って何とか躱したが、体勢を崩して、どしりと尻餅をついた。その隙にマリアは振り返り、死人に向かって、残りの2本のナイフを投げ付けた。高速で飛来した2本のナイフは、命中した死人の顔を粉微塵に粉砕した。次の瞬間には、すでにマリアは死人の直前まで疾り寄っており、間、髪を入れず、彼を捕らえていた死人の腕を斬り落としていた。

 相手は死人。で、ある以上は、そこまでしないと安心は出来ないからだろう。

 当の彼は、何が起きているのか、さっぱりついていくことが出来ない様子で、唖然とした顔のままだった。

 しかし今、眼前で死人を倒し、自分を助けてくれたマリアを見て、やはりこの人は紛う方無き天使なのだ――と彼は畏敬の念さえこめて、そう思った。

 

 憧憬の眼で見上げる彼の前で、マリアはちらりと後方を窺うや、振り返って彼を庇うように両の腕を広げた。同時にマリアの右肩が、ぱっくりと大きく爆ぜた。

 

「ああっ!?」


 飛び散る血飛沫に彼の方が驚きの声を上げた。マリアは苦鳴の1つも漏らしていない。厳しい表情のまま、ようやく片膝をついて起き上がるランドを見据えていた。今の一撃はランドの〝かまいたち〟が引き起こしたものだったのだ。〝かまいたち〟という真空の刃に対してでは、然しものマリアの空気と水からなる〝障壁〟も効果が薄くなるのか、今回は防ぎきれなかったようだ。

 自慢の一撃が挙げた最大限の成果に、ランドがにやりと笑った。


上手く逃げなさい」

「えっ!?」


 背中越しのそんな小さな呟きを彼は聞いた気がしたが、その時にはもう、宙に浮いていた。マリアは再び彼に向き合い、右足で彼を蹴っていたのだ。足の甲に載せて吹き飛ばした――というのが近いだろうか。

 もっとも、いくら優しくとは言っても、4、50メートル以上も蹴り飛ばされたことに変わりはないのだ。彼はもんどりをうって、地面に無様に転がった。


「な、何をするん……だ……!?」


 抗議の声を上げ掛けた彼の眼に、右腕が肩口から千切れ飛ぶマリアの姿が映った。ランドの二撃目の〝かまいたち〟によるものだった。


「ああっ!!」


 それを見た彼は、自分の仕出かしたことを理解し、後悔した。自分が捕まらなければ、戦いを有利に進めていたマリアが負傷することもなかったのだ。

 責任を痛感した彼が思わずマリアに駆け寄ろうとしたが、見えない壁のようなものに阻まれて進めない。思わず手を伸ばしてみると、確かに触れるものがある。

 こそは、マリアの張った結界であった。

 一般人を巻き込まないように張られたその結界は一方通行。出て行くことは出来ても、再び入ることは出来ない。当初、彼らの部隊がミケランジェロ広場にいることが出来たのは、結界の効果が発生するよりも前に、広場に入っていたからだ。

 彼らが護符等を用いて無効に出来たのは、広場を出て行くように促す効果に対してだけであった。


「そ、そんな……!」


 見えない壁に手を当て、広場に入って怪我をしたマリアに駆け寄ることすら出来ないと嘆く彼の肩を力強く掴む者がいた。また死人か――と、ぎくりとして振り向くと、それは隊長だった。周りには他にも5人ほどの隊員がいた。


「おいっ、退くぞ!」

「ダメです!! あの人が怪我を! 助けなきゃ!!」

「お前に何が出来るっ!! お前が行っても何にもならん!!」

「でも、あの怪我は俺の所為なんです!! だから、俺が助けなきゃ……」

よっ!! あの人が戦い難いってのが、まだ分からんのか!!」


 その言葉にハッとした彼が見た隊長は、何かを堪えている眼をしていた。振り向けば、残りの隊員たちも俯き加減で、悔しさを滲ませていた。彼らとて、自分たちを逃がしてくれたマリアの危機に何も出来ないもどかしさに歯痒い思いでいたのだ。


「で、でも……」

「まだ言ってるのかっ!! おいっ! このバカを連れて行け!!」


 聞き分けのない彼に業を煮やしたのか、隊長が後ろにいた隊員たちに命令した。隊長は最後にもう1度、遠くのマリアを様々な思いが綯い交ぜになった顔で見つめ、


「死ぬんじゃねえぞ……」


と一言呟いて、部下たちの後を追った。


 遠く離れた所での隊長たちのやり取りを、すぐ傍で聞いてでもいたように、マリアは口の中で小さく呟いた。


「やれやれ……やっと行ったか」


 その呟きはランドも聞き取れなかったくらい小さなものだった。ランドの方はと言えば、血塗れのマリアを眺め、ようやく溜飲を下げる思いであった。


「ヒャッハッハッハァッ!! ザマァありませんねぇっ!! その姿を見たかったんですよ!! 私が味わった痛み、存分に味わいなさい!! ハッハハハッ!!」


 高揚し興奮した様子で大笑いをしながら、マリアに対するこれまでの恨み辛みを口にした。


「あんな男1人を護ってそんな様になるとは、実に甘いですねぇ!! 甘々ですよ!! ハッハッハァッ!!」

「全くね。ほんと、つくづく甘ちゃんだわ」


 そう言って自嘲するマリアは自らの血を被り、塗れていたが、その美しさは如何ほども損なわれてはいなかった。寧ろ、妖艶ですらあった。


「……!!」


 100年越しの恨みの募るランドが、思わず息を呑んで絶句したほどである。ごくり、と喉を鳴らし、


「もし……。もし、『助けてくれ』と命乞いをするのなら、助けなくもありませんがね」


と、本人も思ってもいなかった言葉が口を突いて出た。


「何ですって?」


 無駄と知りつつ、マリアは右腕の千切れた肩口を手で塞ぎ、少しでも血の流出を抑えようとしていたが、それでもやはり出血は止まらない。すでに、いつ失血死しても不思議でないほどの量の血が流出しており、実際、ゆらゆらと身体は揺れ続け、失血で顔色は蒼白になっている。

 それでもしっかりとした詰問するような口調で、マリアは問い返したのである。


――と言っているんですよ」


 そう答えたランドは、今にも舌舐めずりをしそうな顔で、興奮を隠そうともしていなかった。血塗れのマリアを見ているうちに、情欲が湧いて出てきたらしい。


「お断りね。真っ平御免だわ。まさか、本気で受けるとでも思ったの?」

「ま、駄目元ですからね。――くらいには……ですね。まあ、そうおっしゃるだろうと思ってましたよ。しかし……つくづく惜しいですね」


 マリアを殺してしまうのが惜しくなったようで、無駄と知りつつもランドはつい、問うてみたのだった。


「仕方ありませんね。では……死になさい」


 これまで散々に辛酸を舐めさせられたからこそ、止めは自分で指したいのか、放っておいても死を待つばかりであろうマリアに、ランドはゆっくりと近付いてきた。マリアにはすでに余力がなく、近付くランドを見据えているばかりであった。

 マリアの前に立ちはだかったランドが終幕を宣言するように、静かに告げた。


「では……」


 ランドの指先で、風が凝集し渦巻いた。あとは、これをマリアにぶち当てるだけで、全てが終わる。


「おい」

「!?……え!?」


 トン――。

 背後から呼び掛けられた声に振り向いたランドの胸に、剣――日本刀が突き立っていた。しかも、正確に心臓を貫いていたのだ。

 何が起こったのか理解出来ずに、しばし自分の胸を見つめたランドが、突き刺さった日本刀の柄に沿って、ゆっくりと顔を上げた。目の前にいたのはミケーレだった。


「〝裏切りの始祖〟……」


 信じられないものを見た――。そんなランドの顔だった。ミケーレは心臓に突き立てた刀を引き抜いた。ランドは支えを失ったように、数歩、後ろによろめいた。


「何故、ここ……に……!?」


 いてはならない顔だ――。

 そう言いたげであった。そして、心臓を貫かれたランドの身体は、急速に崩壊し始めた。見る間に皮膚は光沢を失くし、ひび割れ、そのひびの間からは塵が零れ出していた。吸血鬼――不死者として止まっていた時間――少なくとも100年の時が、再び動き出したからだ。

 ふらつき後退したランドに対して、ミケーレはさらに1歩踏み込み、日本刀を横薙ぎに一閃。ランドの首を難なく刎ねた。心臓を貫かれたのみならず、首をも落とされたランドは一気に身体の崩壊を進め、首が地面に落ちた時には、倒れた身体ともども塵芥と化し、堆く積み上がった。


 こうして、ロンドンで〝切り裂きジャック〟、そして、100年の後にフィレンツェ近郊で〝怪物イル・モストロ〟として数々の殺人を犯した吸血鬼・ランドは意外なほど、あっけなく死んだ。


「死んだの?」


 マリアがミケーレに近付き、声を掛けた。ミケーレは刀を鞘に納めながら、


「ああ。もう、復活することもないだろ」


と優しくマリアを見やり、答えた。不思議なことに、振り向いたミケーレは鞘すらも持っていなかった。どこかに刀を仕舞い込んだらしい。

 マリアは吹き飛ばされた右腕をいつの間にか拾ってきていた。そして、――というように切り口を肩に押し当てていた。肩口から断ち切れたは捨てていたので右腕だけが剥き出しになっていた。細い腕の真っ白な肌がより印象的で、妙に艶めかしかった。


「やっと依頼を果たせたよ。100年も掛かっちまったからな。依頼人はもうに入ってるがね。それでも、依頼は依頼だ」

「依頼人は〝切り裂きジャック〟事件の被害者の遺族ね?」

「ああ。ってハンター、知ってるだろ? 依頼人は彼女の母親だ」

「……そう。そんな気がしてたわ」


 やっぱりね――という顔でマリアは答えた。その顔は心なしか、先ほどよりも血色が良くなっているようだ。ミケーレはランドだった埃の山を見つめて言った。


「こいつは逃げ上手でなぁ。何度か追い詰めたことはあるんだが……。こいつがマリアに固執してたことは知ってたんでな。マリアを囮にする形になっちまって、すまなかった」


とマリアに向き直り、頭を下げた。


「それはいいんだけど……」


 申し訳ないと謝罪するミケーレに、押さえていた右腕を離しながらマリアは言葉を返した。千切れていたはずの右腕は落ちなかった。さらに、引っ付き具合を見るように腕を肩から、ぐるぐると大きく回し、動作に問題がないことを確かめていた。


「ランドも倒せたしね。問題ないわ」


 気にしてない――と、そう言った。ほんの僅かな間に腕が癒着したのも、生気が漲りつつあるのも、混血児ダンピール――吸血鬼の血を引くが故なのだろう。


「でも、そうね……」


 マリアはミケーレを見て、ふっ、と柔らかい微笑を浮かべ、


「朝になったら、カプチーノとクロワッサンコロネットを奢ってもらおうかしら?」


と、金色の髪を揺らした。


「もちろん、喜んで。ああ……それもいいが、夜明けまでまだまだ長い」


 ミケーレは星の美しい夜空を見上げて、


「夜通しやってる酒場バールがあるぞ。今から行くか?」


と、言った。マリアは笑顔で頷いた。


「いいわね。事件も片が付いたことだし、ビールビッラで乾杯しましょうか」

「じゃ、行こうか。はどうするんだ?」


 手榴弾やらであちらこちらに破砕孔だらけの広場を見やり、ミケーレが聞いた。問われたマリアも同様に周りを見渡して、


「旧市街に着いたら連絡するわ。今からなら、夜明け前には片付くでしょう。行きましょうか」


と言って、歩き出した。


「ああ」


 2、3歩遅れてミケーレも歩き出した。すぐに追いつき、横に並んだ。ミケーレは自分のジャケットを脱いで、マリアに手渡した。袖が切れて白い右腕が剥き出しのマリアを気遣ってのことだ。


「ありがとう」

「なんの」

「それと、もう1つ、お願いがあるのだけれど……」


 マリアは少しだけ迷った後、ミケーレに切り出した。


「何だい?」

「明日……もう、今日か。買い物に付き合ってくれない?」

「買い物? 構わんよ。何を買うんだ?」

「ポンテ・ヴェッキオの袂に〝マドヴァ〟って手袋の店があるのよ」

「へえ、手袋か。いいよ。行こう」

「ありがとう。今年はいい1年になるといいわね」

「そうか、もう年が明けてたんだったな。じゃあ、お祝いをしなきゃな」

「お祝い? 何に?」

「何でもいいさ。そうさな。それなら〝手袋の買い物〟に」

「ふふ。そうね。〝手袋の買い物〟に」


 上着を交換した2人は、そのようなことを何だかんだと言い合いながら、街へと続く道を下りて行った。



 誰もいなくなったミケランジェロ広場を、一際強い風が吹いた。風は堆く積もっていたランドだった塵を噴き散らかした。

 その後には、何も残らなかった――。



 

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