第五話 地方都市クルグス
「なぁ、ナオ。明後日野暮用でクルグスに行くからついてこい」
「えっ」
黒竜の戦慄きを聞いてから数カ月後。俺がいつものようにレナを送り出して家に帰ってきた時、母さんがそう言った。
クルグスとは南西にある地方都市で、他国との貿易が盛んな国でもある。
村から出たことのない俺にとっては、地理を知る良い機会だと思う。
だが、疑問が一つ。
「野暮用なら、わざわざクルグスに行かなくても、メッサで事足りるんじゃないの? メッサの方が近いんだし」
クルグスは物理的にここよりも遠い。メッサの方が意外と近かったりもする。
だが母さんは首を横に振った。
「いや、クルグスの方が物を多く扱っているからこっちの方が何かと都合がいいんだ」
「あぁ、なるほど……」
メッサは近いが、クルグスと比べるとそう物流は盛んではない。どっちかっていうと、農産物のほうが多い。
……と、いうことは、今回の野暮用は食品関係という可能性は低く見積もってもいいということだ。
「まぁ、とにかくそういうことだ。当日は少し早く出るぞ。あと、何日か滞在するから着替えとか準備しとけ」
「えっ、滞在?」
「何か問題が?」
「い、いや、なんでもないよ。分かった」
俺は慌てて首を振った。獲得し得る経験値がその分減ってしまうが、それまで俺はがめつくはない。……ないよな?
「じゃあ、その間レナは何してるの?」
「自己鍛錬に決まってるだろ。あんなに自分からやりたいって言ってきたんだし、それくらいのことはしてくれないと、鍛えがいがないわ」
フフッと笑う母さん。ちょっと怖い。
父さんが夕食の準備をしながら苦笑した。
「母さんと父さんはね、ギルドの仕事を受けに行くんだ。結構溜め込んでいて何日もかかるから、クルグスに滞在してすべて終わらせるんだ」
「あー、なるほど。毎年レナん家に泊まっていたのはそのためか」
毎年決まった時期になると、俺はレナの家にしばし泊まっていた。必ず数日後には帰ってくるため、特に気にしていなかったのだが、やっぱり本当のことを知るとスッキリとするな。
「でも、どうしてクルグスに? ギルドで仕事するんだったらメッサにだってあるじゃん」
「決まっているだろう?」
夕食が始まって、美味しい食事にありついている母さんを置いて、俺は残りの男組と話す。
父さんがキラキラとした笑みで言う。
「ここから遠出するのが面倒くさいからだよ」
「父さんが狂った」
「あはは」
思わずそう呟く。
「っていうか、クルグスのほうが遠いって」
「意外と近いんだよ? メッサのほうが遠いかも」
「いやいや」
流石にそれはないでしょ、と思う。だって、地図上で比較すれば、直線距離はメッサのほうが圧倒的に近い。東京から千葉に行くのと、東京から静岡に行くのと同じぐらいの差があるのだ。それなのにどこをどう思えば近いだなんて単語が出てくるんだろう?
「移動手段は?」
「当日までの内緒」
「移動にかかる費用は?」
「子供がそんなことを考えちゃいけません」
む……。
父さんは父さんで食えないな……。のらりくらりと躱すのがお上手なこった。
とりあえず、と、父さんは食事をすすっと出す。
「まずは、栄養補給だね?」
「……はい」
俺は素直にパンを口に放り込んだ。
――――――――――
次の日、当たり前のように来たレナに、休憩時間の時に俺は昨夜のことを話した。
レナは碧色の瞳を開き、「ええっ!?」と叫んだ。
「うそ! じゃあ、明日から来てもここはもぬけの殻ってこと?」
「そうらしい。母さん曰く、帰ってくるまではいつもの練習メニューを繰り返しこなしていろだって」
「えぇ〜、そうなんだ。っていうか、毎年ナオがお泊まりに来てたのはそのため?」
「うん。俺も昨日聞いたばっかだけど」
長い金髪を後頭部で一本で纏めて、憂いの表情でふぅっとため息をついた。
「…………そんなに俺らが外出するのが嫌なのか?」
「……まぁ、ね。ここ最近は毎日お邪魔しているし、そんなに言えないけど。運動しないと体力は落ちてく一方なんだし続けるよ? 続けるけど……」
レナはそこで一旦区切り、俺の方をじぃっと上目遣いで見上げてきた。
「?」
「競う相手がいないと、ちょっとだけやる気出ないかも」
期待に満ちた眼差しで、こちらを見てくる。な、なにが欲しいんだ……?
数秒だけ考えて、おずおずと手を伸ばす。そしてレナの頭をぽんぽんと撫でた。
「……これでいいか?」
「うん、正解」
気持ちよさそうに目を細め、「う〜ん、もうちょい優しく」などと物申してくるレナに苦笑し、「やる気出たか?」と聞く。
「うん、いいね。めっちゃ出たかも」
「ならよかった。俺らがいない時も頑張るんだぞ」
「もちろん。私から申し出たんだもの、やる時はやらなくちゃ」
レナがスクッと立ち上がり、素振りを始める。慣れてきたせいか、適度に力が乗っていて、太刀筋も綺麗になってきた。
このままじゃ俺も抜かされるかもな。まぁ、経験値が少しずつ溜まってきているからいいんだけど……。
《名前》 ナオ Lv.12(186/650)
《職業》 少年
《スキル》 なし
《魔法》 下級生活魔法全般
《体力》 Lv.13(593/700) 《俊敏性》 Lv.9(218/500) 《攻撃力》 Lv.13(365/700) 《防御力》 Lv.11(516/600) 《投擲力》 Lv.9(224/500) 《運》 Lv.8(182/450)
レベルが上がるほど、レベル上げに必要な経験値も大きくなってきている。これはオーバーロードしないといけないな。
そんなことを考えていると、母さんが来た。多分父さんは昼食の片付けをしているんだろうな。母さん細々とした家事できないから。
「レナ、明日からちょっと野暮用はあって家を空けるんだ。自己鍛錬しているんだぞ」
「母さん簡略化し過ぎでしょ……」
「はい、分かっています。さっきナオに聞いたので」
「なんだ、そうなのか」
意外そうに目を瞬く母さんは、「ナオが言ったんじゃ説明はしなくてもよかったな」と苦笑する。それから、
「今年からはナオはお邪魔しないから、そうルグスにも伝えといてくれ」
「わかりました」
言った言葉にレナが首肯した。
「父さんなら笑うと思います」
「あぁ、よろしくな」
母さんは「じゃあ私は森の奥に引き籠もっている魔獣を狩ってくる」と言い残し、森の中に消えていった。
「……じゃあ、再開するか」
「……えと、そうね」
――――――――――
「これで大丈夫? 父さん」
「うん、これぐらいなら平気だね。いやー、久々だからちょっと楽しみだなぁ」
いつものようにレナを村まで送り出し、明日の準備をする。ちなみに母さんは既に就寝中。
父さんはいつにもましてテンションが高く、時々物思いに耽けては何かを思い出したように笑う。
あまり見たことのない表情と父さんの纏う優しい雰囲気に、俺も思わず口元が緩む。
全ての準備が整えば、あとは寝るだけだ。
自分の部屋で目を閉じる。
こんな日々が続いて欲しいと思っている自分がいる。平和で、暖かくて、笑顔に満ちた幸せな日々。
今までも、これからも、こんな日々が続く。心の底から信じてやまない。もちろん、母さんも父さんも腕の立つ冒険者だ。その事実は揺らがない。
……でも、なんだろう。この胸に残るしこりは。
俺は必死に深呼吸をする。
大丈夫だ、明日明後日で死ぬはずがない。だって、母さんたちは――――
「おはよう、ナオ。ぐっすり眠れたかい?」
「……ん」
「朝食作ってるから、母さんと走ってきな」
父さんの声にはっと目が覚めた。体を起こして窓の外を見れば、まだ夜明け前の薄暗い空が広がっている。
着替えて外の井戸で汲んだ水で顔を洗う。先に待っていた母さんが「早くしなよ」と言う。
「……うん」
ほら見ろ、やっぱり嘘じゃないか。何考えているんだ、俺……。
「行くぞ」
ふるりと頭を振り、駆け出した母さんの後を追った。
――――――――――
「みんな忘れ物はない? ちゃんと鍵閉めた?」
「あぁ、全部オッケーだ」
「ほとんど俺がやったけどね……」
ローブを着た父さんの呼びかけに、同じくローブを着た母さんは溌溂と、俺はげっそりと応える。
今いるのは家の中。目の前に水晶のような物が置かれている。
この装置があれば、一瞬で指定した場所に行けるらしい。なるほど、ゲームの中でもしばし登場した転移水晶か。これなら時間もお金も労力も要らなくて済むな。
それに父さんが手をかざそうとし、「そうだ」と振り向いた。
「ナオはこれを着てくれるかい?」
「ローブ? うん、いいけど」
俺は父さんの渡してくれたローブを着る。フードが目深で、あまり正面が見えないな……。
「いいか、ナオ。これから先は、決して私達の子供だと言いふらさないこと。後ろについてくるだけでいい」
「? わかった」
「いいぞ」
母さんが俺の頭を撫でる。「じゃあ、今度こそ行くよ」と言い、父さんが手をかざした。
途端に、転移水晶から青色の眩い光が溢れ、家の中を満たす。そして一瞬の目眩を経て、気がつくとそこはもう、ココリス村でも俺の家の中でもなかった。
露店が立ち並び、人々が往来している。中央の開けた場所には噴水があり、乾いた空気に潤いを与えてくれていた。
中には動きやすそうな服に身を包み、短剣を腰に下げている男性や女性の姿もあった。
「すごい、人がたくさん……!」
「ここらへんはクルグスの中でも特に賑わう商業地区だからな。物流の要の一つでもある。ギルド関連もここら一帯に置いてあるから、冒険者の数も多いんだ」
そう言いながら露店の一つで肉刺しを三本購入した母さんは、一本を俺に渡してくれた。
「あ、ありがとう」
「あぁ。ほら、オルガも」
「うん、いただくよ」
少しの間観光した後、俺たちはギルドの中に入る。日中だからなのか、心なしか人気の多い場所だった。
と、併設されている酒場から、へべれけ寸前の男たちが母さんをロックオン。
暇か。
「なぁ、そこの若い嬢ちゃんよぉ。いっぱいどうだ?」
「おっ、いいな。だが、今はそれどころじゃないんだ。悪いがまた今度ってことで」
「いいじゃねぇか、昼間っぱらから呑んだってぇ。ここの酒はうめぇぞ?」
ピクッ。
母さんの体がほんの少し揺れた。葛藤して、悩んで、葛藤して――翡翠の瞳が父さんを見た。何かを求めているような、そんな表情で。
父さんは思わず苦笑して、「いいよ、呑んできな」と言う。
「えぇー……いいの? 父さん。母さん酒飲みに行っちゃったけど」
「大丈夫だよ。
「あれで?」
ジョッキになみなみと注がれた黄金のビールを片手に、早速わっはっはと叫ぶ母さんを見て、上戸ってなんだっけ……と放心しそうになる。
「笑い上戸なんだよ。酔うと頭のネジが外れるとも言う」
「いいこと言うね、父さん」
「だろう? さて、こっちは仕事を終わらせようか」
「あぁ」
俺はコクンと頷いた。
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