第三話 鍛え

「俺が欲しいのは――、経け、じゃなかった、木刀」

「木刀って……まさか、冒険者にでもなりたいのかい?」

「まぁ……そんなとこかな」


 父さんの問に苦笑しながら答える。

 しっかりと経験を積めば、いつかはゲームの時の自分を追い抜くことが出来る。

 そうすれば、いつか自分の命が危なくなった時に助けることが出来る。

 だけど。


「駄目だ」

「母さん」

「昨夜のナオの姿は知っているよ。今のままでも同年代の子に比べればよっぽどマシさ。さすが私達の息子だ」

「じゃあっ――」

「だけどあれとこれとは違う。ナオ、アンタは。そんな奴を戦場に送れば犬死にするだけだ。ナオのためにもこれだけは譲れない。諦めなさい」


 いつにも増して厳しい口調で母さんは俺に諭した。俺というよりは、どこか記憶の奥底に在る人に向けての言葉のようだった。苦しくて、辛くて、やるせなさを混ぜ込んだような、そんな表情で。


「ナオはまだ九歳なのよ。もっと子供らしいものでも欲しがったらどう? 豚のしっぽ風船とかは?」


 かと思えば、優しい表情で話しかけてくる。


 ……うん、分かってる。母さんは正しい。母さんは本当に心配してくれているということを知ってて、俺が知らないふりをしているだけ。


 でも、だからこそ、俺は今ここで引くわけには行かない。何が何でも木刀を持ち、自分の命を守れるぐらいに、この世界で生き残ることが出来るように、俺は俺を鍛えなければならない。


「………母さん。俺は大丈夫だよ。俺は死なない」

「人間の体は弱いのよ」

「そうならないようにするから。だから、素振りだけでもいいから、俺に生きる術を教えて欲しい」


 ペコリと頭を下げる。


「…………ダリア、もう良いじゃないか。せっかくの息子の誕生日だ、最大限受け入れてあげるのが親だろう?」

「でもオルガ。この子に何かあったら、」

「その時は、俺たちが助けてあげる。全部はできないけれど、この子がより良い道を切り開くことの出来る道標みちしるべを示してあげられる。大丈夫、ナオなら出来るさ。だってナオは俺たちの息子なんだから。そうだろう、ナオ?」

「うん」


 母さんの言葉を優しく包み込む父さんの表情はとても慈愛に満ちていた。心の奥底がじんわりと温かくなる。

 信頼で成り立った関係は、やっぱり心地いいな。


「だから、お願いします。俺に生きる術を教えて欲しい」

「…………分かったわ。でもその代わり、徹底的に鍛え上げるわよ」

「……臨むところだ」


 母さんの言葉に背中がゾクッとしたが、それでも頷いた。これからくる鍛錬への怖さより、自分の体がこれよりも進化できるというほのかな嬉しさが勝ったのだ。


「じゃあナオ、まずは表に――」

「その前に、食事にしようか」


 母さんの言葉を父さんがやんわりと遮り、さっきまで作っていたらしい食事を指差した。

 その言葉に俺は何も食べていないことに気がついた。


「うん、俺お腹すいた」

「ほら、ダリアも」

「あぁ」





  ――――――――――





「ほら、ここで踏ん張る!」

「むっ、無理っ」

「無理じゃない!」


 ドガッ、と鍔迫合っていた木刀が一方的な力によって押され、俺は弾かれ尻餅をつく。


「ほら、立て。まだ明るいから」

「俺この後薪割りがあるんだけど……」

「いいから立て。二重に温まるぞ」

「無自覚に名言をパクらないで?」


 母さんの差し出された手を握り、立ち上がる。衣服についた泥をはたいて落としていると、離れて見ていた父さんがリンゴの皮むきの手を止めて「まぁまぁ」と言う。


「ダリア、今日はこのぐらいにしてあげなよ」

「とっ、父さん……!」


 よかった、父さんは正常……


「この後の分を明日に持ち越せばいいじゃないか。どうせ明日もするんだろう?」

「あっ……」


 正常じゃなかった。そういえば父さんも冒険者なんだっけ。


「そうだな。明日の楽しみがまた一つ増えるし、そう思えばナオもそう思うだろう?」

「い、いや、俺は……」

「言い出しっぺは誰だっけ?」

「思います」

「よろしい」


 無表情で圧のある母さんに気圧され、俺はスッと答えた。満足そうに母さんが首肯する。

 まぁ、経験値が少しずつだけど貯まるからいいんだけど……なんかさっきより生き生きしていない?


 じぃんと痺れている手のひらを軽く握って開閉し、俺は父さんが新しく作ってくれた斧を持つ。

 手先の器用な父さんお手製なので木のカーブが俺のやや小さく骨張った手にフィットする。

 重量もそんなになく、華奢な俺にも軽々と持ち上げることが出来た。

 まだなんにも乗っていない背負子を背負い、予め切っておいた丸太の置いてある場所に向かう。


「――レナ」

「ナオ。よかった、遅かったじゃない」

「どうしたんだ、こんなところまで」

「どうしたんだ、じゃないわよ」


 偶然にも切り株に座っていたレナと出会う。……偶然か? いや違うか。

 とりあえず背負っていた背負子を下ろすと、レナが遠慮がちに聞いてきた。


「その……大丈夫だったの? 三日間も眠ってたって聞いたから」

「ん? あぁ……別に平気だよ。おかげで体も軽くなったから、むしろ得した気分」

「………そう。なら、よかった、なんて、」


 立ち上がりつかつかとこちらに歩み寄ってくると、レナがきゅっと俺の外套を掴んだ。


「……言えるわけがないじゃない……私のせいでナオが危険な目にあったんだよ!? どうしてナオは私を責めないの!?」

「せ、責めるもなにも、あれは不運な事故だったじゃん。それに、あの時レナが俺の指示に従ってくれなかったら、俺は暴れて魔力症状を起こして精神が崩壊していたかもしれない。全部が全部レナのせいじゃない」


 俺は宥めるようにレナの手をそっと包む。八歳のその手は、似つかわしくないほどに震えていて。

 こんなことに慣れていない俺は、そっと頭を撫でることしか出来なかった。


「俺だって生きてる。死んでなんかいない。だから気に病むな」

「………分かってるわよ」


 ぱっと離れたレナがムスッとした表情で俺を見つめる。


「そういえばナオ、あんたスクールには行かないの?」

「スクール?」


 そんな設定はゲームにはなかったが。


「ここから西に少し行くと、地方都市メッサがあるわ。そこのスクールで勉強しないの?」

「しないけど……レナはするのか?」

「もちろん。次期村長は色々と大変なのよ」

「そんなに栄えていないと思うけど……」

「何か?」

「いえなんでも」


 思わず本心がうっかり出てしまったけれど、ゾクッとする笑みをたたえたレナの表情にぱっと視線を外す。


 勉強はうんざりとするほどしてきた。だから基礎知識は身についている……と思う。だから今世ではできるだけ勉強はしたくない。

 それに、せっかくこの世界に転生したのだから、武術を身に着けたい。


「俺は、どうせなら王都で勉強したいなとは思う。王都のほうが設備は整っているだろうし」


 台替わりの切り株に丸太を乗せ、真っ二つに割る。


「……ふぅ〜ん……」

「っていうか、まだ早いだろ、考えるのは。もっと遅くても良いんじゃないか? ゆっくりと考えていけば」

「それじゃあ駄目なの。私は早く強くならなければならないから」


 レナの声は何かの決意で固くて、俺はそっと視線を外す。

 レナは活発な村娘で、俺とこうしてつるんでいるべきではない。もっとやるべきことが他にあるはずなんだ。

 だけど、彼女がそう言うのであれば。


「……まぁ、お互い頑張ろうぜ」

「……もちろん」


 俺は応援するしかないだろう。だって、レナとは唯一の幼馴染なのだから。


「おっ、ここにいた。おい、レナ!」

「げっ、アレンじゃないの」


 振り向けば、手を振りながら走ってくる少年がいた。

 緑の短髪をそこかしこに撥ねさせている少しやんちゃそうなアレンに、レナが顔をしかめる。


「知り合いか?」

「知り合いもなにも、同学年よ? 村ではそこそこのやんちゃ坊主だし」

「ふーん……」


 名前だけは聞いていたけど、ずっと村から離れた家か、気を切るための森の中ぐらいしか行ったことがないため、誰が誰だかわからなかった。村に行ったとしても、買い付けをするぐらいだったから、九年もいれば記憶の片隅にはいるのかもしれない。


「つ、ついた……なんでレナはこんなところに……って」


 息を絶え絶えにしながらここまでのやや傾斜な道を走りきってきたアレンが、俺を視界に収めた途端、顔を歪ませた。


「誰だよお前!」

「ナオ。よろしく」

「へぇ……」


 アレンは俺の体を上から下までじっくりと見て、それから握っている斧を見た。


「木こりなんて面倒な仕事してんだな、お前。面倒くさくないのか?」

「別に。これから生きていく上で大事なものだから、面倒くさいなんて思ってないし」

「お前の家族もろくな仕事していないんだろ。お前の親とは違って俺ん家は地方都市で働いているんだぜ」


 えっへんと偉そうに言うアレンの言葉を、子供の戯言だと流しておくのがベターだろう。

 だが、母さんや父さんのことを悪く言われて黙っているはずがない。


「へぇ。それが? 両親はいいところに勤めているから他人よりも偉い? そんなわけ無いだろ」

「なっ、はぁ?」

「大体、偉いのはお前のご両親であって、その両親の功績を言ったところでじゃあお前は何をしているんだって話だろ。そんなに堂々と言いたいんだったら自分がまずなんとかしてみれば?」

「ちょ、ナオ、言い過ぎだって」


 レナが俺を窘める。まぁ所詮相手にしているのは子供だし、そうだなと思って肩をすくめる。


「アレンもアレンだよ。つけあがって他人に良いように言わないの。分かった?」

「くっそ……っ。覚えてろよ!」

「はいはい、出てった出てった」


 レナがしっしと手を振り、アレンを追い出す。

 俺は首を傾げた。


「追い出しちゃって良いのか? あの子は別にいい子だったと思うけど」

「いいのいいの。ああいう子は追い出すに限るわよ。それにナオの邪魔でしょ?」

「あとあとが怖いけど……まぁ、薪が出来ないのは死活問題だから」


 そうして台に新たな薪を置いて、斧を振るう。割ってセットして、セットして割って……。

 少し繰り返していると、レナがボソリと聞いてきた。


「……ナオは、やりたいことないの?」

「やりたいこと?」

「うん。最近は毎日ここに来ているらしいけど、他にやりたいことはないの?」

「今は十分だよ。薪割って、母さんと父さんに稽古つけてもらってる。あとカジノ手伝いをするだけで一日が終わっちゃうから」

「えっ! ナオ稽古つけてもらってるの?」


 稽古というワードにレナが反応した。


「ずるい……私でさえ剣を握らせてもらってないのに」

「レナも稽古つけてほしいのか?」

「ん……まぁね」


 小さく首肯するレナに、意外だな、と思った。

 レナは俺と同じくらい華奢なのに、剣なんて持てるのだろうか? 仮に持ったとして、すっ転んだりしないか?


「何考えてんだか。私にだってちゃんと考えを持ってますよ。今は力のため時なのに、家族揃ってダメだなんて言っちゃって……」

「別にレナは鍛えなくてもいいだろ」

「いいわけない!」


 俺の何気ない一言に、レナが大声を上げた。

 彼女自身も想定していなかったのだろう、ハッと口元を覆う。

 それから汗を流し始め、明らかに動揺し出した。


「こ、これは、その……自分の身は自分で守らなきゃ、と言いますか……ほら、先日の一件もありましたし、ナオに庇われて逃げるだけじゃ嫌だから、ね?」

「いやね? って言われても。別に動機は人それぞれで良いんじゃないのか。他人に言えるような動機だったら言わなくてもいいんだし」


 実質俺も鍛えているのは生き残るというのもあるけど、最大は経験値を稼いでレベル上げすることだしな。

 ふぅ、と息をつくレナを見ながら、俺は薪を割り続けた。

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