第25話・まだ子供

 昼食を終えた俺は職員室に行かなくてはなりません。そして、今日はもみじさんも連れて。


「行く……の?」


 すずめさんは、どこか寂しそうにしています。

 そして、以前の寡黙なすずめさんに戻ってしまいました。


「はい。だから、また放課後に談話室で!」


 そこまで一緒に行くのですから、結局は道中も話すのですが。でも、何より不安な人には約束が大事だと思います。


「すずめちゃん……あー、もしかして……。あなたこの程度の失敗でアキラちゃんがあなたを嫌うって思ってる?」


 もみじさんは、そんなことを言いました。

 たしかに、そんな風に考える可能性については勉強したはずです。そして、そのうちそれが億劫になって、カウンセリングに来なくなってしまうケースがあると。


「えっと……うん……」


 あぁ、なるほど。すずめさんは、俺の前でいい子でいようとしたのですね。だから積極的に話して、それがから回って……。

 プレッシャーがかかっている時に取り繕おうとしても、それは大概うまくいきません。


「嫌うわけないですよ! すずめさんは、大切な友人です」


 人間は、どうしたって関わり合ううちにお互いに迷惑をかけるでしょう。お互いが全く気づかない無礼もあるでしょう。あえての無礼もあるでしょう。

 そして、人はそもそも多様性に富んでいて、だから単純化視線と抽象化視線、どちらも持たなくてはならないのでしょう。


 どっちなんだをやめよう、近代哲学者ジャック・デリダの言葉です。彼はどっちなんだをやめようと言っているのです。ならばそもそも、どっちなんだという問いに対してやめるべきとするのも矛盾しています。これは、パラドックスかもしれません。

 よって俺の考える解決法は、両方受け入れてしまえ、です。


「他人に優しい割に自分に厳しいなぁ……」


 言われてみればたしかに。優しさを実践しようと、すずめさんは動きました。

 ナツさんの言っていることは、その通りだ俺も思います。


「え? え?」


 ただ、すずめさん本人は受け入れられないようです。


「ボク……すずめさんの優しい気持ちが……嬉しかったです」


 そして要さんの言うとおりです。結果としてすずめさんは失敗もしました。でも、過程には優しさがあったのです。

 ただ、結局過程は見つけづらい。とはいえ、脳科学的に結果を褒める行為は人をダメにします。


「言われてきたことと……真逆」


 すずめさんはそれを疑問にしようとしたのかもしれません。


「んだよ、見る目ねぇな! すずめは根っから優しくて、いいやつじゃんよ!」


 そんなことを言えるナツさんにも、特大のブーメランが帰ってきてると思います。ナツさんも、人の気持ちをよく理解しようとする、優しい人です。


「ところで要ちゃんはなんでボクかしら? アタシにぎゅってされたいのかしら?」


 たしかに、今始めて登場した一人称には多少の疑問が残ります。ボクは僕であり、男性的な分類をされる一人称です。

 でも、それがかえって可愛らしかったりと、本当にひとりの人間でもこれほどカオスなのです。


「えっと……私なんて言っていいのかなって……」


 でもそういう理由なら、改善は必要です。そんなものはどっちも使っていい環境を用意して、ファッションで選ぶべきです。


「いいんじゃないですか? 使っても。悪い理由はないですよ。ほら、男性だって、ビジネスの場ではかしこまって私を使ったりしますし」


 なんだったら俺でもいいと思うし、なんでもいいと思うのです。日本にはたくさんの一人称があります。こんなに豊富なのに、使われてない一人称があるのも割ともったいないです。


「じゃあ……えっと、私……?」


 要さんは恐る恐る、一人称を口にしました。


「控えめな言い方も割と可愛いわね……。持ち帰りたくなるわ……」


 結局は、何を使おうが、その人が元来持つ普遍的価値を損ねることはできないのです。

 整った顔の可愛らしさもありますが、それ以上に彼女は攻撃的な表情をこれまで一度も作らなかった。善意に聡く、人を傷つけまいとするその心は十分な魅力です。

 ただ、俺はすずめさんの態度に目を奪われたのです。


「きっと、歓迎してくれますよ?」


 だから、耳元でこそっと俺は言いました。すずめさんはそわそわしていたのです。

 小さくうなづくと、すずめさんは要さんの裾をつかみました。


「あの! 友達に……」


 要さんが振り返ったその先にいたすずめさんがそう言うと、要さんはぱっと表情を輝かせます。


「是非!」


 なんだか今度は要さんがコロコロと変わっていきました。


「ありがと!」


 それはまるで少し子供に戻ったような、そんな微笑ましい一歩でした。


「アキラちゃん、高校生だと普通にあんな場面あるからね?」


 今度はもみじさんが俺に耳打ちをしたのです。


「え?」


 そうなのでしょうかという疑問は、浮かんで次の瞬間に解けました。


「一人称ですらこだわっちゃうお年頃よ? アタシたちまだ、子供なのよ」


 そうだったのです。15歳、成人年齢が引き下げられてなおもまだまだ大人になれないお年頃です。

 だから、子供でいいのでしょう。子供であると自覚して、もっと学ぶべきでしょう。

 そんなことを思っていると、もみじさんは深い溜息をつきました。


「もういいわ、行くわよアキラちゃん」


 こうして、俺はもみじさんと職員室に向かうのでした。

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