第18話・マザーズチェスト
「明けない夜はないのは知ってる。でも、僕は朝を知らないまま生きてきたから。願わくばこの手に光を今! 朝を教えてよ! 今だけでいい照らしてよ! 仄暗いのは、まるで黄昏だ……」
揺さぶられるようでした。痛みが、真っ直ぐに心臓に突き刺さってきました。
それはすずめさんの痛みが乗っているのでしょう。彼女にとってはこれから暗くなるばかりの世界。きっとだから、生かさず殺さずで生きている今が黄昏という言葉にのしかかっていました。
「ずびっ……ぐすっ……」
その歌を聞いていた、ナツさんは涙を流していました。
いえ、彼だけではありません。俺の頬を伝う冷たさはきっと涙によるものでしょう。痛みによる涙でした。
それは、もみじさんも静かに流していたもので、頬が乾いたままなのは雀さんだけでした。
きっとその痛みは、ずっとともにあったのでしょう。隣にありすぎて、もう感じなくなってしまったのでしょう。どうか、彼女の痛みを和らげなくてはいけない。
俺には、その痛みは耐えられず、こうして涙が溢れているのですから。
これが、彼女の表現の真骨頂なのです。こんなに悲しい物が有りましょうか……。
「あれ? みんな?」
ただ、自分の歌に乗った感情はただの日常。その日常感こそ悲しかったのです。
「すずめさんは、生きてて辛いのですか?」
思わず訪ねました。そのほんのわずかな歌の間に、あれほどの感情がこもるのです。
それも無意識に。
「まぁ、ぶっちゃけ? でも、なんでだろうね。ご飯も食べられて学校に行けて、平和で、治安のいい国に住んでいるのに」
そんな彼女が辛いとすら思ってはいけないと思っている。それは絶対に歪んでいます。
「すずめさん、あなたは心の話を何もしていないですよ。誰かに認めてもらえたとか、褒めてもらえたとか。好きと言ってもらえたとか」
いつだって新しいものは、感情の中から生まれてきたとばかり聞こえる話を聞いてきました。
戦時下においては勝利への渇望により科学が発展し、平時においては性への情熱が科学を発展させたと。
事実と感情は両翼としか思えないのです。
「だってそんなの……」
二の句は告げないようですが、断じて否定せねばなりません。
「ここに感情を馬鹿にする人はいませんよ。少なくとも俺は、感情を仕事にする夢を抱いています」
心理学、カウンセリング。辛い感情を、少しでも和らげるための仕事です。
俺は……。ずっと世界を変えたかった。この自殺者だらけの今の世界を変えたかった。
すずめさんは、辺りを見渡します。
「馬鹿にしないわよ? だいたい、感情でオカマやってるのよ!」
そう、自他ともに認められる彼が俺に発破をかけてくれた。世界を変えられる、理論を教えてくれた。考えてみれば納得できる話で、だから試してみるのです。この命で。
「いじめられていっちばんつれぇの……心だろ?」
ナツさんは未だに涙を流し続けながらも、彼女に肯定の声を与えてくれました。
暴力的ないじめは確かに肉体が痛いかも知れない。でも、俺は一番痛いのは心だと思うのです。
この学校にはいじめを経験した人も数多くいます。だからこそ、下手をすればもはやいないでしょう。この学校に、感情論を馬鹿にする人は。
「私……辛くていいの?」
それすら肯定されてこなかったのなら、それはここで終わりです。
「どんな理由もあなたが今辛いことを否定するには及ばないですよ」
今辛い感情を殺していい理由なんてないのです。
それを殺して怒りに変わってしまえば。あるいは、人を殺してしまうかもしれません。
絶望に変われば、自分を殺してしまうかもしれません。
人間はストレスが直接の死因にならないがために、それを見逃されてきたのかもしれません。
「なっちゃん。ちょっと……」
なぜかもみじさんは、ナツさんの目を手で覆いました。
「私が泣いても、ヒかない?」
それは断じて当たり前の答えを俺は持っています。
「引きませんよ。当然の感情です」
そうだと思います。誰も認めてくれないのは辛いです。
あるいは最初は結果を褒められてしまったのかもしれません。脳科学でほめ方は大事だと言われています。
「じゃ、ちょっと胸貸して」
ちょっと困惑したものです。なにせ年頃の男女ですから。
「俺でいいのですか?」
しかし、俺のちょっとだけ気に入らない称号も時には役に立つものでした。
「アキラはママだから……」
触れていいのか分からず、抱きつく彼女を見ているしかありませんでした。
でも、彼女が望むなら……。
「いつでも俺は貸しますからね。約束ですよ」
その約束だけはしましょう。次に彼女が言い出しやすいように。
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